幕間 視線は裂け目の向こう
白と黒が混ざり合うだけの、底の見えない世界。形の定まらない景色の中に、ぽつんと浮かんだ教会。壁も天井も輪郭がぼやけ、触れれば崩れそうな薄っぺらな建物だった。
扉を押し開けると、そこにいた。
ボルタスの「本体」。四十年、ずっと探してた相手が、安っぽい祭壇に腰かけている。
俺の背後には、影のように寄り添う異形の獣たち。牙を鳴らし、低く唸りをあげていた。
――やっと見つけた。ここで、全部終わらせる。
「……貴様がなぜここにいるッ!? なぜ人格を!! 精神を!! その姿を保っていられる!?」
祭壇の影に座る男――ボルタスの本体が、ゆらりと顔を上げ、後ろに身を引く。狼狽えぶりが逆に俺を冷静にさせる。
「なぜここにいるって……あなたに殺されたから?」
煮えたぎる憤怒を内に押し込むように、軽く首を傾げて笑う。
「本気で言ってるのか!?」
「え〜……じゃあ、この子達が突然唸り始めたからという事に」
「ッ……ふざけるなッ!!」
言葉を荒げた瞬間、俺の指先に重みが生まれる。
無から取り出した回転式拳銃。冷たく鈍い輝きを放つそれを、迷いなく持ち上げ、引き金を引く。
六発の乾いた銃声が教会に響き、ボルタスの右足を撃ち断つ。肉が裂けて落ちる音に、奴は情けなく膝をつく。
「怒鳴らないで下さいよ。ここにいるってことは、あなたも死んだんでしょ? なら死者同士、仲良くやりましょ」
「我に死など存在しない!! 今も向こうで獣共を痛ぶってやって――」
――ドンッ。
もう片方の足が、弾かれ落ちる。悲鳴が虚ろな空間に響いた。
「ええ、聞いてます」
俺の声は静かだ。怒鳴り返す必要なんてない。コイツはただ、消し去ればいい。
「貴方は俺だけじゃ飽き足らず、仲間を傷つけ、関係の無い人を巻き込んだ……力なき者を踏み躙るのは、そんなに気持ちよかったですか? 無双した気分は?」
「がッ……」
奴の顔から血の気が引き、言葉が途切れていく。俺は銃を下ろし、淡々と続けた。
「ボルタス……お前の敗因は一つだけ。共演者や観客がいなかった事だ。」
「お前……まさか……英雄の残り火などでは……」
「そうですね。今の俺はマコトでも、英雄でもない……ただ、貴方を消し去る者です。」
獣たちが俺の背後で牙を剥き、唸りを高める。
「よかろう……愚かなる獣ども……此度は勝ちを譲ってやる。 だが覚えておけ――我は終焉。貴様らが在り続ける限り、必ず訪れる。」
ボルタスの声が薄闇にこびりつくように響く。威圧でも余裕でもある捨て台詞。だがそれは、俺の判断を鈍らせるには足りない。
「跡形なく喰らえ。グラシュ=アムとその子供達。」
獣の群れは一斉に飛びかかり、ボルタスの悲鳴が狭間の世界にかき消された。やがて声も姿も消え、残ったのは静寂だけ。
俺はゆっくりと拳銃を無に返し、代わりに煙草を具現させて火をつける。吸い込んで、吐き出すと、白い煙が黒い天井に揺らめいて消えた。
「ケフッ……やっぱり不味いな……」
咳き込みつつ出口へ向かうと、壁にもたれて腕を組む人影が見える。金髪の少年――先生だった。Tシャツにジーンズ。片方の口角を上げ、いつもの悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「――先生も来てたんですね」
「お前、甘ったれだからな。ちゃんとやり切るか心配だったんだぜ」
そう言って軽く顎をしゃくり、わざとらしく肩をすくめる。
「……まあ、あの頃の俺なら無理でしたかね。守るために傷つける覚悟が足りなかった」
「ははっ、一丁前に言いやがる」
先生は壁から背を離し、ゆっくり歩み寄ってくる。
「好きな女への思いだけでここまで来た、うぶちゃんのくせに」
「ちょ……茶化さないでくださいよ。それは言わない約束でしょう!」
思わず声が上ずると、先生は目を細めて楽しそうに見ていた。
「いいじゃねぇか。愛が世界を救うなんていかにもらしくて。……俺は好きだぜ、そういうの」
煙草の灰を払うと、俺はふっと息を漏らす。
「そうそう、お前の想い人――イエナちゃん。複製、倒せたみたいだぜ」
「ははっ……やっぱり凄いやラグ姐は」
「ただ……困った事になってる。ボルタスの野朗……とんでもねぇ最後っ屁かましていきやがったぜ。コイツを見てみな」
先生が手のひらをひらりと返すと、小さな光の球がぽつりと浮かんだ。光は揺れ、やがて像を結んでいく。
映し出されたのは、王都の縮図だった。光の中に浮かぶ街。黒い斑点が一つ、中心で渦を巻きながら拡がっていく。斑点は楕円を描き、徐々に直径を広げていた。
先生は淡々と告げる。
「現時点での観測だ。推定、直径三十キロ。魔力の奔流――魔力障濁。落下速度は十分に速い。影響範囲が都市圏を覆う、広域被害確定だ。」
白い球の中で、黒がしみ出すように広がる。光が吸われ、周縁が暗転する。俺は煙草の火を見つめながら、世界と世界が繋がる感触を覚えた。
「最後っ屁にしちゃ規模デカ過ぎませんか?」
俺の言葉に、先生が小さく苦笑する。
「こりゃ多分、ボルタス自身の私怨が入ってるな。お前とイエナ嬢ちゃんへの完全な嫌がらせだろうぜ」
裂け目の向こう、黒い太陽――魔力障濁が確実に落ちてくる。俺はタバコを捨てて踏みつけて裂け目を開いた
「先生、俺戻ります。」
「だな。観測者の余所見も終わったみてぇだし、お前の活躍そろそろ見せてやんな」
……観測者?
一瞬、誰に向かって言ってるのか分からず眉をひそめる。先生はときどきこうやって、誰か見えない相手と話してるみたいなことを口走る。俺も慣れてるけど、やっぱりちょっと気味が悪い。
「は、はい。随分長い事、お世話になりました。」
「向こうじゃたった40分だ。精々気張りな。……あばよ、俺のオリジナル」
舞台の幕引きを告げるみたいな言い方に、思わず肩をすくめた。
そうだ――ここは幕間。次の幕が上がれば、俺たちの物語はまだ続く。




