第__話 観測未完了
気づけば、俺は魔王城の回廊に立っていた。
……いや、「気づけば」なんて回りくどい言い方はもうやめよう。
俺はまた夢を見せられている。
これはきっと、マリィの瞳が映し出している――記憶の欠片。
視界の端に映る、白く、まるでウサギの耳のようにも見える角を持つ少年。
その姿を認識した瞬間、胸の奥が微かにざわめく。
「モチャ……」
彼の顔に触れようと、無意識に手を伸ばした、その刹那。
世界は一気に色を取り戻し、止まっていた時間が再生を始める。
荒い息を吐きながら回廊を駆ける少年。
玉座の間の重厚な扉の前で身を半分だけ隠し、そっと中を覗き込む。
――そして、俺もまた、後ろから同じ視線でその光景を覗き込んだ。
玉座に座していたのは、魔王―― 俺の知るMAOのような少女の姿じゃない。
そこにいたのは、圧倒的な貫禄を纏った成人の魔王。
その威圧感はMAOに感じたものと同じですぐに彼女の本体だとわかる。
そして、玉座の前には、ぬらり村で「火那」と呼ばれていた鬼と隣には、少し成長したマコトの姿があった。
二人が静かに、しかし揺るぎなく跪いており、低く、よく通る声が玉座から響く。
「魔王軍幹部として、貴様に名を授ける。
これより、貴様は――ゲルヘナと名乗るがよい」
一瞬の静寂の後、鬼は深く頭を垂れる。
「……ありがたき幸せにございます」
その言葉が、石壁に静かに反響し、 記憶の奥へと溶けて、ゆっくりと滲むように遠ざかっていった。
玉座の威圧も、鬼の低い声も、すべてが薄れていき――
場面は切り替わる
魔王城の庭園。
池が陽光を反射し、どこか拍子抜けするほど穏やかな空気が流れていた。
先ほど回廊を走っていた、白い角を持つ少年が足を止める。
するとその視線の先には、少し緊張した面持ちで本を読むマコト。
少年は腕を組み、値踏みするようにマコトを見下ろす。
「なあ、お前 人間だろ?」
唐突な声に、マコトがびくりと肩を震わせた。
「……は、はい マコトって言います。」
「歳はいくつなんだ?」
少し間を置いて、マコトは正直に答える。
「じゅ、十一歳です」
その瞬間、少年の口元がわずかに吊り上がった。
「ふーん」
次の瞬間、胸を張るように一歩前に出た。
「俺はダンシュペン。十二歳」
言い切る声音には、年齢以上の自信が滲んでいる。
「しかも――魔王の息子だ」
マコトが目を見開いて、ダンシュペンは当然のように続ける。
「だから、この国じゃ二番目に偉い。
一番は母上。二番が俺」
まるでそれが世界の常識であるかのような口ぶりだった。
「……す、すごいですね」
そう返したマコトに、ダンシュペンは満足そうに頷く。
「だろ?」
そして、ふっと声の調子を落とし、少しだけ視線を逸らす。
「ま、偉いって言っても、 戦えるわけでも、命令できるわけでもないけどな」
一瞬だけ、年相応の少年の顔が覗いたが、すぐに、彼は咳払いをして威勢を取り戻した。
「けど覚えとけよ。
お前は俺より一つ下。つまり――」
ダンシュペンはマコトを指差し、にやりと笑った。
「お前の兄貴分だ もし、困った事があったら俺に言え! そこに種族は関係ないからな」
その笑顔に、なぜか胸の奥がちくりと疼く。
(兄貴……)
記憶は、そこでまた静かに揺らぎ始め、光景は水面のように歪み、城の中庭も、少年たちの声も遠ざかっていく。
次に現れたのは――
魔王城の造りとは、明らかに系統の異なる場所。
古い神殿とその内部。
天井は高く、だが崩れかけ、壁には象形文字の様なものが刻まれていた。
多分祈りの場かなんかだろうが、やけに暗く、静かで彼らの足音だけが不自然に響いている。
(なんかここ……イエナが、俺を見つけてくれた遺跡に……似ているような)
薄暗がりの中を、二人の少年が並び、俺もそのすぐ後ろを彼らとともに歩く。
ダンシュペンとマコト。
二人の足取りは慎重で、時折、瓦礫を踏む乾いた音が神殿に反響していた。
「気をつけろよ」
ダンシュペンが先を行きながら、振り返らずに言う。
「ここ、母上が立ち入り禁止にしてる場所でさ。 何でも大昔、瘴気ってのが溢れ出して沢山の魔族が亡くなった場所なんだってさ」
「……瘴気?」
マコトの問いに、少年は肩をすくめる。
「爺やは人の命を吸い上げるマナとかって言ってたかな 魔王国が今、戦争中なのもそれが原因らしいぜ」
そう言いながらも、ダンシュペンの視線は落ち着かず、壁の紋様や、砕けた祭壇の欠片を注意深く追っている。
「そんな物騒な所に思えないけど……」
マコトが足を止め、床に刻まれた円陣を見下ろした。
「なんというか懐かしい感じがする。」
その言葉に、ダンシュペンが初めて立ち止まる。
「懐かしい?」
「あ、いや……よくわからないんだけどさ」
マコトは自分の胸に手を当てて何かを思い出す素振りを見せる。
「来たこと、ないはずなのに。
でも……知ってる気がする」
ダンシュペンは小さく舌打ちし、マコトの前に立つ
「……肝試しだからって怖いこと言うなよ。
こういう場所で、そういう冗談は――」
言いかけて、彼は言葉を切り思わず俺も声が漏れた。
「なんだ……あれ」
奥の祭壇。
崩れた石柱の向こうで、淡く、脈動するような光が瞬いていたからだ。
二人の視線もそこへ吸い寄せられる。
「……なあ」
ダンシュペンは不安そうな表情で呼びかけ
「やっぱり、戻ろうぜ 母上もお前の母さんも心配するだろうし」
しかし、マコトは首を横に振った。
「兄貴。もう少しだけ待って。」
その瞳は、不思議なほど真っ直ぐで。
「誰かが呼んでるんだ。」
(呼んでいる?)
