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第六話 未熟

 映画を観終わった後、僕はとても興奮していた。『ザ・フライ』は魅力的な映画だったし、観客の反応も、あなたの反応もとてもよかった。それは今までに味わったことのない感覚だった。自分の好きな映画を好きな人と観て、そして「面白かった」「あそこが良かった」「あのシーンは怖かった」と語り合える喜び。理解しあい、共感しあうことはなんて素敵なことだろうと本気で思った。


「ケーキのすごくおいしい店があるの。そこにいこうか」

 僕には、映画を観た後のプランニングは何もなかった。はずかしいかな、銀座で女性と一緒に入るような店を僕は知らなかった。これが横浜や渋谷であれば、なんとかなったが、僕はすっかり背伸びをして、しかもあなたに甘えてしまっていた。「ここよ」とあなたが指差した場所は、僕が良く知る場所だった。


「へぇ、ここは地下に中古レコード店があって、良く来てたけど、ケーキが美味しい店があるなんて、知らなかった」

「あっ、そうなの。私は逆に、その店には、入ったことないのよ。じゃあ、あとでレコード見に行こうか」


 あなたが案内してくれた店は、とても僕のような髪を背中まで伸ばした小僧が来る様な雰囲気ではなかった。僕はすっかり萎縮してしまった。まだ、昼間だというのに照明は暗く、落ち着いていて、重厚な椅子とテーブル、壁に飾っている絵画、照明、全てが僕を歓迎していないようだった。


「場違いな感じがする」

「平気よ。そんなこと気にしないの」

 あなたはそんな僕を面白がっているのか、妙に楽しげだった。

「私は決まってるんだ。ふー君はどうする?えっとね、お薦めは――」

 まるで全部お見通しといった感じで、あなたは僕をリードしてくれた。僕はそれがどこか悔しくて、少しばかり意地悪な気持ちになった。どれほど自分の舌にあうものかと、辛口の評論家にでもなったかのように、店の中の様子を伺ったが、そんな試みはものの数分で無駄だと思い知らされた。


「あっ、これ、本当に美味しい」

「でしょう?ね?こっちのケーキも美味しいのよ。ほらぁ」

 あなたはフォークでミルフィーユを上手に切り分け、僕に差し出した。

「あーん」

「えっ、えっ?」

「ほら、ケーキ落としちゃうから早く」

「あっ、あい……」

 おそらく僕の目は泳ぎ、一瞬周りの視線を近視ながら、頬を赤らめ、思い切り二やつくのをこらえながら、大きな口をあけていたに違いない。僕の右の奥歯の虫歯が見えたかもしれない。


「どう?美味しいでしょう」

「うん。おいしい」

 それは、嘘だった。僕いは程よい甘さのクリームも、ミルフィーユのふんわりした感触もわからないほど、その状況に困惑していた。

「かわいいのね。こういうの、全然普通のことなんだよ」

「そっ、そうなのかな。僕には全然違う世界のことに思えて……」

「照れくさい?」

「正直、かなり……」

「そう……」


 僕は、すっかりあなたのペースになっていることにも多少の引け目を感じていた。その事が直接の理由ではないにしても、たぶん、動機はそういう仕様もないことだった。僕は映画の批評を始めた。


「――でも、主人公とヒロインが、急にあれだけ親密な関係になるっていうのが、今ひとつ納得行かないというか、アメリカ映画だなぁって思った」

 僕は、映画のほとんどを肯定しながら、脚本の中で一番重要な「起」の部分にけちをつけた。主人公の科学者は、偉大な発明をする。しかし、若いとはいえ、奇人である。その主人公を取材に来た科学雑誌の女性記者。二人が男女の仲になるまでの過程が、僕には乱暴に思えたのだった。

「そうかな。私はそんなことないと思うなぁ。ほら、最初に出会ったときに、何か実験の素材をって……えーっと転送装置だっけ? そのときに彼女自分のはいていたストッキングを脱いで渡したでしょう。あの時点で、相手の男性にアピールしてると思うのよね。私はあなたに男として関心がありますって」


 僕は、たじろいだ。筋も理屈も通ったあなたの主張そのものにではない。それを聞いてもなお、自分はそうではないと思う気持ちがあり、しかもそれを反論する言葉を見出せないでいる。論破されているにも関わらず、何か抵抗をしなければ、自分の存在する価値なんかないのではないかという、今まで感じたことのない自分に対する違和感に、自分の中の芯とも言える部分がぐらついたのである。


「そうかなぁ、そういうものなのかなぁ」

「そうよ。男と女は、一瞬の交わりがあれば、それで惹かれあったりする事があるのよ」

 今にして思えば、それは真理であり、僕とあなたの関係は、まさにあの映画のように、一瞬の交わりにどちらかが、アクションを起こし、一方がそれに応え、そして男女の関係になった。でも、あのときの僕にはそれがわからなかった。なんとも残酷だ。


「そうね。でも、そのシーンよりも私、分娩台のシーンがちょっとショックだったなぁ。女性にとってはあれ、ものすごく嫌なシーンよ。生まれてくる赤ちゃんが、人間以外だなんて、本当にぞっとするわ」


 もしも、あなたの部屋の人形の話を聞いていなければ、僕は何か返す言葉があったのかもしれない。でも、あなたがあのシーンをどんな思い出見たのかを、少しでも想像できる今では、うなずくことすら、軽挙な気がして、僕には話題を変えるくらいしか思いつかなかった。

「すごく、グロテスクなシーンが多かったけど、怖がらせるだけじゃなくって、ちゃんとシーンごとの必然性があったよね。動物実験失敗して、モンスターにしちゃったことも、ちゃんと最後まで脚本に生かされていたし、あれだけグロテスクなモンスターが『自分を殺せ』って、銃身を自分の頭に向けるシーンも感動した」


「そうね。凄くいい映画だったわ。また、観にいこう。ふー君と映画観るの楽しい」

 でも、僕には、なぜか、次はないような気がした。


 今のままでは僕は未熟すぎる。


 僕の心は、ざわついていた。あなたを知れば知るほど、あなたとの距離を感じる。あなたは深く、広く、遠く、高く、そしてシルクの手触りのように滑らかでつかみ所がない。それを不安に思えば思うほど、僕はあなたに甘えるほかになかった。その甘えはいつか、何かを壊してしまうかもしれないというのに――


 あの頃の僕は未熟すぎた。


「じゃぁ、レコード見にいこうか」

 僕は、そこで1枚のレコードを買った。そのレコードに針を落とすたびに、僕は未熟だったあの頃の自分を思い出す。音楽は残酷だ。



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