愛していた婚約者が王女と駆け落ちをいたしましたので。
「ごめん、フィオナ。君との婚約を白紙に戻したいんだ」
ここは、メガリエ王国の王城。
そして、その敷地内にある中庭に隣接した回廊で、私、フィオナ・ハンセルは、婚約者であるアルフレッド・テイマーから、突然婚約の破棄を告げられてしまった。
「……アルフレッド様。私に、何か至らない点があったのなら……」
「違う、そんなものはないよ。君のことは変わらず、本当の妹のように大切に思っている」
「妹……」
一年前。テイマー伯爵家から我がハンセル伯爵家にアルフレッドと私の婚約の申し込みがあった時は、とても舞い上がった。
小さい頃からずっと、優しく聡明なアルフレッドに憧れていた私は、初恋が実ったと心から喜んでいた。けれど。
「僕がこの王城で、運命の出会いを果たしてしまっただけなんだ。ある女性を……心から愛してしまったから」
そのように伝えられ、私はぐっと唇を結んだ。アルフレッドは王城医師見習いをしている。
「許してちょうだい、フィオナ」
「……ソフィリア様?」
すると回廊の柱の一角から、王国の第二王女である、ソフィリアが現れた。
彼女は私の主人。私は一年前から、彼女の侍女見習いをしている。
でも、今のソフィリアは何故だか平民のような格好をしていた。しかも誰も供を付けていない。
「いつの間にかわたくしも、アルのことを愛してしまったの」
でも、これだけは理解する。
アルフレッドの言う運命の相手とは、ソフィリア王女のことなのだと。彼女はアルフレッドの腕に、そっと自身の手を回している。
「このままだと、僕とソフィは一生結ばれない。だから、二人で駆け落ちをすることに決めたんだ」
「駆け落ち……?」
「うん。もうすぐここにも火の手が迫ってくる。君もすぐに王城を離れてくれ」
アルフレッドの言葉に目を見開く私。
そして回廊の手すりから身を乗り出し、上方を見上げる。左塔に備わる窓たちからは、もくもくと煙が上がっていた。
「……まさか。お二人は、この王城に火を放ったと言うのですか……?!」
「そうだよ。こうでもしないと喧騒に紛れて逃げられないから。使用人も何人か買収して、協力してもらっている」
ソフィリアの髪を撫でながら、少し眉を下げて微笑むアフルレッド。そして、そんな彼の胸に額を寄せているソフィリア。
恋は人を盲目にさせる。
けれど、それは私も同じだ。アルフレッドに恋焦がれ、彼の心に別の女性がいたことも、彼らがこんなにも恐ろしい計画を企てていたことにも気付けないでいたのだから。……でも。
「アルフレッド様、ソフィリア様……これは、決して許されることではありませんわ……!」
どんな理由があれ、多くの命を危険にさらして良いわけがない。でも、そんな私の悲痛な声は、だんだんと大きくなり始めた火の爆ぜる音と人々の声にかき消されていく。
「フィオナ……幼なじみの君なら、僕の心を分かってくれると思っていたのに」
「わたくしたちの幸せを、フィオナは願ってはくれないのね……」
アルフレッドとソフィリアは悲しげな表情でそう言葉を残し、回廊から中庭へと降り立った。そして、二人で手を取り合いながら暗闇の中へと消えて行く。
「城勤めの者たちは城外へ避難せよ! 火消しは騎士団に任せるんだ!」
「王族方をなんとしてでもお守りしろ!」
「医療班は医務室にいる患者たちに手を貸してやってくれ!」
人々の波に押し流されるようにして、私も城外へと出た。外では朧げな月明かりが、どこか頼りなく城下へと続く道を照らしている。
「ソフィリア様のお姿が、どこにも見当たりません……!」
「先生! 今夜の当直はアルフレッドですが、彼は未だ出勤していなかったそうです!」
辺りからはそんな声も聞こえてきた。
私は色々な感情に押し潰されそうになりながらも、その場からなんとか前へと駆け出す。
涙が伝う頬には、冷たい風が強く、強く、容赦なく当たり続けていた。
※
(まだ火が上がっている……少なくともあと四、五日は、王城には戻れないわね)
私がたどり着いていたのは、城下のさらに先にある森の入り口付近。
この奥に広がる森は、鬱蒼としていてほとんど手入れがされていない。まるで原生林のような場所だ。
猟師ですらこの近くに住まず、比較的生活水準の整った郊外に住んでいると聞く。
けれど、たまに貴族の男性たちが狩りを楽しむために訪れたりもするらしい。噂好きの同僚が前に、確かそんなことを言っていた。
(狩りが娯楽として楽しめる程度なら、この森にはそれほど危険な動物はいないはず。…… "動物" は)
けれど。何故だかここは昔から、 "恐ろしい魔女の住む森" などと呼ばれることもある。
おそらくは子供たちを森へと近付けさせないために、大人がそんな風に言っているのだろうけれど。彼らが迷子にならないように。
