第四十七話 獣は抗い、時代は塗り変わる
アタシは、遠くで鳴り響く金属音を頼りに、雨に濡れた大通りを進んだ。
一歩ごとに、地に伏せた奴らの数が増えていきやがる。
槍を握ったまま目を閉じた衛兵。
剣を抜ききれず、無様に顔から倒れた冒険者の青年。
逃げ遅れた老夫婦。
子供を庇い抱きしめ合ったまま息絶えた修道女。
胸の奥が灼け、血の匂いと湿った空気が混じり、惨状が密度を増す度に、呼吸は熱を帯びていく
憎い……誠一郎とマリィを殺した、アイツが。
憎い……皆の日常を根こそぎ奪ったあの手が。
憎い……守りきれず、無力を晒した自分自身が。
――突然、耳を切り裂いていた金属音が、ぴたりと止んだ。
また誰かが殺される……。
息が詰まり、心臓が跳ねた瞬間、アタシは駆け出す。水飛沫を散らし、石畳を蹴って。
そして大通りの交差点へ飛び出す。そこで膝をつき、動かずにいる二つの影が目に映った。
シリウスとセレナ。その前に立ち塞がる奴。誠一郎とマリィの仇。
そして、彼らを取り囲む様に大量の衛兵達が無残に転がっていた。
白く長い髪を雨に濡らし、血で染まった衣を風に靡かせ、奴は不気味に笑ってやがる。
その笑みは氷のように冷たく、血を吸った蛇のように粘っけぇ。
「あのまま逃げればいいものを……思考まで獣に堕ちたか?」
「フーッ……フーッ……」
胸の奥で煮えたぎる憎悪が、頭蓋を叩き割って外に噴き出そうとする。
眼の裏で赤黒い光が渦を巻き、視界の端が血に染まった。
拳を握り込めば爪が掌に食い込み、じわりと血が滴る。
脚は勝手に前へ踏み出そうとするし、心臓は獣の鼓動を打ち鳴らす。
今すぐにでも飛び込み、噛み千切り、引き裂き、八つ裂きにしてやりたい――。
「ら、ラグドさんッ……待って……!」
「ダメだ……挑発に乗ってはッ!!」
背後から必死に声が飛ぶ。
わかってる。流石に学んだ。
奴は明らかに異常だ……アタシがただ、突っ込んで勝てる相手じゃねぇ。
同じ鉄は踏まねぇ。そのせいで家族と仲間を同時に亡くしたようなもんだ。二度と御免だ。
「脇役共の相手に清々していた頃合いだ。獣――貴様は私を楽しませてくれるんだろうな」
脇役、か。
確かにあの二人からすりゃ、全員が脇役だろう。
「……主役が、そんなに怖かったか?」
「何?」
奴の笑みが凍りつき、眉がひそめられる。
アタシはボロボロの剣を構え直し、折れた切っ先を奴へ向ける。
「普通は怖いさ。アイツらはやる事なす事、全部無茶苦茶で――突然、突拍子もない事を始めては厄介事に巻き込まれやがる。姿が変わるのなんて当たり前、どこからともなく物を取り出して生み出す。
……一時は本気で『獣の巣』から追い出すか迷ったくらいだ。」
雨音が強くなる。アタシは小さく息を吸い、吐いた。
「けど出来なかった。楽しかったんだよ。
アイツらとつるむのが。脇役として過ごす日々が。」
「……貴様……」
「だからこそ認めねぇ。お前が主役なんて。テメェは裏方がお似合いだ 舞台に上がってくんな」
吐き捨てた瞬間、奴の姿――存在そのものが掻き消える。それと同時に背後から濃密な血の匂いが広がった。
――来るッ!!
振り返りざま、剣を大きく振りかざす。
火花が散り、奴の瞳が一瞬だけ見開かれた。
剣は悲鳴を上げながら崩れ落ち、咄嗟にアタシは柄を手放し、距離を取って新たに構える。
「……所詮は裏方だな。同じ攻め方で芸が無ぇ。そんなに嬉しかったか? 技の通じた事が」
「貴様こそ、いつまで強がる? 脚は震え、頼みの武器も今こうして砕け――」
「――砕けてねぇよ。アタシはお前を……いつでも斬れる」
あぁ……砕けてねぇ。砕けたなんて認めてねぇ
そっと目を閉じる。瞼の裏に浮かんだのは、誠一郎とマリィが必死にやっていた“妄想具現”の修行の光景。
ありもしない物を“ある”と信じ込み、現実に引きずり出す――。
あぁ、そうだ……アイツらは、笑っちまうくらい真剣で、無茶苦茶で、それでも確かに形にしてみせた
だから、アタシも“そこにある”と信じる。
握り慣れた柄の感触。振るえば軋む刃の重み。
どれも幻だとわかっていても――アタシにとっちゃ染みついた“現実”だ。
「ハハハハッ!! ならばやってみせよッ!!」
奴の嗤い声が雷鳴のように大通りに響き、一気に距離を詰めてきた奴の手が、アタシの首を掴み、徐々に締め上げていく。
「……ッ、ぐ……!」
喉が潰れる。空気が入らねぇ。
視界が赤黒く染まり、耳鳴りが世界を覆う。
クソッ……苦しい……痛ぇ……今にも首がもげそうだ。
アタシじゃ……ダメなのか?
