side 勇者
王都グランディア北西の森。
夜が落ちる直前。
薄い霧が木々の間を漂っていた。
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森の奥。
倒れた魔物の死体。
そして——
一本の大木の枝の上に、人影があった。
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静かに腰を下ろし、
王都の方向を見つめている。
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青年。
年齢は二十歳前後。
黒髪。
淡い光を帯びた瞳。
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彼の胸元には、紋章が浮かんでいた。
薄く、しかし確かな輝き。
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勇者紋。
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だが。
王国に伝わるものとは微妙に形が違う。
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青年はため息をつく。
小さく、疲れたように。
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「……やっぱりな」
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視線の先。
森の手前。
さきほど戦っていた“もう一人の勇者”。
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素手で魔物を倒した青年。
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彼の戦いを、
ずっと見ていた。
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「勇者じゃない」
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断言。
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声に敵意はない。
ただ、事実を確認しただけの響き。
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「でも……」
青年は額を押さえる。
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「完全な一般人でもない」
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思い出す。
あの動き。
あの判断速度。
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魔物の攻撃を読む反応。
急所を狙う正確さ。
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あれは。
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戦場で生き延びた人間の動き。
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(なのに)
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彼の体からは
“勇者の因子”が感じられなかった。
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勇者なら分かる。
同じ存在は感知できる。
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だが。
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あの青年から感じたのは、
勇者の力ではなく——
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「……記録?」
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青年は首を傾げる。
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変な感覚だった。
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魔力でもない。
祝福でもない。
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もっと別のもの。
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世界に“刻まれた何か”の残滓。
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(ありえない)
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そんな力は聞いたことがない。
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青年は空を見る。
雲の流れ。
魔力の流れ。
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そして。
世界の歪み。
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「……この時代、もう始まってるのか」
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低い呟き。
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彼はゆっくり立ち上がる。
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枝から飛び降りる。
着地音すらほとんどない。
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歩きながら考える。
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勇者召喚。
世界歪曲。
二重観測。
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そして。
あの青年。
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「予定にない」
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眉がわずかに寄る。
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青年は感情を大きく表に出さない。
だが今、明らかに困っていた。
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「めんどくさいな」
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本音。
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英雄らしくない言葉。
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彼は戦いを嫌っている。
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だが。
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「放置はできない」
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それもまた事実。
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彼は勇者だ。
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選ばれたからではない。
望んだからでもない。
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ただ。
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“そうなってしまった”。
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青年は小さく笑う。
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「俺もついてないな」
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その笑いには、
少しだけ自嘲が混じっていた。
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遠く。
王都の光が揺れる。
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「とりあえず」
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彼は歩き出す。
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「王都に入るか」
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そして足を止める。
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ふと。
さっきの戦闘を思い出す。
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魔物の動き。
青年の反応。
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あの瞬間。
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彼は確かに聞いた。
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“声”。
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自分の声。
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(……いや)
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違う。
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彼は確かに何も言っていない。
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なのに。
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あの青年は動いた。
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自分の考えと同じタイミングで。
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完全に一致する動き。
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まるで。
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「……同期?」
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言葉が口から出る。
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そして、すぐに否定する。
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「そんなわけない」
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そんな現象はありえない。
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勇者の思考が
別人に伝わるなんて。
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もし本当なら。
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それは勇者の力ではない。
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もっと別の。
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「……世界側の力か?」
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沈黙。
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青年は森を振り返る。
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もう一人の青年がいる方向。
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「……まあいい」
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彼は肩をすくめる。
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「敵じゃなさそうだし」
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そして、ぼそりと言う。
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「むしろ」
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「巻き込まれてるのは、あっちか」
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風が吹く。
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その時。
彼の胸元の紋章が微かに光る。
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“勇者の証”。
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そして。
ほんの一瞬。
紋章の奥に別の紋様が浮かぶ。
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古い。
古すぎる紋章。
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それは勇者紋ではない。
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もっと古い。
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世界がまだ若かった頃の、
原初の紋。
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だが。
青年はそれに気づかない。
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夜の森を歩きながら、
彼は小さく呟く。
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「名前、聞き忘れたな」
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ほんの少しだけ。
残念そうに。
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「……まあ、いいか」
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「どうせまた会う」
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なぜなら。
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世界の歪みはまだ広がっている。
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そして。
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“二人の勇者”は、
必ず同じ場所へ辿り着く。
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それが。
この世界の流れだから。
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(続く)




