EP4_王都の休日
【王都・中央大通り】
正午の鐘が鳴り響く頃、王都の中央大通りは人の波で埋め尽くされていた。
石畳を叩く無数の靴音、露店から漂う香辛料と焼き菓子の甘い香り、そして客を呼び込む商人たちの野太い声。活気という名の熱気が、頭上から降り注ぐ陽光と混じり合って通り全体を包み込んでいる。
そんな喧騒の中を、アルフレッドは極度の緊張で肩を怒らせながら歩いていた。
隣には、金色の髪を風に揺らすセシリアがいる。彼女は珍しくいつもの法衣や軽鎧ではなく、淡い空色のワンピースを身に纏っていた。スカートの裾が歩くたびにふわりと舞い、すれ違う男たちの視線が無遠慮に彼女を追うのが分かる。
アルフレッドはその視線を遮るように、さりげなく位置を変えながら、額に浮かんだ汗を拭った。
「アルフレッドさん、見てください! あそこの果物、とっても大きいです!」
セシリアが目を輝かせて露店を指差す。その無邪気な笑顔は、戦場での凛とした姿とは別人のようだ。
「あ、ああ……そうだな。美味そうだ」
アルフレッドは喉の渇きを覚えながら、ぎこちなく頷いた。
今のところ、邪魔者はいない。
昨夜、あの二人に念を押して別の仕事を押し付けた甲斐があった。ガンダルには鍛冶場への発注確認を、ライナスには裏ルートでの素材相場の調査を。どちらも時間がかかる面倒な案件だ。
背後をちらりと確認するが、見慣れた筋肉達磨も、陰気な斥候の姿も見当たらない。
(勝った……!)
アルフレッドは心の中で拳を握りしめた。
今日はただの買い出しではない。これは、あくまで『補給任務』という名のデートなのだ。この日のために新しいシャツも卸したし、鏡の前で笑顔の練習もした(三回ほど引きつってやめたが)。
「きゃっ」
不意に、人波が大きく揺れた。
荷車を引く商人が通りかかり、セシリアがバランスを崩しかける。
「っと、危ない!」
「す、すみません。人が多くて……」
セシリアが申し訳なさそうに眉を下げる。
その瞬間、アルフレッドの脳裏に電流が走った。
――チャンスだ。
これほど自然な流れはない。人混み、はぐれる危険性、そして守るべき可憐な花。ここで手を差し伸べずして、何がパーティリーダーか。何が『銀狐』か。
(いけ、俺。ここでいかなきゃ男が廃る!)
アルフレッドは咳払いを一つすると、わざと視線を露店の方へ向けたまま、そっと左手を差し出した。顔が熱い。耳まで赤くなっているのが自分でも分かる。だからこそ、セシリアの顔を直視できない。
「……はぐれると厄介だ。ほら、掴まれよ」
ぶっきらぼうな口調を装うのが精一杯だった。
心臓が早鐘を打つ。
数秒の沈黙が、永遠のように感じられた。
やがて、差し出した手のひらに、何かが触れた。
少しひんやりとした感触。
指が絡まり、ぎゅっと握り返される。
(き、来たぁぁぁぁッ!)
