第四十四話 終焉は迫り、絆は光る。
――俺の左腕が、消し飛んだ。
ボタボタと血が肩口から滴り、石畳を赤黒く染めていく。
視界はまるで濁ったフィルターを通したかのように赤く滲んで、四隅が黒く欠けていくのが分かった。
「あぐッ……クソッ……」
痛みは、既に感じない……そして凄く寒い。
限界を超えた身体はただ冷え、視界はどんどん狭まっていく。
吹き飛ばされたラグ姐は瓦礫に沈み、モチャの姿もその傍らに横たわる。二人とも微動だにしない。
王都の広場は……もう原型をとどめていなかった。
建物の一角は、まるで鋏で切り取られたように消え失せ、残された壁面には深々と斬痕が刻まれている。
広場の中央にあったはずの巨大な噴水は縁ごと両断され、瓦礫と血と水が入り混じり、泥のように散乱していた。
「きゃあああっ!!! 誰か助けてええ!!!! 私の息子が下敷きに!!」
「う”わ”あ”ぁ”ぁ”ぁ”逃げろおぉぉ!!」
悲鳴が飛び交い、人々は我先にと四散していく。
踏み捨てられた荷物や片方だけの靴が石畳に転がり、どこかで鐘の音が狂ったように鳴り続けていた。
――それでも、俺に出来るのは右腕でマリィを抱きしめる事だけ。
腕は震え、視界は霞み、呼吸は一向に落ち着かない。
「諦めて赤子を渡せ。そうすれば――物語は続けさせてやる」
目の前のに立つ謎の青年が冷たく言い放つ。
白い髪が腰まで垂れたその細身の姿は、舞台袖から観客を見下ろす役者の様であった。
「拒めば、この場で打ち切りだ。英雄も、仲間も、獣の巣も……何も残らない」
――物語。
その言葉が、頭の奥で反響する。
理解が追いつかない。息が詰まり、血の気が引いていく。
意識は、細い糸でかろうじて繋ぎ止められているだけだった。
……俺、なんで――こんな事になってんだっけ。
暗転する視界の中で、記憶は勝手に巻き戻されていく。
ほんの少し前まで確かに笑っていたはずの、あの光景へ――
⸻
王都の目抜き通り、物資調達の為に俺が手綱を握る馬車がゆっくり進んでいた。石畳を叩く車輪の音に混じって、商人たちの呼び声や焼きたてのパンの香ばしい匂いが風に乗って届く。
この匂いは何度嗅いでも飽きないな
後ろの荷台では、モチャがどっかり腰を下ろし、マリィを膝に抱えてご満悦。積み込まれた麻袋の山から干し肉や保存食が顔を覗かせている。
「此度は金銭的にも物資的にも潤沢で次なる目的地まで安心ですなぁ。欲を言えばあの防振動搭載馬車を頂けなかったのは少し残念」
「モチャって変な所御坊ちゃま気質だよなぁ。強欲というかなんというか。十分でしょ、400オル頂けたのに……」
俺は御者台から声をかける。手綱を引きつつ横目で見ると、モチャはもう干し果実の袋に視線を泳がせていた。
「マスターとラグド氏を手駒に使ったのですから当然です。寧ろ安い位ですぞ」
「ラグ姐はわかるけど、俺にそこまでの価値はないよ」
「何を仰いますかああぁッ!!! 我が主人とはいえ我が主人の価値を見誤るなど許しませぬぞぉおぉおぉ!」
その大声に、馬がびくっと耳を立てて首を振り、俺は慌てて手綱を引き締める。声デカすぎんだろ……
「ジブンノカチヲヒククサダメルヒツヨウナイワ」
モチャは続けてマリィを抱っこしたまま、口元をぴくぴく動かして腹話術みたいに言わせる。
「マリィはそんな事言わない!!」
「いや、アイツなら言うだろ。見てみろあの顔、明らかに異論はねぇって顔だ」
咄嗟にツッコミを入れたのはラグ姐でマリィを見ると確かにジトーと無表情でこちらを見つめている。
「確かに……」と俺は苦笑しながら、御者台から隣を歩くラグ姐を見下ろした。
「あとラグ姐、ずっと思ってたんだけどさ」
「なんだよ」
「なんか遠くない? 一昨日も部屋籠ってたし体調すぐれないんでしょ 乗りなよ?」
ラグ姐はきょとんと目を瞬かせる。
「……そ、そうだな」
次の瞬間、ひょいと御者台に飛び乗ってきて、俺の隣に腰を下ろした。狭い座面だから当然肩と腕がぴったり密着する。妙に熱っぽい体温が伝わってきて…思わず身を引いてしまった。
「いや!!近い近い近い!」
「お、お前が“遠い”って言ったんだろうが!」
ラグ姐は顔を逸らしながらも、照れ隠しのように声を張り上げる。そんな反応されると……俺も照れると言うか。俺は手綱を握り返しながら目を逸らした。
その時、後ろからモチャがひょいと顔を出す。
「ラグド氏、もしや、まだ抜けきっておられぬのですかな?」
「え。何?」
「アレですぞ、アレ。獣人族特有の…」モチャはそう濁して、手をひらひらさせる。
アレって何だ……と一瞬、思ったが直ぐに察せれた。
なるほど……そういう日か。兄妹がいた俺にとって他愛もない。
俺は落ち着いて隣のラグ姐に視線を向けて声を落として刺激しない様に話した。
「身体、本当に大丈夫? 先帰って休んどく? 何か買って帰ろうか?」
するとラグ姐は毛を逆立てて顔を真っ赤にしながら「アタシやっぱ歩くッ!!コイツ毒だ!!」と言って再び俺の隣から降りてしまった。なぜだ。
「俺変なこと言った?」
後ろのモチャ聞くとやれやれとでも言いたげなジェスチャーで一言
「まさにーー媚毒ですな」
ビドク……?
