墓標圧縮帝都 ――もう一つの首都
首都外縁部――魔王城から移動しておよそ四十分。
荒れた舗道の向こうに、まるで無数のビルが密集しているかのような巨大な防壁が姿を現した。
多分壁は一枚じゃない。重ねられた層のように連なり、空を切り取るほど高く、視界を塞ぐ。
その周囲はゴーストタウンのように静まり返り、商店の並ぶ通りはすべてシャッターが降ろされたまま、生活の痕跡だけが抜け殻のように残っていた。
まるで――都市そのものから切り離されたみたいだな。
「ここ……何を囲ってるんだろう。
魔王城にすら、こんな城壁無かったのに」
無意識にそう口にすると、イエナが顎を鳴らす。
「あぁ。そこがアタシも気掛かりだったんだ。
魔王代理にも聞いちゃみたが、『客人が楽しめる様な場所では無い』っだそうだ」
「濁されてるね」
「完全にな。
まっ 文の送り主に会えばその辺もわかんだろ」
「だね。問題は地下排水路に続く鉄蓋だけど」
そう言った瞬間だった。
ぷるにゃ――
間の抜けた、やけに可愛らしい猫の鳴き声。
反射的に振り向くと、シャッターの影から一匹の黒猫がこちらをじっと見つめていた。
不自然な程、毛並みが艶やかで、埃一つ被っていない。
「……猫?」
イエナが眉をひそめる。
「ここ、確か住民はいねぇはずだぞ。動物だって寄り付かねぇって聞いてたが」
黒猫は逃げるでもなく、黄金色の目で俺たちを測るように見つめたまま、ゆっくりと瞬きをする。
そして、くるりと踵を返すと少し先の排水路のマンホールの方へ歩き出した。
「……誘導してる?」
「まさか!! アタシらを?」
「黒猫は幸福を運んでくるとも言うんだよ?」
「こんな直接的にじゃねぇだろう」
イエナは肩をすくめつつも、背のクロノアに手をかけた。
黒猫はマンホールの前でぴたりと止まり、こちらを振り返り、まるで「来い」とでも言うかのように、短く鳴く。
ぷるにゃ。
「……完全に呼ばれてるね。
案外、魔王国の猫ってこうだったり? 魔障の影響で魔物みたいに意思疎通が取れたりするのかも」
「微妙にあり得そうな話するもんじゃねぇって 一々疑っちまうだろう」
「とりあえず後で肉球嗅がせてって交渉してみようかな」
「お前……獣なら見境なしかよ」
俺たちは顔を見合わせ、苦笑する。
「んまっ案内人がいるのに越した事は無いよね」
「だな。どうせ手掛かりもねぇんだ
こいつに託すのも一興だろうぜ」
「よしっ 決まり!
じゃあそっち持ってイエナ」
「あいよ」
イエナと共に鉄蓋に手をかけ、力を込めて持ち上げると、中から立ち上る空気は、生暖かく、そして――どこか“生き物の呼吸”みたいに脈打っていた
「あっちょっ!」
そして黒猫は鉄蓋を開けるや否や、躊躇なく梯子を降りていってしまう。
「こりゃ案内人で決まりだな」
「人じゃないけどね」
黒猫の背中を見ながら、俺たちも後に続く。
梯子を降りるたび、鉄が軋む音がやけに大きく響く。
下水の匂いはするが、不思議と腐臭よりも「古い空気」の匂いが強い。
長い間、誰も通っていなかった空間――そんな感じだ。
降り立ったイエナが辺りを見回しながら小さく呟く。
「……薄暗いが見えねぇ暗さでも無いな 出口も近ぇんじゃないか?」
「確かに……やけに明るいもんね」
排水路は想像していたより広かった
魔王国の都市規模を思わせる巨大な構造だが、水はほとんど流れていない
乾いた床に、かつて水が通っていた痕跡だけが残ってる。
彼女はクロノアに手をかけたまま姿勢を低くする
「一応油断はすんなよ あの壁が何かを閉じ込めとく為の檻だって可能性もあんだからな」
「了解。」
そして、俺達二人が降りてきたのを確認した黒猫は再び歩み始めた。
しばらく黒猫について行くと、やがて崩れた下水管の断面で足を止めた。
そこから射し込む外光は、地下に慣れた目にはやけに柔らかく、どこか懐かしい色をしている。
「……やっぱりな」
「方向的に、壁の先って感じかな」
「あぁ、差出人がいるとすりゃこの先だろうな」
俺は縁に手をかけ、崩れた管をくぐり抜ける。
次の瞬間、空気の匂いが変わった。
埃と錆、それに――古い木材と湿った土の匂い。
外に出た瞬間、視界が開ける。
そこには、街が広がっていた。
低層の石造や木造の建物が並ぶ、どこか懐かしい街並み。
レンガ造りの駅舎らしき建物に錆びついた架線柱と、石畳に埋め込まれた路面電車の軌道。
