第三十五話 旅は夢を置いていく
《月影亭》の食堂は、朝の陽光が窓から差し込むのどかな空間だった。
木の床にはかすかな靴音、スープの香り、そして――俺たちのいつも通りのにぎやかな声。
「それでよー、ガキ共が皆大人になっててよー。ポルカはパン屋、マルコは治癒師、ハルはウェイター、スミアなんか子供までこさえちまってさ」
ラグ姐が椅子に背を預けながら、豪快に笑って語る“未来の夢”。どうやら今朝見たらしい。
テーブルの端では、「大マスター あーんですぞ」と言ってモチャがマリィの口に小さなスプーンを運んでいる。よだれかけをつけたマリィは、何とも神妙な顔でお粥を受け取っていた。目つきだけは真剣なのが逆に笑える。
「ちなみにそこにマスター達はいないのですかな?」
突然モチャが、にこやかに尋ねる。赤ん坊にお粥を食べさせながら。
「そうだよラグ姐。俺とマリィは!?」
俺もスプーンを置いて、乗っかる。というか普通に気になる。なぜ除外されたんだ。
ラグ姐はスープを啜ろうとして──フッと目をそらした。
「……で、出てきてねぇよ。お前らは」
その言い方、妙に不自然だった。絶対なんか隠してる。目も泳いでるし、なぜか耳の先まで赤くなってる。
「それは……とても辛くて悲しい夢だね」
静かに呟くと、ラグ姐はすかさずスプーンをテーブルに置いた。
「勝手に悲しい夢にすんじゃねぇよッ!!」
ちゃんとツッコんでくれた。ネリュスの言っていた幸せな夢を見ていると言うのは本当の様で安心する。
モチャはくすくす笑いながら、マリィの口におかわりを運んでいた。マリィはおとなしく受け取って、こくこくと頷く。
──うん、間違いない。
その“夢”、俺もマリィも、ちゃんと登場してる。たぶん――ラグ姐の隣に、俺がいる。
ニヤッと笑ってやると、ラグ姐はスープをがぶ飲みしてごまかしてた。
「朝から仲良いなぁ 羨ましいくらいだよ♪」
そう言って奥のキッチンから出てきたのは昨晩色々とあったネリュスだった。
昨晩の出来事はまるで気にしていない様子で俺とマリィにも普通に接してくれている。よかった。
「まぁね、実質家族みたいなものだから!」
俺がそう言った瞬間。
「ぶふぉッ!? ……げほっ、ごほっ……!」
向かいに座っていたラグ姐が、飲んでいた水を盛大に吹き出した。コップを持ったままむせ返り、咳き込みながらテーブルに突っ伏す。
「うお、ラグ姐!? だ、大丈夫!」
俺が慌てて立ち上がると、ラグ姐は手をばたつかせて「平気、平気っ」と苦し紛れに返す。
モチャはスプーンを持ったまま、肩を小さく揺らして笑っていた。マリィもお粥をもぐもぐしながらじとーっと俺を見つめている。
むせる様なこと言ったかな俺……
「わわっ、ちょっと待ってて! タオル持ってくるから!」
ネリュスが急いで奥の厨房に駆けていく。
ラグ姐はなおもむせながら、テーブルに突っ伏したまま顔を隠していた。
姉がいたらこんな感じなんだろうなって……思っただけなんだけどなぁ
そんなこんなで、笑い混じりの朝食はゆっくりと終わりを迎え、朝食を終えたあと、俺たちは次の経由地に向けた物資の補給に出かける事となる。
《月影亭》の扉を開けて外に出ると、ひんやりとした朝の空気が肌を撫でた。
土の匂いと朝露、パンの焼ける匂いが混じって、静かな村の朝に溶け込んでおり、昨晩と同じ村だとはとても思えなかった。
「保存食と水袋……あと薬草も少し欲しい。ラグ姐、あとは何が必要そう?」
「火打ち石がちょっと心もとない。あと塩、ちゃんと持ったか?」
「うっ……まだ」
「やれやれ。先行ってろ 追いつく」
ラグ姐はそう言って、くるりと踵を返すと、さっさと小道を歩いていった。
