第七話 妄想は牙を抜く
商人と馬車が走り去る。その反対方向⸻ラグ姐が化け物と対峙している場所へ、俺は走り出した。
腹回りはピチピチで、すぐに息が上がる、肺が悲鳴を上げ、鼻の中が極限まで冷たくなる そして……やっぱり身体は重い……けれど霞が掛かった様に朧げだった頭の中は驚く程、澄み渡っている
情けなくて、見っともなくて、それでも走ってる。逃げずに怖くても
「……これが俺の身体。これが、俺だ。」
走っている最中もあの化け物に勝つ算段を考える……いや考えるんじゃ無い……妄想しろ……過去の俺はノートの中で様々な強敵と渡り合っていた。 この姿に戻ったのにもきっと意味があるんだ。
大人になろうとして、捨て去ろうとしたものを拾い上げろ 今はそれが俺にとって必要なモノなんだ。
俺は焼け焦げたノートを強く握りあの化け物から得た情報を元に妄想する……四足歩行、皮膚は裂け、骨がところどころ露出している……頭部は人の顔に近いが、中央にはぽっかりと黒い空洞。眼球が、無い……。
「ッ……出来た……けど」
妄想できたのは全部で12通りの”勝ち筋”。
けれど、それらと真逆の選択肢、の13番目の選択肢こそが……本当に必要なのかもしれない
この選択肢は正直もう既に潰えてしまったかもしれない……けど試しもしないというのは絶対後悔する。
森の奥から遠来みたいな、地の底からくぐもった音。それが二度、三度と繰り返されるたび、足元の地面がわずかに揺れるのがわかる。
「ラグ姐……」
大丈夫……まだ戦ってる……きっとどちらも生きてる
息を切らしながら、駄肉を揺らしながらも俺は走り続けた
近付く程、風の切れる音と血を割る様な鈍い衝突音。獣の様な叫びと女の怒号が明確になってくのがわかる。
叫びじゃ無い。威嚇でも無い。
ーー殺し合いだ。
先程別れたであろう場所は倒れた巨木に、削れた地面。幹が粉々になった欠片があちらこちらに散らばって森の一角が、まるごと「なぎ払われた」様に広がっていた。
そしてその中心ーー
黒い影が跳ねた。人間と獣を無理やり混ぜて……失敗した様な異形の姿……黒い空洞から放たれる咆哮。四肢が不規則にうねり、尾が地を叩いて、土と地の匂いが空気を濁す。
向かい合うのは一人の獣人……片膝をつきながら、剣を地面に突き立て体を支えるーー異形の者に対して顔を上げ睨みけていた。
風にめくれたボロマントがは焦げていた。彼女の唇が裂けて血が滲み、それでも笑っている。
「……っ、まだやる気かよ……斬ったそばから時間が巻き戻るみてぇに再生しやがる……そんだけ斬って欲しけりゃいくらでも抉り斬ってやるよ……!!」
そう彼女が吐き捨てたと同時に化け物が吠える
音が木々を震わせ、胸の奥に針を打ち込まれたみたいに呼吸が止まる。
後、数十歩。ほんの少しでも踏み込めば巻き込まれる場所……確実に無事じゃ済まないだろう……。
「だけど、俺の妄想が13番目に妄想が現実になるのなら………このまま殺り合わせる訳にはいかない……」
再び深く息を吸い込みだるんと飛び出た腹に力を込めてはラグ姐の腹筋目掛けて走り出した。
「ラグ姐え”え”え”え”え”ぇ”ぇぇ”!!」
「なッ……え!?……誰だお前ぇえッ!!」
そして見事ラグ姐の隙をつき腹筋に抱きついた俺はそのまま彼女を肩に担いで走り異形の者から引き離す。
「離せよッ! ってかお前誠一郎か!? どこに筋肉置いてきたんだその姿!!」
「ぐッ……重い……」
「殺すぞお前 そもそもなんで戻ってきたッ! 色々と理解が追いつかねぇんだよお前!!」
「ちょっ暴れないでラグ姐!! 暴力で解決しなきゃなら後で任せるからーーってあ”あ”あ”あ”あ”み”み”ひ”っ”ぱ”ら”な”い”で”え”え”え”え”ぇ”!!」
涙目になりながらひたすら走って距離を取る……すると異形の者は追ってくる気配は全くなく自分の妄想だったものが現実になったのを確信した。
「なんだ……どういう事だ なんで追って来ねぇんだ」
どうやって倒すかはいくらでも妄想出来た。けどその前に倒す必要がそもそもあるのかという点だ。
確かに見た目やばい。あらゆる負の感情が湧いて出てくる様な生存本能が刺激されるフォルムをしている……けど……もしも心優しい悲しきモンスターだったら?
