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 どうする。

 俺は祭宮として、王家に名を連ねる者として任を果たすのか。

 それともカイ・ウィズラールとして、自分の思い通りに生きればいいのか。

 いや「カイ」の名を捨てない限り、俺は自由にはなれない。

 直系王族を表す「カイ」

 俺はどう足掻いても、王家の一員として生きる以外にないのか。




 先王が退位し、新王の御世になり数ヶ月。

 国は俺が想像もしていなかった方向に動き出した。

 どこかみんな狂気の波に飲まれてしまったように見える。しかしそう思うのは、俺が祭宮という閑職に追いやられているからなのだろうか。

 文字通り、国政とは関係ないところで、時の流れに置いていかれたようにも思えてくる。

 名ばかりの「カイ」

 宝の持ち腐れの王位継承権。

 こんな物を持っていたって、祭宮に収まった以上、何の役にも立ちやしない。

 まあ国政なんかに俺が口出ししたって、兄貴たちの機嫌を害するだけだし、下手に手なんか出したら、余計にややこしい事になるだけだ。

 触らぬ神に祟りなし。

 大体、父上だってそれを望んでなんかいないだろう。

 だからこそ俺が祭宮に指名された途端に、先の祭宮である叔父の養子になんかしたのだから。

 もう叔父は亡くなった後だったっていうのに、強引に。

 その位俺が邪魔だったってことだろうか。

 今更そんな事どうでもいいことだ。

 それに国政に関していえば、俺に出来る事は皆無だろう。



 トントン。



 控えめな音が部屋に響く。

 こんな時間に来るのは、ギーくらいなもんだろう。

 何か異変でもあったのだろうか。

 大股で入り口まで歩き扉を開けると、外套を羽織ったギーが神妙な面持ちで立っている。

 国に何かあったのか?

 それとも神殿で何かあったのか?

