第5話 夏場の屋上は暑い
人の目を気にしていると、赤堂さんに屋上へと連れ出された。
真夏の日光が俺を燃やし尽くすように照りつける。肌からは自然と汗が湧きだし、顔に掛かるそれを自らの腕で拭う。
こんな暑さなのにも関わらず、赤堂さんは相変わらずの冬服で紅いマフラーを付けている。暑くないのかとは思うが、赤堂さんいわく特注で夏用に改良されてある制服ジャケットなのだとか。見た目に反して通気性は意外といいらしい。
屋上に辿りついた赤堂さんは、引いていた俺の手を離して数歩前を歩く。俺はこの炎天下で動きたくはなかったので、離された位置で立ち止まる。
「尾緒神、私の推理を聞いてくれ」
此方に背を向けたままの彼女に、見えてはいないだろうなと思いながら、俺は頷いてみる。
「あの場で、生徒会室で何が起こっていたのか。私は、尾緒神が何かしていると考えた」
「どうしてだ、俺はずっと赤堂さんの隣に立っていただけだぞ」
「ふふ。まだまだだね、尾緒神くん」
なんだそれ、と思う。口元で握り拳を作りながら、赤堂さんはドヤ顔で振り返ってくる。どうでもいいけれど、どうして俺はまた被告人質問めいたことをされているのだろうか。
「ことは、あそこに集まる前に既に起きていたのだよ」
チッチッチ。と立てた人差し指を左右にくいくいと動かされる。
「生徒会の人達には分からないことだけど。あの時、私には一つの違和感があった」
やはりそうかと思う。赤堂さんにとって、昨日の出来事が些細なことでしかないのなら、ワンチャンスバレないと思ったのだが。どうやら中身までしっかりと確認されてしまっていたらしい。
だがまだ言い逃れが出来るかもしれないので、俺は細やか反抗を試みてみることにする。
「私が貰った本の栞を、どうしてお前が持っていた」
「なんの話しか分からないな」
「とぼけるな、尾緒神。」
「とぼけてなんていない。なんなら、さっきの栞を見せてもいい。あれには俺の名前が書かれてある。誰に貰った栞かは知らないが、名前があれば違うと分かるだろ」
「あー!もう!そこまで言わないといけないのか?私は、昨日お前に貰った栞の話しをしている」
「昨日、俺に貰った栞?俺、お前に栞なんかあげたか?」
「うぐっ。まあ、貰ったのは本だけどな。栞は間違って入れたままにしていたのかもしれない。というか、今の話しの流れからするとそうなんだろうな」
そう言って赤堂さんは制服の内ポケットから昨日の本を取り出す。『俺は男女の友情を成立させてみせる!』というタイトルのライトノベルだ。手放した筈なのに、また俺の前に現れるとは。
「これ、昨日尾緒神が挑戦状の宝だって言って私にくれた、私の宝物だ」
大切そうにその本を抱える赤堂さんを見ると、なんだか少し気恥ずかしくなる。あげたものを大切にされている様子を見る分には、悪い気などしないけど。
「お前が持っているその栞は、この宝物の中に挟んであったやつだ。昨日何度も見つめていたから、流石に覚えている」
栞を見つめていたって、何してんだこいつ。昨晩はバスケをやって疲れていたんだし、さっさと寝ろよと思ったが、自分は徹夜をしていたので何も言えなかった。
「俺に貰った本?おかしいな、それは将河辺さんが挑戦状」
「尾緒神、もういいから。お前も分かってるんだろ、この会話は不毛だって」
「だが」
「それをお前が認めるわけにもいかないっていうのは、私にもなんとなく分かる。でも大丈夫だ。私はそれほどやわじゃないし、挑戦状の宝を偽られたことにも怒ってない」
真剣な眼差しで赤堂さんが此方を見る。俺は自分の額に手を当て、頭の体重をそこに乗せる。暑さのせいか、調子が悪くなっているような気がする。
やっぱりそこまでバレてしまっていたか。
「そうか。そういうことなら白状する。たしかに、あれは俺の本だ。勝手に挑戦状の結末をすり替えて悪かった」
「それはいいって。でも、今度は私を頼ってくれ。頼れなく見える時もあるかもしれないけど、というか前の時は確かに私を頼れるような状況じゃなかったのかもしれないけど。それでも、私は私を頼って欲しい。友達として、一緒に目の前の問題に立ち向かいたい」
ぐっと距離を近づけられながら、文字通り迫る勢いで彼女の本音が投げかけられる。ここはもしかすると、心がぐっと来る場面なのかもしれない。だが、どうしてか俺のそれは思っているより冷ややかだった。
赤堂さんといるのは確かに楽しい。友達として、よい関係を築けたらとも思っている。でもどうしてか、俺の心はまだ彼女を信じ切れてはいない。
「分かった。善処する」
俺がそう答えると、赤堂さんは凄く不服そうな顔をした。でも「まあ、それも尾緒神らしいか」と言って謎に納得された。
「それで、尾緒神。副会長の件は、やっぱりお前の仕業なのか」
「一応、根拠を聞いてもいいか」
「今ので分からなかったのかよ。お前がやったことなら、素直にそうだと言ってくれたらいいのに」
「赤堂さんの推測が正しければな」
「じゃあ、やってないのか」
「さあな。それは聞いて見ないと分からない。俺は、赤堂さんの推理に興味がある。どうして俺が何かしたと思うのか」
「なんかちょっと意地悪じゃないか?それ」
