第二十四話 演技は鎖に繋がれる
「二人とも、エルグナ奴隷市場が見えてきたわ。手筈通りにお願いね」
ヴェル美の声を合図に、俺は道中手渡されていた鉄仮面を顔に付けた。
カチリ、と小さな音がなり、そんな音と共に、身体を切り替える。
力任せに何かを叩き潰せそうな、厚く盛り上がった筋肉と無骨な腕。
剣で斬りつけられても怯まなそうな、異様なまでに頑強な皮膚。
それは――かつて存在した“英雄”の身体。
俺はこの状態に名前をつけた。“エイドロン(code:Eidolon)”。
英霊の残響。借り物の器。
ヴェル美曰く、この筋骨隆々の姿の方が奴隷市場での“商品価値”を高めるのだそうだ。
……正直、どういう用途での価値なのかは、あまり深く想像したくないけど。
俺は捕まった英雄。俺は捕まった英雄。俺は捕まった英雄――
頭の中で何度も唱える。
“英雄が鎖に繋がれている”という矛盾したイメージを、自分の中に強く定着させなきゃいけない。
そうしないと、この身体はすぐに俺を振り落として、ただの“俺”に戻ろうとするからだ。
ガタン、と馬車が大きく揺れた。
車輪の下で砂利が跳ね、車体が軋む。
どうやら門の前で止まったらしい。
鉄格子越しに外を覗くと、埃っぽい赤土の地面と、不気味な装飾が彫り込まれた高い門。
それを固めるのは、黒革の鎧を身につけた門兵たち。数は四人。
槍を地面に突き立て、無言のまま俺たちの馬車を睨んでいた。
「さあ、着いたわよ。“それらしく”なってちょうだい?」
ヴェル美が前座席から振り返り、にこりと笑った。
あくまで上品に、あくまで優雅に──だが、目だけは冗談を許さない。
俺は鉄の枷を見下ろし、鎖が引きずる音に合わせて立ち上がる。隣ではマリィも静かに腰を上げていた。
「……こ、こわいよぉ……村に、帰りたい……っ」
震える声。肩をすぼめ、涙を浮かべるような目。本当に泣いているようにしか見えない。
ヴェル美はひと足先に馬車の扉を開き、地面へと降り立つ、ずっしりとした足音。
その姿は、まさに“現場叩き上げの奴隷商人”。
肩にはくたびれた革のショール。煤けたローブはほつれ、汚れ、袖口には焼印の跡。
腰には分厚い台帳と、焼印用の刻印棒。手には巻物状の取引証――見るからに本職だった。
「おや、〈南方組合〉の方ですね。今日は何のご用で?」
門兵の一人が問いかける。無骨な声。油断もない。
「取引だ。上物の奴隷二体。旅のついでに拾ったんでな。」
低く、乾いた声。荒れた街道を踏破してきた商人の、それも裏稼業の声音……完璧な“切り替え”だった。
俺たちは馬車から引きずり出される形で姿を見せる。
マリィは鎖の音を鳴らさぬよう慎重に一歩を踏み出し、膝を折るように小さく縮こまる。
声の出し方、目線の角度、足の運びまで――全部が、緻密に組み上げられていた。
「……ほぉ。なかなか整ってるな」
「小柄だけど、手は器用そうだ。屋敷仕事か?」
門兵たちの目がマリィに向くのを、俺は視界の隅で感じる。
マリィは一瞬だけ、伏せたままの睫毛の奥で、彼らを見返していた。
体を細かく振るわせ、動けない様なそして、それでも逃げたがっているように見える視線。
見られることを計算に入れた、“完全なる奴隷の演技”。
……恐ろしい。
「でかい方は?」
「あぁ、こっちは鉱山で見つけた。捕えるのに四人がかりだったとか。黙って従っちゃあいるが、活きが良いのは確かだぜ。」
ヴェル美が軽く笑って言い、門兵の視線が今度は俺に移る。
「……なるほど。確かに筋はいい。あの体格、荷役か地下作業向きか……検査は?」
「済ませた。奴隷印も刻印済み。鎮静薬も服用させてある。」
それはもちろん全部嘘だが、ヴェル美の口調には一切の曖昧さも、引っかかりもない。
「……よし、通れ」
門がゆっくりと開く。鉄と石が擦れる鈍い音が響き、視界の奥に、市場の内部が現れる。
門を通過した馬車は、軋みながら奴隷市場の敷地内へと進んでいく。
俺たちは再び檻の中に戻され、鉄格子越しに市場の内部を眺めていた。
囲いで仕切られた露店のような売場。土間の上に直に座らされている者もいれば、逆さに吊られている者までいる。檻の中にひしめく男女――痩せこけ、目に力のない者、牙を剥き続ける者、虚ろなまま蹲る子供。
吐き気がした。
目を逸らしたいのに、視界から離れてくれない。
「さあ、荷降ろしよ」
ヴェル美が馬車を止め、外へと降り立つ。肩に焼印棒を担ぎ、くたびれた商人の顔を完璧に作りながら、係員と短くやり取りを交わす。
やがて檻の鍵が開けられ、俺は枷の重さを感じながら立ち上がる。
ガチャリ、と鎖が地面を這い、ジャラ……と乾いた音が響き、隣のマリィも静かに立ち上がる。さっきまでの怯えた少女の仮面は消え、ただ、表情を伏せた“器”のようになっていた。
