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第四話 眠れない夜を越えて

 僕は変化を感じていた。それが望んでいた変化かと問われれば、否と応えるべきか、そうするべきか迷うところだったろう。大学に進学し、やりたかったバンドをはじめ、女もできた。事象だけを挙げれば確かに充実しているように思える。しかし、僕の心は充実という言葉とは全く不釣合いな状態にあった。


 ずれている。

 何もかもがずれている。


 もっと早く生まれたかった。あと10年早く生まれていれば、学生運動に参加し、ビートルズもリアルタイムで聴けただろう。そしてあなたと出会うことがあったなら、僕はもっと……


 簡単に甘えられるほど、僕のそれは、素直ではなかった。しかし、甘えずに居られるほど僕のそれは成熟してもいなかった。


 調子外れはやめてくれ。

 真新しいリズムに乗せて誰かが叫んでいる。それは僕のことなのか。それは僕なのか。


 あなたを抱く事が、あなたと会う理由なのか。それともあなたに会うために、あなたを抱いて帰るのか。何もかもがずれている。


 僕はずれている。


「それはなに?」

「基礎体温測るようにしたんだ」

「へぇ……でも、それって」

「私、基礎体温低いのよ。月のものも時々ずれたりするから、基礎体温を測ってちゃんと記録をつけなさいって」

「病院にいったの?」

「そうよ」

「なにか……心配事でも?」

「自分の身体のことだから、ちゃんとしないと……私もう、下ろしたくないから」


 何か不思議な気がした。それはなんでもない会話のようで、やはり、僕はずれている。あなたの言うことも、あなたがしていることも僕にはわかっている。わかっているのに僕はずれてしまっている。なぜかはわからない。ただ、あなたを困らせたかったのか。ただ、あなたに甘えたかったのか、ただ、あなたを抱きたかったのか。


 だから僕は自分の話しをした。僕の少年時代、どんなテレビを見て、どんなことをして遊んでいたのか。どんなふうに音楽に出会い、どんなアーチストに憧れているのか。どんな子と付き合っていたのか。僕は昔付き合っていた彼女の写真をあなたに見せた。それはあなたがそうしたように。あなたの見せてくれた写真に写る見知らぬ男のことを話すように、僕もあなたに話して聞かせた。でも何かがおかしかった。


 知れば知るほど、語れば語るほど、僕の中で何かがずれていく。


「彼女のこと今でも好きなのね?」

「好きだよ。それは間違いない。だから、凄く後悔している」

「いつかまた、一緒になれるといいね」

「うん……でも、それは難しいかもね。彼女を目の前にして、かける言葉が見つからない」

「好きだって、それでいいんじゃない?」

「そうなのかな?」

「難しく考えすぎよ。考えるよりも感じることのほうが大事なときがあるのよ」

「でも、考えたいんだ。いろいろと……考えないでいられないんだ」

「難しいのね」

「うん、難しい。難しくい考えないってことが、難しい」


 僕はいったい誰と話をしているのかわからなくなり、あなたの顔をまじまじと見た。あなたはそこにいる。そこにいるあなたは、いつものあなたのはずなのに、僕にはどこかずれてしまっていた。

「あっ、そうだ。ちょっと面白いものを持ってきたんだ」

 僕は下手な芝居の見本のようなぎこちない様子で――それでもあなたはまるでかまわないようなしぐさで僕を見つめている――ブルゾンのうちポケットから手紙を取り出した。K2の手紙だ。封書にはお世辞にも二十歳になろうかという者の字ではなかった。僕も上手じゃないが、K2とあと二人ほど、僕は自分より字を書くのが下手な奴を知っている。


「これだよ。この前話していた腐れ縁の面白い手紙って」

「あー、あのK2君だっけ?」

「そうそう柏木。柏木謙介のエアメール」

 僕がK2に対して毒づいて字が下手だ、日本語になっていない、意味がわからないとあなたを笑わせようとする。あなたは話の内容よりも、一生懸命に親友の悪態をついている僕の様子に関心があるらしい。散々手紙の内容を僕が笑った後、あなたはこう言った。


「いいわね。心を許せるお友達がいて。うらやましいわ」

「心を許す? まぁ、身体は許せないから、少しくらい気は許しているかもしれないけど、そんなきれいなものじゃないよ」

 僕はあなたが前に話してくれたクラスメイトからの嫌がらせのことや、母親の浮気現場を目撃してしまったこと、付き合っていた男との間にできた子供をおろしたこと。そんなこをと一気に思い浮かべて、そしてそこには心を許せる女友達といった存在がいないことに気づいた。そういう負の情報を共有して、慰めるなり、怒るなり、泣くなりしてくれるような身近な人は、今のあなたにはいないのだと、そんなことを考えた。そして思った。


 だから、僕は、あなたにとって、そういう存在なのか?


「今度あってみたいわね。K2君と」

「そうだね。ロンドンから帰ってきたら一緒にご飯でもいこうか。まぁ、たぶんがっかりするか、すごくがっかりするかのどちらかだと思うけど」

「ひどいこというのね」

 僕はあなたの微笑む顔がみたくて、なんだか少し無理をしているようだった。そうでないと僕はまたつまらないことを考えてしまいそうだった。もう少し談笑したら、僕はこの部屋を出て行く。そしてあなたは派手な衣装に身を包み『僕の知らないあなた』になって、夜の街の中に消えていくんだ。少なくともあなたの前でだけはそのことを考えないようにすることが、僕の精一杯だった。


「ああ、そうだ。そういえば手紙を忘れてきた」

 5分ほど歩いたところで、ふと、K2の手紙をそのままにしてきたことを思い出した。一瞬引き返そうと思ったが、きっとあなたはそれを嫌がるだろうと考え、僕はそのまま家に帰ることにした――別に、急ぐことはない。


 家族に顔を合わせることもなく、僕は自分の部屋に閉じこもる。いつになったら、眠れない夜は終わるのだろうか……嗚呼、僕は今夜も眠れない。朝方あなたが部屋に戻るころまで、僕はベッドの上で独り毛布に包まって、あなたを 想う。また いくつもの 眠れない夜を越えなければならない。


 僕は、少しだけ、気がふれそうになっていた。

 


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