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四つ葉の永光(クローバー・エバーライト) ―30年前の英雄たち―:アルケリア・クロニクル 外伝  作者: アズマ マコト


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EP1_未踏への誘い

【街道沿いの野営地】


 夜の帳が下りると、世界は急速にその輪郭を失い、闇の底へと沈んでいく。街道沿いの開けた場所に陣取った商隊の野営地では、あちこちで焚き火が爆ぜる音が響き、その赤い光だけが頼りない安息の場を縁取っていた。


 薪が崩れ、火の粉が夜空へと舞い上がる。それらは瞬く間に星々の海へと溶け込み、消えていった。


 アルフレッドは焚き火の傍らで、愛用の魔導杖の手入れをしていた。柔らかな布で杖の先端に嵌め込まれた宝玉を丁寧に磨くたび、それは鈍い輝きを放ち、揺らめく炎を映し出す。指先に伝わる冷たい金属と宝玉の感触、顔を撫でる熱気のコントラストが、彼の意識を鋭敏に保っていた。護衛任務というのは、魔法を行使する時間よりも、こうして闇を見つめ、静寂に耳を澄ませる時間の方が遥かに長い。


「……で、旦那。王都に着いたらどうするんで?」


 向かいに座っていた商人が、焼きあがったばかりの干し肉を差し出しながら問いかけてきた。小太りな男で、高価そうな外套に身を包んでいるが、その顔には長旅の疲労と、夜の森への根源的な恐怖が滲んでいる。


 アルフレッドは礼を言って肉を受け取り、口に運んだ。塩辛さと獣の脂の味が広がる。


「まずは依頼の完遂だ。あんたたちを無事に王都の市場まで送り届ける。それが全てだよ」


 アルフレッドは短く答えた。冒険者ギルドを通じて請け負ったこの仕事は、決して割の良いものではないが、王都へ向かうための路銀を稼ぐには丁度よかった。


「へえ、真面目なこって」商人は肩をすくめ、自分もカップの中身を煽った。「だがまあ、腕利きのあんたらに守ってもらえて助かってるよ。最近は街道も物騒だからな。魔物もそうだが、質の悪い野盗も増えてる」


「俺たちがいる限り、指一本触れさせねえよ」


 横から割り込んできたのは、巨漢の戦士ガンダルだった。彼は焚き火の上に吊るされた鍋を心底愛おしそうに見つめながら、豪快に笑う。その背中には、人の身の丈ほどもある大槌ハンマーが背負われている。


「ガンダル、声がでかい。魔物が寄ってくる」


 焚き火の明かりが届かない薄暗い場所で、細身の青年ライナスが呆れたように呟いた。彼は短剣の柄を弄びながら、常に周囲の気配を探っている。その瞳は夜行性の獣のように鋭く、どこか人を食ったような光を宿していた。


「ああん? 魔物が来たら叩き斬るだけだろうが。なあ、セシリア?」


 ガンダルが同意を求めると、アルフレッドの隣に座っていた、教会の軽鎧と僧服を組み合わせた実戦的な出で立ちの神官が、ふわりと艶やかな髪をかき上げた。


「ええ、そうね。退屈凌ぎにはなるかしら」


 セシリアの声は鈴を転がすように軽やかだが、その双眸には隠しきれない好戦的な色が揺らめいている。彼女は美しいが、その美しさは磨き上げられた刃のそれに似ていた。触れれば切れそうな、危険な輝き。


 商人は冒険者たちの物騒な会話に苦笑しつつ、焚き火に薪をくべた。


「まったく、冒険者って人種は……。まあ、腕に自信があるのは結構だが、王都に着いたら『あれ』には近づかないのが賢明だぜ」


「あれ?」


 アルフレッドが眉をひそめる。商人は声を潜め、まるで忌まわしい怪談でも語るかのように言った。


「『王国のダンジョン』だよ。王都の地下深くに広がる、古代の遺跡だ」


 その名を聞いた瞬間、場の空気が僅かに変わった。焚き火の爆ぜる音が、一瞬だけ止んだように錯覚する。


「ああ、聞いたことはある」ライナスが興味なさそうに、しかし耳だけはこちらに向けて言った。「王家が管理している巨大な地下迷宮だろう? 冒険者の聖地だとか何とか」


「聖地? ハッ、墓場の間違いだろ」商人は鼻で笑い、焚き火の炎を見つめた。「浅い階層なら、まあ稼ぎにはなる。だがな、深入りすれば二度と戻っては来られない。特に……二十一階層より先はな」


「二十一階層?」セシリアが首を傾げる。


「そうだ。そこが境界線だと言われている。王国屈指の精鋭部隊だろうが、名の知れた英雄だろうが、二十一階層より先、つまり最下層へ足を踏み入れた者で、まともな報告を持ち帰った奴はいねえ。未踏破領域ってやつさ」