キャラクターやお話で言えば『フランケンシュタイン』というのが有名だ あとは犬と錬成されキメラにされた少女とか……ね。
例えそれがお伽話だとしてもそんな話を知っている俺は可能性を捨てるに捨てきれず妄想したのだった。こんな結末があるかもしれないと
「ラグ姐一応降ろすけど斬り掛からないでね 彼とお話ししてみるから」
「話すって誰とだよ!!」
ラグ姐は冷静にツッコんだが俺は真顔で返す。
「彼しかいないじゃないか」
「へ・・・?」
今まで見た事ない表情を晒すラグ姐に新鮮味を覚えながらも俺は一人で異形の者に近づいていく。
「らんっらんらららんらんらんっ♪ らんっらんらららん♪ 」
「馬鹿野郎ぉ”ぉ”ぉ”ぉ”お”!! 気でも狂ったかお前ぇええぇ!!」
有名なメロディーを口ずさんで駄肉を揺らながらスキップで異形の者に近づいていく俺……うん……ラグ姐から見れば狂ったとしか思えないよなぁ……でもこれでいいんだ。
「ほら……怖くない。 怖くない」
異形の者の真ん前に辿り着いて俺は刺激しない様に武器を捨てて優しく話しかける すると表情の見えない空洞の異形の顔が俺を見下ろした……正直めちゃくちゃ怖い……
「ね……怯えていただけなんだよね? う……うふふ……」
ーーガポッ
そんな音と共に突然視界が真っ暗になった。
うん食われた……たぶん俺、今、異形の口の中にいる。顔だけ
ぬるりとした肉壁、吸い付く様な粘膜、気を抜いたらトラウマになりそうな湿度と匂い。
それでも異形は⸻俺を噛まない。飲み込まない。拒絶しない。
「……大丈夫 俺は君の味方だ 見た目だけで判断されるのって辛いよね 君も、誰かに"助けて"って言いたかったんだよね わかるよ」
異形の口の中で俺は自分の過去を思い出しながらぼそっと呟く。
するとぬるりと俺の顔を包んでいた肉壁が解けて、ぽてりと俺は地面に落とされた。
先程まで俺を見下ろしていた異形の巨体が静かに四つん這いになり左右に尾を揺らす。
ラグ姐と殺し合っていたのが嘘の様に大きな体を小さく畳んでまるで、叱られた犬みたいになった。
「ほらラグ姐〜!! もう大丈夫だよ!!」
俺は遠くで愕然としている様子のラグ姐を呼ぶ。するとラグ姐はいつものキリッとした表情に戻って武器を置き、異形にゆっくりと近付いてきた。
「………」
「ほら、角撫でて上げてよ 固くてひんやりしてるよ」
俺がそう勧めるとラグ姐は神妙な面持ちで恐る恐る手を伸ばしながら言った。
「悪かったな……斬り付けて」
異形もラグ姐の手のひらに頭を擦り寄せる様にして静かに鳴く。
「可愛い……って思っちまった……」
ラグ姐は俺を見ながら呟く。切れた唇の端に浮かぶ苦笑いは、ほんの数分前に殺し合っていた女のものとは思えなかった。
ーー突然、凍り付いたような静粛が、森全体を覆う。
俺達の背筋をなぞるように硬質な靴音が近づいてくるのがわかった
「いやはや…手懐けてしまわれるとは驚きました。実に想定外……そして実に興味深いですね」
次いで男の声が森の奥から響く。
木々の間から姿を現したのは、細身で背の高い、フードを深く被った白装束の男。そして、その背後には20人ほどの神官たち。彼らの顔は仮面のように無表情で、感情が読み取れない。
俺たちと異形を冷たく見据えていた。
「私は暦信教団殲聖隊を預かる、司教マクスウェル・ウェリントンと申します」
聞き慣れない名前と肩書き。何者かは分からない。ただ、この状況で彼らが「聖職者」だということだけはなんとなく伝わってくる。
ラグ姐はすっと前に出て、まるで俺を守るように立ち塞がった。
「教団の精鋭がこんな辺境まで来るとはな……。まさか、あの化け物が目的ってわけか?」
「ええ。その“化け物”の被害が報告されまして。主の導きに従い、民の暮らしを守るべく浄化に参りました」
“浄化”……言葉の聞こえはいいが、なんだか妙に不気味だ。俺は思わずその言葉の意味を問いただしたい気持ちがこみ上げた。
「その……“浄化”って、具体的には何です? コイツはどうなるんです?」
だが、すぐに怒声が飛んだ。
「黙ってろ、誠一郎ッ!! ガキが大人の話に口出すんじゃねぇ!」
……同い年じゃないかよ。なのに、まるで子供扱いされてしまう。
言いたいことは山ほどあったが、ラグ姐の険しい視線を見て飲み込んだ。
司教は静かに、しかし断固とした口調で言い放つ。
「浄化は浄化です。この“世界”からの浄化――気に病むことはありません。あなたたちの言う化け物は、世界を乱した呪いの残響にすぎません。形は違えど害意と歪みは同じ。我々はただ、それを排除するのみです」
なんだかよくわからない。結局、命を奪うことを“浄化”と呼んで正当化しているだけじゃないのか?
頭の中がぐちゃぐちゃだ。どうすればこの場を切り抜けられる? どうすれば守れる?