 俺が口を開くより先に、ギーがニヤっと笑う。

「随分鬱屈とした顔していますね。飲みにいきませんか」

 体格が良くて悪人顔のギーが笑うと、脅されている気分になるのは、きっと俺だけじゃない。

 それにしても部下にまで気をつかわれるとは、そんなに酷く落ち込んでいるように見えたのだろうか。

 まあギーは部下というよりも、側近中の側近。共に育てられた兄弟みたいなものだけれど。

 鼻で笑って、ギーの肩を叩く。

「お前の奢り」

「本っ当にケチな王子様ですね。人の薄給をあてにしないで下さい」

「ケチなのはお前だろ。誘ったのだから、そっち持ちにしろよ」

「気前が悪いと、部下にも女性にも逃げられますよ」

「そうか。気前の問題だったのか」

 目をパチクリさせて、ギーが首をかしげ、はっとしたような顔をして、さめざめと泣きまねをした。

「もう逃げられましたか。色々話を聞いてあげましょう。さっさと用意してください」

 後半は明らかに命令口調で、有無を言わさず外に引っ張り出すつもりだ。

 行きますかなんて疑問形で聞いておいて、それかよ。白々しいヤツ。

 まあ、こいつなりに色々考えがあってのことだろうけど。

 ギーに背を向け、兵士が普段使うのと全く同じ外套を引っ張り出し、身に着けてギーに笑いかけた。

「さて、行くか」


 ギーに連れてこられたのは、王都の中の比較的規模の大きな居酒屋だった。

 ここは、来た事がない。

 しかし見慣れた近衛の制服なんかもチラチラ見えるし、ギーには馴染みの店なのかもしれない。

 慣れた様子で人と椅子を掻き分けて、奥の方にある入り口まで見渡せる円卓に腰を下ろす。

 何も言わずに座っていると、背筋の曲がった親父がなみなみと注がれたジョッキを二つ持ってくる。

「腹、減ってます?」

 ギーの問いかけに首を横に振った。

「あんまり」

「じゃあ、親父。適当につまみを二つ三つ頼む」

「あいよ」

 ギーが注文を終えるのを待ってから、ジョッキに手を伸ばす。

「おつかれさん」

 そう言ってジョッキを合わせて胃に注ぎ込むと、冷たい液体が体中に広がっていく。

 ふうっと二人して息を吐いて、周りを見渡す。

「ここには、よく来るのか」

「部下と来る事もありますね。安いんで」

 もう一口飲むと、親父がつまみを持ってくる。

 無愛想でにこりともせずに皿を置くと、忙しそうな様子で他の客のところへ行く。

 何気なくその姿を目で追っていると、知っている顔が見えた。

 普段一平卒の名前なんて憶えたりはしないが、そいつの名はよく憶えている。

 名前なのか愛称なんかは知らないが、ルア、と呼ばれていた。

 ヘラヘラ笑っているそいつの顔を見たら、何故か腹の中がムカムカした。

 能天気な顔で笑いやがって。

「何かありましたか」

「……別に」

 ギーの問いかけには答えず、口の中につまみを放り込む。

 意外に上手かったので少し驚いた。

 こういう店の料理は、質より量で勝負するようなところが多いのに、しかも小汚い店なのに、思いのほか美味い。

「結構いけるな」

「お口にあって、良かったですよ。あなた舌肥えてますから、無駄に」

 余計な一言には敢えて抗議しなかった。

