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墓標圧縮帝都ーー現実の積層体

前を走るイエナは振り返り、わざと歩調を落として言った。


「……やっぱりこうなるんだなアタシら」


そしてそのかなり後ろ――もはや「後ろ」という言葉が慰めにしかならない距離で、俺は異形にほぼ追いつかれていた。

ほんとに、洒落にならないスレスレだ。


心臓は痛い。あばらも痛い。鼻と喉は凍りつくみたいに冷たい。

正直もう走りたくない。というか走れない。


狭間の補助なし。

俺自身の体力なんて、所詮この程度だったってことを、今さら思い出した。


「あ”あ”あぁぁぁ!! 置いてかないでイエナぁあ”あ”あ”あ”!!」


「なんか前よりお前……足鈍くね!?」


「はぁッ……はぁッ……俺いま……狭間の……力……使えない……からぁあぁぁ!!」


「お得意のお友達作戦は!? あいつ、遊んで欲しそうだったぞ!」


「あんなこと…言ってるのに!?」


ちらっと異形を見る。

その顎が、人の胴体を丸呑みにできそうなほど裂けていた。


あそぼあそぼあそぼ――

たべよ、たべよ、たべよ、

あそぼ、たべよ、あそぼ、

たべよ、あそぼ、あそ――


「ひぃぃ……本音が漏れてる」


「何が『最初に守るものはもう決めてある』だ!! 全然カッコついてねぇじゃねぇか!!」


いや、ほんと、申し訳ない。

自分でも思う。


「アタシに二度とカッコつけんじゃねぇぞ。ありのままでいやがれ。わかったな!!」


「わかりましたぁぁあぁ!! 女神様ぁぁあぁ!!」


イエナは舌打ちし、俺の手首を掴んだ。


「チッ、引っ張ってやる!」


そのまま強引に引き寄せ、地面を蹴り上げる。

瞬間、俺の視界が引き延ばされる。風圧で頬が引きつり、肺が裏返りそうになった。


異形との距離は、わずかに――本当にわずかに開いたが、引き離せたわけじゃない。

奴の影はまだ地面を舐めるように伸びてきている。


その時だ。


『ふふ。女神を呼んだかしら。それにしても、やけに激しいデートね。』


「君、今どこに! 早く助けに――」


『無理ね。私、首都中央病院で魔障点滴中だもの。

 ネリュスの身支度も手伝ってあげないとだし、そっちに着くとしても二時間後かしら。』


「二時間!? その間に食べられちゃうよ俺たち! いいの!?」


『貴方たちが勝手に出かけたんでしょ。ネリュスの退院日だっていうのに。』


「うっ……それはほんとごめん。昼過ぎくらいには帰るつもりだったんだよ」


『自分で厄介ごとに首突っ込んでおいて、お尻拭きを頼むなんて。大人としての自覚、足りないわ』


「俺もイエナも君のおしめ変えてあげてたけどね!!」


『……それを持ち出すのはずるいわよ』


一瞬、走りながらなのに沈黙が落ちた。

というか、脳内に「むっ」とした気配が伝わってくるのはどういう理屈なんだ。


「先生!! 今はそれどころじゃないんだって! 異形が――」


『まずはバンダナを取りなさい 真っ暗で見えないのよ』


「わかった!!」


返事を返しながら右目を覆っていたバンダナを取るとイエナが横目が見開かれた。


「お前その目……ちゃんと見えてんのか!?」


「まぁ一応 紆余曲折あって」


「ならさっきからの独り言の相手はマリィか!」


「一瞬でバレた そうです!! 理解が早くて助かります」


影が地面を削り、獣のような咆哮が背後から迫った。

距離はまだ、致命的に近い。


『はぁ……仕方ないわね……。

 あーてすてす イエナ聞こえるかしら』


脳内のマリィが気怠げにそう話しかけた途端イエナは怒鳴り声を上げる。


「いい加減にしろよお前! 赤子から戻ったってのに肝心な事は何も話さねぇわ。旦那をお前色に改造しちまうわ。突然頭の中に声を届けてくるわ。突然答え合わせされるこっちの身にもなれ!」