「そうか?嫌なら別に言わなくてもいいぞ。早く帰って弁当食いたいし」
「分かったよ。説明すればいいんだな」
ちぇ。と、ちょっと面倒臭そうにしながら、赤堂さんはその推理を聞かせてくれる。
「そう複雑なことじゃない。私は、ただいつ私の制服の中に鍵が仕込まれていたのかを考えただけ」
「体育の時に、てやつか」
「そう。体育で着替えて、私がいない間に誰かが脱いだ制服に放送設備の鍵を仕込んだ。そしてそれは、副会長の自転車の鍵と入れ替えられた。誰かが、その2つの鍵を入れ替えたんだと私は考えている」
赤堂さんが此方を見る。それが俺だといいたいのだろう。
「そして尾緒神も、私の制服を触っていた。私の制服の中から、その栞を取り返す為に。尾緒神も、同じ時間にそこに居たんじゃないか」
「さあ、それはどうだろうな。教室の生徒全員が外に出た後、次の授業が始まるまでの時間。もしくは、授業から教室に戻って来るまでの短い休み時間に、そんな人物が2人も現れるとは思えないがな」
この学校には体育の時用の女子更衣室などない。2クラス合同で体育をするため、2つの教室を男女の更衣室に分けて使用するのだ。クラス番号が早い方が男子更衣室になり、遅い方が女子更衣室になる。赤堂さんは1年2組であるため、彼女の在籍するクラスがその時間には女子更衣室として使用される。
だから、彼女の席の場所さえ分かっていれば、その着替えを探すこと自体はそれほど難しいことではない。最も、俺の場合は探している本が鞄か机の中にあるだろうと楽観的に考えていたから、教室に人がいない移動教室の時間をただ狙っただけなのだが。
午前の授業、1年2組の移動教室の時間は体育だけだった。
「私もそう思う。だから、犯行は体育の授業中に行われた。犯人はおそらく、トイレか何かだと言って授業中の教室を出た。そしてそのまま教室へは行かずに、1年2組の教室へ」
俺が黙って聞いていると、赤堂さんが挑発するようにニヤける。
「お前のクラスメイトにでも聞いてみようか。午前中の授業で、お前がトイレに行った時間がなかったか。その時間が私の体育の時間と一緒なら、尾緒神は私の推理通りの行動を行った証明になるんじゃないか」
「別に聞いても構わないぞ」
「へ?」
「別に聞いても構わないと言っている。それより、その続きを聞きたい」
赤堂さんは少しバツが悪そうな顔をする。
「それからはあれだ。私の制服から栞を取りに来たお前は、たまたま見かけてしまった。誰かが、私の制服に何かを入れるところを。それは多分副会長で、物は放送設備の鍵だったのだと思ってる。だからお前はその意趣返しにあいつの自転車の鍵を私の制服の鍵と入れ替えた。違うか」
赤堂さんが緊張するような顔で俺を見る。
「ひとつ疑問だ。仮にその推理が本当だった場合、俺はいつ副会長の自転車の鍵を盗ったんだ」
「それは、教室を出る時とか、すれ違った時にでもひょいっと」
「なら、どうして副会長は俺を疑わなかった。そのシチュエーションで俺と副会長がすれ違っていて、副会長の自転車の鍵が出て来たときに、どうして副会長は俺を疑わなかったんだ」
「だったら、その時間の後にでも副会長の隙を見て」
「その時間の後に、俺はどうやって赤堂さんの制服に自転車の鍵を入れたんだ。制服に何かを入れられたと思うのは、体育の授業の時だけなんだろ」
「それは、そうか」
赤堂さんは下を向く。
「これで、俺は何もやっていないと分かってくれたようだな」
「うっ。それが目的か」
だから私にわざわざ自分の推理を言わせたんだな、と頬を膨らませられる。
「まあな。そうでもしなければ、信じてくれなかっただろ」
「それは、そうかもしれないけど」
だって尾緒神は私に隠し事するし。とでも言いたいような視線で睨まれる。否定はしない。
「でも、だったら3人いるってことか」
赤堂さんが呟く。体育の時間、1年2組で侵入したであろう人間は3人。1人目は俺であり、2人目は放送設備の鍵を仕込んだであろう人物、3人目はその鍵と副会長の鍵を取り替えた人物。
ただ、最初から赤堂さんの制服に放送設備の鍵が入れられてはいなかった可能性もあるため、実際は2人しか侵入していない可能性も残っている。ただその場合、犯人はどうして赤堂さんの制服の中に副会長の自転車の鍵を入れたのかという疑問だけが残るわけだが。
「なんか、分からなくなって来たぞ。私」
赤堂さんが頭から蒸気を上げながら目を回している。熱中症ではないのかが心配だ。
「尾緒神は、どう思う?」
「全貌はまだ見えないが、取り敢えず副会長が怪しいとは思っている」
「それは、そう。私もそう思う。何かを知っているようだったよな、あの人」
「ああ」
「じゃあ、取り敢えず副会長を探るところからだな、尾緒神」
笑顔ではにかむ赤堂さん。聞くまでもないことだが、やはり放送設備の鍵を盗んだ犯人捜しをするみたいだ。
俺は、心の中で軽く胸を撫でおろした。
「よし!じゃあ早速」
息巻いた赤堂さんのお腹がぐぅっと鳴る。
「取り敢えず、考えるのは弁当を食べてからにしようか」
「そ、そうだな」
顔を赤く染めた赤堂さんを連れて、俺達は自分の教室へと戻る。
お昼休みの時間は5分しか残っておらず、2人で慌てて弁当を掻き込んだ。