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第__話 過去は走り去る

気がつくと、俺はぬらり村の入り口に立っていた。


正確にはぬらり村へと続く、古いトンネルの手前。


そこに、大きな鬼の女性と、一人の少年が並んで立っている。


知らないはずなのに、知っている。見覚えがないのに、確信できる。


英雄が“母さん”と呼んでいた鬼――ゲルヘナ。

そして、隣にいるのは……もう一人の、俺。


今まで見てきた夢とは、明らかに違い、英雄として、彼の目で世界を見る追体験じゃない。


俺は俺のまま、少し離れた場所から、彼――マコトの過去に触れている。


ふと、胸の奥に棘のような言葉が蘇った。


『お前なんかマコトにいちゃんじゃない』


与助の怯えきった顔が、一瞬脳裏を過る。


「……そうだよ」


誰にも聞こえない声で呟く。


「俺は、もうマコトじゃない」


そう自分に言い聞かせるように、二人へと歩み寄る。


その時、止まっていた時間が、軋むような音を立てて動き出す。


空気が流れ、足元の砂利が鳴り、世界が“現在”を取り戻していく。


「このトンネル抜けたら、ぬらり村やからなぁ」

鬼の女性が、穏やかな声で言う。

「あと少しやで」


少年は、少し緊張したように頷いた。


「う、うん」


覚悟と不安が滲むそのやり取りを、黙って見つめていると光景が、ふっと滲み音が遠のき、輪郭が崩れる。


(ここまでみたいだ)