 腹が減っていたのか、しばらくの間ギーは食べることに口を専念させ、話すことには使おうとはしなかった。

 その間、俺はムカムカするとわかっていながらも、少し離れた席で同僚とワイワイと酒を飲む奴から目を離せなかった。

 こんな奴のどこが良かったんだ。

 泣いて悩むほどの価値、どこにあったんだよ。

 俺にはたいした人物には見えないんだけれどなあ。どこにでもいる、ごくごく普通の平凡な男じゃないか。

「御用がおありなら呼びますよ」

 皿の上の物を半分以上平らげてから、やっとギーが話すことに口を使った。

 俺に聞きながら、横目で奴のほうを見ている。

 ったく。無駄に視野が広くて気が回る。

「何の話だ。とりあえず酒でも飲んどけ」

 ジョッキの中身を口に運んで、ギーの話を逸らした。

 別に何か話したい事があるという訳ではない。

 ただそこに奴がいたという、ただそれだけの事。

「そうですかー。まあいいですけれどね。わたしも面倒は御免ですから」

「どういう意味だ」

 ヘラヘラっと笑うギーを一睨みすると、ギーがフっと鼻で笑う。

「言葉通りですよ。深読みしすぎです」

 ギーはすっと手を上げて親父を呼んで、空のジョッキを手渡すとふうっと大きく溜息をつく。

 かと思いきや、顎の下で手を組んで眉間に皺を深く刻んで、神妙な面持ちになる。

「解決は無理ですけれど、話くらいは聞きますよ。何を悩んでいるんです」

 いきなり核心かよ。

 苦笑いするだけで、特に何も言わずにいた。

 何をどう話せっていうんだ。

 俺がみっともなく足掻く姿をお前は見たいのか。

 だが、恐らくこいつにしか話せない。

 それでも、ここには耳も目も多すぎる。

 最も、王宮の自室にいたって誰かしらには話を聞かれているのだろうけれどな。よくまあ兄貴には話が筒抜けになっているもんだと思うよ。

 密偵なんて放つ暇があったら、他に労力回せっていう感じだ。

 恐らく今も誰かが傍で、聞き耳を立てている。

「あなたを悩ませているものを当てましょうか」

 占い師のように言うと、宙を見て、さも何かと交信しているかのような素振りをする。

 怪しいぞ、お前。

 どこでそんなネタ仕入れてきた。

 くだらないと思いつつ、頬杖をついてギーの様子を見守った。

「ずばり、女ですね」

「女ねえ」

 どこの女だよ。世界の半分は女だぞ。

 また考え込むような仕草をするから、敢えて何も言わずにそのまま続きを待った。

 本当に占いをしているわけでも、未知との交信をしているわけでもあるまい。

 溜息をついて体を背もたれにつけ、腕組みをする。

 腕組みをして袖が捲れ、右手首に青い石が光っているのが視界の隅に映る。

 女ね。

 本当に俺、女運ないよな。

 婚約者に逃げられたところから、俺の人生から女という文字は消し去られたというか、何というか。

 こんな微妙な立場じゃなかったら、もっと遊びまくるんだけれどなあ。

 ちょっとでも話そうものなら、バックに控えている令嬢のお父様方が目を輝かせてやってくるし、下手にその辺で一晩位と思っても、王都じゃどこで尾ひれ背ひれがつくかわからないし。どっかのクソ兄貴みたいにいきなり隠し種とか出てこられても笑うに笑えない。