旅慣れしているラグ姐がついてきてくれて本当に良かった。俺とモチャでは足りない部分は彼女は補ってくれる。
「マスター、マリィ様の補助食と予備ミルクは、今朝のうちに《月影亭》の台所で整えておきました。あとは……乾パン、クラッカー、あと――」
「それモチャが食うやつだろ、完全に」
「無論! 旅に娯楽は必要ですからな!」
俺の腕の中では、赤ちゃんマリィが眠たそうに目を半分開けて指をしゃぶっていた。
朝食のあとでお腹がいっぱいになったのか、揺られるたびにふにゃふにゃと顔がゆるんでいる
村には店らしい店は少なく、必要な物はほとんどが個人の家や納屋から分けてもらう形になる。
井戸のそばでは農家の婆さんが野菜を並べていて、干し肉と塩を扱う屋台がもう開いていた。
「兄ちゃん、これも持ってってくれや。旅人が腹壊しちゃあ話になんねぇからな」
干し魚屋の親父が、慣れた手つきで塩干魚を紙に包む。
「今日は幸せな夢を見れて気分がいいんだ。おまけしといてやる」
「どんな夢だったんですか?」
俺が聞くと、親父はふっと笑って目を細めた。
「死んじまった娘が出てきてさ。久しぶりに、話ができた」
淡々とした声だったが、その表情にはどこかあたたかいものがあった。
そして塩干魚の束を差し出しながら、ぽつりと付け加える。
「昔から言うんだよ――“旅人は村に、夢を運んできてくれる”ってな」
そう言って、親父はふっと懐かしむように目を細める。
「また来てくれよ。こういう朝があるだけで、一日が違うからな」
「……はい。きっとまた来ます」
……あの子、やっぱり皆に“幸せな夢”を見せてるんだな。
ネリュス。昨日の夜、どこか拗ねたように笑っていた夢魔の少女が、村の人達にどんな夢を見せていたのかは知らない。でも、こうして穏やかに目を覚ました人たちの表情を見ていれば、わかる。
あの子は確かに、誰かの“朝”を、ちゃんと優しくしてる。
「……マスター?」
「ん、ああ、なんでもない。行こうか」
モチャに声をかけられ、俺は足を動かす。
マリィはまだ指を咥えたまま、すうすうと小さく寝息を立てていた。
「はいよ、野菜と火打ち石。もらってきた。あと薬草は婆さんに『飲めば元気になる』って山盛り渡された」
ラグ姐が戻ってくる。手には麻袋がひとつ、他にも網袋に野菜と薬草が詰め込まれていた。
どうやら近所の人がこぞって持たせてくれたらしい。
「ラグ姐……なんか、人気者じゃん」
「ちげーよ。『良い夢を見せてもらった礼』とか言って、押しつけてくんだよ。……なんなんだろうな、夢のおすそ分けって けど夜とは雰囲気違ってあったけぇよな」
そう言いながら、ラグ姐は照れくさそうに鼻をかき、袋をモチャに押しつける
「これで次なる経由地、王都アヴァンヘルムまではもちそうですな」
モチャが麻袋を受け取りながら満足げにそう言った。
ラグ姐は軽く息を吐き、ふと遠くの空を見上げる。朝靄の向こう、雲の切れ間から覗く光を眩しそうに見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……ま、どっちにしても――最後まで付き合ってやるよ。夢の続きを見る為にな。」
その言葉に、モチャと俺は一緒にラグ姐を見て一拍。
「ラグ姐。やっぱ夢に俺達も出てるんじゃん!」
「はっ!? で、出てねぇよ!!!」
「いやいやラグド氏今自白しましたぞ!!」
「うるせぇうるせぇうるせぇ!!」
モチャが楽しげに口元をゆがめると、ラグ姐は顔を赤らめて手で頭を軽くはたいてきた。
「……いいから歩け! 行くぞ!」
「承知しましたぞ 夢詠みラグド氏」