まるで古い映像テープを早送りしたみたいに、世界が一瞬、白く跳ねて……次に目に入ったのは、全く違う場所。


ここも知ってる。


団十郎さん宅の玄関前だ。


ゲルヘナが団十郎に深々と頭を下げ、団十郎は頭の皿を掻きながら少年の肩に手を置いていた。


近づくと場面はまた動き始める。


「団十郎さん」


ゲルヘナは深く頭を下げた。


「この子のこと……どうか、よろしくお願いします。

それと……ほんの気持ちですが……」


差し出された茶封筒を、団十郎は一目見ただけで押し返す。


「火那さん……それは受け取れねぇ」


「でも……この子、何かと世話になりますし……」


「違うだろ」


団十郎はしゃがみ込み、少年の肩に手を置いた。


「それは、まこっちゃんのために、あんたが貯めてきたもんだ。

だったらなおさら、この子のために使ってやんな」


「……っ」


言葉に詰まる火那に、団十郎はゆっくり首を振る。


「いいから」


そして、少しだけ不器用に笑った。その笑顔は今も変わってない


「その代わりだ。なるべく早く迎えに来てやってくれ」


「……はい」


「この子が、あんたと安心して暮らせる場所を作ってやんな。それが、一番の礼だべ」


その言葉を最後に、場面は静止する。


ゲルヘナと団十郎、少年の姿が、色を失った絵のように固まり次の瞬間、映像が切り替わる。


ぱちり、と乾いた音。


今度は、少し低い視点。


古い家の一室。畳の上に広げられた紙束と、墨の匂い。


俺は、部屋の隅に立っている。

いや――立って“いるように見ている”だけだ。


そこに、少年がいた。


正座して、目の前の紙を食い入るように見つめて紙の上には、見慣れない線。

骨、臓腑、血の流れを示す図。


そして、その向かい。


尻尾を揺らめかせながら座るツユハ。


静かな声で、淡々と話している。


「……ここが心臓 止まれば、人は死ぬ」


指先が、図の一点をなぞる。


「これは“呪い”じゃない 身体の仕組みなんよ。 壊れれば、症状が出る」


少年は頷くだけで、何も言わない。

質問も、感想もない。


ただ、必死に覚えようとしており、ツユハは彼の顔を見つめながら紙を一枚めくる。


「これが南蛮の書……蘭学の写し 信仰や因縁とは切り離して、身体だけを見る学問や」


そう言いながら、今度は小さな包みを開くと中から、乾いた草と根。


「向こうじゃ見た事ないやろ? これが天然の薬や。植物の効用もここにはまとめてある」


少年マコトはそれを両手で受け取って膝の上に置き、書物と見比べる


表情は硬く楽しそうでも、誇らしげでもない。


――必死だ。


何が何でも覚えなければならない、という顔。


そんな顔を見てかツユハが、ふと手を止めた。


「……まだ子供やし、そない無理に覚えなくてええ ここは魔王国やさかいな この国で生きてくには必要のない知識やわ」


そう言ってから、少しだけ言い直す。


「けど、あんさんが戦争で傷ついた人間達を救う事を望むってんなら話は別や」


少年は、小さく、しかし確かに頷き頭を下げて言う


「ツユちゃん先生。 俺に医学を教えてください 母さんが傷つけた人達を救える医者に」


それを見て、俺は理解した。


きっと、ここだ。


英雄と呼ばれるまでに至った男の原点。

――英雄と呼ばれるずっと以前に、彼はもう、人を救う覚悟を選んでいた。


感情は流れ込んでこない。

懐かしさも、痛みもない。


ただ、事実としてこの光景が、俺の前で再生されていただけだ。


やがて映像はノイズを帯び、輪郭が崩れ、

世界が白く跳ねた、その瞬間――


気づけば、俺は車内にいた。


エンジンの振動。

窓の外を流れる景色。


隣の運転席では、ツユハがハンドルを握っている。


「……起きたんか?」


前を見たまま、何でもない調子で。


「あんさん、目ぇ開けたまま寝てたで」


「すみません……」


喉が少し乾く。


「ツユちゃん……先生」


漏れ出た一瞬、ツユハの肩が、ぴくりと跳ね、反射的にこちらを見る。


目が、わずかに見開かれていた。


その拍子に、ハンドルが僅かにぶれて車体が、ふらりと右へ寄る。


白線が、近い。


「ツユハさん!! ハンドル!」


俺の声に、彼女ははっとして前を向き、慌ててハンドルを切り戻した。


傾く車内、車はぎりぎりで、自分の車線に戻る。


数秒の沈黙。


エンジン音だけが、やけに大きい。


「……ごめん」


ツユハは短くそう言って、深く息を吐いた。


「ちょっと、考え事してたわ」


それだけ言って、何事もなかったように運転を続ける。


だが――

さっきまでと、空気が違う。


視線は前を向いたまま。

けれど、ハンドルを握る指に、僅かに力が入っておりその姿に口をついて出る


「……ツユハさんも日本出身なんですね」


しばらくの沈黙の後一言


「…せや」


短い肯定のあと、ツユハはそれ以上何も言わなかったが否定もしない。


しばらく、エンジン音と窓から風の音だけが車内を満たす。


「誠一郎」


不意に、名前を呼ばれ、それだけで背筋が少し伸びる。


「医者になりたい思うた事、ある?」


あまりに唐突で、言葉に詰まる。

けれど、答えは迷わない。


「……ないです」


即答だ。


「俺は……誰かの代わりには、なれないから」


英雄の代わりにも。

あの少年の代わりにも。


ツユハは、前を向いたまま黙っていた。

信号が赤に変わり、車が静かに止まる。


「せやな」


やがて、ぽつりと。


「医者いうんはな、“選び続ける”仕事や」


ハンドルを握る手が、わずかに緩む。


「救う命も救えへん命も全部、自分で引き受けなあかん」


信号が青に変わり、車が再び動き出す。


「……あの子はな」


一瞬、声が低くなる。


「それを、全部背負おうとした。せやから――英雄になってしもた」


俺は、窓の外へ視線を逃がす。


流れる景色が、やけに遠い。


「俺は、英雄にはなりませんよ」


英雄の最後を知ってるから。

そして残された者の気持ちがよくわかったから


ツユハは、少しだけ間を置いてから、ふっと息を吐く


「それでええ」


声は、驚くほど穏やかで続ける


「それがな……あの子には、出来んかった選択や」


ハンドルを握る指が、もう震えていない。


「誠一郎。 誰かを救わん人生も、間違いやない」


そう言って、彼女は前を向いたまま、ほんの少しだけ笑う。


「むしろ――それを選べるんは、あんさんだけや」


何も言えず、ただ胸の奥で、何かがほどける音が聞こえる。



英雄の影でも、代替品でもない。

ただの誠一郎として、生きていいのだと改めてそう言われた様な気がした。


車は、静かに走り続ける。

もう二度と戻れない過去を、背後に置いたまま。

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