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妄想英雄 ー俺の黒歴史が今では世界の希望らしいー  作者: 没太郎
第三部 焔を背負いし者編
24/72

第二十二話 影は火を拒む

晩御飯が終わり、孤児たちがそれぞれの寝具に潜り込んでいく。 スミアが最後にランプの火を消し、子ども部屋の戸が静かに閉じられた。


薄暗いリビングには、まだ温もりの残る食器と、かすかに残る香辛料の匂い。

ソファを囲むように──ラグ姐、マリィ、俺、そしてヴェル美が腰を落ち着けている。


誰からともなく、自然と無言の空気が流れる。

まるで、何かを“見送った”あとの静寂のようだった。


「──さて」


沈黙を破ったのは、ヴェル美だった。ソファに深く腰を落とす。

その所作は優雅で洗練されていたが、吐き出される声には、氷をまとうような冷気が混じっていた。


「天使ちゃんたちも眠りについたことだし、ここからは“大人の話”を始めましょうか」



彼女の目が一瞬、こちら──いや、ラグ姐の方へと流れる。


「まずは報告。マルコ君にも伝えたけど──

 あれだけの騒ぎがあった割に、エクレ村の住民は全員無事だったわ……一応ね」


言葉の末尾に、わずかな重さ。

安心のために置かれたような「全員無事」は、どこか空々しく響いた。


ヴェル美は腰のホルスターから、スマホに似た端末を取り出し、指先で軽く弾く。

空中に立ち上る波形──その幾何学的な揺らぎの中に、赤黒い濁流のようなノイズが走った。


「ただし。村で生活用水として使われていた井戸から──

 “血誓薬”に酷似した成分が検出されたわ」


「……っ!?」


ラグ姐が椅子を軋ませ、咄嗟に立ち上がりかける。


「血誓薬だと……!? なんでんなもんが……!」


その声音には、怒りと驚愕、そして一瞬だけ、別の何か──怯えのような感情すら滲んでいた。


ヴェル美はそんなラグ姐の反応にも、眉ひとつ動かさない。


「やっぱり聞き覚えがあるのね。──元傭兵の貴女なら、当然かしら」


部屋の空気が一気に冷え込むのを感じた。

背筋に氷を押し当てられたような感覚に、俺は思わず口を開く。


「その……血誓薬って、なんなんですか?」


ヴェル美はゆっくりと視線をこちらに向ける。

その瞳は、まるで診察する医師のように冷静で、どこか見透かすようだった。


「服用させることで、使用者の命令を最優先で実行させる魔法薬。

 要するに──“自我”の上に、“他人の意志”を上書きする禁忌の薬よ」


ぞわりと、喉の奥が冷える。

それがどれほど恐ろしいものか──言葉では理解できても、身体が先に警鐘を鳴らした。

隣のラグ姐も、いつになく表情を硬くしている。まるで血の気が引いていくのが見えるようだった。


「もともとは奴隷管理のために開発された薬。

 でも倫理的に完全にアウト。今じゃ製造も所持も、魔法法典で厳しく禁じられてるわ」


ヴェル美の声が、さらに数度、温度を下げる。


「それを──“誰かさん”が村の井戸にばら撒いたってわけ」


「……っ! じゃあ、あの村で漂ってた、甘ったるい匂い……」


ラグ姐が息を呑みながら、思い出すように眉をひそめた。


ヴェル美はコクリと頷く。


「そう。揮発成分も含まれていたの。

 あなたも微量ながら摂取していた様ね……血液から反応が出てたわよ」


「……っ!」


ラグ姐の肩がわずかに震えた。