「殺すぞコラ」
そんな調子でふざけながら、俺たちは静かな朝の光の中、馬車へとゆっくり歩いて戻っていく。
荷はさほど多くない。でも、そのひとつひとつが、どこか心に残るもので村の片隅、小さな井戸のそばで。たったそれだけの買い出しだけど、なんだかすごく満たされている気がした。
馬車の荷台に最後の包みを乗せてロープを締めると、ちょうど《月影亭》の方から小走りの足音が近づいてくる
「おーい、待って~!」
振り返ると、ネリュスだった。手には小さな籠。中には干し果実と数枚のクッキーが入っている。たぶん、見送り用の差し入れか。
「まだあったかいから、途中で食べなよ。ちゃんと焼いたんだよ?」
少し照れたように笑って籠を差し出してくる。どこか焦げてるけど……香ばしくて悪くない匂いがした。
「ありがとう。……お世話になりました」
「こちらこそ ご馳走様でした♪」
ネリュスはほんの少しだけ声を伏せ、いたずらに笑った。それから顔を上げてこちらを見て言う。
「……ねぇ、マスターはちゃんと、幸せな朝になった?」
「うん。村の人達も幸せそうで安心した。ってそれよりも“マスター”って。」
俺が笑いながら聞き返すと、ネリュスはくすっと笑って、そっぽを向く。
「ふふ、モチャさんの真似だよ♪……それとも、嫌だった?」
「嫌じゃないけどさ……なんか女の子に言われるとくすぐったくって」
そう返したその時
「……じゃあ、もっとくすぐったくしてあげよっか?」
ネリュスが小さく囁き、するりと一歩詰めてくる。
俺が反応するより先に、彼女の顔が近づいて――
「ちょっ……!?」
柔らかな唇が、俺の頬に触れる。
一瞬、時間が止まったような感覚。
それは夢の余韻みたいに、けれども、あっけなくて僅かに残る眠気を吹っ飛ばした。
「……おまじない、ね?」
耳元でそう囁いたネリュスは、いたずらを成功させた猫みたいに微笑む。
俺は、目を見開いたまま固まってしまう
思考が追いつかない。心臓の鼓動だけがやたらとでかくて、耳の奥でドクドク鳴ってる。
――な、なんだ今の。こんなの……ズルい
「また、夢でね マスター♪」
ネリュスはひらひらと手を振って、くるりと踵を返すと、《月影亭》の扉の向こうへと消えていった。
しばらくその場から動けずにいる俺に、モチャがニヤニヤしながら近づいてくる。
「……マスターは罪な男ですなぁ」
「な……なななんだ今の!? お前まさかたった一晩で村娘に手ぇ出したのか!?」
次の瞬間、横からガシッと肩を掴まれた。
「見境なしかよお前はあぁぁッ!!!」
ラグ姐だ。顔を真っ赤にして、俺の肩を乱暴に振り回してくる。その勢いに身体ごとぐるんぐるん回されて、まるで脱水中の洗濯物だ。
「うああああああ……脳が震えるぅぅぅ!!」
「ラグド氏そのくらいに! マスターがバターになってしまう故!」
モチャの必死の制止で、ようやく腕の拘束が解かれた頃には、俺はへろへろに脱力して地面に膝をついていた。
「……まじで、干からびるかと思った……」
息も絶え絶えに呟いて、頭をがくりと垂れる。視界がぐるぐるしてて、足元の土の色しか見えない。
「はっはっは、モテる男はつらいですなぁ」
モチャが肩を揺らして笑っている。対してラグ姐は、ぷいっとそっぽを向いてぶすっとしたままだ。
俺は手で顔を覆って、ため息をひとつ。
──まったく、朝から騒がしいったらない。
でも、ふと顔を上げた時、感じたんだ。
あたりには、朝の光とひんやりとした空気、そして――ほんの少しの、幸せな夢の余韻だけが残っているような気がした。
次回更新は三日後予定しています
夏風邪気味で遅れたらごめんなさい