(おかげで私以外、誰もここへは逃げて来なかったわ。……今は少し一人になりたいから、私にとってはもってこいの場所だけれど)
私は自嘲しながらも、近くにある比較的大きな木の根もとに腰を下ろす。
(城下で転んでしまったせいか、足が痛む。……困ったわ。火が収まり次第お城に戻って、侍女頭様に今後の予定を相談しなければいけないのに)
アルフレッドとソフィリアが駆け落ちをしたことは、彼らに近しい人々の間ではすぐに気付かれるだろうと思う。
(……私にも責任があるもの。だから、少しでも王城の立て直しに協力したい)
婚約者の心を繋ぎ止めることも、主人の気持ちを汲むことも、どちらも出来なかったのだから、せめて。
(お城に戻ったら仕事が山積みだわ。ああ、でも先に王族の方々や他の城勤めの人たちが無事なのかを確認しなければ。きっと、怪我をされている方もたくさんいる。
……アルフレッド様とソフィリア様も、今頃どうしているかしら)
身体は疲労しきっているのに、気がかりなことが次から次へと頭に浮かんでくる。
目を瞑って少しだけ眠ろうとも思ったが、足の痛みが邪魔をしてそれも出来ない。
(どうしてこんなことになってしまってのかしら……)
「どうしてこんなところに、重そうなドレスを着た女がいるんだ?」
……けれど。しんとした森の中から突然、静かな足音と共に低い声が聞こえた時、私はカッと目を開き、もたれていた木の幹から勢いよく背中を起こした。
「あんた、初めて見る顔だな。まあ、ここに来るのは猟師か放蕩貴族くらいだが」
声主は黒いロングローブを身に纏っている。でもフードを深く被っている上、辺りも暗く、表情は分からない。
(ま、まさか魔女? 噂は本当だったというの……?!)
起こした背に冷や汗が伝う。けれど、"魔女“ はお構いなしに私の方へと近付いてきた。
「だいぶと向こうの方だが、火の手が上がっているな。……あれは王城か。あんた、ひょっとして城からここまで逃げてきたのか? なら、またえらく遠くまで」
そして私の前に、ゆっくりと腰を落としてくる。
「ふ、顔が真っ青だぞ。……どうした、化け物でも見たか?」
いや、こちらからはほぼ見えていない。けれどこの人は、私の姿をはっきりと捉えているのだろう。私はぎゅっと、両手のひらを握りしめる。
「……下さい」
「ん?」
「瓶で煮て食べるのは、私がやるべきことを果たしてからにして下さいませ! せめて、侍女頭様への報告と連絡と、今後の相談を済ませてから……!」
「は?」
体力が少しも残っていないのに目一杯叫んでしまったせいか、今度は足の痛みうんぬんより、いよいよ身体に限界が来たようだ。その証拠に、私の意識は段々と遠のいていく。
「お、おい……!」
再び木の幹へと倒れ込みそうになった時、"魔女" が私の後頭部に咄嗟に手を入れたのだけは、最後に確認出来たのだけれど。
※
ピチチ、ピチチ
心地良い小鳥のさえずりを耳に捉え、私は目を覚ました。
(……なんだか、頭がスッキリしている)
ほのかな薬草の香りが、鼻を掠める。
柔らかな藁が敷き詰められた場所で横になっていた私は、ゆっくりとその身体を起こした。
「やっと起きたか」
けれど。その声に、一気に心臓が跳ね上がる。そして瞬時に記憶も蘇ってきた。
(……そうだわ。私、王城から逃げてきて、森の入り口で “魔女" に出会って、それで……)
「足の痛みはどうだ」
「……え?」
「左足を挫いていただろう。かなり腫れていたぞ」
強張っていた身体をほんの少し解きほぐし、私は声主の方へと視線を向ける。
ここは、洞窟を思わせるような場所。外が近いのか、鳥の声や風の音も僅かに聞こえてくる。部屋の中にはいくつか蝋燭が灯されており、今はその人物の姿もよく見えた。
「まだあまり動かすなよ。あと、鎮痛効果のある煎じ茶を飲ませたから、気分もいくらかマシなはずだ」
"魔女" ……と思しき人は、こちらを見ながら、手もとの椀で薬草らしきものをすり潰していた。
今はフードも外している。
"彼" は黒髪に、赤みがかった瞳を持っていた。その整った顔かたちからは、少し面倒そうな感情が読み取れる。けれど。
「……もしかして、助けて下さったのですか?」
自身の足もとにも目を移すと、左足には清潔な布が丁寧に巻かれていた。口の中には薬草の渋みも、ほんの少し残っている。
「あんな状況になれば、放っておけないだろうが」
「……私を、瓶に入れて煮詰めるなんてことは……」
「あんた、俺を一体なんだと思っているんだ? そんな面倒なことをするわけがないだろう。それとも何だ? 俺がこの森に住む、恐ろしい魔女だとでも?」
「……違うのですか?」
恐る恐る、私は再び彼を見つめた。
