第五話 灰眼は影を映す
冒険者ギルドの建物は、思っていたよりデカかった。
灰色の石造りに重厚な木枠の扉。ファンタジー系でよく見る、いわゆる「ギルドハウス」そのまんまって感じだ。
入り口の真上には古びた木製の看板が掲げられていて、年季は入っているけど、手入れされてるのが一目で分かる。ヒビを補修した跡や、毎朝誰かが磨いてるような丁寧さすら感じるくらい。
入口脇の掲示板には、紙がびっしりと張られており、手書きでびっしり綴られた依頼の数々。魔物退治、荷物の護衛、猫探し、行方不明者の捜索……。
正直テンションが上がる。異世界ものに出てくる“憧れの世界”ってやつだ。
「意外と何でも屋なんですね、ギルドって」
「人手不足なんだよ、どこもかしこもな。貴族様は屋敷に籠もってるし、街の衛兵は手が回らねえ。だから冒険者ってのは便利屋で、武装したご近所さんみたいなもんだ」
ラグ姐はそう言いながら、重そうな扉を片手で軽々と引き開けた。
キィ、と乾いた音を立てて開いたその扉の奥から、ざわめきと酒の匂いが流れてくる。
「すげぇ……」
かつて思い描いていた光景が広がり思わず声が漏れる。
正面に広がるのは広間兼酒場。木製の長テーブルとベンチが無造作に並べられ、あちこちで冒険者たちが酒を飲み、カードを弾き、談笑している。 エルフにドワーフ、獣人と、種族も姿も様々。 筋骨隆々の戦士、ローブを羽織った魔術師らしき男、鎧の手入れをしている女戦士……どこを見ても“異世界の住人”ばかりだ。
右手奥には頑丈な木のカウンターがあり、制服姿の女性たちが忙しそうに書類をさばいている。左手の壁にはまた別の掲示板があり、先ほど外で見た依頼書よりもさらに詳細なものが張られていた。
天井は高く吹き抜けになっていて、天窓から光が差し込んでいる。空気は活気に満ちているが、不思議と閉塞感はない。 木と石の香り、漂う獣の気配、そして酒と汗の混じる匂い。その全てが、この世界の“生”を感じさせた。
「よー、アンナ。新人連れてきたぜ」
ラグ姐が軽く手を上げ、受付奥にいる小柄な女性に声をかける。 彼女は、山吹色の制服に身を包んだ事務員らしき女性で、茶色の髪をひとつに結い、書類を捌く手つきは実に慣れたものだ。
ただ、その……目だけが異様に鋭い。誰かが喧嘩でも始めたら、あの眉ひとつで全員黙らせそうな気迫があった。
「来ましたね、イエナ……ギルドマスターから聞いてます。……その、新人が彼、ですね?」
「そうだ。今日は魔力照合と本人確認って話だったはずだ。こいつの身分証とか諸々、出来てるんだろ?」
「出来てます。ただ……お渡しする前に、ギルドマスターが一目お会いしたいそうです」
「げっ、いんのかよタヌキ親父……今日は市場の日だし、いねぇと思ったんだけどなぁ……」
「口を慎みなさいラグド。マスターは既に二階でお待ちです。はよいけや」
「仮面剥がれかけてんぞ……ったく、やれやれ。行くぞ誠一郎。ギルドマスター閣下にご挨拶だ」
「う、うむ」
ギルドマスター……どんな人だろう……異世界系あるあるでいえばスキンヘッドだったり、筋骨隆々だったり、顔に大きな傷が入ってたり気前のいい感じのおっちゃんだったりって感じか。
イメージは出来た。ある程度の人物が来ても柔軟に対応できるだろう
俺の中のギルドマスター像を固めて内心ワクワクしつつ、ラグ姐に促され、俺は受付カウンター奥へと案内される。
奥まった一角にある螺旋階段を軋ませながら上っていると、足音が木の床に吸い込まれ、まるで音さえ静まり返っていくような感覚になる。
二階に上がると、空気が一変した。
賑やかな広間とは違い、しんと静まり返っている。通路の奥に、分厚い黒木の扉が一枚。
まるでそこだけ別世界のように、静かで、重い。
「そういえばお前、ギルドに着いてから、なんか楽しそうだよな」
「そらそうですよ! 俺にとっては聖地巡礼みたいなもんだから」
「んー……そんな神聖なもんかねぇ。よくわかんねぇけど、ここからは気ぃ引き締めろよ。閣下は怖いぞぉ」
「本気?」
ラグ姐が軽くノックするとこつ、こつ、と硬い木を叩く音が、やけに大きく響いた。
「ラグドだ。例の新人、連れてきた」
しばらくの沈黙のあと、低く重たい声が返ってくる。
「……入れ」