アルフレッドは歓喜のあまり、天を仰ぎそうになるのを必死で堪えた。
繋がれた手。確かな温もり。少し骨ばっているような気もするが、それは彼女が聖女として厳しい修行を積んできた証だろう。あるいは、緊張で自分の感覚がおかしくなっているのかもしれない。
だが、そんなことはどうでもいい。今、自分はセシリアと手を繋いでいる。
「……その、なんだ。悪くねぇな、こういうのも」
アルフレッドは赤面したまま、ボソリと呟いた。
指先に力を込め、愛おしさを込めて握りしめる。
すると、耳元で囁くような声が返ってきた。
「そうだな。兄貴の手、意外と温かいんだな」
低く、どこか楽しげな男の声だった。
「…………は?」
アルフレッドの思考が停止した。
ゆっくりと、錆びついた扉を開けるように首を回す。
そこには、セシリアの姿はなかった。
代わりに、黒いフードを目深に被った細身の男――ライナスが、アルフレッドの手を恋人のようにしっかりと握りしめ、真顔で見つめ返していた。
「……」
「……」
二人の視線が交差する。
ライナスは瞬き一つせず、冷ややかな瞳の奥に嘲笑の色を浮かべて首を傾げた。
「兄貴……まさか、俺のこと好きなの?」
市場の喧騒が一瞬、遠のいた気がした。
「バカヤローーーッ!!」
アルフレッドの絶叫が、王都の空に響き渡った。
彼は感電したかのようにライナスの手を振り払うと、数歩後ろへ飛び退いた。
「なんでっ!? なんでお前がここにいるんだよ! 素材相場の調査はどうした!?」
「終わったさ。優秀な部下だからな」
ライナスは悪びれもせず、振り払われた手をパタパタと振った。
「それに、大将が人混みで迷子になりかけてるって風の噂で聞いてな。親切心で手を貸してやったんだが……まさかあんなに力強く握られるとはな。俺、ちょっとドキドキしちまったよ」
「ふざけんな! 殺すぞ!」
アルフレッドが顔を真っ赤にして魔導杖に手をかけた時、背後から豪快な笑い声が降ってきた。
「ガハハハハ! 傑作だぜ大将! 顔真っ赤にして『悪くねぇな』だもんなぁ! いやぁ、いいもん見せてもらったわ!」
振り返ると、巨大な戦槌を背負った筋肉の塊――ガンダルが、腹を抱えて爆笑していた。周囲の通行人が、何事かと驚いて道を空けている。
「ガンダル……! てめぇ、鍛冶場の用事はどうした!」
「ああ? あんなもん、親父さんに酒一本渡して後回しにしてもらったに決まってんだろ。それより見ろよこの大根。安かったから買っちまったぜ!」
ガンダルは小脇に抱えた巨大な大根を得意げに掲げて見せた。その笑顔は、あまりにも爽やかで、そして絶望的に鬱陶しい。
アルフレッドは膝から崩れ落ちた。
完璧だったはずの計画。甘美なデート。それらが全て、この悪友たちの手によって粉砕されたのだ。
「あ、ガンダルだー」
そこへ、人波をかき分けてセシリアが戻ってきた。彼女の手には、いつの間にか串焼きが二本握られている。
「あれ? ライナスさんも。奇遇ですねぇ」
「セ、セシリア……お前、今までどこに……」
「え? あそこの屋台で串焼きを買っていたんです。アルフレッドさんの分も買いましたよ! はい、どうぞ」
彼女はニコニコと笑いながら、香ばしい匂いのする串焼きを差し出した。
どうやら彼女は、アルフレッドがライナスと手を繋いで愛を囁いていた決定的瞬間を、完全に見逃していたらしい。あるいは、見ても何も感じなかったのか。
どちらにせよ、アルフレッドの心はボロボロだった。
「……奇遇だな、セシリア嬢。俺たちも丁度、買い出しに来てたんだ」
ライナスがしれっと嘘をつく。
ガンダルがニカっと白い歯を見せて親指を立てた。
「おうよ! せっかくだから四人で回ろうぜ! 大将一人じゃ荷物持ちも大変だろ?」
セシリアは「わぁ、賑やかでいいですね!」と手を叩いて喜んでいる。
アルフレッドは天を仰いだ。雲ひとつない青空が、やけに目に染みる。
抵抗しても無駄だ。こいつらは最初から、この結末を狙っていたのだから。
アルフレッドは深いため息をつくと、セシリアから串焼きを受け取り、ガブリと乱暴にかじりついた。
「……分かったよ。分かった。俺の負けだ」
「へへっ、そうこなくちゃな」
「じゃあ次は魔導具店に行こうぜ。ライナス、新しいナイフ見繕ってくれよ」
「はいはい。予算は大将持ちでいいよな?」
「ふざけんな!」
結局、アルフレッドの淡い期待は藻屑と消え、いつもの騒がしいパーティ行動が幕を開けた。
四人は並んで大通りを歩き出す。
文句を言いながらも、アルフレッドの表情には、どこか諦め混じりの安らぎが浮かんでいた。