「そんなわけあるか。と、言いたいところだが、薬草に詳しい、その薬草を調合して治療薬や煎じ茶を作れる、怪我の手当てが可能、という三拍子が俺には備わっている」
すると、彼は意地の悪そうな笑みをこちらへと向けてくる。
「……もし、あなたが本当に魔女だとしても、私を助けて下さったことに変わりはありませんわ。だから、改めてお礼を申し上げます」
けれど、私は佇まいを直し、彼に向かって深々と頭を下げた。
「……変わった女だな」
「え?」
「あんた、王城勤めの侍女か何かだろう? 昨夜、侍女頭がうんたらかんたら言っていたし」
「は、はい。正確には侍女見習いですが」
「城の女連中っていうのは気位の高い者ばかりかと思っていたが……あんたみたいな、ちゃんと礼の言える腰の低い人間もいるんだな」
「……褒められているのか、貶されているのかどちらでしょうか」
「ふっ。まあ、褒め言葉として捉えておけばいいんじゃないか?」
彼が、今度はくつくつと笑いだす。そしてさらに言葉を続ける。
「俺は "シリウス" 。あんたの名前は?」
「フィオナと申します」
「そうか。ならフィオナ、これも何かの縁だ。あんたの足は、ここで俺が治してやる。完全に鎮火するまで、どうせ王城には戻れないんだろう?」
私は目をぱちくりとさせる。
「……よろしいのですか?」
「いいも何も、あんたワケアリだろう。そんな重いドレスを引きずってでも、こんな辺鄙な森に逃げ込んでくるくらいだからな。
城下で馬車を捕まえて実家に戻るなり、馴染みの商店に身を寄せるなり、いくらでも方法はあっただろうに」
……鋭い人。本当に、その通りなのだ。
アルフレッドに別れを告げられたことを、両親に直接伝える勇気がまだなかった。
懇意の商店で、ソフィリアの近況を尋ねられることを避けたかった。
だから、誰も知り合いのいない "恐ろしい魔女の住む森" に逃げ込んだのだ。
「ありがとうございます。……シリウス様」
「愚痴でもあるなら聞いてやるぞ。知人は無理でも、赤の他人になら吐き出せることもあるだろう」
ただ。実際に出会った "魔女" は、とても優しい人だったけれど。
※
それからの三日間を、私はシリウスと共に森で過ごした。
その中で驚いたことは、彼の知識の豊富さ。森に生育している薬草の種類を全て把握しているようだし、治療薬の作り方もおそらく正確だと思う。
現に、私の足の具合はとても良い。腫れもほとんど引いている。
「フィオナ、あんたいい腕っぷしだな。どんな薬草も瞬時にすり潰せるなんて。頼もしいやつだ」
「……シリウス様。私も一応レディですので、別の言い方をしていただけると嬉しいのですが」
「はは、それは気が利かなくて悪かったな。ならこう言おうか。
あんたは薬草を素早くすり潰すためのコツを知っているようだが、薬を作った経験でもあるのか?」
「いいえ。……ただ、王城医師見習いの方がこのように扱うのを目にしたことはありました」
「……へえ、王城医師見習い」
ちなみに、充分に歩けるようになってからは、私はこうやって、自分の出来る範囲で彼の手伝いをしている。
「ところで、ここで作られた治療薬や煎じ茶は全てシリウス様がお使いになるのですか?」
「いや、俺が持つのはほんの一部だ。あとは売り物にする。客は馴染みの猟師や、この森を拠点にし、外国への逃亡を企む訳ありの貴族たち」
「えっ?!」
「訳あり貴族に薬を売ったことは、今のところはまだないがな」
怪訝な面持ちになる私を、どこか楽しげに眺めているシリウス。
「訳あり者の逃亡先は森か外国だと、昔から相場が決まっている」
「……もしかして、それは私のことでしょうか? なら、ご心配なく。後日、ちゃんと戻るべき場所に戻りますわ」
「そうかい」
「……シリウス様は、どうして森で生活を?」
私は視線を手もとの薬草に戻し、少し疑問に思っていたことを尋ねてみる。
「気になるか?」
「……気にならないと言えば嘘になります。シリウス様とは知り合ってまだ三日ほどですが、あなたが薬学や医学に精通していることは、さすがに理解出来ますもの」
アルフレッドと、同じくらいに。
「フィオナはそれを知ってどうするつもりだ?」
「もし可能であれば……私と一緒に王城へ来ていただけないかと、そう思っております」
私は再び、シリウスに向き直る。
「……理由は?」
「王城で火事があったことは、シリウス様も把握されていると思いますわ。……鎮火した後はおそらく、治療を必要としている多くの方々が、再びお城に運ばれてくるかと。
どうか、彼らを診ていただけませんか?」
火の元の場所と医務室は比較的離れていたので、おそらく部屋は無事なはずだ。
「城には王城医師たちがいるだろう。見習いの医師も」