怒りとも、悔しさとも、別種の感情──恐怖に近いものが、ほんの一瞬だけ表情に浮かんだ気がした。


ヴェル美はそれを見逃さず、一拍置いて、口角をわずかに持ち上げる。


「──魔力回路の薄い獣人でよかったわね。

 でなければ、今ごろ言葉遣いがやたら丁寧で、従順な優等生にされていたかも?」


「ふざけんな……誰がそんな──」


ラグ姐が低く舌打ちを鳴らし、睨み返す。

けれど、その睨みも少しだけ──ほんの少しだけ、揺らいで見えた。


「冗談よ。でも、あり得た現実。

 使用者──マクスウェルは現在、私達の監視下にあるから、最悪の事態は避けられたけど」


淡々とした語り口の裏に、僅かに刺さるような緊張感が混じる。


ラグ姐は睨みつけたまま、低く吐き捨てた。


「……アンタ、さては最初から知ってたな? 血誓薬のことも、教団との繋がりも……いったい何者だ」


その問いに、ヴェル美はすっと立ち上がった。

そして、腰元の裏から小さな黒漆の装飾品──紋章のようなものを取り出す。

光を吸い込むような艶に包まれたそれを、彼女は指先でくるりと回しながら掲げた。


「“燈守とうしゅう”所属──導燈階級、クロエ・ヴェルミチェッリ 英雄を支持してる組織よ」


──英雄支持組織。


その言葉が、脳の奥底に重く沈む。

胸の奥がざらりとする。心臓が一瞬、変なリズムで跳ねた。


英雄マコト──

……いや、違う。それは俺じゃない。

あくまで“この身体の元の持ち主”のこと。


その言葉に反応した自分がいた。

ざわりと、何かが動き出す気配がした。


そのとき。

静寂を破るように、マリィが口を開く。

声は静かで、けれど、明確な“敵意”がそこに宿っていた。


「……なるほど。貴女、“あちら側”だったのね」


さっきまでの、酒カス幼女の面影はどこにもなかった。無表情の奥に、冷えた刃のような輝きが灯る。

その目を、ヴェル美は受け止め──そして微笑んだ。


「すごいプレッシャーね。

 ──ってことは、あなたは“そちら側”?」


「勝手に話進めんじゃねぇ。ちゃんと説明しろ、お前ら」


ラグ姐が苛立ちを隠さず噛みつくと、マリィが視線を戻し、再び口を開いた。


「……彼らは、“英雄”を崇め、英雄を信じ、英雄を支え、その復活をずっと待ち望んでた。

けどそれは英雄を”人”として見ていない。”火”として、”象徴”として、”使える力”として利用する為。

彼をまた燃やす訳にはいかない。誠一郎を──“英雄にする”わけにはいかない」


その言葉に、ヴェル美の微笑が深まる。


「……やっぱり。長年連れ添っただけあるわね。

 やけに目の奥の“否定”が、重かったから」


「黙れ。私は“ただのマリィ”。

 でも──彼を“使い物”のように扱うつもりなら、今ここで、貴女の“灯”を消す」


その言葉とともに、空気が凍りついた。

ほんの一瞬、部屋の温度が数度下がったように感じる。

ラグ姐が反射的に剣の柄へと手を伸ばす──が、すぐに止める。

分かっているのだ。ここで刃を抜けば、本当に何かが壊れると。


その張り詰めた空気に、俺は耐えきれなかった。

喉が乾き、背中に汗がにじむ。言わなきゃ──そう思って、ようやく声を振り絞った。


「ちょ、ちょっと待ってください……! 俺は……そんな、大それた存在じゃない。確かにエクレ村の時は必死でしたけど……英雄マコトとは中身が違うっていうか、別人っていうか 何より普段はこんなで……」


