EP6_戦士たちの宴
【街道を行く乗合馬車の中】
王都の喧騒が背後へと遠ざかり、石畳の感触が土のそれに変わる頃、アルフレッドはようやく肩の力を抜いた。
窓の外を流れる景色は、整然とした街並みから、鬱蒼とした森や荒涼とした岩場へとグラデーションを描いていく。車輪が轍に嵌まるたび、古びた車体が軋んだ音を立て、彼らの身体を小刻みに揺らした。
向かいの席では、ライナスがまだ赤い耳たぶをさすりながら、恨めしげにセシリアを睨んでいる。その隣では、巨漢のガンダルが窮屈そうに腕を組み、豪快な鼾をかいていた。
「……暴力反対。僕の耳はゴム製じゃないんだよ」
「口先だけで生きようとするからよ。あの受付嬢、最後は完全にあなたのこと『運命の相手』か何かだと勘違いしていたじゃない」
「人聞きが悪いなあ。僕はただ、彼女の美しさを正当に評価しただけさ。それに、この地図を見てよ。正規の手続きじゃ絶対に手に入らない『裏ルート』だ」
ライナスは懐から羊皮紙を取り出し、得意げに鼻を鳴らした。
アルフレッドはその地図を受け取り、広げる。インクの匂いと、微かに甘い香水の香りが漂った。確かに、ギルドの一般掲示板には載っていない詳細な地形図だ。特に、魔物の巣窟へ至る抜け道や、安全地帯の水場が事細かに記されている。
「……悔しいが、大手柄だ」
アルフレッドは素直に認めた。
「これがあるのとないのとでは、生存率が段違いだ。特に今回は、俺たちにとって初めての深層探索になるかもしれないからな」
「でしょ? セシリアお姉様も、もう少し僕に優しくするべきだと思うな」
「はいはい。ダンジョンで役に立ったら褒めてあげるわ」
セシリアは窓枠に肘をつき、流れる景色を眺めている。その横顔は、教会で祈りを捧げる聖女のように静謐だが、アルフレッドは知っている。彼女が今、これから向かう宿屋の「酒」のことしか考えていないことを。
馬車は夕刻、ダンジョン街の入り口にある宿場町へと滑り込んだ。
ここは王都の華やかさとは無縁の場所だ。すれ違うのは泥と血に汚れた鎧を纏う冒険者たちや、それを目当てに商売をする怪しげな商人たち。空気そのものが鉄錆と獣の脂、そして欲望の熱気を含んで澱んでいる。
「着いたわね。……おいガンダル、起きなさい。酒場に着いたわよ」
セシリアが真っ先に馬車を降り、伸びをする。
その瞬間、彼女の纏う空気が「保護者」から「戦士」へ、いや、もっと野蛮な何かへと切り替わった気がした。
【宿屋『鉄の戦斧亭』】
重厚なオーク材の扉を押し開けると、熱気と喧騒が津波のように押し寄せてきた。
ジョッキがぶつかり合う音、怒号のような笑い声、そして暖炉で焼かれる肉の香ばしい匂い。
その喧騒の中、一行は迷わず一番大きな丸テーブルを確保した。
席に着くや否や、ガンダルがドカリと腰を下ろし、豪快に給仕を呼びつけた。
「おう! エールだ! ここにある一番強いやつを人数分持ってこい! 今日は景気付けだ!」
「ちょっと待てガンダル、明日は朝から……」
アルフレッドが制止しようとする声を、セシリアの澄んだ声が遮った。
「いいわね、乗りましょう。ここまでの馬車旅で喉がカラカラだったの」
そこからは、まさに混沌だった。
テーブルの上には、二つの異なる世界が展開されることになった。
テーブルの右半分では、アルフレッドとライナスが地図を広げ、ランプの明かりを頼りに深刻な顔を突き合わせている。
「いいかライナス、この『嘆きの回廊』だが、構造的に挟み撃ちにされる危険性が高い。お前の索敵だけが頼りだ」
「分かってるよ。風の通り道を見る限り、ここには通気孔がある。奇襲をかけるならこのポイントだね」
ライナスは先ほどの軽薄さを消し去り、指先で地図上のルートをなぞる。その瞳は理知的で、冷徹な計算が走っていた。
