第五十八話 空を駆け、蒼に溶ける
飛行艇の内部は、旅客機というよりも――どこか軍用機のようだった。
鉄板で囲まれた無骨な壁。結晶の付いた大型の推進機関。無数のボタンとレバーが並ぶ操縦席。
油と鉄の匂いが混ざり合うその空間は、初めて見るはずなのに――胸の奥がざらりと波立つ。
現代的な造形……俺にとっては馴染み深くはあるのに受け入れられない錯覚に足が止まった。
(魔王国製というのはどうやら本当みたいだな)
「うぁやぅ まぅ」
腕の中で、マリィが小さく鳴く。
その声音は、まるで俺の心の揺れを見透かしているかのようで、細い指が俺の服をぎゅっと握りしめる。
「……心配してくれてるんだね。大丈夫、俺は平気だよ」
そう言うと、マリィはこくりと頷くように瞬きを返す。
その仕草にわずかに息がほどけたところで、後ろから肩を叩かれた。
「デッカい見た目に反して中は小せぇなぁ」
振り向けば、イエナが物珍しそうに中を覗き込んでいる。
「俺に言ってる? それ」
「ふはっ。冗談返せる元気あったのかよ。神妙なツラしてたぞ、お前」
「イエナこそ大丈夫? 飛行機……いや、こういうの初めてでしょ?」
「アタシを誰だと思ってんだ。Sランク冒険者――ラグド・イエナ様だぞ? こんな鉄の鳥如きに怯んだりしねぇよ」
「なるほど、流石イエナ様だ」
軽口を返した瞬間、外から甲高い金属音が響き次いで、ハッチの方から煙を上げながらモチャが現れる。
髪も顔も煤だらけ、まるで溶鉱炉から這い出してきたみたいな有様だ。
「――メンテナンス終了いたしましたっ! 早速、出立とまいりましょうぞ!」
いつもの調子で胸を張るモチャにネリュスが眉をひそめながら乗り込んでくる
赤色の髪をかき上げながら、冷ややかな声を落として。
「一応言われた通り水路の先の格納庫扉も開けてきたけど……これ本当に動くの?」
「むろんでござる。機関部はワタクシが手ずから調整いたしましたゆえ!」
モチャは背中の工具箱をどさりと下ろし、誇らしげに胸を叩く。
その音が金属の壁に反響し、やけに頼もしく響いたが正直俺もネリュスの意見に同意で心配になる。
「何より9年ほったらかしだった訳だし、技術革新初期なんて骨董品もいい所だよ」
「骨董品とは失礼な!!っと返したくはありますが恐らく――高度が安定するまでは多少の魔力供給が必要でして……」
「魔力?」
ネリュスが首を傾げる。
「左様。魔導結晶が眠っておりまして、目覚めの一杯をお見舞いせねばなりませぬ。
ネリュス殿、ここを――」
モチャは操縦席の脇にある円形の装置を指差し、それは透き通ったガラスの奥で、薄く紫の光が脈打っている。まるで、心臓の鼓動を待っているかのように。
「魔力を流し込み続けてくだされ。優しく、しかし確実に、でござる」
「はぁ……わかったよ 二人とも座ってて」
ネリュスは小さく息を吐き、右手を装置にかざす。
掌から淡い光が滲み、やがて装置の内部に吸い込まれていった。
それと同時に――飛行艇全体が低く唸りを上げる。
床下から伝わる振動。壁を這うように走る魔力の光脈。
油と金属の匂いの中に、わずかに焦げた香りが混じった。
「……すごい」
俺の呟きに、モチャが満面の笑みを浮かべる。
「ふふっ、見事でござる、ネリュス殿! さあ、これより天を駆けましょうぞ!」
その声に呼応するように、推進器が光を放ち始める。
古びたはずの船体が、まるで眠りから目を覚ますように――軋みながら息を吹き返した。
モチャが操縦席に飛び乗り、両手でレバーを掴む。
油で汚れた指先が慣れた手つきで計器を撫で、次々とボタンを押していく。
「まずは主機関、点火……推進制御、解放。各員、着席願いますぞ!」
「い、いきなり飛ばしたりしないでよね!? 心の準備ってもんがあるんだから!」
ネリュスが眉を吊り上げるのをよそに、モチャは嬉々としてレバーを引いた。
船体の奥で重たい駆動音が響き、魔導結晶の脈動が徐々に高まっていく。
「……動き出した?」
鉄板が軋む音とともに、船体がゆっくりと前進を始め、窓を覗くと外では静寂だった地下水路が波打ち、周囲の水面が渦を描く。まるで、眠っていた巨獣がゆっくりと目を覚ますように。
「よーしよーし、水上航行は順調順調……いざ、」