二人は、互いに視線を交わすこともなく、祭壇の奥へと歩みを進め、俺もまた、彼らの背後に張り付くように、同じ距離を保って進む。
通路を抜けた先は、広間。
思わず、息が止まった。
円形に開けた空間の中央。
宙に浮かぶように存在しているのは、青白く発光する球体。
人一人を抱え込めそうな大きさ。
表面は霧がかったように曖昧で、完全な実体を持たない。
それでも、確かにそこに“在る”と分かる存在感がある。
(……あれは)
言葉にしなくても理解できた。
恐らくダンの言ってた過去瘴気が溢れ出した“源”。
そして、その周囲――
まるで球体から吐き出されたかのように、無数のガラクタが散乱していた。
歪んだ鉄の塊。
割れた透明な板。
異様に精巧な歯車や、意味不明な配線。
中には、完全に形を保ったまま横倒しになっているものまである。
四つの黒い輪を持つ、箱型の乗り物。
潰れた屋根。
割れた窓。
(……自動車だ)
マコトは、広間の中央へ引き寄せられるように歩き、共に散乱する機械の一つ一つに視線を走らせていく。
発電機。
多分、医療用の装置。
通信機器の成れの果て。
この世界には存在しないはずの“文明”が、ここでは壊れた玩具のように放置されており、魔王国が異様に発展を遂げた理由付けには十分すぎる光景だった。
「……なあ」
ダンシュペンの声が、やけに小さく響いた。
「これ……全部、あの球から出てきたのかな」
答えはない。
マコトは、すでに球体のすぐ前に立っている。
青白い光が、彼の顔を照らす。
怖れている様子はない。
むしろ不気味なほど落ち着ききっていて……少し様子がおかしい。
胸の奥が、嫌な感触で締め付けられる。
マコトは、ゆっくりと右手を伸ばした。
「待て!」
ダンシュペンは叫ぶ。
だが、その声が届くより早く――
ガッ
球体の表面が波打ち、そこから――白い手が伸びた。
人のものだ。
細く、血の気のない指。
骨ばった掌。
それが、マコトの手首を掴んだ。
「っ……!」
ダンシュペンが即座に駆け寄り、マコトの腕を引く。
「離せ! 何だよこれ!!」
必死に引き剥がそうとするが、白い手は微動だにしない。
――なのに。
「大丈夫だよ」
マコトの声は、驚くほど穏やかだった。
「兄貴、落ち着いて」
「はぁ!?」
ダンシュペンが振り向く。
「落ち着いてる場合か! 引っ張られて――」
「違う」
マコトは、球体を見つめたまま、静かに言った。
「引っ張られてなんかない」
白い手に掴まれた腕を、自分から少し預けるように、力を抜く。
「……迎えに来たよ」
その瞬間。
球体の光が、ゆっくりと濃度を変えた。
白が、さらに白へと沈み込む。
掴んでいた手の“向こう側”が、徐々に形を成していく。
腕。
肩。
輪郭。
やがて、球体の中から――
一人の女が、まるで水面から浮かび上がるように現れた。
真っ白な髪。
腰まで流れ落ちる、光を反射しない白。
そして――
赤い瞳。
感情の色を映さない、深く澄んだ赤。
彼女は、マコトの手首を掴んだまま、こちらーーいや、俺の方を一度だけ、確かに見た。
(……っ)
息が止まる。
――知っている。
理由なんてない。
名前も、立場も、まだ分からない。
それでも、確信だけが胸に落ちた。
(……マリィ)
女は、静かに口を開く。
「観測対象:異世界由来個体 個体名:山本誠」
「当該個体が、この世界において
異物となるかどうか――
判断が未完了です」
赤い瞳が、微動だにしない。
「よって、近接監視に移行します」
(……異世界由来だって?)