「もちろんいらっしゃいますが……上の方々は、別の事柄の対応にも追われることになるでしょう。そうすると、医師が足りないのです。城下の町医師たちも協力して下さるとは思いますが」
「 "別の事柄" ?」
「……」
私は、小さく息をつく。
「王城医師見習いの一人と第二王女殿下が駆け落ちをされました。火の元の要因はそれにあります」
「……その王城医師見習いっていうのは?」
「先ほど少し、お話しした方です。私の幼なじみで……婚約者でもあった男性です」
「なるほど。フィオナの訳ありの理由はそれか」
私は少し目を伏せ、頷いた。
「だが、俺にいたっては真の訳あり者だ。……今さら王城には戻れない」
「 "戻れない" ? シリウス様は、以前王城にお住まいだったのですか?」
「……あんたと同じ、住み込みで城勤めをしていた」
シリウスのその言葉に、私は確信が持てた。
「シリウス様。あなたは、もともとは王城医師様でお間違いないですか?」
「正確には王城医師見習いだったが」
「どうしてお辞めになったのか、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「……俺が、同僚に毒を盛ったことになったからだ」
「……どういうことですの?」
今度はシリウスが息をついた。
「二年前。俺のことをよく思っていない同僚がいた。そいつは俺の目の前で自分で毒を飲み込んだ。驚いた俺は当然、すぐに人を呼んだ。
けれど、駆け付けた先生たちが慌てて解毒薬を飲ませると、同僚はすぐに目を覚ましたんだ。即死ではなく、仮死状態になっていたらしい。
で、起きた同僚がこう言った。
"シリウス、君は僕を殺したいくらいに憎んでいたのか? 第一発見者を装って罪を逃れようとしていたのか?" ってな」
「そんな……」
「同僚は狡猾だからな。致死量じゃなく、仮死で済む量を計算して飲んだんだろう。ご丁寧に、俺の持ち物に毒の入った小瓶も忍ばせていやがったしな。何人かの使用人が目を泳がせていたから、おそらくやつに買収でもされて協力したんだろう」
シリウスの告白に、私は眉を寄せる。それに、使用人の買収と聞いて何かが引っかかった。
「……もし差し支えなければ、その方のお名前をお伺いしても?」
「"アルフレッド・テイマー" 。フィオナの知り合いでなければいいがな」
「……」
私は思わず、その場にしゃがみ込む。そして顔を、両手のひらで覆った。
「まさかの元婚約者か?」
「はい……」
なんということだ。アルフレッドは二年前にも、誰かの心を傷付けていた。
「フィオナはこの話を信じるのか? ……もしかすると、俺が本当にやつを憎んでいて毒を盛ったのかもしれないぞ?」
彼の言葉を受け、私はゆっくりと顔から手を離す。
「シリウス様は面倒なことがお好きではないのでしょう? ですから、もし本当に息の根を止めたいのであれば、毒を盛った後すぐに上司の方を呼ぶようなことはなさらないかと」
「……俺を一体なんだと思っているんだ?」
「見ず知らずの訳ありな私を助けて下さった、心根の優しい方だと思っておりますわ」
そして、彼の赤い瞳をじっと見つめた。向こうもまた、私へとその視線を向けている。
「……はぁ。やっぱり変わっているな、あんたは」
すると、再び息をついたシリウスが、今度は手を差し出してきた。
いつもの意地悪なものではなく、ずっと穏やかな笑みを浮かべて。
※
翌日。王城がようやく鎮火したようだ。
火事の煙ではない、それを知らせる狼煙が主塔から上がっているのが、森の入り口からでも確認出来る。
シリウスと私は城下の表通りではなく裏道を使って、王城へと戻った。
「予想していた通り、最初に火の手が上がっていたお城の左半分は、外壁も真っ黒になっていますわ」
「医務室があるのは右の塔だ。まあ、中が煤だらけになっていないといいがな」
王城の正面門付近には、私たち以外にも多くの城勤めの人たちが集まって来ている。
「おい、あのフードの男はもしかして……」
「どうしてここに? 王城を追放されたのではなかったの……?」
すると私たちの周りで、そんな言葉を口にする人たちが現れた。シリウスもそれに気付いてか、フードを深く被り直している。
「私が責任を持って、必ず患者様方のところへあなたをお連れいたします」
そんな彼の背に、私はそっと手を添えた。
「……頼もしいやつだな」
「腕っぷしに自信はありませんが、侍医長様との面会は可能にしてみせますわ。彼は私の伯母である、侍女頭様の夫君でもいらっしゃるのです。いざとなれば彼女に事情を説明して、彼へと取り次いでいただくつもりです」
「やっぱり頼もしいじゃないか」
いつものように口の端を上げた彼を見て、私は少しほっとする。するとそこへ……
「フィオナ、無事だったのね……!」
「侍女頭様!」