看板には古い書体の文字が踊り、街灯はガス灯の意匠を模したまま停止している。
――まるで、明治から大正にかけての都市が、そのまま切り取られたみたいだった。
だが、ここも人影はない。
崩れかけた家屋。
色褪せ、風に裂かれた旗。
軌道脇に放置された古い電車車両。
誰かが確かに暮らしていた痕跡だけが、時間に食い荒らされ、緑に侵食されつつ残っている。
石畳の隙間から雑草が伸び、建物の外壁には蔦が絡みついていて、放棄されて五年、十年といった所か――そんな時間が経った都市の顔をしていた。
そして。
街並みの奥。
大正風の低層都市の向こうに、異様なものが見えた。
巨大な半球形の構造物。
近未来的な装甲パネルで覆われた、都市規模のドーム。
それをさらに取り囲むように、例の“ビルが密集したような防御壁”が層を成して聳えている。
この古い街が前庭で、その奥に“何か”を閉じ込めている――
そんな配置だとすぐに察せられ、それ以上の違和感が俺を襲う。
「イエナ……これ」
恐る恐る隣のイエナの顔を見ると彼女は何かを考えるそぶりをしながら言葉を零していく
「……こりゃ多分、少し昔の首都なんだろう……けどそれ以上にこれは」
「可笑しいよね」
「あぁ 外と中の広さに違いがあり過ぎる。これ一部区画で済むレベルじゃねぇぞ」
壁で覆われてるとはいえ首都の一部区画でしか無かったというのにいざ入ってみれば首都と同等の広さの街が広がっているのだ。これを違和感と呼ばずして何という
「まるで空間そのものを圧縮したみたいな……」
「まさにそれだな」
――突然、少し先で待っていた黒猫は、何かに追われるかのように、唐突に駆け出した。
「あ、ちょっと待って」
俺が声を上げるより早く、黒い影は路地裏へと滑り込む。
石造りの建物と建物の間にある、子供一人がやっと通れるほどの隙間。
猫はそこへ体をねじ込むと、音もなく消えた。
「……おい、早速、案内人がパーティーを抜けたぞ」
イエナは舌打ちしながらも、同じ隙間を覗き込む。
奥行きは意外と深く、中は暗くて全く見えない
「嫌われちゃったかな」
冗談で返そうとした
「やっぱり魔王国の猫って言葉がわかるのかもーー」
ーーその時、彼女の耳が、ぴくりと跳ねる。
「……嫌われたのはアタシらじゃなさそうだぞ」
低く、獣人特有の鋭い声……これは非常事態の合図。
俺は反射的に口を閉じる。
遠くから、何かが歩く音がした。
石畳を引きずるような、重く湿った足音……俺はこの足音を知っている
人のものにしては重すぎ、獣にしては規則的すぎるこの足音を。
やがて霧の向こうから、それは姿を現した。
(あぁ……やっぱりか。)
顔は――空洞だった。
人の様な頭を持ちながら、その首から下は、肉が溶け落ち、爛れ、膨れ上がった獣の胴体。
皮膚は裂け、筋肉が露出し、そこに黒い毛と赤黒い肉塊が絡みついていて……
四肢は異様に長く、関節の位置が狂っているかのように不自然に折れ曲がっていた。
歩くたびに、肉がぬちゃりと音を立てる。
「……なんでコイツが魔王国にいやがる……まさか罠か」
イエナはそう小さく呟き、俺は彼女の肩に手を置き、呼びかける。
「イエナ」
「まさかまたお前敵じゃねぇとかって言うんじゃーー」
「言わないよ」
異形がこちらを見ると同時に彼女の手を握る。
「最初に何を守るかはもう決めてある」
異形が一歩踏み出した瞬間、俺とイエナは同時に後退し、崩れた下水管の断面へと駆け出した。
「撤退しよう! 安全第一 命大事に――」
言い終わる前に、空気が裂ける。
ぬちゃり、と湿った音を残して、信徒は地面を蹴った。
いや、“蹴った”というより、肉塊が弾けるように膨張し、跳ね飛んだ。
視界の端で、異形の巨体が弧を描き
「――っ!」
次の瞬間、俺たちの頭上を影が覆い、落下音と共に、地面が揺れる。
断面の前に――それは着地していた。
俺たちが来たはずの下水管の出口、その“帰路”を塞ぐように。
四肢が地面に突き刺さり、石畳がひび割れる。
着地の衝撃で、周囲の埃と瓦礫が舞い上がり、視界が白く霞む。
「……コイツ」
イエナは低く舌打ちする。
異形はゆっくりと立ち上がった。
背骨は軋むように反り返り、首が異様な角度でこちらを向く。
空洞の顔が、こちらを“認識”し、濁った喉奥から声とも呼べない音を漏らしたのだった。
「……あそ……ぼ……あ……そ……ぼ」