「罠の解除には時間がかかる。アルフレッド、君が前衛で時間を稼いでくれなきゃ、僕はただの肉塊になる」
「ああ、結界の準備は万全だ。ポーションの配分も確認しておこう。解毒薬は三本、止血剤は……」
慎重かつ綿密。死を避けるための、論理的な積み上げ。
アルフレッドが眉間の皺を深くしているそのすぐ隣、テーブルの左半分では、論理などとうに捨て去った宴が繰り広げられていた。
「ガハハハ! 細かいことは気にするな! 敵が出てきたら叩き潰す! それだけだろうが!」
ガンダルがジョッキの中身を喉に流し込み、テーブルを叩く。
それに対抗するように、セシリアもまた、琥珀色の液体を一息に飲み干した。普段の淑やかさはどこへやら、その頬は薔薇色に染まり、瞳は潤んでいる。
「その通りよガンダル! 慎重になりすぎて好機を逃すなんて愚の骨頂だわ。私たちは一気に地下十階層……いえ、最深部まで駆け抜けるのよ!」
「おうともよ! セシリア嬢ちゃん、いい飲みっぷりだ! お前ならドラゴンの炎も酒の肴にできるぜ!」
「ふふっ、褒めても何も出ないわよ。……おかわり!」
ドン、と空のジョッキがテーブルに叩きつけられる振動で、アルフレッドたちの地図上の駒がずれた。
アルフレッドは深く、重いため息をついた。
「……おい、少しは明日のことを考えろ。二日酔いでダンジョンに潜る気か?」
「あら、アルフレッド。お酒は百薬の長よ? 恐怖心を麻痺させ、闘争心を高める。これ以上のバフ(強化魔法)はないわ」
セシリアがとろんとした目でアルフレッドを見つめ、悪戯っぽく微笑む。
「それとも、私が酔っ払って使い物にならなくなるのが心配? 私の回復魔法を信用していないのかしら」
「信用はしているが、お前の肝臓の強度は信用していない」
「堅いこと言うなよ、リーダー!」
ガンダルがアルフレッドの背中をバシバシと叩く。衝撃で肺の空気が押し出された。
「ライナスの坊主が道を見つけ、俺とセシリアが暴れ、お前が尻拭いをする。完璧な作戦じゃねえか!」
「……それを『作戦』とは呼ばないんだよ、脳筋ども」
アルフレッドが呆れたように呟くと、ライナスは焼きあがったばかりの羊肉をフォークで突き刺しながら言った。
「ま、いいんじゃない? ストレス発散も必要でしょ。僕とアルフレッドで頭を使って、あの二人は身体を使う。役割分担ってやつさ」
アルフレッドは苦笑し、手元のエールを一口だけ啜った。
苦味が舌の上に広がり、喉を焼く。
確かに、奇妙なバランスだ。
石橋を叩いて壊すほど慎重な自分とライナス。
石橋など無くても飛び越えようとするセシリアとガンダル。
水と油のように見えて、実戦になれば不思議と噛み合う。ガンダルの無謀な突撃が敵の陣形を崩し、その隙をライナスの機転が突き、セシリアの癒しが戦線を維持し、アルフレッドが全体を統率する。
(……騒がしい連中だが、悪くない)
周囲の喧騒が、不思議と心地よいBGMのように感じられた。
明日は命のやり取りが待っている。薄暗い地下迷宮、未知の魔物、死への恐怖。
だが、この灯りの下にある確かな「生」の実感が、恐怖を薄めてくれる。
「よし、作戦会議はこれで終了だ」
アルフレッドは地図を丁寧に巻き、革の筒に収めた。
「ガンダル、セシリア。あと一杯だけだぞ。それ以上飲んだら、明日は置いていく」
「えー、ケチねえ」
「おう、リーダーの命令なら仕方ねえな!」
不満げなセシリアと、豪快に笑うガンダル。
ライナスは肩をすくめ、最後の肉を口に放り込む。
宿の外では、夜風が吹き荒れ始めていた。
窓ガラスがカタカタと鳴る音は、まるで地下からの呼び声のようだ。
アルフレッドは腰の杖の感触を確かめるように手を添え、仲間たちの笑顔を見渡した。
準備は整った。
あとは、潜るだけだ。