 その上領地はど田舎で、羽を伸ばせるような素敵な場所はないし。

 何で俺が、清廉潔白で生きていかなくてはいけないんだろうなあ。

 それ以上に、ちょっとでも女が絡むと災難続きだ。

 思い出すのも腹立たしい。

 領地にある巨大な神殿に住まう女性たちの顔を思い出したら、溜息しか出てこないな。

「全部、運命のせいですか」

 ギーのその言葉で、ぴたりと思考が止まる。

 一番、嫌な言葉を口にしやがって。


 ――そこで、運命に会うでしょう。


 俺が聞いた、前の巫女で俺の婚約者たる姫の、最後のご神託。

 くそっ。

 運命なんて、クソ食らえだ。何でも知っているかのように偉そうに。

 俺は、神託も水竜も大嫌いだ。

 ああ胸糞悪い。

 思い出したじゃないか。

 蒼い瞳の水竜のこと。


 ――謝罪など結構。ボクとボクの巫女を愚弄した者に、これ以上話す言葉など無い。


 冬のあの日、彼女にあいつは間違いなく乗り移った。

 あの瞬間。

 彼女が瞬きをした瞬間に、空気が震え、瞳は蒼色に輝いた。

 あんな色の瞳、見たことがない。彼女の元来の目の色とも違う。

 あれは、間違いなく水竜だった。

 あの場では色々と障りがあるから、気付かない振りはしておいたが。

 それにしても、あんな奇跡、彼女はいつでも普通に起こせるものなのだろうか。

 ああいった形の奇跡は初めてだと思うが。

 同席した神官や姫に聞いてみたい気もするが、あれが水竜そのものだと認めたと公言するのは憚られる。

 認めたと口を開くには常識が邪魔をするし、姫をまた混乱させてしまうだろう。

 彼女は、並の巫女以上の何かがあるのかもしれないな。

 例えば「始まりの巫女」のような。

 認めたくはないが、彼女こそ俺の運命の鍵を握る人物である事は間違いないだろう。

 しかもなあ……。

「運命の方がそんなに魅力的には思えないんですけれどね。どこがいいんですか」

 だから、何でお前は直球なんだ。全部。

 ギーの言わんとすることはわかっている。

 俺の頭の中が、彼女の事でいっぱいだって言いたいんだろ。

 敢えて俺は、彼女の名を普段口にはしないことにしている。

 もちろん彼女の存在が、この国にとって特別なものであるが故の事ではあるけれど、その名を口にしたら、俺はきっと他人に弱みを見せる事になる。

「彼女の魅力がわからないなんて、お前もまだまだ修行が足りないな」

 適当に煙に巻いて、誤魔化した。

 彼女の事を思い浮かべただけで、頬が緩みそうになる。

 下手にからかわれるネタは提供したくない。

 それに、これを聞いている第三者と、その裏にいる厄介な人間に、俺の弱点を晒すのは避けた方が賢明だろうと思う。

「わかるわけないじゃないですか。我が君がそれは大事にお守りしていらっしゃるんですから」

 大げさなんだよ。お前は。

 それに俺が守っているわけではない。彼女を守っているのは、水竜だ。

 彼女の身柄だけではなく、心まで全部守っていやがる。

 ちょっとでも泣かせようものなら、すぐに出てきて口うるさく言いやがって。過保護だろ。あれは。

 それに俺が理由をつけて彼女の様子伺いに出向けば、来るなとか言いやがるし。

 何も出来ないくせに。

 彼女に幸福を与える事は不可能なくせに、心を縛り付けて支配したら、その任を終えた時、彼女には絶望と孤独しか残らない。何故それがわからない。

 俺は姫を目の当たりにして思った。

 水竜に心を奪われてしまった者の行き着くところ。

 それは幸福なんかじゃない。

 むしろ永遠に手に入る事のない幻想を追い求めていて、哀れでならない。

 全く。あの神様は自分勝手だよ。

「守れるものなら、守るさ。それが俺の仕事だからな」

 祭宮。

 国の祭事を司る長。

 巫女たちを守れるのは、俺しかいないだろうよ。そういう役目なのだから。

「お仕事の義務感だけで、それを渡したのですか」

 ニヤニヤ笑いながら、ギーが右腕に光る青い石を指差す。

「これか?」

「結構聞かれるんですよ。あなたには特定の方が出来たのか。それは誰かのかって」

 そうか。最近ご令嬢方の誘惑が少なくなったのは、そういう理由だったのか。

「毎回、代替わりするたびに渡していたら、宝石だらけになりますね」

 イヤミか。

 いい加減認めろとでも言いたいんだろう。

 わかっているさ。俺が一番。

 それにその事実を、ギーに隠そうとは思ってはいない。

「渡すのは彼女だけだ」

 ほうっと感嘆の溜息をついて、ギーが身を乗り出す。

 そして小声で「生粋の姫君よりも、村娘がお好みでしたか」と囁く。