今、話に上がったばかりの侍女頭が王城の中から姿を表し、少し急くように私のもとへと歩みを寄せて来た。そして。
「シリウスか……?」
「……先生」
彼女の後ろには、医療班の最高責任者である侍医長が続いていた。
「……ご無沙汰しています」
「戻ったのだな」
シリウスが一礼すると、侍医長は深く頷いた。そして、私にも視線を寄越す。
「フィオナ、君もよく帰って来てくれた」
ドレスを少し持ち上げ、私も侍医長に向かって一礼した。伯母である侍女頭も彼の隣に並び、安堵の息を漏らしている。
「アルフレッドとソフィリア殿下のことは、君もすでに知っているか?」
「はい」
「そうか……」
侍医長が、私とシリウスを交互に見やる。
「そして何の巡り合わせか……此度、君たちは出会ったのだな」
私はこれまでの経緯を侍医長と侍女頭に説明した。もちろん、シリウスが調合した治療薬も手渡し、現在の彼の腕も確認していただく。
「二人とも、私に付いて来て欲しい。早朝から、たくさんの怪我人が医務室に運び込まれているのだ」
「先生、俺は……」
「シリウスの懸念は分かっている。けれど、それをもう気に止む必要はない。
鎮火が確認出来た昨夜、私や妻を含む各職の責任者たちが王城に集まった。そして皆の立ち会いのもと、医療班の全部屋が隈なく調べられたのだ。
そんな中で、アルフレッドの個人金庫からは……ソフィリア殿下の手紙と、二年前にシリウスが使ったとされる毒の、それの生成方法を書き留めたメモが発見された。メモの字は、間違いなくアルフレッドのものだった」
そう言って、侍医長は深く息を吐き出した。
「当時、何かがおかしいと疑問を抱きながらも、シリウスの潔白を証明することが出来なかった。本当に申し訳なく思っている」
「……顔を上げて下さい、先生」
シリウスが侍医長の肩にそっと手を触れる。
「あの時、状況を説明することも誤解を解くのも、何もかもが面倒になって逃げたのは俺です」
「シリウス……」
「でも、今は頼もしい侍女見習いが隣にいますので」
そして、私を見つめる彼。
「フィオナ。もし治療薬が足りなくなったら、あんたも薬草をすり潰すのを手伝ってくれるか?」
「ええ、もちろんそのつもりですわ、シリウス様」
シリウスと私は互いに頷き合う。そして再び、侍医長と侍女頭に向き直った。
彼らは、そんな私たちの様子に目を細めている。
「シリウス、フィオナ。二人を医務室へ案内しよう。付いて来るのだ」
※
医療着に着替えたシリウスと私は、侍医長に案内され、医務室へと入った。そこにはもう、多くの患者が運び込まれている。
彼らの看病には、王城医師や王城医師見習いたちが当たっていた。
「シリウス、フィオナ。私を含む数人の医師は、今から緊急会議に出席しなければならない。しかし、安心して欲しい。ここにいる医療班の者たちには、此度の事件についても二年前のシリウスの件も、私の方からすでに説明してある。
……二人とも、辛い中本当によく戻って来てくれた」
侍医長はそう言うと、王城医師の一人に私たちのことを託し、医務室を後にした。
「久しぶりだな、シリウス」
「……はい、ドレイクさん」
シリウスと私はドレイクいう王城医師の指導のもと、それぞれに従事した。
シリウスを含む医療班は、患者の治療や手当を行う。一方私や、後ほどに招集された他の侍女見習い、そして使用人たちは、包帯を煮沸したり、薬草をスリコギですり潰したりして、医療班のサポートに当たった。
シリウスと医療班の人たちの間には、初めこそぎこちない空気が流れていた。けれど、次から次へと患者たちが運び込まれてくるため、そうも言っていられなくなったのだろう。いつの間にかその空気感は消え、緊迫した中にも連帯感を見せるようになっていた。
「予想以上に患者様の数が多いですわ。包帯も追加しなければ」
「王城が完全に鎮火するまでの間、患者たちは教会の仮設部屋で治療を受けていたんだそうだ。……この医務室が残っていて本当に良かった。ここの方が適切な器具や治療薬の材料が多く揃っているからな」
シリウスと私は時折このような会話をしながら、互いの業務を確認し合う。
「やはり、シリウス様は医師が天職だと思いますわ」
「魔女生活も案外悪くはなかったんだがな」
「魔女の時も医師の今も、あなたは自身の損得関係なく、他者を救おうとして下さいます」
「……包帯をくれ。あと、その薬草の束をすり潰して欲しい」
「承知いたしました」
言葉はぶっきらぼうだけれど、彼の心根が優しいことは、もう充分に知っている。
「あなたを尊敬していますわ、心から」
「……そうかい」
私たちはこの後も休む間もなく、それぞれの仕事をし続けた。
アルフレッドとソフィリアが森の中で騎士団に捕らえられたと聞いたのは、この翌日のことだった。
※
王城の中庭は、以前はとても洗練されていた。
