第五話 違和感
違和感―― 一言でいえばそういうことになる。しかし具体的にそれが何かを考えてみると、これほど言葉に窮するものはない。ただ何となく、おかしいと思う。ただ何となく、不安に思う。いつも見ている風景、いつもの会話、いつもの感触。いつもと同じはずなのに、何かが違う。ざらざらとした不快感ほどはっきりとはしない。しかし、目を閉じてじっとしていられるほど落ち着いてはいられない。
だから僕は、あなたから目が離せない。あなたの声をもっと聴きたい。あなたに触れていたい。でも、そんなことが叶わないことは、初めからわかっていることなのに。わかっていることなのに、どうすることもできない『違和感』がそこにはある。
「明日は、あー、明日は木曜日か……」
「うん?どうしたの?」
「いや、ちょっと近くまで来る用事があるから、ついでに寄ろうかなって思ったんだけど」
「木曜日は……」
「わかってるよ。でも、毎週ってわけじゃないんでしょう」
彼女があの男と毎週木曜日にあっていることはわかっている。僕はそうしているあなたに出会い。そしてここにいる。そんなことはわかっている。わかっていても、意地悪なことを言いたくなることもある。
「意地悪ね」
そう。僕の心には、どこか荒んでいる。それを気づかないふりをしてきたことへの違和感――それもある。
「いいわよ。明日は彼とは合わないわ。彼をここには呼ばない。そのかわり、ふー君も来ちゃだめよ」
「意地悪だね」
そう。あなたはいつも僕を困らせる。それを素敵なことだと感じていた。でも、いつもそうだというわけではない。今日みたいなのは最悪だ。でもそうなるとわかっていても、僕は感情を抑えられなくなっている。感情と理屈の祖語からくる違和感――それもある。
「そうよ。意地悪には意地悪で返すの」
「じゃぁ、優しさには?」
「もちろん、意地悪で返すわ」
あなたの言葉も、声も僕の心を揺さぶる。僕はそれに抗うすべを知らない。好きにならずにいられない。それがどんなに僕を苦しめるような言葉でも、僕はあなたを好きにならずにいられないことへの違和感――それもある。
「電話をしてもいい?」
「いいわよ。でも明日は少し帰りが遅くなるかもしれないわよ」
あなたはタバコに火をつけて、しばらくタバコの煙の行方を目で追っていた。僕もタバコに火をつける。僕は煙を下に向けて強くふかした。メンソールのひんやりとした感触が、無理やりに心を落ち着かせようとしているようで嫌だった。いつものタバコなのに、いつものことなのに……見るもの感じるものすべてに違和感を感じていた。
「そういえばライブの日程決まったんだっけ?」
「あ、うん。4月9日だっけな。一か月ちょっと先」
「楽しみね。練習のほうはどう?」
「いや、それがまだ、選曲のところでもめててさ。なかなか決まらないんだ。とりあえず1曲は決まってるんだけど」
「どんな曲」
「Tレックスって知ってる? 『Get It On』って曲なんだけど」
「それってたしかパワーステーションだっけ。ふー君が好きな」
「そうそう。パワーステーションがカバーした曲」
「いいなぁ、見に行きたいけど平日でしょう? 横浜だっけ」
「うん。大学の音楽サークルが集まって新入生歓迎ライブって形でやるからね」
しかも、その日は木曜日だった。僕はあえてその話は触れなかった。僕はタバコの火をけし、小さなため息をつく。
「知ってる? ため息をついた数だけ幸せが逃げていくんですって」
「ため息なんかついてないよ。ただちょっと……」
「ただ? ちょっと? なに?」
「考え事をしてただけだよ」
「どんなこと? どんなことを考えていたの?」
「言えない」
「エッチなこと?」
あなたも静かにタバコの火を消す。その自然な振る舞いは、僕を悩ませる。あなたの白い細い指が僕の指に絡まる。僕は違和感を抱いたまま、あなたを抱き寄せる。あなたの細い体をきつく抱きしめる。嗚咽とともにあなたの指先が僕の背中を強くかきむしる。頭の中は相変わらず冷静に違和感を探している。俯瞰で抱き合う二人を見るような錯覚の中、僕はどうしようもないくらい道化のような気がしてならなかった。あなたが耳元でささやく。
「来て……」
僕が迷うことなく行くことができたのなら、あなたの心に触れることができたのかもしれない。でも僕は、どうしても違和感を無視するとことはできなかった。あなたを知ることよりも、僕はその違和感の正体を知りたいと思うようになっていた。