少なくとも、今の俺は──組織に支持されるような人間じゃない


その言葉に、ヴェル美は目を伏せて、小さくため息をついた。


「……ふぅん なら、あれが”英雄ごっこ”だったとでも言いたいのかしら それなら尚更放って置けないわね。

一時的とは言え、ごっこ遊びで世界の理を変えるなんて」


そう言って彼女はソファの背にもたれ直し、ゆっくりと語り始める。


「私が貴方を“英雄”、あるいはその生き写しと判断した理由は、三つある。


 一つ目──凄腕の暗殺部隊、四十名をたった一人で、素手で沈めたこと。

 二つ目──燈守が十年以上かけて調査していた“神の加護”と呼ばれる結界を、初見で看破したこと。

 三つ目──周囲のマナを逆流させ、結界を強制的に打ち破ったこと。


……特に三つ目は、偉業なんてレベルじゃない。

奇跡、それこそ“神の所業”と呼ばれてもおかしくないわ かつての英雄マコトじゃないにしろその実力はSランク冒険者や国の騎士団長レベルを余裕で超えてる。」


俺は、ただ黙って聞くしかなかった。


やりすぎたんだ。日常を壊してしまうほどに。何かやっちゃいましたでは済まなくなったのだと俺は理解した


「……姿がどうであれやってのけた事実は変わらない。その“力”は、紛れもなく貴方のものよ」


そう言ったヴェル美は、少しだけ視線を天井へ向ける。

思案の色が混じったその横顔に、ほんのわずかな葛藤が見えた気がした。


「──っとまぁここまではあくまで燈守としての私の意見ね」


そう言った彼女の声に、かすかな疲れが混じっていた。張りつめていた糸が、ほんの一瞬だけ緩み、ヴェル美はソファの背にもたれ、視線を宙に遊ばせる。


「……私は今、“クロエ・ヴェルミチェッリ”という個人として、ここにいる」


その名を告げたときの彼女は、もう“組織の使者”ではなかった。

どこか、孤独な戦いを続けてきた一人の人間として、目の前にいた。


「貴方がただの英雄で収まる存在じゃない……それは、脅威でもあり、可能性でもある。

 けれど、私も──貴方が“燃え尽きていく未来”を見たくはないのよ」


彼女はゆっくりと足を組み直す。その仕草には、戦場の緊張ではなく、静かな決意がにじんでいる。


「だから私は、報告しなかった。

 貴方が“光”として祀り上げられ、また誰かに利用されるくらいなら──

 私は、あえて“灯”を抱えてここに残る選択をする」


その目が、まっすぐに俺を見つめる。


「あなたが立ち上がれば、世界はざわつく。

 人々の信仰は揺れ、権力の均衡は崩れる。

 ……抑圧された場所から、“何か”が這い出してくるかもしれない」


それは、警告というよりも予兆だった。


「だから私は、あなたの隣に立ちたい。

 誰にも、その火を奪わせないために──

 そして、もしその火の暴走を止める為にね」


張り詰めた刃ではなく、柔らかく、それでも真っ直ぐに芯のある声だ。


「……そういうわけで、お願いがあるの」


ヴェル美が少しだけ笑みを浮かべる。

先ほどまでの冷たさとは違う、素の表情だった。


「私を、“ノラ”に入れて♡」


部屋に静かな空気が満ちる。


「“英雄”としてじゃない。“誠一郎”としてあなたが生きたいなら、私はその生き方を支えるわ。

 だから、マリィちゃんも……あなたも、安心して背中を預けて」


彼の言葉の奥に、さりげなく込められていた。

──“火種”を探す者たちが、この街の空気をじわりと変え始めているという事実。

燃え残った静けさの中に、確かに別の気配が混じり始めていること


そのとき──マリィが静かに立ち上がり、俺の隣へ一歩だけ近づく。

その動きに、異様な気配を感じた。


「……誠一郎」


いつもより少し低く、わずかに震えた声だった気がした。気のせいかもしれない。でも、胸に冷たいものが走る。


マリィはまっすぐに俺を見つめる。

その視線の奥に、言葉にできない鋭さが潜んでいた。


「貴方の“選択”は?」


一瞬、言葉に詰まる。

問い詰めるでも拒むでもなく──だが、答えを誤れば何かが壊れそうな緊張がある。


「今の俺は英雄じゃ無いよ……けど……“誰かを守りたい”って思ったのは本当で──そのために、彼がここにいてくれるなら……今を守れるなら俺は、それを拒まない」


マリィの表情はほとんど変わらない。

ただ──ほんのわずかに目を細めたように見えた。


「……なら、私は“そばにいる”。

貴方がその答えを忘れそうになったとき──

 すぐに叩き込めるように」


その言葉にヴェル美が肩をすくめて笑う。


「いやだわ、私そんなに信用ない?」


マリィは何も言わなかった。

けれど、その沈黙こそ何より強い否定に思えた。


ラグ姐は鼻を鳴らす。


「……アタシは隊長じゃないから異論はねぇけど……ただ、勝手に来て、勝手に守るなんて、ずいぶん都合がいいな」


「都合がいい女なの。ほら、便利でしょ?」


ヴェル美のにやりとした笑みに、ラグ姐は舌打ちする。


──こうして、“もうひとつの火”がノラに加わったのだった。


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