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妄想英雄 ー俺の黒歴史が今では世界の希望らしいー  作者: 没太郎
第一部 夢の名残編
3/42

第三話 獣は亡骸を拾う

「おいおい、マジかよ……なんでこんなとこに人間が寝てやがる?」


混濁した意識の中で、耳に届いたのは場馴れした女の声。乾いた土の匂い、古びた鉄と油のにおいが鼻先をかすめる。コツ、コツ……石床を踏み鳴らすブーツの音が、やけに遠く響いていた。


――ここは、どこだ。


暗くて、冷たい。だが、妙に静かだ。まるで音のない深海に沈んでいるような、重く、静かな圧力が全身にのしかかってくる。


さっきまで、何かを夢見ていた気がする。あたたかくて、大切で、もう二度と戻れないような何か。けれど、思い出そうとすればするほど、それは指の隙間からこぼれ落ちる砂のように、遠ざかっていった。


身体が鉛のように重く、まぶたひとつ動かせない。喉も、声も出ない。けれど、あの声に何かを伝えたくて、ただ、伝えたくて――それでも何も届かない。


「……死体じゃねぇよな? 息してるな……こいつ、鎧着てるじゃん。てかこの大剣、バカでかッ」


鈍い金属音が響く。誰かが俺の装備をいじっている。ああ、構わない。持っていけばいい。そんなものはもう、どうだっていい。だから――俺を、ここに置いていかないでくれ。


「ったく、隠し部屋で宝でも見つかるかと思ったら……人かよ。どういう仕掛けだ、これ」


独り言のようなつぶやき。粗雑でぶっきらぼうだが、どこか人間味のある声。乱暴な中に、妙な温度があった。


その声だけが、沈みゆく意識の底に、かすかに残った。


「――ま、いいや。連れてく。妙な縁ってやつかもな」


それが最後の言葉だった。俺はふたたび、深い闇に沈んでいく。


――――



次に目を覚ましたとき、頭上には見たこともない夜空が広がっていた。


満天の星。光の強弱で描かれた星座。そして、土星のような環を持つ巨大な月が、青白い光で静かに地上を照らしている。あまりにも非現実的で、あまりにも美しい光景に、思考が一瞬だけ止まった。


横を見ると、焚き火がパチパチと音を立て、橙色の光がゆらゆらと揺れていた。その温もりは、体にかけられた毛布を通して、じんわりと肌に染みてくる。


「目ぇ覚めたか」


あのとき、最後に聞いた声が、ふたたび耳に届いた。


俺はゆっくりと身体を起こす。視界の先には――


筋肉質で引き締まった体格に、黒のレザータンクトップと擦り切れたマント。ハイエナのような斑模様をもつ獣人の女がいた。ウルフカットの短髪が風に揺れ、金色の瞳がじっとこちらを見つめている。


……まさか、俺を拾ってくれたのが、こんな、もふもふだったとは。


その尻尾が、無言のままゆらりと揺れた。そのやわらかな動きに、なぜか胸の奥がふっと緩んでいく。じっと見つめていると、彼女のほうが先に沈黙に耐えきれなくなった。


「あたしはラグド・イエナ。好きに呼べ。で、おまえ、名前は?」


「……山本、誠です」


「マコト、ね……」


一瞬だけ、彼女の目つきが鋭くなった。何かを思い出したような、探るような視線。だがそれもすぐに、無造作な表情へと戻る。


「で、なんであんなとこで寝てたんだ? 墓の中かと思ったぞ、あの隠し部屋」


「……わかりません。ただ、俺……キャンプしてて……誰かと話してたんです。気がついたら、ここにいて……」


言葉にしてみて、はじめて気づく。記憶の中にぽっかりと穴が空いている。誰だ。誰と話していた? 声も、顔も、浮かんでこない。


ラグドはしばし黙って俺を見つめたあと、軽くため息をついた。


「行く宛あんのか?……って、その顔じゃなさそうだな。記憶もおぼつかねぇってんなら、しばらくうちに来いよ。客人ってわけじゃねぇけどな。働き手ってことで。寝床ぐらいは用意してやるよ。……ガキ共も喜ぶだろうし」


「……いいんですか? でも、その、子どもたちにもちゃんと……」


「あはは、真面目だな。まぁ、確かに家族みたいなもんだが、実の子ってわけじゃない。あたしが拾った、親を失ったガキどもさ。身寄りのねぇ奴らにゃ、あたしみたいなもんでも頼りにされんのよ」


獣人が珍しくない世界。拾われる子どもたち。天上に浮かぶ、見たこともない月。


頭が冴えないながらも、意識の隅でようやく危機感が立ち上がる。ここは……地球じゃない。俺が知っていた世界じゃない。


俺は――本当に異世界に来てしまったのか?


けれど、なぜ? どうして?


妄想を供養するためにキャンプに来て……自分自身と向き合おうとして……それで、どうやってここに?


