EP14_四つ葉の永光
【地下墓所・深層】
意識が途絶える寸前、最後に感じたのは重力だった。
糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる体。だが、冷たい石畳の感触が頬を打つことはなかった。
ゴツリ、と硬い感触の代わりに、熱を持った厚い肉体が彼女を受け止めていたからだ。
「……ッ、おい! 嘘だろ!?」
耳元で怒鳴り声が炸裂する。それはガンダルの声だった。
普段の豪放磊落な響きは消え失せ、代わりに恐怖で震えている。
「息をしてねえ! 心臓も……止まってやがる!」
大槌の戦士は、腕の中に抱えた聖女のあまりの軽さに戦慄した。
ただでさえ細い体が、魔力と生命力を焼き尽くしたことで、まるで焼死体のような乾いた質量に変わっている。
右腕は見るも無惨だった。聖なる炎の代償として、皮膚は弾け、筋肉は断裂し、骨までが炭化しかけている。
「姉さん! いやだ、嫌だあッ!」
遅れて駆けつけたライナスが、半狂乱になってセシリアにしがみついた。
まだ少年の面影を残す双短剣使いは、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら、動かなくなった聖女の胸に耳を押し当てる。鼓動は聞こえない。静寂だけが、死の宣告のように横たわっている。
「どけッ! 泣いてる暇があったら口を開けさせろ!」
鋭い叱咤と共に、影の中からアルフレッドが滑り込んできた。
常に冷静で、どこか斜に構えていた魔法使いの顔から、一切の余裕が消えている。その蒼白な額には脂汗が滲み、手元は微かに震えていた。
彼の手には、一つの小瓶が握られている。
先ほど砕け散ったリッチの残骸──その中心にあった塵の中から、彼が咄嗟にかすめ取った戦利品だ。
透き通るクリスタルガラスの中で、極光のように揺らめく虹色の液体。
『エリクサー』。
万病を癒やし、死の淵にある者すら現世へ引き戻すと謳われる、伝説の霊薬。
国一つが買えるほどの価値がある至宝を、アルフレッドは迷うことなく封を切った。
「飲め……頼むから、飲んでくれ……!」
アルフレッドはガンダルの腕の中でぐったりとしているセシリアの顎をこじ開け、その液体を一滴残らず流し込んだ。
震える指先が、彼女の白蝋のような唇に触れる。
「死ぬなバカ! 俺たちを置いていくなんざ許さねえぞッ!」
永遠にも似た数秒が過ぎた。
ダンジョンの深淵に、静寂が満ちる。
リッチが消滅した後の空気は冷たく澄んでおり、ただ三人の荒い呼吸音だけが響いていた。
変化は、唐突に訪れた。
「──カッ、ハ……ッ!」
セシリアの喉が痙攣し、肺が空気を求めて激しく膨張した。
止まっていた心臓が、早鐘のように打ち始める。
炭化していた右腕の傷口からまばゆい光が溢れ出し、見る間に皮膚が再生し、焼けた血管が繋がり、瑞々しい肌が蘇っていく。
それは奇跡の光景だった。
死神の鎌が首にかかっていた状態から、無理やり生の世界へと引きずり戻される暴力的なまでの蘇生。
「あ……、ぅ……」
セシリアの瞼が、微かに震えた。
ゆっくりと開かれた瞳には、まだ焦点が合っていない。
視界に映るのは、ぼやけた三つの顔。どれもが酷い顔をしていた。男泣きする大男、子供のように泣きじゃくる青年、そして必死に平静を装おうとして顔を歪める眼鏡の青年。
「……ん……私、勝っ……た?」
掠れた、けれど確かな声。
その一言が、張り詰めていた空気を決定的に緩ませた。
「──うわあああああん! 姉さぁぁぁん!!」
ライナスが堪えきれずにセシリアの腹に顔を埋めて号泣する。
ガンダルは「くそッ、くそォ……」と悪態をつきながら、太い腕で目元を乱暴に拭った。その目からは、止めどない涙が溢れ出している。
「……ああ、勝ったさ。お前の勝ちだ、大馬鹿野郎」
アルフレッドはへなへなと、その場に腰を抜かした。
空になったエリクサーの瓶が、カランと乾いた音を立てて石畳を転がっていく。
彼らの誰も、その国宝級の損失を惜しむ者はいなかった。
セシリアは、まだ痺れの残る体を起こそうとして、ガンダルに支えられた。
全身が鉛のように重いが、体の芯には確かな熱がある。生きている。仲間たちの体温と、彼らの想いが、冷え切った魂を温めていた。
「みんな……ごめんなさい。心配、かけたわね」
弱々しく微笑むと、セシリアは左手を伸ばし、ライナスの頭を撫で、ガンダルの肩に触れ、そしてアルフレッドへと視線を向けた。
「ありがとう」
「……礼を言うのはこっちだ。お前がいなきゃ、俺たちは今頃アンデッドの仲間入りだった」
アルフレッドは照れ隠しのように視線を逸らし、しかしすぐに真剣な眼差しでセシリアを見つめ返した。
四人は、リッチの玉座があった広間の中心で、互いの無事を確かめ合うように肩を寄せ合った。
ボロボロの装備、煤けた顔、血と汗の臭い。
けれど、これほどまでに安らかで、誇らしい瞬間を彼らは知らなかった。
「なあ、俺たち……すげえことやったんじゃねえか?」
ガンダルが、鼻をすすりながら呟く。
深層の主、不死の王の討伐。それは熟練の冒険者パーティですら全滅必至の難業だ。それを、この若き四人が成し遂げたのだ。
「ふふ・・・。これで私達は間違いなく生きる伝説よ」
セシリアは深く息を吐き出し、天井を見上げた。
そこにはもう、死の灰は降っていない。ただ、地下の闇が静かに広がっているだけだ。
「私たち、四人で生き残った。……私達の名前と同じね」
ふと口をついて出た言葉に、三人が顔を見合わせる。
「『四つ葉』か。……違ぇねえ」
「うん。四つ葉の……僕らはずっと消えない光だからね」
「『四つ葉の永光』……か」
アルフレッドが呟いたその名に、セシリアは目を細めた。
これから、大陸中に轟くであろうPT名『四つ葉の永光』
この暗い地下墓所から持ち帰る勝利の証として、これほど誇らしい物はない。
「行きましょう。地上へ」
セシリアの言葉に、三人の男たちが力強く頷く。
ガンダルがセシリアを背負い上げ、アルフレッドが先導し、ライナスが背後を守る。
今日、新たな歴史が刻まれた。
後に大陸全土にその名を馳せることになる英雄たちの物語は、この日、この場所から始まったのである。