咲き乱れる季節の花々、優雅に水の舞う噴水、そして、美しく着飾った人々がテラスでお茶を嗜む様子が、日常に在った。
けれどその風景は、今はどこにもない。
代わりに在るのは、騎士団によって縄をかけられ膝を付いている、アルフレッドとソフィリアの姿。
そして、彼らに対面するように立つ王族の方々、大臣、各職の責任者たち。
さらにその後ろには……
「こんな前方の列に、私などがいてもよろしいのでしょうか……」
「むしろ、フィオナが一番前でもいいくらいだろう」
「シリウス様が隣にいて下さって良かったですわ」
「……なんで俺までこの列に並べられているのか、むしろそっちを問いたいくらいだ」
そう小声で話し合う、シリウスと私も控える。
時刻は夕暮れ時。間もなく、太陽も沈もうとしている。
「アルフレッド様とソフィリア様は、火事の後数日間は、買収した使用人のうちの一人の、下町にある民家に身を潜めていたそうよ」
「偽の通行証を使って外国に逃亡するつもりだったみたいね。けれど使用人たちが馬車の手配に戸惑って、すぐには出発出来なくなってしまったらしいの」
「その間に逃避行がバレて、関所の警備が固められたというわけね」
「だから仕方なく、普段はほぼ誰も訪れることのない "恐ろしい魔女の住む森" に入ろうとしたのだわ。少しの間、滞在するつもりで」
中庭のあちらこちらからは、野次馬に徹した城勤めの人々の声が聞こえてくる。
「でも、さすがは騎士団だな。彼らの行き先を森だと読んで、ちゃんと捕らえている」
「それが、少し違っているようだぞ。確かに騎士団は森へと赴いたらしいが、二人はすでに、入り口付近で猟師たちに捕まっていたそうだ。それで、引き渡されたのだと」
「なぜ猟師が?」
「彼らが言うには、昨日の早朝に "ある人" に頼まれたとのことだ。もし森に若い男女と思しき者が入ったら、その者たちを捕らえておいて欲しいと。
訳あり者は大概この森に集まってくるからと、そう言っていたそうだ」
私はちらりとシリウスを見上げた。けれど、彼は素知らぬ顔をする。
「皆の者、静粛に。まずは多忙の中、こちらに集まってくれたことを感謝する」
そんな中、国王の厳格な声が中庭へと響いた。ざわついてた周囲は、途端にしんと静まり返る。
「此度、王城医師見習いであるアルフレッド・テイマーと、我が二女であるソフィリアが取り返しがつかないほどの大事件を起こした。
王国の指導者として、……そして彼女の父として、皆の者には本当に申し訳なく思っている」
国王は一度目を伏せた。そして。
「侍医長よ。アルフレッド・テイマーに、何か物申すことはあるか?」
「……御前での発言、失礼いたします」
国王の言葉に、侍医長が口を開く。
「アルフレッドよ。医師とは、他のどの職に就く者たちよりも、人の命と向き合う機会が多いものだ。何故なら、命を尊び命を繋ぐ責務を、我々は日々担っているからだ。
……それを、君は断ち切る選択をした。王城に火を付け、多くの人々を傷付けたのだ。命を預かる者として、決して許される行為ではない」
侍医長の声は震えていた。私の手にも力がこもる。
アルフレッドへと視線を向けると、彼は唇を噛み締めていた。
大臣や各職の他の責任者たちも国王の許しのもと、さまざまに言葉を放った。
憤慨する者、軽蔑する者、嘆く者。もちろん、そこにはソフィリアに対するものもある。彼女はずっと、嗚咽を上げ続けている。
「皆の者、一度静粛に。余は、フィオナ・ハンセルという侍女見習いにも発言を許したいのだ」
すると、今度は国王が私へと目を向けた。私は思わず、身体をこわばらせる。国王自らに言葉をかけられることも発言を求められたことも、まさかの想定外である。
……いや。こんな重鎮たちの後方に並べられた時点で、それを予想しておくべきだったのかもしれないけれど。
「フィオナ、僕たちを助けてくれ!」
けれど。私へと先に言葉を発したのは、アルフレッドだった。
「フィオナ、皆に言って欲しい! 僕とソフィリア殿下は王城に火を付けてなどいないと。あれは、使用人たちが勝手にやったことなんだって……!」
「そうよね、フィオナ? わたくしたちは使用人に唆されて、駆け落ちなんて馬鹿なことをしてしまったの。わたくしの侍女見習いであるあなたなら、そうだと言ってくれるわよね……!」
そして、続いてソフィリアも。
私は目を見開く。最後まで、第一に自身たちの保身ばかりを考える、彼らに向かって。
騎士団の人たちが再度、二人を押さえ込む。けれど、国王がそれを制した。まるで、そのまま喋らせておけとでも言うように。
「フィオナ、フィオナ! なんとか言ってくれ……!」
私は目を瞑り、一度深呼吸をした。
「……いち侍女見習いに過ぎない私がみなさまの御前で言葉を述べさせていただくことを、どうかお許し下さいませ」
