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四つ葉の永光(クローバー・エバーライト) ―30年前の英雄たち―:アルケリア・クロニクル 外伝  作者: アズマ マコト


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EP5_王都ギルドの洗礼

【王国ギルド支部・ロビー】


 重厚なオーク材の扉を押し開けた瞬間、熱気と騒音が目に見えない壁となって押し寄せてきた。


 鼻腔を突くのは、安酒の酸っぱい臭いと、乾燥した羊皮紙、そして使い込まれた革鎧と汗の混じった独特の芳香だ。それはどこの国のギルドでも変わらない、冒険者たちの体臭とも言える匂いだが、ここ王国の支部には、どこか他所者を拒絶するような冷ややかな空気が底流に漂っていた。


 アルフレッドは無意識にローブの襟を正し、息を呑み込んだ。

 高い天井には煤けたシャンデリアが揺れ、昼間だというのに薄暗い酒場スペースでは、すでに出来上がった荒くれ者たちが賭け事に興じている。彼らの視線が、入り口に立った四人の影に向けられた。


 値踏みするような、粘着質な視線。

 それは獲物を見る猛獣の目ではなく、自分たちの縄張りに迷い込んだ野良犬を見るような、侮蔑を含んだ無関心だった。


「……やっぱり、共和国の支部とは空気が違うな」


 アルフレッドは唇の端だけで呟き、努めて堂々と歩き出した。

 背後にはセシリアとライナス、そして不機嫌そうに大槌を担いだガンダルがいる。パーティの代表として、また一応のリーダー格として、ここで気後れするわけにはいかない。


 受付カウンターは長蛇の列だったが、その一角、「他国籍・情報開示請求」と書かれた窓口だけが閑散としていた。

 カウンターの奥に座っているのは、眼鏡をかけた神経質そうな女性職員だ。羊皮紙の山に埋もれ、羽ペンを走らせる音だけがカリカリと神経を逆撫でするように響いている。


「……ケッ、辛気臭いツラしやがって」


 ガンダルが小声で悪態をつくが、アルフレッドはそれを片手で制し、カウンターの前に立った。


 アルフレッドはカウンターの前に立ち、咳払いをした。


「すみません。情報の確認と、依頼の受注について相談したいのですが」


 反応はない。

 羽ペンの音が止まることすらなかった。まるでそこに空気しかないかのように、彼女は手元の書類に没頭している。

 アルフレッドは眉間の皺を深くし、もう一度、少し声を張って言った。


「あの、すみません」

「……聞こえていますよ」


 羽ペンが止まった。

 女性職員が顔を上げる。その瞳は、冬の湖面のように凍りついていた。眼鏡の奥から射抜かれる視線には、明確な敵意こそないものの、事務的な冷徹さが刃物のように研ぎ澄まされている。


「貴方たち、見ない顔ですね。装備の特徴からして……共和国の人間でしょう? ここは王国のギルド支部です。観光気分で冷やかしに来たのなら、あちらの出口からお帰りください」


「冷やかしじゃない。俺たちは正規の手続きを経て入国した冒険者だ。活動許可証も持っている」


 アルフレッドは懐から、苦労して手に入れた真新しい許可証を取り出し、カウンターに置いた。

 だが、彼女はそれを指先で弾くように押し返した。


「形式上の書類なんて、いくらでも偽造できますからね。それに、今は王都周辺の依頼は飽和状態なんです。地元の冒険者でさえ仕事にあぶれているのに、どこの馬の骨とも知れない他国の方に回すような美味しい話はありませんよ」


 取り付く島もないとはこのことだ。

 彼女は再び視線を書類に戻し、無言で「去れ」と全身で語っている。

 アルフレッドは拳を握りしめた。理不尽だ。確かに他国の人間への風当たりが強いとは聞いていたが、ここまで露骨な扱いを受けるとは。

 反論しようと口を開きかけた、その時だった。


「ねえ、お姉さん」


 人懐っこい、甘く軽やかな声が割り込んだ。


 アルフレッドの脇から、ひょいと顔を出したのはライナスだ。

 引き締まったスマートな体躯に、さらさらとした金髪。大きな瞳は無垢な好奇心に輝き、まだ幼さが残る青年の魅力をこれでもかというほど振りまいている。

 彼はカウンターに身を乗り出し、小首を傾げて女性職員を覗き込んだ。


「僕たち、本当に困ってるんだ。お姉さんスカウト(斥候)なの? すごい勢いで書類を片付けてたから、てっきり魔法使いかと思っちゃった。指先、見えないくらい速かったよ」


 その瞬間、世界のことわりが歪んだ気がした。


 凍てついていた受付嬢の表情が、春の陽光を浴びた雪解け水のように、劇的に崩れ去ったのだ。

 眼鏡の奥の瞳が大きく見開かれ、頬に朱が差す。


「あ……ら? まあ、嫌だわ。そんな……速いだなんて」


 声のトーンが、二オクターブは跳ね上がっていた。

 先ほどまでの冷徹な事務官はどこへ消えたのか。そこには、年下の青年に褒められて恥じらう一人の女性がいただけだった。


「本当だよ! 僕、盗賊シーフの真似事もするけど、お姉さんの筆捌きには勝てないなぁ。……ねえ、この辺りで初心者が行っても怒られないような、安全な採取場所とかないかな? 僕、お姉さんみたいな綺麗な字で地図を書く練習もしたいんだけど」