ラグ姐の反応とモチャの言葉に若干引きずられながらも引き続き、王都南地区の市場へと馬車を走らせた。
俺達はそのまま目抜き通りを抜け、広場の端に馬車を止める。昼時とあって人の波はさらに膨らみ、屋台の並ぶ通りからは香辛料の匂いや甘い匂いが入り混じって漂ってきていた。
「……はぁ、流石にお腹減ったな」
思わず腹をさすりながら呟くと、すかさず後ろからモチャの声が飛んできた。
「言われるまでもありませんぞ! 市場の醍醐味は食ですからな!」
もうすでにモチャは干し肉をかじりながらも、別の屋台へ視線を泳がせている。
ラグ姐はといえば、まだどこか落ち着かない様子で腕を組んで広場を見渡していた。
「……やっぱ匂いすげぇな。肉焼いてるだけでこうも腹に響くかね」
「うわぁ、いい匂い……」
思わず鼻をひくつかせると、ラグ姐がチラと俺を見て口元を緩めた。
「んじゃ、行くか。 金もまだ余裕あるし、たまには外で食ってもいいだろ」
広場の屋台は所狭しと並び、焼き串を片手に歩く子どもたちや、甘い菓子パンをほおばる商人の姿で賑わっていた。俺たちは手分けして好きなものを買い込み、馬車の横に腰を下ろす。
「はい、串焼き。羊肉だってさ」
俺が差し出すと、ラグ姐は受け取ってすぐに豪快にかぶりついた。
「んぐっ……! くっそ熱い! でも……うめぇ!」
その隣でモチャはというと、もう両手いっぱいに屋台飯を抱えており、包み紙から覗く甘いパイ、胡椒の効いたソーセージ、揚げ菓子まで揃っている。
「大マスター様、こちらをどうぞ! 赤子にも優しい柔らか団子でございますぞ!」
マリィは無表情のまま細かく切られた団子を口に含むと、こくんと一度だけ頷いた。
それだけでモチャは「ふぉぉおお……尊い……!」と鼻の穴を膨らませて感涙しそうになっている。
「流石に買い過ぎじゃない? モチャ。その山どうするのさ」
「勿論! 三人と一人で分け合うのですぞ!」
「俺たち三人と……“一人”?」
首をかしげると、モチャは腕の中のマリィを指してきらきらした目で叫んだ。
「大マスターは別格ですからなぁあああ!」
「……」
マリィは団子をもぐもぐしながら、明らかに『勝手に分けるな』と言いたげな視線を送っている。
結局その後、俺たちは串焼きや揚げ菓子を分け合い、広場の喧噪と香ばしい匂いの中でしばしの休息を楽しんだのだった。
「ふぅ……腹いっぱいだ……」
俺は手にしていた串を石畳に落ちた木皿に置き、籠の中のマリィを抱き上げた。
空は快晴、噴水の水飛沫が陽光を反射してきらきらと光り、人混みのざわめきも妙に心地よい。
「……なんか、こういうのっていいよね まさに旅って感じで」
「なんだそりゃ」
「マリィが元の姿に戻ったらさ。次は『獣の巣』の皆で旅行にでも行かない? ジンさんやヴェル美さん、ヴァイスさん達も誘って」
「ははっ。確かにそういうの平和になった今しか出来ねぇもんな 悪くねぇ。
あの二人にもマルコの顔、見せに来てやらねぇとだし」
ラグ姐と俺がそんな将来に顔を見合わせ笑っていると、モチャは揚げ菓子を頬張りながら、わざとらしく目元を拭う仕草をする。
「新婚? 拙者……犬役でもしましょうかマスター」
「誰が新婚だコラァ!」
串の柄がその頭に飛んで、モチャは大げさに「ぐはぁっ」とのけぞる。
マリィはそれを無表情のまま眺め、団子をもう一個口に運び、俺はマリィの頬についた蜜を指で拭ってやると彼女はじっと俺を見上げて……ほんの一瞬だけ、微かに唇を尖らせたように見せた。
「……どうしたの?」
問いかけても返事はない。ただ視線を逸らし、また団子をもぐもぐするだけで俺は小さく笑って肩を竦める。
そんな何気ないやりとりの最中。
広場の中央に――いつの間にか、白い衣を纏った青年が立っていた。腰まで垂れる白髪を揺らし、舞台袖から観客を見下ろす役者のように人々を見渡している。
明らかに異質の存在なのに周囲の人間は気にする様子は無く素通りしている。
「……何だ、アイツ」
俺が息を呑むと、青年は人差し指を軽く振った。
次の瞬間、広場に面した建物の一角が――まるで鋏で紙を切ったかのように斜めに裂ける。
ゴゴゴゴッ……!!