ただの二文字なのに、音の圧がすごい。
心臓をじわりと指で押されたみたいな感覚。さっきまでの浮ついたイメージが、簡単に吹き飛んでしまった。
ラグ姐が扉を押し開ける。
中は分厚い石壁に、鉄製の棚。蝋燭の火が静かに揺れている。光源は最小限で、空間全体に淡い陰がかかっており、部屋の中心に据えられた重厚な木机。その奥、背もたれの高い椅子に、大男が静かに腰掛けていた。
銀髪に無精髭、浅黒い肌。目は鋭く、まるで天秤のように、ただ静かに“こちらを測っている”。
体格は大柄で、ただ座っているだけなのに空気が引き締まり、背筋は剣のように真っすぐで、まるで“動かぬ彫像”だ。
「こいつが、例の……そっちにも記録が残ってる“マコト”に、顔が似てる奴」
ラグ姐がそう紹介すると、大男ーーギルドマスターは、ゆっくりとこちらに視線を移す。
その灰色の眼が、まるで音もなく、俺の心の奥を覗いてくる。
「……名は?」
喉がひくついた。一瞬、“本当の名”が口を突きそうになったが、俺は押しとどめた。
「……誠一郎、です」
「姓は?」
「……ありません」
一瞬、空気がぴたりと止まり、視線がわずかに鋭くなったのが分かる。
嘘やごまかしに対して敏感な眼だ。でも、疑われた感じはしなかった。むしろ、最初から“知っていた”かのような目。
「……そうか。私はヴァイス・ベルセルク。このアングラント冒険者ギルドのマスターだ」
「初めまして……ヴァイスさん」
ヴァイスは机の引き出しから書類を取り出し、立ち上がる。体が揺れるたび、床がきしんだように感じた。
「過去に“英雄”と呼ばれた男がいた。名をヤマモト マコト。お前とは……似ても似つかぬ。奴はもっと救いようのない目をしていた。だから、よく覚えている」
「英雄……彼のこと、ご存知なんですね」
この肉体の持ち主は少なからずただの村人Aではないだろうとは思っていた……が、英雄とまで呼ばれていたとは正直驚いた。先程の衛兵の視線にも自然と納得がいく。 これは俺がかつて英雄になりたいと望んでいたからなのか……はたまた俺の夢、もしくは妄想した世界の延長なのか
「愚かな男だった」
その言葉に、胸が少し痛んだ。
でも、今の俺は――その男じゃない。
ヴァイスがゆっくりと近づいてくる。その気配だけで、部屋の空気がじりじりと熱を持ったように感じられた。眼前に立ち、わずかに身を屈め、俺の耳元で低く囁く。
「“マコト”を名乗らなかったのは、偉かったな。……ラグドの入れ知恵か?」
「……あ、はい……」
声が震える。返答に遅れたのは、張り詰めた空気が一瞬にして無くなったから。
「姿が似ている。それだけで勘づく者もいるだろう。だが、お前が“誠一郎”と名乗るなら、俺はそれを通す。……信じる顔をすれば、人はその顔を信じる」
――この人、やっぱり全部知ってる。けど、それでも追及はしない。
「演技ってのはな、ただの見栄えじゃない。“信じさせる意志”だ。お前が“誠一郎”として生きる気があるなら、それを守るのが俺の役目だ」
そう言って、ヴァイスは仮面のように表情を切り替えた。
鋭い眼差し。冷たい声。
「――誠一郎。ギルドへの登録を許可する。ラグドの推薦もある。」
俺は、差し出された書類に名前を書く。
“誠一郎”と。
かつての自分の名前ではない。だけど、これは俺が自分で選んだ“最初の選択”だ。
ラグ姐がにやっと笑って、俺の背中をどんと叩いた。
「怖いだろ? 面の皮が分厚すぎて」
「……うん。怖い……色んな意味で」
ギルドマスターの机に戻る背中が、わずかに肩を揺らして笑ったように見えた。
「それじゃアタシはもう少しヴァイス閣下と話があるから 先にアンナのとこで魔力照合してもらってこい」
ラグ姐に促され、俺は再び一階の受付カウンターに戻り、先程サインした書類をアンナに手渡した。
「誠一郎さん……ですね受理致します。 それではこちらの身分証とあなたの魔力を適合させて頂きますのでこちらに手をかざしてお待ちください。」
アンナさんは慣れた手つきで石板状の魔道具を操作し、銅製で出来たドックタグの様な俺の身分証に軽く魔力を流し込む。石板の端に淡い光が浮かび、次の瞬間――
「……へぇ……へんなの……」
ーー今……へんなのって言った……ねぇそれ大丈夫?……俺の身体爆発四散したりしない?