ラグ姐は俺の表情をちらりと見て、ため息混じりに口を開いた。
「浄化するのは構わねぇ。けど、一つだけ司教様に訊きたいことがある」
「ラグ姐ッ!」
俺は思わず声をかけるが、彼女は完全に無視してマクスウェルを見据えた。
「なんでしょう? 何でもお答えしますよ」
「……あの化け物は何なんだ? 箱庭から教団の精鋭が出てくるほどの代物だ。アタシは相当ヤバいって踏んでる。……ただの魔物か?」
マクスウェルの表情が一瞬だけ鋭くなり、空気が更に凍る。沈黙がしばらく続いた後、彼は先程の穏やかな表情に戻って答えた。
「ははは、勘ぐりすぎですよ。あれはただの”魔物”で、私たちは主に導かれここへ来ただけです」
「……そうか」
ラグ姐の唇がわずかに吊り上がった。
「そうか、ただの魔物なら安心だな」
「ええ。ですから引き渡しを――」
マクスウェルがそう言いかけた瞬間、ラグ姐は纏っていたマントをばっと剥ぎ取り、ざわめく周囲をよそに震える異形へそっと被せた。そして肩に担いだ剣を構え、彼の前に立ちはだかる。
「だったら――失せな、おっさん。ただの魔物ってんなら、アタシら冒険者の縄張りだ。獲物の横取りは教団だろうが騎士団だろうが許さねぇんだよ」
俺は、マクスウェルの頬が引きつるのを見逃さなかった。風向きが変わった――そう感じた。
「……それは、ギルドの公式規定に基づいての発言、という理解で?」
「おうよ」
ラグ姐はぐっと一歩踏み出し、その一歩で場の空気を完全に掌握した。
「ギルド登録ナンバー、S-078。ラグド・イエナ」
その名を告げると、白装束の護衛の一人が小さく息を呑む音を漏らす。
「……Sランク……冒険者だと……なぜこんな僻地に……」
「”えッ”……Sランクッ!?」
白装束から明かされた新情報に俺も同じく漏らしてしまったが……いや聞いてない聞いてない!!
ランクシステムもイマイチわかってないけど大体の物語じゃ一番上か二番目くらいのはず……今の俺が確かFランクだったから少なくともF.E.D……6つも昇給してるって事になるのか……やべぇよこの人 同い年なのもやべぇよ……超絶エリートじゃんかよ
姐さんマジすげぇよ……これからも姐さんって呼び続けよう
姐さんはまるでおしゃべりを楽しむ様な口調で続けた。
「手ぇ出すならきっちりギルド通して手続してから来な。あぁ……でも出したら出したで、ただの魔物にしちゃーー随分大げさだよなぁ?」
穏やかで皮肉たっぷりに笑う声は、マクスウェルの心を刺し抜いたのか取り繕っていた表情を完全に歪め
吐き捨てる様に言った
「えぇ……重々承知しておりますとも。こちらも余計な衝突は望みませんから。」
そして、彼らは一礼もなく俺たちの前から去っていく。その背が完全に見えなくなったとき——ラグ姐は、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。俺は慌てて駆け寄る。
「ラグ姐ッ!!」
ーーゴツンッ!!
「があ”あ”あ”あ”あ”ッ!! いってぇえええ! なんで殴るのさッ!」
「殴るだろ!!! お前のやること為すこと、流石のアタシでも処理が追いつかねぇんだよッ!!」
「えっ、俺なんもしてなくない?」
「“なんもしてねぇ”からだよ!! そのせいでアタシが死に物狂いで尻拭いする羽目になったんだ!! 護衛任務の放棄から始まり、お前のその姿、化け物との死闘からの――謎の和解!! あげくには教団までシャシャってきやがって! おかげでこっちはハッタリぶちかます以外、道がなかったんだよ!!」
「えぇ……ってことは、Sランク冒険者ってのも嘘……?」
「嘘だよッッ!!! 厳密に言えば“Aランク”の席に置かせてもらってんだよ!! Sになったらしがらみだらけでやってらんねぇからな!! なのに今回の件のせいで、もうSランクに上がるしかねぇんだよ……! ポルカもまだちっちぇぇってのに、どう責任取るんだよ馬鹿野郎ォォ!! ガキの成長は早ぇんだぞォォォォ!! うわああああああん!!!」
「ご、ごめんなさい姐さん……俺、できることは手伝うし……」
「そういう問題じゃねぇんだよぉぉ!! ……一番はそいつだッ!!……どうすんだよお前……ッ!」
そう言って、ラグ姐はしゃくりあげながら、震える手で指を差す。その先には、まだ小刻みに震えている――異形のソレがいた。
俺はそれを見て、思わず漏らした。
「……うわ、どうしよ」
「……困ってるみたいだね。マコト」
背後から、突然ひどく落ち着いた声が降ってきた。
涼しい声だった。けれど、どこか場違いなほど無邪気で。 振り向く前からわかっていた。この声の主は、きっと、俺よりもすべてを知ってる。
振り向くと、風も吹いてないのに、銀の髪がふわりと揺れた。 何の感情もないような瞳が、俺とラグ姐と、震える異形を静かに見つめている。
「うん。実にいい絵面だね。……続きが楽しみ」
そして少女は、ただそれだけ言って、口元だけでふっと笑った。
閲覧頂き、ありがとうございました。
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