 ギーの顔を押しのけて、手元のジョッキを手に取る。

「うるさい。黙ってろ」

 くいっと中身を飲み干すと、ギーも同じようにジョッキの中身を飲み干した。

 真顔で少し考え込むように頬杖をついて、窓の外を眺めている。

 何を考えているんだか。

 そういえば、姫はよくこんな風に窓の外を眺めているな。

 水竜に心を捕らわれているせいなのだろうか。

 体を壊しても、高熱で起き上がるのすら困難な時でも、その瞳は水竜を探し続け、他のあらゆるものを拒み続けている。

 俺がどんなに働きかけようとも、裏から手を回そうとも、姫の心は頑なに水竜以外踏み込ませようとしない。

 何故あんなに酷い状態なのに、水竜の傍を離れようとしないのか。

 俺には全く理解が出来ない。

 神殿は今、あまり芳しくない状態だという。

 姫と彼女が対立し、様々な支障が出ているらしい。

 恐らく全ての原因は水竜にある。あいつが姫の心を縛り付けなければ、こんな不和が起こる事はなかったというのに。

 俺は間近で彼女たちを見ていて、明らかに姫の心の中には「水竜を奪われた」という嫉妬のような気持ちがあることに気付いた。

 そしてそれが彼女たちの関係に深い影を落としている事も。

 明らかに先代の神官長が巫女に接するのとは違う、冷たい感情が二人の間には流れている。

 そんなにまで、姫が水竜を求めるのは何故だろう。

 何故、水竜はそこまで巫女を魅了するのか。

 いや。どうして巫女の心を手に入れようとするのか。

 俺にはあいつの孤独を理解する事は出来ないが、それを埋めるために幾人もの少女を犠牲にするのは、正直いかがなものかと思う。

 例え水竜という、神とも呼ばれる存在だとしても。

 っていうか、返せ。

 それは元々俺のものなんだから。

 まあ、形式だけの婚約者ですよ。生まれた時から決まっていたのだから。

 だけれど、これはないだろう。例え恋愛感情はなかったとはいえ、あまりにも酷くないか。

 今は心底返してくれなんて思ってはいない。ただ、その心を開放してやって欲しいと思う。

「運命の方は、あなたの事をどう思っていうんです」

「さあな」

 彼女の仕草、声。きっと悪くは思われてはいないと思う。もしや、と期待してしまう時もある。

 だが、きっとあいつが邪魔をしてくる。この先間違いなく。

 指一本触れるなと、俺に厳命してくる位だし。あいつはあいつで、俺の感情に気付いた上で、ご神託なんて切り札使って牽制してくるくらいなんだから。

 何がそんなに気に入らないんだか。

「さあなって、随分暢気なんですね」

「そうか? そうでもないけど」

 相手が人間なら手の打ちようもあるけれど、相手は化け物。

 俺がどうこうしても、どうにかなるような相手ではない。

 今出来ることは、彼女の特別な存在であり続ける事だけだ。

 なんとかして本心を引っ張り出してやりたいが、なかなか手ごわい。

 俺にしか見せない顔を見せてくれたら、いや見せられるような存在であり続けたい。

 恐らくそうしない限りは、あいつに奪われてしまう。姫のように。

 俺は同じ轍を踏むわけにはいかない。

「まあ、余裕があるのはいい事です。恋に狂った姿なんて見たくありませんからね」

「そうでもないけれどな」

 むしろ、あいつに持っていかれるのではないかとヒヤヒヤしている。

「しかし、あの方は受け取ってくれたんでしょう? その片割れを」

 青い石を見てから、俺の顔をまじまじと見つめる。

「本当の意味なんて言ってない。ただの贈り物くらいにしか思われていないだろうな」

 数年前から王都で流行りだした風習を、片田舎で暮らしていた彼女が知っているはずもない。まして、神殿の中にその真実の意味が伝わるとは思えない。

 あそこの中は、恋すらご法度なのだから。表面上は。

「ああ。何て浅慮で不器用なんでしょう。本っ当に何考えているんですか」

 芝居がかった様子で嘆いて見せてから、ドスの聞いた低い声でギーが詰問する。

「全く持って意味がわかりません。余裕ぶっこいていられる状況ではないでしょう。てっきり受け取って相思相愛なのかと思っていましたよ」

「ないない。それはない」

 ありえない。そんな色めいた話は、彼女と俺の間にはない。そんな雰囲気になった事すらない。

 業務連絡と、たまに少しだけ無駄話をする程度なんだから。

「だーかーらー。吟遊詩人に小金稼ぎにネタを売ろうかと思っていた位の恋物語を期待していたのに、あなたの一方通行ですか。しかも本心伝わっていないって、どれだけ奥手で間抜けなんですか」

