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第六話 雨の木曜日

 夕方から雲行きが怪しくなっていた。約束は7時半に駅前に集まることだったが、僕はその時間にはまだ家の中にいた。

 

 雨


 雨は、街を濡らし、灰色の世界にしてしまう。そして雨は僕の心の中にも降り出していた。僕の頭の中には、一つの大きな傘の中に身体を寄せ合う、彼とあなたの姿がおぼろげに見えていた。あなたはどこか遠慮しがちで、それでも腕はしっかりと彼の大きな腕に絡ませている。


 不意に電話が鳴る。約束の時間を10分ほど過ぎていた。

「ごめん、ちょと用事ができて……あー、あー、いつもの店に、わかった。もう少ししたら出るから8時過ぎになると思うけど先にはじめてて。悪い」


 気が乗らない。冷たい雨が心を凍らせる。どんなことをしていても、どんなことを考えていても、あなたのことが頭に浮かぶ。あなたは言った。「彼をここには呼ばない」って。でも、きっとどこかで会っている。あなたの部屋以外で……

「こんな日に、酒なんか飲んだらろくなことにならないな」

 雨は激しくもなく、やさしくもなく、ただただ無表情に夜の空から落ちてくる。まるで宙を舞う生き物の屍骸が降り注ぐようかのような生命の欠片も感じないような雨――黒い雨。


 僕の心を黒く染めていく。


 8時過ぎ、駅の眼の前の雑居ビルの2階で仲間と合流する。高校の頃の同級生。彼らは卒業後、専門学校へ行った連中だ。そのうちの一人はこの春、学校を辞めるという。

「専門学校って言っても、高校の授業とかとそんなに変わらないし、何も面白いことないからさ」

「でも、せっかく高い学費払って入学したわけだし、もったいないじゃん」

「でも、親にはもう相談したから」

「で、やっぱり家の仕事を手伝うのか?」

「うん。大工をやるなら早いほうがいいと思って」

「大工か……俺にはぜんぜんわからないや」

 藤田は、少しばかりあがいてみたものの、やはり自分には、そういうこと――僕がそつなく大学にいって、それなりに学生らしいことをするようなことにはついていけなかったようだ。やると決めたら迷わない。もしかしたら自分には一番足りないところを藤田は持っているのかもしれない。


「まぁ、そういうことだから、今日はその報告を兼ねて学生最後の飲み会みたいなね」

「じゃぁ、派手にやろうか!景気づけに何歌おうか?」

 行きつけのカラオケ居酒屋。客層はばらばらでいろんな客が来る。深夜5時まで営業して、よくここで知り合った客と意気投合して朝まで馬鹿騒ぎをした。もちろん喧嘩や揉め事もないわけじゃない。何よりもここの店員やマスターとはすっかり顔なじみで、いつも便宜を計らってくれる。この街で一番居心地がいい店だ。


 藤田と同じく専門学校に進んだ平岡も専門学校の生活には壁へきへきとしているらしかったが、奴にはこれといってやりたいこともないようだった。好きではじめたエレキギターもさほど上達できず、ヴォーカルに専念するといっていた。高校在学中に2度ほど、平岡と彼の中学のときの同級生らとスタジオに入ったことがある。僕はそこで初めてドラムを叩いた。しきりに平岡はバンドをやりたいというが、僕はどことなく乗り気になれなかった。もちろんそれは平岡のせいではなかった。


「どうしただよ。なんだかのりが悪いじゃん」

「そう? そんなことないよ。ほら、次、俺の番かな」

 いつも歌っている曲なのに、いつの間にか歌詞の中にあなたの姿を探してしまっている。どうしようもなく、あなたに会いたくて……僕は心のそこから叫んだ。


「なぁ、悪いんだけど、ちょっと席はずすわ。とりあえず、これだけおいていくからさ。もしかしたら戻ってくるかもしれないけど、とりあえず気にしないで飲んでてよ。適当に帰っていいからさ」

「どうしたんだよ。あー、女だな」

「否定はしないけど、まぁちょっと約束があってさ」

「いいよ。俺たち好き勝手にやってるからさ。まぁ、楽しんでこいよ」

「だから、そんなんじゃないって。ともかく、この埋め合わせはまた今度。悪いな」


 藤田も平岡も快く送り出してくれた。傍目にも我が心ここにあらずという感じだったのだろう。なんともみっともない話だ。「たかが、女の子とで……」

 そう吐いたものの、僕の心はどうしようもない衝動を抑えられずにいた。今すぐあなたの部屋に駆け込みたい。そしてあなたを――


「それで、どうするか……かぁ」

 僕には何もなかった。何もないからこそ確かめずにはいられなかった。それが、若さというものなのだろうか? 雨は相変わらず、無表情に街を濡らす。街頭の明かりと地面の間に割り込み、わずかな暖かさもこの身に届けまいとしているかのようだった。寒さが人恋しさを増す。あのまま、仲間と一緒にいたら、こんな凍えるような思いをしないで済んだに違いない。でも、そうせざるを得ないのが、やはり若さなのだろうか?


 未熟さなのだろうか?


 吐く息が白い煙となって闇に解けてゆく。タクシーのテールランプの赤が妙に毒々しく目に映る。通り過ぎる人影を無視して僕は歩き出す。あなたの部屋へ。約束が守られているかどうかを確かめるために、僕は約束を破ろうとしていた。



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