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四つ葉の永光(クローバー・エバーライト) ―30年前の英雄たち―:アルケリア・クロニクル 外伝  作者: アズマ マコト


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EP12_聖灰

【地下墓所・深層】


 呼吸は、とうの昔に限界を迎えていた。

 肺が焼けつくような熱を帯び、心臓は早鐘を打って肋骨を軋ませている。

 聖女セシリア・ローレンスは、瓦礫と化したスケルトン・ジェネラルの残骸を踏み越え、よろめくように、しかし確かな足取りで前へと進み出た。


 視界が赤い。

 返り血のせいではない。脳内を駆け巡る過剰なアドレナリンと、限界を超えて汲み上げられた魔力が、視神経を焼き切らんばかりに明滅しているのだ。


 彼女の背中、破れた僧服の隙間から覗く肌には、複雑怪奇な文様が浮かび上がっていた。

 それは教会が定めた聖痕ではない。もっと原初的で、荒々しい、信仰という名の燃料を暴力へと変換するための回路。

 刺青が脈動し、黄金の粒子が汗と共に蒸発していく。


「ハア、ハア……!」


 乱れた呼吸の合間に、彼女は笑った。

 慈愛に満ちた聖女の微笑みではない。獲物を前にした捕食者の、あるいは死地においてのみ生を実感する狂戦士の凶笑。


 眼前に鎮座するのは、死の王リッチ。

 その周囲には、物理攻撃を拒絶する多重結界と、死霊術の粋を集めた暗黒の障壁が渦巻いている。

 常識的に考えれば、今の消耗しきったパーティで挑む相手ではない。撤退こそが正着だ。


 だが、理屈などクソ食らえだ。


 セシリアは特殊合金の六尺棒を放り投げ、喉の奥から絞り出すように絶叫した。

 邪魔になった法衣を力任せに引き裂き、胸当てのみの姿を晒す。露わになった肌、その全身を覆う複雑怪奇な文様――刺青が、灼熱した鉄のように赤く輝き、次いで眩い黄金色へと変貌する。


「命掛けてぶっ飛ばす!!!!」


 ドォォォンッ!!

 その咆哮と共に、彼女の全身から金色の蒸気が爆発的に噴き出した。

 体内の水分と血液が、魔力と精神力の混合物質である聖神力への過剰変換によって瞬時に蒸発したのだ。視界を歪めるほどの熱量と聖神力密度。彼女自身が純粋な光の柱となって、空間そのものを焼き焦がしながら臨界点へと達する。