 一気にまくし立てるのを頬杖ついて眺めているのが、ギーは気に入らないらしく、更に口調が激しさを増す。

「そうやって達観したようにしているから、姫にも逃げられたんですよ。全くもう。少しはみっともない位足掻いてみたらどうなんです」

 フっと鼻で笑う。

「そんなの、俺じゃないだろ?」

「格好つけている場合ですか」

 ガクっと肩を落とし、ギーがポリポリと頭を掻く。

「こう見えても楽しんでいるんだ。俺は」

「自虐的な」

 呆れた顔のギーに笑い返した。

 そうか、他人から見たらそう見えるのか。

 俺はあの時彼女を手放したんだ。自分の欲望の為に。

 閑職に追いやられたと笑う連中に、更に笑われる種を増やす事は避けたかった。

 彼女を巫女にしないという事は、俺自身のためにも出来ないことだった。

 辞退なんてされた日には、どんな悲惨な目にあったか。

 保身の為、彼女を利用した。

 どんなに幼馴染に恋をしていようが、巫女になってもらわなくては困る。結婚なんて全力で阻止する。

 いや、した。

 直接的ではないにしろ、彼女を巫女へと導いた。彼女は気付いていないかもしれないけれど。

 それに何よりも、村娘のままでは俺が動く事ができない。

 囲う事は出来ただろう。

 己の地位、権力。全てを駆使すれば、恐らくこの国で不可能な事などないだろう。王位に就くということ以外。

 この王都のどこかに小さな家に住まわせる。彼女に会いに行くのは気が向いた時だけ。

 そんな事も可能だったはずだ。

 だが、俺はそんな事はしたくなかった。

 そんな惨めな思いをさせたくなかった。

 何よりも、俺自身が手元に彼女を置いておきたかった。すぐ傍で、いつでも抱きしめられるところにいて欲しいと思った。

 その為には、巫女になってもらわなくては困る。

 巫女になれば、生まれも育ちも関係ない。王族中の王族である俺が手に入れても、誰も後ろ指を指したり咎めたりしない。

 全ては俺自身の為。

 彼女を手に入れたい、俺の我儘。

 たった一人の化け物以外、俺の敵になりそうな奴はいない。

 彼女を守れるのは俺だけだ。

 焦ったところで、事態が好転するとは考えにくい。

 それならば、今は彼女との駆け引きを楽しむだけだ。

 時間はたっぷりとある。ゆっくり、ゆっくり彼女の心の中に入り込んでいけばいい。



「かの君が次に狙っているのは、あなたの大切な運命の人ですよ」

「はあ? 何考えてるんだ。クソ兄貴」

 そんな事も知らないのかといわんばかりの、軽蔑した視線を無視した。

 戦争を始めただけでも飽き足らないのか、あの人は。

 机の上に両手を組んで、体を低く前のめりにしてギーが囁く。

「陛下は、巫女の血を欲していらっしゃいます」

「他にもいるだろう。巫女なんて」

 同じように小声で返す。

「本当は姫が欲しいそうですよ。見目麗しく、自らの従妹で血筋は申し分ない」

 ギリっと奥歯を噛み締める。

 くだらない。

 あの人は、何を考えているんだ。

「しかし姫を娶れば、神官長が空位になる。これは現状では不可能です。なので手っ取り早く、今の巫女をって話です」

「何でお前がそんな事を」

「内々にお話がありまして。今の方のお人柄などを聞かれましたから。まあ、その流れで色々と」

 呆れた。

「いつの話だ」

「大祭の直後です」

 ということは、ただ秩序を壊すつもりだったのではなく、彼女を手中に収めるべく動いたという事か。

 なるほど。例のあれは、品定めというわけか。

 てっきり王権のアピールかと思っていたが、そんなに焦っていたとは思わなかった。

 戦争を起こし、巫女を手に入れ、そうやって自分こそが類稀なき王であると印象付けたかったのか。

 そうまでしなくてはならない程、己の立場が弱いと今でも思い込んでいるんだろうか。

 俺は祭宮になり養子にも出され、もう一人の兄貴を戦場に送り込み、自らは王になって、何もその地位を脅かすものなどないっていうのに。

 そんなに、俺と兄貴が怖いのか。

 それとも、王として認められていないと思っているんだろうか。

 アホだ。

 そうやって足掻けば足掻くほど、他人の評価は下がっていくのに。

 といっても、この戦に懐疑的なのは、大臣の中にも殆どいないようだけれどな。

 何故これが上手くいくと思っているんだ。

 既に、大地には変化が起きている。

 水竜の怒りをかった事は、間違いない。

「どうするおつもりです。くれてやる、おつもりですか?」

 彼女を?

 あのクソデブ兄貴に?

「やらないよ」

「意外と素直ですね」

「これだけは、譲れないからな」

 ケタケタと笑って、ギーが俺の肩を叩く。

「痛っ。何するんだよ」

「いやいやいや。そんな事を聞く日が来るとは思ってもいませんでしたよ」

「痛いって。バシバシ叩くなよ」

「いやいや、いい話を聞かせてもらいました。今日はいくらでも飲んでください。いい気分です」

 いつもは鬼の形相のギーが、目を細めて笑う。

 でかい体を揺らし、愉快そうに笑って酒を飲む。

「で、どこに惚れたんです」

「……やけに楽しそうだな」

「もうこの際ですから、全部白状してください。ちゃんと胸の内に秘めておきます。吟遊詩人に小遣い稼ぎにネタを売ったりしませんから」

 本当にそんな事をする気がないくせに、よく言うよ。

 苦笑しつつ、ジョッキに手を伸ばし、彼女の事を思い浮かべてみた。

 ササ。

 俺が好きなのは、サーシャじゃない。ササだ。

 よく泣いて。すぐムキになって、俺に正面からぶつかってくる。

 たった一人、俺のことを王子でも祭宮でもなく、一人の人間として見てくれる。

 理由なんてない。

 あの日、彼女の泣いている姿を見たときから、守りたいと思った。




 まさか、ほんの数日後に俺が彼女の命を奪おうとするなんて、想像もしていなかった。

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