私は国王たちに向かい、一礼する。そして。
「アルフレッド様、ソフィリア様。あなた方の発言を肯定することは、私には到底出来ません」
真っ直ぐにアルフレッドを見つめ直した。
「……フィオナは僕たちを見捨てるのか? 君は僕のことを、本当の兄のように愛してくれていると思っていたのに……!」
アルフレッドは顔を歪め、そんな私を見つめ返す。
「ええ、もちろん愛していました。……兄としてではなく、一人の男性として。優しくて聡明だったあなたを、小さい頃からずっと」
そして私のその言葉に、アルフレッドが今度は目を丸くする。
「けれど、今はもう愛することは出来ません。
多くの命を危険にさらしたことを、それを他者の罪にしようとする姿勢を、……そして、同僚の方の未来を平然と壊すあなたを、これ以上どうして愛せるというのでしょうか」
「……同僚? まさかフィオナは、君の隣にいるシリウスのことを言っているのか?」
「はい」
アルフレッドは深く、深く眉を寄せた。
「シリウスはしがない男爵家の三男なんだ。なのに……その男は未来の侍医長候補に名を挙げられていた。僕よりもずっと、みんなに将来を期待されていたんだ。そんなの、嫉妬しないはずがないじゃないか……!」
そして、悲痛な叫び声を上げた。私は再び、手にぎゅっと力を込める。
「アルフレッド様。私はシリウス様と出会って、まだ日は浅いですわ。当然、彼の全てを知っているわけではありません。
けれど、この方の根底はまさしく医師であると、それは断言出来ますわ。
シリウス様は、怪我をしたのが例え見ず知らずの訳あり者でも、分け隔てなく手当てをして下さる方なのです」
「……っ」
アルフレッドがシリウスを睨みつける。
「シリウス……お前はいつも、僕を阻もうとする。無垢な幼なじみですら、お前が奪っていく。人の心を惑わすお前は、まるで魔女のようだ……!」
「……無垢? 惑わす?」
すると、今まで口を閉ざしていたシリウスが、アルフレッドを睨め返す。
「アルフレッドは何か勘違いをしているんじゃないか? お前の幼なじみは、決してヤワじゃない。
フィオナは例え道に迷っても、自分の足で出口を見つけ出し、自分の意志でそこを抜け出して行くからな。
……今の今までくだらないしがらみに囚われ続けていたのは、お前と俺の方だ」
そして、私にも視線を向ける。けれど、その赤い瞳に鋭さはない。
「だが、俺も抜けるぞ。……医師が天職だと言ったやつの、期待に応えないといけないからな」
私はぐっと、唇に力を入れる。何故だか涙が溢れそうになってしまったから。
「……フィオナは、わたくしをことを嫌いになったのね。わたくしがアルを奪ったと思って」
今度はソフィリアが、そう言葉にした。
「……ソフィリア様。美しく、それでいて無邪気なあなた様のことを、以前はお慕いしていました。けれどアルフレッド様と同様、今はもうあなた様にお仕えしたいという気持ちはありません」
私は少し、瞼を下げる。ソフィリアは再びすすり泣き始めた。アルフレッドは硬く目を閉じ、唇を震わせている。
「アルフレッド、並びにソフィリア。此度、其方らは多くの者の心身を傷付けた。……二人には重刑が課せられることを覚悟せよ。
医師としての将来が無に帰すること、そして王族の身分が剥奪されるということも、決して忘れるな」
最後に、国王の低い声が中庭に響いた。
太陽はすでに沈んでいる。
アルフレッドとソフィリアは今後、彼らに協力した使用人たちと同じく、獄中での生活を余儀なくされるだろう。
この先一生涯、手足に枷を付け、再び陽の光を浴びることもなく、飢えと寒さに苦しむだけの日々が待っている。
「フィオナ、僕は……」
「……さようなら、アルフレッド様」
この言葉と共に、彼らの審判は幕を閉じた。
※
「シリウス様、こちらの棚に並べてある治療薬や煎じ茶類はどうされますか?」
「ああ。薬の類いは全部、猟師たちに渡そうと思う。彼らには今回、かなり世話になったからな」
あれから一月が過ぎた今。シリウスと私は再び森に戻り、洞窟……もとい、彼の仮家にある荷物を整理している最中である。
「さすがに王城には持って行けないからな。部屋には同僚の荷物もあるしな」
シリウスはというと、この度医師見習いとして、再び王城に勤務することが正式に決まったのだ。ちなみに王城医師見習いの間は、同僚の方との二人部屋になるそう。
「フィオナも悪いな、今日は借り出して。あんたにも侍女見習いの役目があるっていうのに。以前と比べ、仕事も増えたんだろう?」
「お仕えする方が変わりましたからね。でも、今日はお暇をいただいていますからご安心下さいな」