ヴェル美に鎖を引かれ、俺たちは馬車から降ろされる。足元の石畳は粗く、ところどころに乾いた血と吐瀉物の跡。鼻をつくのは、鉄と汗と腐肉が入り混じった、どす黒い臭気。
一歩、また一歩と進むたび、周囲の視線が刺さってくる。
「見ろよ、あのガキ……目つきがいい」
「でかい男は……あれ、鎮静済みか? 暴れたら損だしな」
「いや、逆に見せ物に使えるんじゃないか?」
勝手な品定め。まるでスーパーの野菜でも選ぶような目。
俺は必死に“捕らえられた英雄”の仮面を貼り付けながらも、心のどこかでざらつく感情が収まらない。
俺は甘かった。“演技だから”“社会勉強だから”――そんな言い訳を盾にして、来るべきじゃなかった場所に、足を踏み入れてしまった。
誰かを救いたいとか、ジンさんを助けたいとか……聞こえのいい理由を並べて、本当は、ただ“何者かになりたかった”だけなんだ。
ヴェル美の筋書きに乗って、マリィに手を引かれて、舞台に上がったつもりでいた。
まるで物語の登場人物にでもなったみたいに。
この異世界に来たこと自体が、何か特別な意味を持ってる気がして……浮かれてた。
だけど今、目の前にあるのは絵空事じゃない。
ここには本物の痛みがあって、本物の鎖がある。
逃げ場も、照明も、カーテンコールもない。
……俺だけが、“これは演技だ”なんて思い上がってた。まるで夢の続きを歩いてる気でいたのは、きっと俺だけだ。
マリィに目をやると何かを見つめているーー視線の先には子どもがいた。
七、八歳ほどのマルコやスミアと同じくらいの男の子。頭を丸められ、鉄の首輪を嵌められて、木枠の中にうずくまっている。誰かの指示で立たされ、背筋を伸ばそうとするが、背が伸びきる前に怒鳴られて倒れる。
「……ねえ、誠一郎」
小さく囁くような声。
「あの子……“いい演技”だと思わない?」
俺は、思わず彼女の顔を見た。
「……は?」
「だって、怯えて、震えて、逃げたそうで。誰よりも“従順な奴隷だった”……あれなら、買われやすい」
マリィはまっすぐ前を向いたまま、何でもないことのように言う。
声に感情はなく、目には揺らぎもない。ただ、役に立つか、価値があるか――その観点で、子どもを見ている。
(……何言ってるんだ……今のを“演技”だと……?)
喉の奥が冷え、心が、きしむ音を立てた気がした。
いつもの彼女のズレた発言だとわかっていながらも冷静を装うが声が震える。
「マリィ……あの子は……ほんとに怖くて……」
「知ってる。でも、それってここじゃとても合理的。反抗的なのは処分される。」
彼女は当然のように答える。まるで、誰かの死も、泣き声も、手段のひとつに過ぎないとでも言いたげに。
(……ぞっとした)
声は静かだった。冷たいわけでもない。ただ、あまりにも“何も感じていない”ことが、逆に怖かった。
俺の知ってるマリィは、無口で冷静で、でもどこか抜けてて。少し変だけど、優しいところのある子だと、どこかで思っていた。
だけど今のマリィは、まるで別人だ。
まるで、正解の行動だけを選び続ける機械みたいに、笑顔も、涙も、怯えも――その全部が、彼女の中では「選択肢」にすぎないのか。
俺は思わず距離を測るように視線を外す。
すぐ隣にいるはずなのに、ものすごく遠い場所にいるように感じる。
声に出せない。今、俺は“鎖に繋がれた商品”で、“捕らえられた英雄”で……色々とぐちゃぐちゃになる。
その時――買い手たちの下品な品定めがまた耳に入ってくる。
「……あの目立つ筋肉の方、あたし好みねぇ。値が張りそうだけど」
「小娘の方は……あの屋敷の旦那が好きそうだな」
クソッ……お前らみたいなのがいるから……いや、違う。
俺が言える口じゃない。
“演技”だの“潜入”だの、正義ヅラして……何も知らずに、踏み込んだのは俺だ。
誰かを救ったわけじゃない。 誰かを殴ったわけでもない。 ただ、黙ってこの場所に立ってるだけ。
虐げることも、救うこともせず、傍観者気取りで、
それでいて、まるで“自分も被害者です”みたいな顔して鎖に繋がれた“奴隷役”を気取ってる。
……気持ち悪い。
本当に痛みを味わってる奴らの隣で、俺は“それっぽい表情”で、“それっぽい言葉”を考えてる。
誰よりも薄っぺらいのは、俺だ。
ムカついてんのは……こんな自分にだ。
けど役は崩せない、役を崩せば、全部が終わる。
ヴェル美が、俺の鎖を無言で軽く引き、俺は引かれるまま前へ出る。鎖が引きずる音が、足音と混ざって無機質に響いた。
――こんな“役”を演じるなんて引き受ける事自体、間違っていだった……けど、今さら引き返せない。
(……潜入だ。今は“演じるしかない”……俺が、俺を誤魔化してでも……。)
心の中で唱えるたびに、皮膚の下を這いずる嫌悪感が強くなる。
だって目の前に広がる光景は限りなく現実なんだから
俺は、ただ足を止めずに歩くしかなかった。




