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第九話 ジェラシー

 僕はあなたを求めた。それはごく当たり前の行為のようでもあり、滑稽でもあった。僕はあなたを求めている。あなたはそれを受け入れてくれている。しかし、それは決して符合することのない心のずれを確認する行為だったのだと、今はそんなふうに思えてならない。


 求めえられた『何か』求められ与えた『何か』


 あなたはとっくに気づいていたのか、それともあのときのあなたは僕と同じように求められることに従順だったのか……それでもきっと、僕よりはわかっていたはずだ。あなたはきっと、『それ』を知っていて、知りながら、わからないフリを決め込んでいたに違いない。なぜならあなたは、年上のひとだから。


 慣れるということはなかった。あなたはいつも新鮮で底の知れない深みと、理解を超えた謎を秘めていた。それが意図的であれ、無意識であれ、僕はあなたの魅力に吸い込まれ、迷い込み、そして堕ちて行った。考えまいとすればするほど、あなたの明日を、僕がいないときのあなたを想像してしまう。あなたを僕だけのものにしたいという欲求は至極当たり前のようでいて、それは僕にとっての恐怖以外の何者でもなかった。あなたを得ること――それは同時にあなたを失うことへの恐怖でもある。あなたが僕のものでないのと同時に、誰かのものでもないということは、皮肉にも今、この状況が証明をしている。そしてそれは、無責任さを是とすることと、責任を負えない力のなさを嘆くことの両立を成立させ、僕に未来を与えてくれる。


 いつか、あなたを自分のものにしたい――だが、いまはまだ、僕にはその力がないのだから


 あなたは僕の激しさを『若さ』だと言い、僕はそれを『未熟さ』と理解した。あなたは僕のロジカルな言動を『賢い』と言い、僕はそれを『小賢しい』と卑下した。あなたは僕の気遣いを『優しい』と言い、僕はそれを『軟弱』と感じていた。


 『同じ時』に居るのに、『同じ場所』にいないような、或いは『同じ場所』に居るのに、『同じ時』に居ないようなもどかしさが、あなたの声をかすれさせ、僕の心をすり減らせた。あなたの言葉の一つ一つは、僕の心の中を駆け巡り、まるで血管の中に細い針が流れているような痛みに耐えることを強いていた。


「いや……やめて……いや……」


 激しく求めれば、あなたはそれを拒む。拒んでいるあなたは、僕を異常なまでに興奮させる。まるで獣のようにあなたを求め、果てることを知らない。解き放たれた欲望は、がんじがらめに縛り付けられた心の葛藤――求めても得られない、拒まれているわけでもないのに、手が届かないもどかしさを噛み千切るような凶暴さに支配されていた。そして少なくともその瞬間だけは、あなたを自分のものにできたような錯覚に陥ることができた。


 何もかもが真っ白になったような感覚。そしてその後に押し寄せてくるのは、どうしようもない不安だった。どうにかして、あと1時間、あと30分でも長くあなたのそばにいたいという欲求と、それによってもたらされる不幸な結末は、僕に選択の余地を与えない。僕にとって一番怖いのはあなたを失うこと――でも


 決して僕は あなたを得ていたわけではない。


 あなたはベッドの中で下着とパジャマを身につける。

「まずいな」

 ボソッとそんなことを言った。言ったように聞こえて、それでもそれを聞きなおす勇気は僕にはなかった。

「ねぇ、今度からちゃんと、ゴムつけてね」

「うん、なんだか興奮しちゃって……」

「何かあったの?」

「いや、別に……ただ、会いたいと思ったから」

「そう。そうね。でも、ちょっと会える日が減るかも」

「え?」

「わたしね。バイトしようと思って」

「バイトって……なんの?」

「昼間は仕事してるし、休みの日は減らしたくないわ。だから夜にね。ホステスのバイトしようかと思って」

「あ、ああ、でも、どうして」

「高卒の給料だと、なかなかきびしいのよ。このアパートの家賃もそこそこ高いし」

「そうなんだ」

「だから、ちゃんと大学は卒業しなきゃダメよ」

「そ、それは、そんなことは大丈夫だよ」

「そう。ならいいんだけど」


 なにがどうというわけではない。ただただ、僕はそれが嫌だった。あなたが他の男とお酒を飲む姿を想像するのは、どす黒く、陰鬱で、荒唐無稽な感情が僕の中ではっきりとした形となって表れた。それは今まで気づかなかった……いや、気づいてはいたけれど、無視することに成功していた感情――嫉妬であることをはっきりと認識せざるを得なかった。僕はそれを認めたくなくて、うそぶくしかなかった。


「そうなんだ。もうお店は決まっているの?」

「まだよ。今チラシとか、いろいろ見てるんだけど、会社の人に知られるのも困るし、どこにしようかなぁって、そんなところ」

「そうなんだ」


 なぜ、とめない? なぜ、嫌だといわない。


 いえるはずがない。とめられるはずがない。


 なぜなら僕には、その資格も、権利も、力もない。


 嗚呼、そうなんだ。


 僕は いったい あなたにとって どんな存在なんだ。


 いや、その前に もっと 大事なこと


 僕は あなたを……あなたを どう 思えば いのだろう


 体が笑っている。まるで全身に力が入らない。どこか宙に浮いたような感覚のまま、僕はあなたの部屋を後にした。冬の空――星は見事に整然とそこにある。月を捜すがどこにも見えない。残念なような、ほっとしたような妙な気分にさらされる。


 もし、満月であれば、激しくあなたを求めたのは満ちた月のせいにできたろうに。

 もし、三日月であれば、満たされない心の痛みは、欠けてしまった月のせいにできたろうに。


 満点の星に見つめられて、僕は惨めだった。



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