私は今、ソフィリアの姉君に当たる、第一王女の侍女見習いとして日々奮闘している。彼女は将来女王になる方なので、ソフィリアの時より仕事の内容が複雑なのは事実である。
それを少し気にしてか、シリウスはガシガシと頭をかいている。けれど私は気にせず、広げた布の上に戸棚から下ろした薬品類を置いていく。
「せめて茶を入れる。苦い煎じ茶じゃなく、女が好きそうなハーブティーを」
「……シリウス様。以前と比べ、ちゃんと私のことを女性扱いして下さるようになりましたわね」
「人聞きが悪いな。俺はあんたを男だと思ったことは一度もないぞ?」
「……」
思わず、彼にじとりとした視線を向けてしまった。が、私は話を変えることにする。
「では、少し休憩にいたしましょう。実はお菓子を持参しているのです」
シリウスと私は一度洞窟を出て、森の中の比較的足場の良い所に腰を下ろす。
「森の中でのピクニックは初めてですわ」
「案外悪くないだろう?」
シリウスは思い切り伸びをした後、ポットからカップにハーブティーを注いで、私に手渡してくれる。もちろんこれは、洞窟で彼が淹れたものだ。
「なあ、フィオナ」
「はい? シリウス様」
ハーブティーを飲みつつほっと一息ついていると、
「もし、自分が身分違いの恋をしてしまったら、あんたならどうしてた?」
「……アルフレッド様とソフィリア様のように、でしょうか?」
「そうだ。ちなみに、自分が身分の低い方だ」
不意に、シリウスがそんなことを尋ねてきた。私は少し、考えを巡らせる。
「相手の方に少しでも近付けるように色々と努力をする……という、ありきたりな答えしか思い浮かびませんわ。でもこれも、お相手が恐れ多くも王族の方などであれば、決して通用するものではないでしょうけれど」
「確かにな。でも、相手が王族であれなんであれ、結局はそのありきたりな方法でどうにかするしかないんじゃないかとも思うがな」
すると、シリウスがお菓子をつまみながらそう言った。
「ここ数日、ドレイクさんとも話していたんだ。もし、自分の場合ならどうするかとな。
駆け落ちは失敗する可能性の方が高い。かと言って、来世を約束して心中するのも何か違う。
なら、やっぱり地位をのし上がる方法しかないんじゃないかっていうのが、俺の出した結論だ。
例えば、ありとあらゆる知識を付けまくる。それでもってさまざまな治療薬を作り出すことも可能にする。さらに、不治と言われる特殊な病も次々と完治させてみせて、いかに自分という存在に価値があるかを相手の父親にアピールする、とかな」
「……シリウス様なら本当に実現されてしまいそうですわね」
なんだか、彼が話すと妙に説得力がある。
「アルフレッドも卑怯な真似ばかりするんじゃなく、それを試してみても良かったんじゃないか。まあ、途方もなく時間がかかる上、その間に相手が結婚する可能性の方が高いがな。
……でも、あいつも間違いなく優秀だったからな」
「シリウス様……」
彼はほんの少し、息をついていた。
「ところで。話は変わるが、フィオナの今後の婚約やら結婚の予定は?」
けれど、しんみりしたのも束の間。私は再び、シリウスを一瞥する。
「……あると思われますか?」
「ないのか?」
「しばらくの間は到底無理でしょう。私には一応、罪人の元婚約者という肩書きがありますし」
「そうか。なら、二年間は誰とも婚約も結婚もするなよ」
シリウスのその言葉に、今度は目を丸くする私。
「二年の間に、まずは王城医師になってみせる。それで、後々は侍医長を目指す。ああ、あんたの両親にはそうなれる可能性が充分にあることを、ちゃんと順を追って説明もする」
「……はい?」
「現侍医長の実家は男爵家だ。で、侍女頭の実家はフィオナと同じ伯爵家だろう? なら、可能性はある。まあ、門前払いされても一歩も引く気はないがな」
「あ、あの……!」
そして思わず、カップからハーブティーを溢しそうになる。
まさか今までの脈絡は、この話のためだったということ?
「私は訳あり者なのですが……!」
「ふっ。もちろん知っている。俺だって元訳あり者だ」
シリウスがくつくつと笑い出す。
……鏡を見なくても分かる。今の私は間違いなく、林檎のような顔になっているはずだ。
「まあ、そういうことだから覚悟しておいてくれ。フィオナはこれからも、俺が魔女から医師に変化していく様子を、隣で楽しみに見ていればいい。
……俺はもう、どこにも逃げるつもりはないからな」
今の時間は昼下がり。
"恐ろしい魔女の住む森" にも、明るい太陽の光が差し込んでくる。
「ま、いざとなれば惚れ薬でも作るか」
「〜〜っ、シリウス様!」
けれど。魔女の楽しげな声は、今後は森の中ではなく、私の隣から聞こえてきそうだ。
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