モチャがご機嫌に呟く度、船体がわずかに震える。
自ずとマリィを抱く手に力が入り、隣に座るイエナの腕の筋肉も血管が浮き出ていた。
飛行艇は次第に速度を上げ、薄暗い水路から一気に太陽煌めく大海へと飛び出す。
「本当に大丈夫!? めちゃくちゃ揺れてるけど――」
「ええ、もちろん。むしろここからが本番でござる!」
モチャが操縦桿を大きく引いた次の瞬間、視界がぐらりと傾きながら足元がふわりと浮いたが――すぐにドォン、と鈍い衝撃が腹の底まで響き、イエナが絶叫する。
「――あばばばば!! 超絶揺れてる!! 本当に一瞬浮きやがった!!!」
「――あぶぅぅあぅ」
俺に抱き着くイエナの胸に押しつぶされながらマリィは変な声を漏らす。
「イエナ!! そんなに引っ付いたらマリィが潰れるよ!! ネリュスに抱きついて!!」
「姫、今は絶対やめてよ!? 集中途切れたらバラバラになるから!!」
「バラバラァッ!?」
「脅さないであげて!!! 振動が強まる”る”る”る”――って、ヤバい!! 今の音何!?」
床下から唸りを上げる魔動炉の音とは別に異様な金属音が、鼓膜を震わせる。
揺れはさらに強まり、それでも座席の手すりにしがみつくしかない。
「な、なんか今すごい嫌な音しなかった!? 今の“ガコンッ”ってやつ絶対折れてたよね!?」
ネリュスの声が裏返ると共に操縦席のランプが一斉に赤く点滅し、金属の悲鳴が響き渡った。
「だ、大丈夫でござるっ! 多少のきしみは愛嬌にござる! ちょっと重心がずれてるだけで――」
「“ちょっと”で済むレベルじゃねぇぇ!!」
イエナが絶叫し、床にめり込む勢いで踏ん張る。
その瞬間、飛行艇がぐらりと横滑りし、窓の外、波打つ海面が急速に遠ざかり、視界いっぱいに蒼空が広がる。重力が消えたような浮遊感に、胃が一瞬遅れてついてくる。
「おおおぉぉぉぉッ!? 飛んでる浮いてるってコレええええ!!!」
「イエナ、暴れないでぇえええええ!!」
マリィはというと――俺の腕の中で、きょとんとしたまま。
耳元で風鳴りがうなり、船体が震えるたびにその細い指が俺の服を掴んだ。
まるで「落ちないで」とでも言うように。
(大丈夫だよ 落とすわけない)
そんな決意にも似た思いが胸を過ぎった時、モチャが操縦桿を両手でがっしり握り、ぐっと前に押し出した。
「――安定制御、作動ッ!!」
次の瞬間、飛行艇の震動がすっと引く。
軋みが止まり、低い唸りだけが一定のリズムで響いている。
浮遊感がゆるやかに変わり、視界が水平を取り戻していった。
「……止まった?」
「いや、落ちてない……ってことは……」
ネリュスが安堵の息を吐く。
「ふぅ~……いやぁ、さすが我が愛機。まだまだ現役でござるな!」
胸を張るモチャの言葉に、イエナが床にへたり込む。
「二度と乗らねぇ……! 心臓が逆立ちしたぞ……!」
「でもちょっと綺麗かも」
ネリュスが小さく呟いた。その声に釣られて、皆が窓の外を見やる。
空はどこまでも青く、陽光が雲の海に反射して、ただ眩しく――ただ静かだった。
さっきまでの轟音も、揺れも、まるで嘘みたいに遠のいていく。
風が穏やかに流れ、心の奥が不思議と落ち着いていた。
その時だった。
雲の切れ間、眼下の海の上に――“それ”が見えた。
「あれは……塔?」
海に沈みかけた小島。
その中心に、折れ曲がった巨大な塔の残骸が突き出していた。
上部は吹き飛び、焦げ跡のような黒い痕が縦に走る。
周囲の海面は虹色に濁り、まるで焼け落ちた神殿の息づかいがまだ残っているかのようだった。
時間が止まったまま、罪だけが風化を拒んでいる――そんな“跡”。
イエナが腕を組み、静かに呟いた。
「あれは《天啓の塔》って呼ばれてる。……お前の眠ってたクロノア遺跡と同じ時代の代物らしい。
戦争の時にやられちまって、今じゃあの有様だが――昔は、それはそれは立派な巨塔だったんだ」
彼女の声を聞いた途端、操縦席のモチャとネリュスがわずかに肩を揺らした。
目を合わせるでも、言葉を交わすでもない。
ただ、同じ過去を思い出したように、静かに視線を前へ戻す。
その無言の反応だけで――十分だった。
|……そうか。
英雄の記憶にあった“巨塔”って、きっと――あれなんだと、俺はそう静かに悟った。