「ちょっと変わった流れ方してるけど……まぁ、問題なしです。登録完了。誠一郎さん、初期ランクはEね。死亡保険は任意だけど、加入しときますか? 葬式代位は出せますよ」
「や、遠慮しときます……」
「こちら身分証とギルド教本です 身分証は自らの身分を保証するものですので肌身離さず紛失なさらない様お気をつけ下さい 失くしたら……キィッ!!」
彼女はゆっくりと指で喉を掻っ切るジェスチャーをしながらそう言った。
「はは……アンナさんはおもしろい人だなぁ……あはは」
乾いた笑いを返しながら俺は身分証と教本を受け取ってその場を離れ、ラグ姐を待つ時間潰しがてら依頼書が貼られた掲示板を見てみることにした。
しばらく待っていると背後の酒場から笑い声が聞こえてくる。
「よう新人、もう手続き終わったのか?」
「ハハ、あとは便所掃除の依頼でも受けとけってな」
「いやいや、まずは糞まみれの猪の尻でも洗ってこいよ!」
テーブルに集まっていた三人ほどの男達、悪意のこもったヤジを俺に飛ばしながら近づいてきて、その言葉に周囲の酔客もくすくすと笑いを漏らしていた。 あからさまに“新入りをからかう”テンプレである。
ーー本当にこういうのあるんだなぁ
少しだけ胸の奥がチリチリと熱を持ったが、少し嬉しかった。つまるところ自分もこのギルドの一員になった様なものでこれはいわば通過儀礼。
確かにこれが異世界モノならいきなり顔面パンチなり何か俺やっちゃいましたシーンに入れる絶好の機会だが今の俺は英雄じゃない あくまで誠一郎だ 俺として彼らの対応をする。
「地道な仕事も、大切ですよね。……俺、戦えないんで。まずはそういうのから始めてみますね 教えて頂いてありがとうございます!!」
俺はそう言って綺麗なお辞儀を披露した。すると口をポカンと開けて彼らが一瞬固まる。
一拍の間を置いて、先に吹き出したのは螺旋階段から様子を見ていたラグ姐だった。
「っははははは! おい、見たか間抜け面! 完っ全に肩すかし食らってんじゃん!」
「な、なんだよ……ノリ悪ぃな」
「……つまんねー」
酔っ払いの男たちはぶつぶつ言いながら、しょぼくれて席に戻っていき、ラグ姐は階段を下りてこちらに戻ってきた。彼女はまだ笑っていたが、俺を見る目にはどこか真剣な色もあるように思う。
「待たせたな。それでさっきのアレは、わざとか?」
「え?」
「あえて下手に出て受け流すやり方。慣れてるだろ、ああいうの」
「まぁ。ね 俺がずっとやってきた戦い方……いや凌ぎ方だよ」
「そうか」
それ以上彼女は何も聞かず、ふっと息を吐いて、掲示板から一枚の紙を引っこ抜く。
「これ。馬車の護衛。街道沿いの短距離だけど、報酬はまあまあだ。初依頼には丁度いい」
差し出された依頼用紙を受け取ると、字は丁寧で依頼主の名も内容もきちんと記されていた。
荷馬車の商人が護衛を必要としてるらしく、対象は魔物じゃなくて、山賊や盗賊の類。
「……これって、戦闘あるんですか?」
「運が悪けりゃな。でも、普通は無い。護衛なんて、魔物が出るエリアじゃなくても必要だ」
俺は少し迷ってから、紙を掲示板に再び張り直そうとした。
「……え……やだ……痛いのは」
その瞬間、ラグ姐は目を見開いて――すぐ、盛大に笑い出す。
「ハハハ!! 貴族のボンボンみたいな事言ってんじゃねぇよ」
「だって本当のことですし」
「お前なぁ……」
笑いながらも、ラグ姐の目の奥がふと静かになり、俺の顔を、まるで何かを探るように見てくる。
「でもな。前に言ったろ? お前はきっと、肝心なときには必ず動くぜ」
「根拠は?」
「野生の勘だよ」
「信じて大丈夫な奴それ」
「おいおい、あたしはこの勘で今まで死地を乗り越えてきたんだぞ まあ――とりあえず試してみりゃいい。初めての依頼なんて、何でもいいんだ。便所でも護衛でも、失敗でも。まずはやってみな」
ラグ姐は紙を俺の胸にぐいっと押し戻すと、笑って背を向けた。
「んじゃ、行こうか。ついでにほんとに汲み取り依頼も受けとくか?」
「……それは丁重にお断りします」
「ハハ、ちゃんと意志はあるじゃねぇか」
俺の肩をどんと叩き、ラグ姐はそのまま受付へ向かう。
背中越しに、彼女がぼそりと呟いた。
「……ほんと、妙なヤツ拾っちまったな」