遅れて轟音。壁や屋根が傾き、崩れ落ち、石片や木材が飛び散り、粉塵が舞い上がり、瓦礫が石畳に雨のように叩きつけられる。
「きゃあああっ!!」「なんだ突然!!!」
群衆の悲鳴が爆ぜる。広場は一瞬で地獄絵図と化した。
そんな惨状を前に、青年は一歩も動かず、冷ややかに告げる。
「実に空虚だ 観測者に観測されぬ限り、ここに在るものに価値など無い」
その台詞に呼応するかのように、鐘楼が狂ったように打ち鳴らされた。
ゴォン、ゴォン、ゴォン――!
警鐘が街中を震わせ、逃げ惑う人々の恐慌をさらに煽る。
「何なんだよアイツ……!」
俺はマリィを抱き締め直して言うとラグ姐とモチャも呼応するかの様に初めて異質な青年に反応を示した。
「アイツどこから現れたッ!?」
「まさか……」
ラグ姐は牙を剥くようにして武器を抜く。モチャでさえ青ざめ、目を見開いてその光景に釘付けになっていた。青年は微笑む。まるで観客の喝采を受けているかのように。
「俺の観測が始まったか」
青年がそう告げ、口元に微笑を刻んだ瞬間、その姿がふっと掻き消える。
人々の悲鳴と鐘の音にかき消され、気配すら残さず。
「……ッ!?」
次に意識した時には――奴は俺の真横に立っていた。
まるで音も影もなく、最初からそこにいたかのように。
白い指が、俺の腕の中のマリィへと伸びてくる。
「――触るなッ!!」
反射で、半分無意識に左腕を振り払うと、次の瞬間、爆ぜるような衝撃。
ドンッ――!!
視界が真っ赤に染まり、左肩から先が、消し飛んでいた。
「ぐ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ッ!!!!」
あまりの痛みに一瞬意識が飛びそうになるも寸前で持ち堪えて距離を取る。
だってアイツの狙いは俺じゃなくマリィだった。俺には目もくれず真っ先にアイツはマリィを消し飛ばそうとしてきたからだ。
「誠一郎”ォ”ォ”ォ”!!」
「マスター”ァ”ァ”ァ”!!」
ラグ姐とモチャが同時に叫び、瓦礫を蹴散らして青年へ突っ込む。刃が閃き、魔力が唸り、二人の必死の咆哮が広場に響き渡った。
だが、青年はわずかに首を傾げただけ。
「だめ……だ 二人とも。」
そんな声は全く届かず、ラグ姐は咆哮と共に剣閃が振り下ろすが、青年は動かない。むしろ愉快そうに口角を上げ――
「獣。貴様の役目は既に終えた筈だ」
青年の右手が剣を正面から受け止めた。刃と刃が打ち合ったのではない。素手だ。
にもかかわらず、愛剣はまるでガラス細工のように砕け散った。
「なっ――!?」
驚愕に目を見開いたラグ姐の頭部を、青年はそのまま掴み取り、同時に、横から至近距離で魔法を打ち出そうとしたモチャの頭も左手でがっちりと握り締める。
「まさか貴様まで登場しているとは……お前の役は無い筈だぞ ダンシュペン」
青年は二人の頭を掴んだまま、まるで投石のように民家へと叩きつける。石壁が爆ぜ、屋根が崩れ、民家は土煙を上げて半壊。崩落した瓦礫の下敷きになり、二人は動かなくなった。
「ラグ姐ッ!! モチャ!!!」
俺の叫びは瓦礫の崩れる轟音にかき消される。青年は手についた埃を軽く払うように指を振り、こちらに向きなおして言い放った
「――その赤子を渡せ 英雄の残り火」