思考が霧の中を彷徨っていると、ラグドが立ち上がって肩をぽんと叩いてきた。


「ま、考えるのは後でいいさ。腹減ってんだろ? 火のそばに寄れ。あたしの作るスープは、そこらの冒険者の胃袋なら一撃で沈めるからな」


「……怖い例えですね」


「ははっ、冗談だよ」


そう笑う彼女の尻尾が、再びゆらりと揺れた。


火のぬくもりと獣人の影。そこが、俺の新しい現実の入り口だった。



――――



朝日が差し込み、ラグドがせっせとキャンプを片付けている。その横で、俺はなんとなく自分の身だしなみを整えていた。といっても、整えるほどの愛着があるわけでもなく──


私物はラグドがまとめておいてくれたようだが、どれにもピンと来ない。


なにこれ、でかすぎんだろこの大剣。でかい、重い、冷たい。あとでかい。なんだこの厨二病の極み。嫌いじゃないぜ


……てか、それよりもトイレ行きたくなってきたなぁ。


ヤバい。膀胱がSOSを発信している。


この鎧、どうやって脱ぐんだっけ……? 頭からかぶるのか 違うのか? まさか、フルオーダー式のパズル装備?


女性に対して大変心苦しくはあるがここは彼女に頼むしかないか。


「なあラグドさん……ちょっとこの鎧、脱ぎ方わかんなくなっちゃって……手伝ってくんない?」


「はあああああ!? お前、自分で着たんだよな!? え、ちょ、待て、なんで私が! なんで私が良い歳した男の鎧脱がせなきゃなんねぇんだよッ!!」


「いや、あの、ほんと申し訳ないんだけど、マジで漏れる……! 物理的にも尊厳的にも危機が訪れてるの!」


「知るか!! 一人でお着替え出来ねぇ時点で尊厳もクソもない てかお前何歳だよ!」


「十九! 今、一番繊細で不安定な時期なの!!」


鎧姿で内股になって小刻みに揺れる十九歳男性、ここに爆誕。


「……ッッはああああもぅッ!!! わーかったわかった!! ちょっと待ってろ、手ぇ出すな! 引っ掛けたらマジで殴るからな!!!」


「神に誓って真っ直ぐ飛ばさないよう気をつけます!」


「誓わなくていいわ!! いや誓ってくれ!! てかなんで私がこんな目に!!」


ラグドが渋々近づいてくる。目つきは殺意、手つきは介護士。頼もしいけどこわい。


「……よし、まず背中の留め具外す。動くなよ? いや、マジで。暴れたら問答無用で蹴る」


「了解……静かなる尿意の戦士になります……」


「言い回しがキモい!! よし、次、脇下の金具……って、これ固ッ!? なんでこんなとこ締めてんだよ!」


「当時の俺が何を考えてたのか、今の俺にもわかりません……」


「未来に喧嘩売ってんじゃねぇよ過去のマコト!! ──よし、外れた。あとは、脚……って、なんでこんなとこにもパーツあるんだよ!? 防御過剰にも程があんだろ!!」


「その分、守られてるはずなんです……股間とか……!」


「誰もお前の股間守りたくねぇんだよ!! よし、ラスト! これで──」


ガチャリ、と音を立てて鎧が開く。


「……あっ」


「っしゃああああああああ!!」


光の速さで走り去る男。その後ろ姿は、何かを脱ぎ捨て、何かを得た者の背中だった。


──そして残されたラグドは、脱ぎ捨てられた鎧を見下ろしながら、呆然と呟く。


「……もうちょいで引っ掛けられてた。マジで命懸けだった……」


用を足して帰ってくると、ラグドは焚き火の後片付けを終えたところだった。

地面に腰を下ろし、タバコのような細い葉巻をくわえている。

口にくわえたまま、ちらっと俺を見た。


「……すっきりしたか、内股」


「その呼び方やめて」


「いや、もうそれ以外のイメージなくなったわ」


悪態をつきながらも、ラグドはどこか笑っていた。

さっきまでの怒号と殺意が嘘みたいに、声に棘がなかった。


「なんか、あれだな。お前って、もっと気難しい奴かと思ってた」


「……気難しい?」


「うん。なんかこう、ずっと何か背負ってそうな顔してるし。昨日も静かだったし、あんま自分から喋らねぇし。ほら、いかにも“ワケありで闇抱えてます”みたいな」


「……まあ、実際抱えてるけど」


「だろうな。でも──今朝のでチャラだわ」


ラグドが鼻で笑う。その笑いには、敵意も皮肉もなかった。


「全力で内股でぷるぷる震えてる奴見てさ、“あ、こいつ人間だな”って思ったわけよ。……妙な言い方だけど、ちょっと安心したんだ」


「安心……されるような場面だった……?」


「うん、バカだった。すげぇバカだった。でも──」


ラグドが葉巻を口から外し、ぽいと地面に投げ捨てる。


「そういうバカが、いざって時に命張ってくれるって、私は信じてんだよ」


胸の奥が、少しだけ温かくなる。


……ありがたい言葉だ。

でも、それを素直に受け取るには、まだ俺は“自分自身”ってやつを、よくわかってない。


「ま、あんま気張んな。背負ってるもんがあっても、漏らしたら全部パーだ」


「最後にそれ言うな!!」


ラグドは豪快に笑った。

その声を聞きながら、俺は少しだけ、ここで生きていける気がした。

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