その言葉が、思考として形を持つよりも早く視界が、落ちた。
闇、ではない。
塗り潰されたような黒。
音も、温度も、距離感も失われ、世界そのものが一度、停止した感覚。
次に映し出されたのは――
無機質な白。
石でも金属でもない床。
規則正しく並ぶ器具。
理解できない魔法陣と、異様に精巧な機械。
「なんだよ……これッ……」
そこにいたのは、拘束具に固定されたマリア。
彼女は目を開けていた。
だが、焦点が合っていない。
周囲には、魔族と思しき者たち。
角や鱗、異形の肢を持ちながら、皆、学者のような冷静さで動いていた。
「出力、安定」
「反応値、基準内」
「苦痛反応、なし」
淡々とした声が飛び交う。
「や、やめろよ……何するつもりだ!!」
必死に声を張り上げたが止まらない。止まる訳がない。
ずっとそうだった。ここじゃ俺はずっと見ている事しか出来ない。
既に起こってしまった出来事の再生なんだと……あぁ……わかってる……わかってるけど
「やめろお”お”お”お”お”ぉ”ぉ”ッ”!!!!」
器具が動く。
針が沈む。
光が走る。
肉体が、確かに“傷つけられている”はずなのに、マリアは声を上げない。
顔色も、表情も、変わらない。
叫ばない。
泣かない。
抵抗もしない。
まるで――
実験体が、痛覚の段階をすでに通過しているかのように。
(……あぁ……)
胸の奥が、ざらりと軋む。
その光景を、俺はただ「見せられている」。
選択権も、視線を逸らす自由もない。
「次段階、移行可能」
その言葉と同時に、マリアの赤い瞳が、ほんの一瞬だけ――
こちらを向いた気がしたが、やはりそこに感情はなかった。
ただ、“観測される側”の目。
――まだ、続く。
そう直感した瞬間。
「――えっち」
間の抜けた、緊張感のない声。
次の瞬間、小さく、冷たい手のひらが、俺の目を覆い視界を奪った。
「見え過ぎちゃうって忠告したのに。」
耳元には気の抜けるほど、いつもの声。
「……マリィ」
覆われたまま、喉が引きつる。
勿論、マリィが現れた事に対してじゃない
「今の……何なんだよ」
少しだけ間が空き、指先がほんのわずかに動いた。
「私が、この世界に来てすぐ――マコトと引き離されて実際に、された事」
あまりにも淡々とした声音。
「……なんで」
絞り出すように問う。
「なんで、そんなこと……」
「必要だったのよ 魔王国にとってはね」
俺の目を覆う手は、まだ離れない。
「狭間における機構が人の形をして狭間から飛び出してきた。
どこの世界においても、完全な異物。堕天使と呼べばわかりやすいかしら」
言葉を選ぶ様子もなく、事実だけを並べる。
「戦争中だった彼らは、そんな私を理解する必要があった」
「壊れるか」
「制御できるか」
「利用できるか」
「その判断のために――
ああいう手段が、選ばれただけよ」
胸の奥が、冷たく沈む。
「……痛く、なかったの?」
しばらく、沈黙。
やがて、マリィは少しだけ首を傾けた気配を見せた。
「大丈夫。この頃はまだ今ほど感情”豊か”じゃなかったから」
「……」
「笑う所よ?」
「全然笑えないよ」
しばらくの沈黙の後、言葉を探しながら息を整える。
「マコトが――異世界由来、って……」
俺自身がそうだ。
正確には、そうだと思っている。
異世界から来た“俺”が、この世界の限りなく俺に似た別人のマコトという人間の身体に入り込んだ。
だからこそ、その単語が引っかかる。
「それって、どういう……」
最後まで言い切る前に、目を覆っていた手が、ふっと離れて視界が戻る。
そこにいたマリィは、いつもと同じ無表情――
だけど、ほんの少しだけ、楽しそうに口角を上げていた。
「続きは、また今度」
「……は?」
「もう朝が近い」
あまりにも軽い言い方。
「夢の深掘りは、睡眠時間を食い潰すのよ。身体に悪いわ」
「待ってまたそうやってはぐらかす。今の話、そんな雑に切っていい内容じゃ――」
「だーめ」
ぴしっと、俺の顔の前に人差し指が立つ。
「これ以上聞くと、きっと今日は起きられなくなる」
「……」
「それに」
マリィは、ほんの一瞬だけ視線を逸らし、すぐにこちらを見た。
「“今の誠一郎”が知るには、少し早い」
その言い方が、やけに優しくて、同時に、壁のように遠かった。
「ほら」
指先が、俺の額に軽く触れる。
「起きなさい。今日もきっと面倒事が待ってるわよ」
世界が、ゆっくりと薄れていく。
白も、黒も、あの無機質な部屋も、マリアの赤い瞳も――
全部が、遠のいて。
最後に残ったのは、
少しだけ、悪戯っぽい声。
「秘密を覗いた罰の――」
「続きは、また夢で」