 ライナスは上目遣いという最強の武器を惜しげもなく抜いた。

 その破壊力は絶大だった。

 受付嬢は「ちょっと待っててね」と甘い声で囁くと、カウンターの下から分厚いファイルを取り出した。それは通常、一般の冒険者には開示されないギルド内部の資料だ。


「ここだけの話よ? 北の森は最近オークの目撃情報があるから危ないわ。でも、東の街道沿いにある廃村の近くなら、珍しい薬草が群生してるって報告がさっき上がったばかりなの。まだ掲示板には出してないんだけど……」

「えっ、本当に!? すごい、お姉さん情報通だね! ギルドの影の支配者って感じ!」

「もう、上手なんだから……。ほら、ここよ。特別に写しをあげるわ。あと、この飴も持っていきなさい。疲れた時に舐めるといいわよ」


 受付嬢は、アルフレッドには一枚の紙屑さえ惜しんだというのに、ライナスには地図の写しと、さらに籠いっぱいの飴玉まで押し付けている。

 その手つきは、愛犬を撫でる飼い主のように慈愛に満ちていた。


 アルフレッドは口を半開きにしたまま、その光景を呆然と見つめていた。

 隣に立つセシリアも、深いため息をついている。


(……なんだ、この差は)


 胸の奥で、どす黒い感情が渦巻く。

 これが「美青年」という種族だけが持つ固有スキルなのか。

 自分のような強面の長身がどれだけ誠実に頼んでも開かなかった扉が、ライナスの笑顔一つで自動ドアのように開け放たれていく。

 理不尽だ。世の中はあまりにも不公平にできている。


「ありがとう、お姉さん! 大好き!」


 ライナスが満面の笑みで手を振ると、受付嬢はとろけそうな笑顔で小さく手を振り返した。

 完全に陥落している。情報の入手どころか、次回の優遇措置まで確約させている勢いだ。


 カウンターを離れたライナスは、戦利品の地図と飴玉を手に、意気揚々とアルフレッドたちの方へ戻ってきた。その足取りは軽く、鼻歌交じりだ。


「へへーん。どう? 見たでしょ、僕の実力。アルフレッドじゃ逆立ちしても無理だったね」


 ライナスは勝ち誇ったように鼻を鳴らし、飴玉の包み紙を剥いた。

 その態度には、隠そうともしない増長があった。自分の容姿が武器になることを完全に理解し、それを利用することに何の躊躇もない小悪魔的な傲慢さ。


「お前なぁ……少しは自重しろよ。あの方も仕事中なんだぞ」

「男が愛想売りにしてんじゃねえぞ、みっともねえ」


 アルフレッドが苦言を呈し、ガンダルも呆れたように毒づくが、ライナスはどこ吹く風だ。


「いいじゃん、結果オーライでしょ? これで美味しい依頼も独り占めだし、僕のおかげで今日の宿代も浮くかもよ? やっぱりこのパーティの真のリーダーは僕かm――」


「調子に乗るんじゃないわよ」


 低い声と共に、鋭い痛みがライナスを襲った。

 背後にいたセシリアが、ライナスの耳を無造作に、しかし的確な力加減で掴み上げたのだ。


「いったーーーい!! セシリア、耳! 耳ちぎれる!!」

「ちぎれればいいわ。そうすれば少しは静かになるでしょう?」


 セシリアの表情は笑顔だったが、目は全く笑っていなかった。

 彼女はそのまま、万力のような握力でライナスの耳を引っ張り上げ、強引に出口へと方向転換させた。


「あの方があれだけ親切にしてくれたのは、貴方が可愛かったからじゃないわ。ただの気まぐれよ。それを自分の手柄みたいに勘違いして、あまつさえアルフレッドを馬鹿にするなんて……教育的指導が必要ね」

「ごめんなさい! ごめんなさいってば! あああん、地図が破れちゃう!」

「もう行くわよ! ぐずぐずしない!」


「いーたーいー!」


 情けない悲鳴を上げながら、ライナスはセシリアに引きずられていく。

 先ほどまでの天使のような愛らしさは見る影もなく、ただ姉に叱られる悪ガキの姿がそこにあった。


 ギルド内の冒険者たちが、今度は呆れと失笑を含んだ視線を向けてくる。


「相変わらずだな、あいつらは」

 隣でガンダルが、楽しげに鼻を鳴らした。


 アルフレッドは、遠ざかる二人の背中を見送りながら、深く、長く息を吐き出した。


 嫉妬していた自分が少し馬鹿らしくなる。

 結局のところ、ライナスはセシリアの手のひらの上で転がされているだけなのだ。

 あいつがどれだけ外で愛想を振りまこうと、首輪の鎖を握っているのはあの怖い「お姉さん」なのだから。


「……まったく、騒がしい連中だ」


 アルフレッドは頭を掻き、苦笑を浮かべながら、ガンダルと共に二人の後を追った。

 手に入れた地図は本物だ。悔しいが、今回はライナスの「美青年特権」に感謝するしかない。

 ギルドの重い扉を抜けると、外の風が少しだけ冷たく、そして心地よく感じられた。

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