主役になりたいわけでもねぇ。勝ちを望んでる訳じゃねぇ。
アイツらの無念を晴らしてやりたいとか、そんな綺麗事を並べる気もさらさらない。
つまらない正義感で突っ走るつもりもねぇ。
アイツらを奪ったコイツを。アタシから全部を踏みにじったコイツを。
喉笛を噛みちぎってでも、骨ごと粉々にしてでも
「――殺したいんだ」
胸の底から漏れ出たその衝動に、世界が呼応したかのように――
――《承認》
無機質で冷たい女の声が、頭蓋の奥に直接響き渡り、直後、握ってもいねぇはずの剣が、確かに掌に“在る”と錯覚させる熱を放った。
「……ッ!?」
全身を走る震動と共に、アタシは右腕を咄嗟に振り上げる。
瞬間、耳を裂くような鋭い風切り音。
続けて、首を押さえつけていた力が唐突に抜け、アタシの身体は地面へ投げ出された。
「ゲホッ…!」
水飛沫を上げながら咳き込み、大きく息を吸う。
何が……起きた?
荒く呼吸しながら顔を上げると、奴が右腕を押さえ、血を噴き散らしながら獣じみた悲鳴を上げている。
肩口から先が――ごっそり無ぇ。
「……アタシが……やったのか……?」
思わず自分の手を見る。そこには、何も握られていない。砕けた剣も、柄すらも。
なのに、確かに“斬った”。
「……っ……!」
困惑に満ちた視線を巡らせると気づく。
アタシの周囲にふわり、と一本の剣が浮いていた。
この王都に残された漆黒の刃。英雄の剣――。
「聖剣……クロノア……」
呟いた声をかき消すように、剣は雨を滴らせながら、静かにアタシの周りを旋回している。
「……剣が……英雄を、選定したのか……?」
シリウスの声が、耳に届く。
驚きと戸惑いが混じったその声に、アタシはふと二人に視線を向けると口元がわずかに震え、雨で濡れた髪を払いながら、目が大きく見開かれていた。
「ぐ、あああああああああああああッ!!」
大通りに響き渡る絶叫。
獣の呻きとも、断末魔ともつかないその声は、雨粒さえ震わせるほどだった。
だが――次の瞬間には、ぴたりと止む。
「……っとまぁ、こんな具合か」
嘘みてぇに落ち着いた声。
奴は、肩口から血を垂らしながらも、愉快そうに吐き出した。
ズルリ、と蠢く肉。血と肉片を巻き込みながら、失ったはずの右腕が再生していく。
骨が伸び、筋が絡み、皮膚が覆い、やがて五指が雨を掴んだ。
「……ふざけやがって」
奥歯を軋ませ、折れそうなほど噛み締めた。
奴は再生した右腕を軽く振り、雨粒を払うように滴を散らす。
その仕草には痛みも焦りもなく、ただの余興を終えた舞台役者のような気楽さがありやがる。
「獣……貴様を道外と認める。貴様は強い。有象無象共とは違う。」
「……」
心臓が殴られるみたいに鳴る。
ふと視線を戻すと、シリウスとセレナがこちらを見ていた。二人の顔は、青ざめたまま固まっている。
無理もねぇ。この化け物を前に、戦意を奮い立たせる事なんてそうそう出来ねえ。
シリウスもセレナも、足が竦んじまってる。……本来ならアタシだってそうなるはずだ。
けど――クロノアを握ったこの手は震えねぇ。
怖ぇのに、笑えて仕方ねぇ。胸の奥が熱くて、踏み出すのをやめられねぇ。
……あいつらと過ごしたせいだな。
あの二人の無茶苦茶に、アタシも大分毒されちまったみてぇだ。
「引っ込んでな……コイツはアタシの獲物だ」
宙に浮かぶ、クロノアを握った瞬間、身体の奥から湧き上がる熱が全身を駆け巡る。
筋肉が膨れ上がるわけでも、血が沸騰するわけでもない。ただ――力が、無尽蔵に骨の芯から実際に噴き出してるような感覚。
「ハハ……強気だな。たかが剣一本で ――」
奴の言葉を最後まで聞いてやる義理はなかった。
一歩で間合いを潰し、クロノアを閃かせ、奴の頬をかすめる。すると火花が散り、次の瞬間、奴の動きが止まった。
「なっ……!」
迷うな。考えるな。
気づけばアタシの手は奴の頭を鷲掴みにしながら地面に向かって振り下ろす。
「おらぁッ!!」
轟音。
石畳が砕け、衝撃波が雨粒を弾き飛ばす。
奴の頭を叩きつけた一点から、蜘蛛の巣みてぇに亀裂が走り、地面ごと陥没していく。
瓦礫が落ち込み、建物の壁が軋み、視界が一瞬揺らぐ。
「――――ッ!?」
アタシ自身、も目を見開いていた。
呼吸が荒くなる。汗とも雨ともつかねぇ滴が顎を伝う。
「なんだ今の!?……」
手のひらにまだ残る反動と熱。 クロノアの黒刃が脈動するように光を放ち、アタシの心臓と同じリズムで震えている。
奴が瓦礫の下から、なおも笑いながら這い出してくる。
「……面白い……っ! 存在証明に桁違いの肉体強化機能まで備わっているとはッ!!」
「チッ……やっぱり簡単にはくたばんねぇか……!」
けど――今の一撃でわかった。
この剣はただの武器じゃねぇ。力そのものだ。
剣を通してアタシの力を格段に跳ね上げてやがる
恐ろしい。けど……これならこいつを殺せる
「……殺し尽くしてやるよ」
クロノアを肩口に構え、雨煙る大通りに再び足を踏み出した。




