第十一話 悪意は足音を隠す
ーー『獣の巣』2階・誠一郎の個室ーー
俺は荒い息を吐き、額に滲む汗をぬぐいながら、全神経を集中させていた。
「マリィ……ハァ、ハァ……ダメだ……これ以上は……くっ」
焦りに飲まれそうな俺とは対照的に、マリィはいつもの無表情で淡々と言葉を投げる。
「まだ……硬くない。集中して。大丈夫、前より太くなってるし、大きい」
クソ……意識が飛びそうだ。理屈じゃない。ただ、ひたすらに必死で――
「動かさないで。ズレるから」
「あのなぁ……お前らーー」
「静かにして、イエナ。今は共同作業中。誠一郎はもっと“中”に意識を向けて」
「マリィ……本当に、もう限界……あああッ!! 出るぅ!!」
ーーーバシュッ!!
俺の妄想具現が完成し、鉄鉱石を代償に鉄の剣が床に現れる。硬質な音を立てて現れたそれを確認すると同時に、背後から――
「ゴツンッ!」
ラグ姐の鉄拳が俺とマリィの頭を叩いた。
「あ”あ”あ”あ”あ”」
「お前らな……言い回しが不純なんだよ。一階にはガキもいるんだぞ!」
「不純って何? どこが? どのへんをどう受け取ったのか具体的に教えて。理解したい」
マリィがまっすぐな瞳でラグ姐を見つめると、彼女は目をそらしながら顔を真っ赤に染め、毛を逆立てる。
「それは……いや、ちょっと私の……考えすぎっていうのも……ゴニョゴニョ」
「ふっ……イエナの頭の中、ピンク色ね」
「ゴツンッ!!」
マリィの一言がトドメになり、なぜか俺にももう一発が飛んできた。
「自覚あるんじゃねぇかッ!!」
「二度もぶったッ!? 俺、なんにも言ってないのに!」
「管理責任だ。……で、出来たんだろ? 見せてみろよ、“出したやつ”」
あれから数日。マリィが『獣の巣』に加わってから、俺たちは日中、『ノラ』として依頼をこなし、夜はこの部屋で、俺の訓練に付き合ってもらうのが日課になっていた。
この奇妙な力――“妄想具現”を使いこなす為
そして、無力だったあの頃の自分に、二度と戻らない為に。
ラグ姐は完成した鉄の剣を手に取り、光にかざしながら角度を変えつつ、ひと振りして言った。
「……鈍器にしては悪くない。鉄製なら、まぁこんなもんだろ」
「鈍器って……いや、それ剣なんだけどな」
「斬るには刃が甘ぇんだよ。厚すぎて食い込まねぇ。けど、打ちつけて骨砕くには丁度いい。アタシの相棒も鈍器寄りだからな。こういうの、嫌いじゃないぜ」
俺は剣を見下ろす。……確かに刃先は丸く、重量も先端に偏っている。言われてみれば、その通りだ。
「そういやラグ姐の剣、トゲトゲしてるよね。独特というか……なんというか」
「あぁ。肉は叩くとやわらかくなるだろ? 潰れて出てきた繊維を、この棘で掻き出すんだ」
「……ひぇ。聞かなきゃよかった……エグい、それ……」
想像してしまい、思わず背筋がすくむ。あの武器、見た目だけじゃなく用途までエグかった。
ラグ姐は剣を元に戻し、あくびをしながら目をこすって立ち上がる。
「アタシはもう寝る。お前らもほどほどにしとけよ。朝は早いんだからな。それと……何度も言ってるが、外でその力使うのは禁止だぞ!」
「わかってるって、ラグ姐。おやすみ~」
「おやすみなさい、イエナ」
ラグ姐が部屋の扉を開け、眠たげな背を見せて去っていく。その足音が廊下から聞こえなくなると、部屋には再び静けさが戻った。
窓の外には夜の風が通り、遠くで猫が喧嘩しているような声がかすかに聞こえる。
「……続ける?」
マリィが問いかけるまでもなく、俺はもう一度床に座り直す。