「……ッハ! 最高だぜ、あの尼!」


 それを見たガンダルが、感極まったように吠えた。

 大盾を構え、全身の筋肉を鎧の下で膨張させる。守るための盾ではない。道を切り拓くための破城槌として、彼は自らの肉体を定義し直した。


「お前ら! セシリアに後れを取るなよ!!!」

「応とも!!」


 ガンダルの檄に、影の中から即座に応答があった。

 ライナスだ。

 彼はすでに走っている。ガンダルが作った風穴、セシリアが放つ威圧感、それらがリッチの意識を釘付けにしている隙を突き、死の王の懐へと飛び込んでいく。


 そして、後衛。

 アルフレッド・ライムベルクは、戦場の空気が変質したことを肌で感じ取っていた。

 セシリアの狂気が、仲間たちの導火線に火をつけたのだ。

 ならば、それを爆発させるための「雷管」を用意するのは、参謀たる自分の役目だ。


「セシリア……上等だ!」


 アルフレッドは懐から、蒼く輝く石を取り出した。

『マンティコアの魔石』。

 強大な獅子の魔獣の心臓部が結晶化した、高純度の魔力触媒。市場に出せば小さな城が買えるほどの稀少品だが、彼は迷わずそれを杖の先端に噛ませた。


「砕けろ」


 ガリリ、と硬質な音が響く。

 杖の魔力増幅器ごと魔石を噛み砕き、溢れ出した暴風のような魔力を、自身の魔力回路へと無理やり接続する。

 血管が悲鳴を上げ、指先から炭化しそうなほどの熱が走る。だが、その痛みこそが意識を研ぎ澄ませた。


 彼は杖を掲げ、虚空に指を走らせる。

 描かれるのは、平面の魔法陣ではない。

 一つ、また一つと、光の円環が重なり合い、球体を描き、複雑な多面体へと進化していく。

 数百にも及ぶ術式が空中で連結し、歯車のように回転を始めた。


 奥義『積層型立体魔法陣(スタックド・スリーディー・マジックサークル)』。


 それは、人の身には余る演算領域を外部空間に展開し、術者の思念をダイレクトに物理干渉力へと変換する、失われた古代の演算装置。


 アルフレッドの口から、三つの異なる旋律が同時に紡がれる。

三重詠唱トリプル・チャント』。

 通常ならば脳が焼き切れる並列処理。だが今の彼は、極限の集中状態トランスにあった。


「――重力よ、原子を砕け……」


 第一節。対象座標の空間を歪曲させ、極小の一点へと圧力を集中させる。


「炎よ、太陽となれ……」


 第二節。圧縮された空間に、超高熱のプラズマを注入し、熱暴走を誘発する。


「光よ、星として産声を上げろ!」


 第三節。それらを光の檻で封じ込め、内部崩壊のエネルギーを指向性のある破壊力へと収束させる。


 リッチが、その異様な魔力の高まりに気づいた。

 死の王の眼窩に灯る赤い光が、アルフレッドを凝視する。

 脅威度判定、最大。

 リッチは即座にスケルトンの召喚を中断し、無数の暗黒弾をアルフレッドに向けて放った。


「させねぇよ!」


 ドォォォォォォンッ!

 轟音と共に、ガンダルがアルフレッドの前に立ちはだかった。

 大盾だけではない。右手に持った戦鎚ウォーハンマーを風車のように回転させ、迫りくる魔法弾を物理的に叩き落とす。


 防ぎきれない漆黒の礫が、ガンダルの肩を、脇腹を、太腿を抉った。

 鎧がひしゃげ、肉が焦げる臭いが立ち込める。

 だが、巨漢の戦士は一歩も退かない。


つうぅ……! だが、生きてる証拠だなぁオイッ!」


 血反吐を吐きながら、ガンダルは笑った。

 その横を、疾風が駆け抜ける。

 ライナスだ。

 彼はリッチの障壁スレスレを高速で移動し、短剣で障壁の表面を削り取るように攻撃を加えていた。

 ダメージは皆無。だが、目の前を飛び回る羽虫のような動きが、リッチの照準をわずかに狂わせる。


「チッ、死に損ないが……!」


 リッチの苛立ちが頂点に達した瞬間。

 アルフレッドの詠唱が完成した。


「『Lur, Herts Eta Sua, Muina Eta Argia, Sortu(ルル・ヘルツ・エタ・スア・ムイナ・エタ・アルギア・ソルトゥ)』!!」


 古代語の紡ぎ終わりと共に、積層魔法陣が眩い閃光を放った。

 リッチの障壁の内部、その極小の一点に、疑似的な核融合が発生する。


 カッ――……!


 音よりも先に、光が世界を白く染め上げた。

 絶対的な熱量と質量を持ったエネルギーが、内側から障壁を食い破る。

 空間が歪み、リッチの展開していた多重結界が、ガラス細工のように粉々に砕け散った。


「今だッ!!」


 アルフレッドの叫びは、もはや不要だったかもしれない。

 障壁が砕けたその瞬間、黄金の流星と化したセシリアが、すでに空中に躍り出ていたのだから。


 祈りとも呪詛ともつかぬ絶叫と共に、全てを賭した最大奥義――『聖灰(Sanctus Ash)』が、無防備な死の王へと振り下ろされた。

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