『クロノアを通してあなたに声を届けてるの』


「全然足りてねぇんだよ!!」


影が地面を削り、異形の四肢が石畳を抉るたび、火花と悲鳴みたいな音が跳ね、危機的状況に変わらないと言うのにマリィは唐突に尋ねる。


『では質問よ二人とも。現実って何かしら?』


「はぁ……はぁ……! 今のこのしんどい状況!」


「今、その話関係あるか!!?」


『あるわ。だって貴方達、今、現実に殺されかけているもの』


「比喩……じゃなく……て物理的にね!」


『物理も比喩も、本質的には同じよ。人間が納得するために付けたラベルに過ぎないのだから』


「何言ってんのかよくわかんない!!」


イエナが叫ぶ。


「誠一郎もっと早く走れ!! 後ろ見ろ追いつかれんぞ!!」


見なくてもわかってる。

異形の影が俺の踵に触れた瞬間、皮膚の裏側から氷水を流し込まれたみたいに冷えた。


「ひぃぃ今踵当たった!! イエナもっと引っ張ってえ!!」


『人は現実を「そこにあるもの」だと思い込んでいるわ』


「あぁッ!!クソ」


『でも実際は逆。現実とは「そこにあると信じたもの」よ』


「つまり何が言いてぇんだよお前は!!」


『光が影を作るのではなく、影が光を定義するように。世界のルールも、因果も、重力も、時間も――

すべては「そうであると影に縛られた結果」生まれる』


走りながら理解できるわけがない。

理解できないのに、言葉だけが脳に叩き込まれてくる。


『影は制限よ。世界が「貴方はこうだ」と定めた輪郭。影があるから、光はそこに閉じ込められる』


「俺の影もずっと走りっぱなしだよ」


『今話しているのは貴方本来の影の話』


「俺……本来の影……」


『誠一郎。私、あなたのその姿好きよ。 

けれども、その姿が今「追いつかれる」「殺される」のを受け入れている』


「はぁ……はぁ……受け入れてるつもり……ないんだけど……」


『なら齧りなさい』


「齧るって……何を」


『影を。貴方に定められた制限を。

 世界が「そうである」と定めているルールそのものを』


それを聞いた瞬間イエナの目つきが突然変わって怒鳴り声を上げる


「コイツに何させようってんだお前!!」


『私は、ただ貴方達を助けたいだけ。けど、私に従うかどうかは自由。』


背後の異形の顎が開き、俺の影を丸ごと呑み込みそうなほど伸びてきていた。


『誠一郎。貴方由来の能力は現実を捻じ曲げる力じゃない。現実に穴を空ける能力なの

 あの子をウサギに変えた時も、マナを逆流させた時も、オークを殴り飛ばした時だってそう

 貴方自身は現実に穴を空けただけ……けど今は違う』


マリィの小さく笑う気配


『成長しない主人公なんて物語として面白くないもの

 ちゃんとあげた物を使いなさい 私の力を』


「……あげた物って……まさか」


『私の目。世界に対して「従わない」と言い切る権利を』


背後で、異形の影が跳ね、次の瞬間には、俺の影を踏み潰しに来る距離。


イエナは歯噛みする。


「誠一郎……お前の目……光って」


あぁ――選択肢は、ない。


異形の影が地面に張り付く。

俺の影と重なった瞬間、ぞわりと寒気が背骨を這い上がった。


「……齧ればいいんだね 最後まで信じるよ君を」


自分の影に口を向けるなんて正気じゃない。

でも、正気でいられる状況でもない。


歯を立てた。


影に。


――瞬間。


肺に絡みついていた痛みが、ほどけていく。


息が、勝手に整って。

さっきまで焼けつくみたいだった喉が、氷を舐めたみたいに静かになった。

あばらの痛みも、脚の震えも、嘘みたいに消えて


「……なんだこれ……」


走っているはずなのに、走っている感覚がない。

足が地面を蹴っている感触が、ワンテンポ遅れてくる。


まるで夢の中で全力疾走しているみたいだ。

「走っている」という設定だけがあって、身体が追いついていない。


視界も異様に澄んでいる。

色が鮮烈で、輪郭が刃物みたいに鋭く、空気がガラスみたいに透明で冷たい。


イエナの声も、妙に遠いな。


「……おい、誠一郎?」


『そう。その感覚』


なのにマリィの声だけが、すぐ隣で囁いているみたいに近かった。


『今の貴方は自分の存在を限りなく曖昧にしている状態よ』


「つまりどういう事?」


『ほら夢の中では人は空も飛べるし、死にも鈍感になるでしょう?

いまの貴方は、それと同じ。世界が見ている夢や幻と言えば伝わるかしら』


異形の咆哮が響くけど、どこか他人事だった。


画面越しにモンスターを見ているみたいな感覚。

命が懸かっているはずなのに、現実味が薄い。


「……これ、普通にヤバいよね」


『ええ。とても危険。

だって貴方は今、自分の「現実である」という前提を食べたんだもの』


イエナが俺の腕を掴んで怒鳴る。


「おい!! お前、顔色が真っ白だ!! 大丈夫なのか!?」


「そういう事か……つまり今、世界にとって現実じゃない俺は……」


自分の声が、自分のものじゃないみたいに遠い。


「誰の思考や意志にも邪魔されず……何だって出来ちゃう訳だ」


俺は、地面を蹴った。

いやーー蹴ったというよりどちらかと言えば思考しただけ。

足裏の感触も無いのに、身体だけが地面から遠ざかっていく。

重力が「そういう設定だっただけのルール」みたいにほどけていった。


「は?」


俺は、イエナを抱き寄せる。

反射的に、落ちる予定だった現実を、抱きしめて持ち上げるみたいに。


「誠一郎ァァァ!?!?!?!?」


「安心して、今は落ちない 」


「今はって何だァァァ!!」


腕の中で暴れるイエナの体温だけが、妙に現実的だった。

鼓動も、怒鳴り声も、毛並みの感触も。


でも景色だけが、嘘みたいに静かで。

石畳が縮小し、街灯が模型みたいに小さくなっていく。

異形が完全に俺達を見上げて吠えていた。


地面に縫い付けられた存在。影に従うしかない存在。


なのに、俺はその外側にいる。


妙な優越感と、世界から切り離されたみたいな孤独が、同時に胸に湧き上がった。

神様って、きっとこういう気分なんだろうな。


「……イエナ」


「なんだよ!!」


「今さ……夢みたいなんだよ」



「おいマリィ……こいつの影 元に戻るんだろうな

 今のコイツちょっと怖ぇんだよアタシ」


『安心なさい あくまで一時的なものよ』


マリィの声が、脳の奥で囁く。


『誠一郎は「人間」という物語から、一歩外に出ているだけ。イエナは彼にとっての錨だからきっと大丈夫よ』


イエナが俺の服を掴んだまま、睨みつける。


「落としたら殺すからな」


「君になら殺されたいな」


「……やっぱ怖ぇよ。早く戻ってくれ」


俺は少しだけ笑った。

その笑い方が、ちゃんと人間のものだったかどうかは、自分でもわからなかった。

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