「もちろん。今のじゃまだ“刃物”とは言えないしね……」
あの剣――いや、鉄の塊は、確かに俺の妄想具現の限界を映していた。イメージが甘い。形状も用途も。頭の中にある「剣」はまだ、ぼやけている。
「じゃあ、もう一回。今度は、薄く、鋭く。鉄の質量と、重心の位置も意識して」
「わかった……なんかマリィも最初に比べて教えるの上手くなったよね」
「当然。訓練は日々の積み重ね。それに……」
マリィはすっと俺の隣に座ると、俺の肩に手を添えてきた。その冷たい指先が、まるで体温の代わりに“思考”を伝えてくるようだった。
「誠一郎は、他人に教わるより、自分の中で構築していくタイプ。私はそれを補助してるだけ」
「……ありがとう 頑張るよ」
マリィは小さく首を傾げた。感情を表に出すことの少ない彼女が、ほんのわずかに口元を緩めたのを俺は見逃さなかった。
「じゃあ、いくよ……今度こそ、ちゃんと刃を思い描く。切れるものを、斬れる剣を」
目を閉じ、深く息を吸い込んで、鉄の匂い。重さ。冷たさ。研ぎ澄まされた刃の光。何度も見たアニメやゲームの中の“理想の剣”を、自分の中の現実へと落とし込む。
「……出ろ」
ビィン――という金属音にも似た空気の揺れと共に、床に光がきらめく、そこに現れたのは、さっきよりも明らかに細く、鋭くなった剣。まだどこか無骨ではあるが、刃としての輪郭を備えた“武器”だった。
「……さっきより、切れそう……明日イエナに見て貰いましょう」
マリィが無表情のまま評価する。
「うおっ……マジか、やった!!……ご指導、ありがとうございます 先生」
「いいえ、こちらこそ……“教材”として優秀」
その淡々としたやりとりの中に、確かな熱があった。
俺はベットに座り直してその熱を確かめ合う様にマリィと会話する
「……にしても正直、こうして剣一本作り上げるのにこんなに苦労するとは思わなった……ウサギの時は割と直ぐに出来たのになぁ」
「当たり前……あの時、大部分を私がサポートした………魔族的魔法で。」
明らかに間があり、椅子に掛ける彼女は少し目線を逸らしながらそう言ったが俺は何も聞かずにただ頷く。
「……そうだったんだね……道理でうまくいかない訳だ。 ありがとう あの時は助かったよ」
マリィは小さく「ふっ」と鼻を鳴らし、突然俺の膝の上に腰を下ろす。
「ちょっ……どうしたのマリィ いきなり」
「タダ働き良くない イエナも言ってた。対価を所望 ポルカにやるみたいに撫でて」
表情は相変わらずの無機質で、目線もまっすぐ――その真剣さが逆に冗談に聞こえない。
「……えっと……いや、その……マリィさん?」
「なに?」
「撫でて、って……こういうの俺、求められ慣れてなくってさぁ……」
「? ポルカにいつもしてる……誠一郎はポルカには甘い。ずるい」
そう言って、ぷいっと少しだけ頬を膨らませた。わずかに、ほんのわずかに、無表情に“感情”が滲む。
「いや、ずるいとか……ポルカはまだ子供で……」
「マリィも今は子供……問題ない」
……どこかでこの状況を止めなきゃとは思いつつも、今日の訓練の成果と、彼女のわずかな笑みに心を動かされてしまう。
「はぁ……わかったよ……俺でいいなら」
俺は手を伸ばし、彼女の銀の髪をくしゃくしゃと優しく撫でる。細くて柔らかい髪が指の間をすり抜けて心地よく、なぜか懐かしい気持ちになった。
「……ふ」
マリィは、目を閉じて小さく息を吐いた。耳の先がほんのり赤くなっている。
「なんか意外だな……マリィがその……甘えん坊だったとは……」
