第四話 女友達
もとも身近な人間の裏切り――あなたにとって母親とは、ある日を境に忌むべき存在へと変わってしまったのだろう。それはわかる。何よりもあなたは父親を尊敬し、敬愛していた。そんな父親を裏切った母親を許せないあはたは、母親としての女の部分、そして自分の中の女の部分を憎んだに違いない。あなたが母親を意識すればするほど、母親の女の部分を軽蔑すればするほど、あなたは自分の中の女の部分を自覚し、嫌悪し、そして堕ちていったのではないだろうか。
その考えは今でも変わらない。僕はその言葉を、とうとうあなたに伝えることが出来なかった。でも、あなたがそれを知らないはずがなかった。気づかないはずがなかった。見えないはずがなかった。わからないはずがなかった。
でも、あなたは、僕の前では、知らず、気づかず、見えず、わからずを決め込んでいた。それを演技といえばそうなのかもしれない。でも、僕には確信がもてないでいる。あなたは、誰のために、何を演じていたのか。僕は観客であり、共演者であり、脚本家であり、演出家であったのかもしれない。懐かしい映画のフィルムを見るような気分で、あなたを思い出すことはない。あなたを思い出すとき、それは記憶とは違った、もっと生々しいものとして、再生される。再現される。再演される。あなたは僕の記憶の中で、永遠に終わらないドラマを演じている。
「そうなんだ。風間も大人になったのね」
「まぁ、そういうことになるんだけど、相手がね……」
「いいじゃない。年上の人が、最初なんて素敵だと思うわよ」
「そういうものかな」
「で、どうなのその人とは?」
「どうもこうも、前も話したとおり、いろいろと難しい人だから……」
「遊ばれている――と思う?」
「う~ん。それがわかれば、ある意味こっちも楽なんだけど」
「そうなんだ」
「えっ?何が」
「うん?別に」
「なんか含みのある嫌な言い方だな」
「それがわかるなら、大丈夫じゃない?」
「まぁ、長い付き合いだから千紗のことはわかるけどね」
中村千紗は、中学の頃からの友人――女友達だ。
「でも、よかったじゃない。彼女が出来て。心配してたんだよ」
「心配? そう? そんなに心配かけていた?」
「由紀と分かれてからずっと引きずってたじゃない」
「あぁ、まぁね。男は、ほら。女と違って引きずるからさ」
「そうなの? そうじゃない人のほうが多いと思うけど」
「分かれたら次の人なんて、そんなお気軽な恋愛は俺にはできないよ」
「お気軽ねぇ。考えすぎなんじゃない」
「そんなことないさ。千紗だって、今の彼氏とは――」
「私は私よ。風間はこだわりすぎよ」
由紀というのは、中学生のときに始めて付き合った彼女である。千紗はその親友。三人はどこに行くのも一緒だった。三人はいつでも電話で連絡を取り合い、お互いの悩みを話した。中学生の悩みなど、取るに足らないことである。今となってはどんな話をしたのか、まったく覚えていない。千紗は、僕と由紀を本当に気にかけてくれた。もしかしたら電話で話した時間なら、彼女の倍くらいあったかもしれない。中学を卒業し、別々の学校にいくと、僕と彼女の間は急激に冷めて言った。共学の僕と女子高の彼女。僕のよくない噂は、程なく彼女の耳に届くことになる。
心当たりはある。それは弁明できることではない。それでもなお、僕は彼女とのことを大事に思っていた。彼女が落ち着くまで、しばらく距離を置こうということになった。しかし、それっきり、彼女との連絡は途絶えてしまった。悪い判断だった。それを悔いた。僕は彼女の影を背負ってしまった。
「あのときはしかたがなかったよ」
「そう……そうなんだけどさ。頭じゃ理解してるつもりなんだけどね」
「感情がついてこない?」
「そうだね。だって、今でも、正直忘れることは出来ない」
「本当に好きだったんだね。由紀のこと」
「それは自慢できる。だけど、壊しちゃったのは俺だし」
「それよ。そんなこといつまでもくよくよしてたって仕方ないじゃない」
「あぁあ。また怒られちゃった」
「あ、ごめん。ついね……うまくいけばいいね。その年上の人と」
電話口で千紗がどんな顔をしているのか、僕には手に取るようにわかっていた。
『異性の友達関係は成立するか?』
僕の答えはNOだ。高校のとき、僕は千紗に告白をしたことがある。彼女はそれを受け入れてくれたが、結局、僕は由紀のことが忘れられずに、数ヶ月で二人の付き合いはもとの友達関係に戻った。それからまもなくして、千紗には彼氏が出来た。なんどか3人で会ったことがある。そのときにわかった。幸せな二人を目の前にして、抱く、一人身の自分の気持ち。彼女は――千紗はこんな気持ちで僕と由紀のことを見ていたのか。それは思いのほかせつないものだった。
『異性間の友情はお互いを異性として意識するタイミングがずれ続けている関係であって、つねにどちらかがやせ我慢をしている』
僕と千紗は、そういう関係である。
『俺って、本当に、何もわかってないや。最低だな』
千紗が、僕のことを心配していたというのは、その時期のことだ。だれのせいでもない。自分の矮小さ、愚かさにほとほと嫌気がさしていた。僕はこの時期、何人かの女性に行為を抱かれ、それをとても迷惑に思い、冷たくあしらい、或いは思わせぶりな態度をとりながら、最後には『本当に好きな人は別にいるから』と、断っていた。僕は僕自身を軽蔑し、嫌悪していた。
「いろいろあるけど、彼女のこと、よくわかるんだ。だから、なんとかいい方向にもていけたらいいなと、思って入るんだけど」
「そんなこと考えてたら失敗するわよ。恋愛はもっとシンプルなんだから」
「そうだね。千紗の言うとおりだ。じゃあ、そろそろ遅いから電話切るよ」
「まぁ、がんばりなさいって。風間はそれで結構、いい男なんだから」
「そうかなぁ」
「そうよ。もっと自信を持ちなさいな」
「ありがとう。話せてよかった」
「うん。わたしも。いつでも電話してきていいからね。気にしないでいいんだから」
「そうは行かないだろう。彼氏だっているんだから」
「そうね。あの人、結構嫉妬深いから……でも、風間君はいい人だって、言ってたわよ」
「いい人ね。まぁ、男から言われるのなら、まだいいか」
「そうよ。だから、その彼女に『いい人だった』なんて、言われないようにしなさいよ」
「あーい」
「じゃあね」
「うん。じゃあ」
明日はキクちゃんと映画を見る約束をしている。その後もし、話が出来るのなら。少ししてみようか。




