第一話 1986年
1986年、僕は悶々とした日々を送っていた。
『こんなはずじゃなかった』という気持ちと『こんなもんだよ』という気持ちが、日夜繰り返され、何一つ手につかない。青春を謳歌する。そんな言葉は、恥ずかしくてかっこ悪いし、世間に喧嘩を仕掛けるほどの苛立ちや衝動はなかった。周りを見渡せば、そんなに悪い人生じゃない。いや、むしろ恵まれているといえるだろう。
高校の成績は中学生の時のそれと対して変わらない。いや、むしろ下がったのかもしれない。いろいろあったけど中学生の頃は毎日が刺激的で充実感があった。素直に大人の真似事をどこかかっこいいと思えたし、見たくないものは大人や世論が僕らの視界の届きにくいところに隠してくれていた。何の不安も、何の疑問も、持とうと思わなければ持たずにすんだ。
高校に入学すると、少しだけ伸びた身長は見えなかったものが見えるように、見たくないものも目に付くようになって、少しだけガッカリした。こんなものかと思うのか、そうでないのか、それはそれぞれの考えることで、僕が若者の代表というわけでも、異端児というわけでもない。ごく普通の高校生。たぶん、自分が望んでいなかった高校生。
早く卒業したい。小学校、中学校のときはそんなふうには思わなかったけど、高校は早く卒業したくてたまらなかった。でも、だからといって卒業してなにをするかなんて、これっぽっちも考え付かなかった。一時は好きな音楽を目指そうと、そういう専門学校に通うことを考えはした。先生の反対と親の困惑した表情を押し切って、その道に進むほどの『進むべき理由』が自分の中にないことに気付き、『大学受験』という当面の目標に向かって作業を始めた。
運が良かったのか、悪かったのか、受験した大学のうち、もっとも関心がなかった大学にだけ受かった。それはもう親は喜んだ。『浪人しなくてよかったね』と言われれば、『行きたい大学があるから』とはいえなかった。そう、僕には『進むべき理由』は、やはりなかったのだ。
だから僕は――そう、自分が望まないことの延長としての時間を悶々と過ごしていた。大学は楽しい。自由だ。だが無駄に自由だ。『進むべき理由』のない自分にとって、こんなに退屈なことはない。この時期、僕はタバコを覚えた。酒は中学の頃から親の目を盗んで飲んでいた。危なく急性アルコール中毒で救急車を呼ばなければならないほどのバカをやり、酒の飲み方は心得ていた。タバコ――あんなに嫌いだったタバコの煙が、あの時の僕にはどうしても必要だった。無駄だと思えるものに執着して、拘りを持つことで何か新しい価値観を生み出そうとしていた。
自分を変えたい。だから髪を伸ばし、見た目だけでも音楽をやっているような格好をした。それがきっかけで、僕に声をかけてきたバンド仲間は、最初僕をすこし尖った女の子だと思っていたらしい事が、のちの飲み会でわかったときには、もう、笑うしかなかった。
悶々としながらも、少しずつ自分を変える――いや、それは再生とか、新しいキャラクター作りとか、或いはもっとチープでマイナーな変化だったけど、それでも何もしないよりかははるかにましなように見えたし、実際にこのときの自分の変化は、今にして思えばひとつの方法論としての『生き方』を見つけた貴重な体験だった。
人は誰でも変わる事ができる。
春から横浜にある大学に通い始めたが、音楽サークルに入部したのは秋のことだった。楽器ができない僕は、当時のメンバーの中ではそこそこ歌う事ができたので、バンドではヴォーカルをやりながら、中学生の頃から憧れていたドラムを独学で始めた。
大学までは電車一本で通うことができた。住んでいるところは東京の下町。横浜まで電車で通い、バンドの練習がない夜は、アルバイトをした。バイト先は高校時代から続けていた地元のレンタルレコードショップ――つまり貸しレコード屋である。
その店に通い始めたのは中学生のときだった。当時洋楽を聴き始めたばかりで、毎週1枚はレコードを借りて聴いていた。一度も延滞はしない。カセットテープに録音するとすぐに返しに行った。中学生の小遣いでは、それでも大きな出費なのだ。無駄にはできない。高校の頃、そんな僕に店の人が声をかけてくれた。
「バイトしてみない? 時給は安いけど、音楽は聴き放題だよ」
二つ返事でOKした。あとで聞いたのだが、僕をスカウトした理由は延滞がなく、レコードの扱いがきれいで、まじめそうだったからだそうだ。正直、うれしかった。『まじめそう』はともかくレコードの扱いには気を使っていた。自分の拘りが他人に認められるというのは、やはりうれしいものである。こうして僕は安い時給ながら、ほとんどを音楽に費やしていた出費をほかの事に使うことができたし、長髪でも問題のないアルバイト先を得たことは、結果として僕の人生において重要な意味を持つことになった。
そう、あなたと出会うまでの道は、こうして開かれた……。