 商人の言葉には、実感を伴う重みがあった。それは単なる噂話ではなく、多くの死を見てきた者だけが持つ、諦念に近い警告だった。


「やめておいたほうがいい」商人はアルフレッドの目を見て、真摯に言った。「あんたらは優秀だ。だからこそ、命を粗末にするな。あそこは、人の触れていい場所じゃない」


 重苦しい沈黙が降りた。夜風が木々を揺らし、ざわざわと不安を煽るような音を立てる。


 だが、その沈黙を破ったのは、低く、腹の底に響くような嘲笑だった。


「俺らには無理だって? おいライナス言ってやれ!」


 ガンダルが立ち上がり、焚き火の光を背に受けて商人を睨みつけた。その表情にあるのは怒りではなく、強者の矜持を傷つけられたことへの苛立ちだ。


「おいおい、ガンダル。商人の旦那は親切で言ってくれてるんだぜ?」


 ライナスは肩をすくめて見せたが、その口元は三日月のように歪んでいた。ニヤニヤとした笑みが、彼の整った顔立ちに生意気な色を加える。


「無理かどうかは別として……ちょっと遊んでみたい感じはあるね。未踏破、ねえ。その響きだけで、ゾクゾクするじゃないか」


 ライナスは指先で短剣の刃を弾いた。チィン、と澄んだ音が夜気に溶ける。それは警告ではなく、獲物を見つけた狩人の合図のようだった。


 商人は顔をしかめた。「あんたら、正気か? 死ぬと言ってるんだぞ」


「死ぬかどうかは、行ってみなきゃわからないでしょう?」


 セシリアが身を乗り出した。焚き火の光が彼女の瞳の中で踊り、その奥底にある情熱を照らし出す。


「未踏破ダンジョン……ふふ、腕が鳴るわね! 誰も見たことのない景色、誰も倒したことのない魔物。想像するだけで、心臓が早鐘を打つわ」


 彼女は自分の胸に手を当て、陶酔したように呟いた。その姿は、舞踏会への招待状を受け取った少女のようであり、同時に戦場を渇望する修羅のようでもあった。


「セシリアはそう来ると思ってたぜ!」ガンダルが膝を叩いて笑う。「俺もだ。誰も行ってねえなら、俺たちが一番乗りになりゃいい。英雄になれるぜ、旦那!」


 商人は開いた口が塞がらないといった様子で、アルフレッドに助けを求める視線を向けた。


「リーダー、あんたからも言ってやってくれ。こいつら、死に急ぎ野郎だ」


 アルフレッドは静かに魔導杖の石突で地面を叩いた。カツン、という硬質な音が、熱狂しかけた場の空気を引き締める。彼はゆっくりと仲間たちを見回した。


 ガンダルの野性的な闘争心。

 ライナスの知的好奇心と不遜な自信。

 セシリアの純粋なまでの強さへの渇望。


 彼らは優秀だ。そして、どうしようもなく冒険者だった。危険だと言われれば言われるほど、その先に何があるのか確かめずにはいられない。それは病に近い。


 アルフレッド自身、胸の奥で燻る熱を感じていた。商人の言葉、「二十一階層」「未踏破」という単語が、彼の冒険者としての本能を刺激していたのだ。安定した護衛任務も悪くはないが、魂が求めているのは、もっとヒリヒリするような、命のやり取りだ。


 だが、リーダーとして、今はその熱を表に出すべきではない。


 彼は咳払いを一つして、努めて冷静な声を作った。


「お前たち、少し落ち着け。商人の言うことにも一理ある」


 アルフレッドは商人に視線を戻し、穏やかに、しかし断固とした口調で言った。


「忠告は感謝する。だが、我々は冒険者だ。危険を避けていては、飯の種にありつけない」


「だからって、わざわざ死地に飛び込むことは……」


「まずは依頼の完遂が先決だ」アルフレッドは商人の言葉を遮った。「俺たちの契約は、あんたたちを王都まで守ること。その後のことは、その後で考える」


 それは完璧な建前だった。商人を安心させ、同時に仲間たちの暴走を一旦留めるための言葉。しかし、長年連れ添った仲間たちには、その裏にある響きが伝わらないはずもなかった。


 ライナスが鼻を鳴らし、面白そうにアルフレッドを見た。


「へえ、『その後で考える』ね。リーダーにしては含みのある言い方だ」


「うるさいぞ、ライナス」


「ふん、まあいいさ。王都に着くまでは我慢してやるよ」ガンダルは満足げに鼻を鳴らし、再び鍋の中身に意識を向けた。「だが、着いたらすぐにギルドだ。いいな?」


「準備が必要だ」アルフレッドは短く答えたが、それは否定ではなかった。


 セシリアが小さく笑った。その笑みは、美しい花が毒を隠し持っているかのような、妖艶さと危険さを孕んでいた。


「ふふ、アルフレッドったら。顔に出てるわよ? あなたも行きたいんでしょう?」


 彼女の指摘に、アルフレッドは答えなかった。ただ、焚き火の炎を見つめる瞳の奥で、静かな決意の光が揺らめいただけだ。


 王国のダンジョン。未踏の深淵。


 商人の語る恐怖譚は、彼らにとっては最高の招待状だった。恐怖はスパイスであり、未知は報酬だ。王都への道程はまだ残っているが、彼らの心は既に、その地下深く広がる闇の中へと飛んでいた。


「……夜が更けてきた」アルフレッドは立ち上がり、外套の裾を払った。「見張りの交代だ。ガンダル、次は頼むぞ」


「おうよ、任せときな!」


 ガンダルが大槌を担いで立ち上がる。商人はまだ何か言いたげだったが、役者が違うと悟ったのか、諦めたように首を振って自分のテントへと戻っていった。


 残されたのは、静寂と、冷え込みを増す夜気。そして、確かな予感だった。

 この旅の終わりは、新たな、そしてより過酷な旅の始まりになるだろうという予感。


 アルフレッドは夜空を見上げた。星々は冷ややかに輝き、彼らの行く末を黙して見下ろしている。胸の奥で、何かが疼いた。それは不安か、あるいは期待か。


(未踏破、か……)


 心の中で反芻する。その言葉の響きは、甘美な毒のように彼の思考を侵食し始めていた。

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