「……否定はしない。甘やかしてくれるなら、それが“正義”」
「……じゃあ、あと10秒だけね」
「12秒」
「はいはい……」
そう言って、俺はもう一度マリィの髪を撫でた。ふわりとした手触りに、どこかこそばゆい気持ちと、達成感が混じり合う。マリィは目を閉じ、小さく息を吐いた。
「……ふぅ。誠一郎の手、熱い」
「その言い回し……またラグ姐怒られるよ?……あとマリィが冷たいんだからね」
「そう。だから丁度いい」
その時だった。微かに、部屋の外から音がした。軋む床。気配。
そして――
「……グルゥ……」
「ん?」
小さな音が耳に届く。まさかとは思いつつ扉の方を振り向くと、薄暗い廊下の隙間から、金色の目が覗いていた。
「……なんだァてめぇら……」
ギギィ、と扉が開き、ラグ姐が半眼で立っていた。腕を組み、髪はぼさぼさ。眠ったはずの彼女が、なぜか戻ってきている。
「ら……ラグ姐!! これは違くて! 俺は決して性犯罪者予備軍じゃ! ただのコミュニケーションの一環で……だからその追い出さないでください!!」
鉄拳制裁が飛んでくると思い俺は、咄嗟に頭を抱えて身構えるが……いつまで経っても来ず、ラグ姐を恐る恐る見ると、眉をひくつかせ、意味もなく顔を手で仰ぎながら視線を泳がせている。怒ってるというより、なんか混乱してる?
「水飲もうと思ったらさ……なんか“甘やかしてくれるなら正義”ってのが聞こえてきてな。いや、なんつーか……うん……なんつーかよ……!」
「いや、その……これはマリィが対価とかなんとか……」
俺が言い訳を口走るのと同時に、マリィが静かに顔を上げて悪魔的笑みを浮かべながら言った。
「フ……イエナずっと見てたの気づいてた。扉、軋んだ音。呼吸も乱れてた」
「なっ……ち、違う! ちょっと様子が気になって! 見てたってほどじゃ……!」
「揶揄うのって楽しい。んじゃ私……寝る」
マリィはそう言って俺の膝から立ち上がり、すっと部屋から出ていった。
イタズラが本命だったか。本当にあの子は………
残された俺とラグ姐の間に何とも気まずい沈黙の空間が生まれる。
「……誠一郎」
「は、はい」
「尻尾触るか?」
「え……怖い……冥土の土産にってコト!?」
「ふ、ふざけんなテメェ!!ふわふわに飢えてんのかと思って心配してやったんだろうがよ!!もう寝る!! 明日寝坊したら承知しねぇからな!!」
ラグ姐はそう言い放つと、ドスンと足音を響かせて自室へ戻っていった。
俺はその背中を見送りながら、ベットに横になり、静かに息をつく。
なんていうか……いつも賑やかで、気づけばこんな時間まで騒いでるけど。
だからこそ、ここでの毎日が妙に居心地いいんだ。
部屋の隅で、まだ残る笑い声の余韻を感じながら、俺はゆっくりと床に身を沈めた。
夜の静けさが優しく包み込み、星明かりが窓の外で優しく瞬いている。
自然と瞼が重くなり、思考がゆるやかに遠のいていく
気づけば、深い眠りに落ちていた。
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「ん……さみぃ……」
目を覚ますと妙に重い感覚が足元に残っていて、もぞもぞと毛布が動く音に目が冴える。その音の主が直ぐに誰かわかりため息ながらにつぶやく
「マリィ……だめだって湯たんぽ代わりに入ってきちゃあ」
そう言って毛布をめくるとそこにはポルカの姿があり、なぜかとても震えていた。
「あれ。ポルカ? どうしたの?」
「こあいひと……きたの」
「怖い人?」
ポルカが既に起きているというのに他の孤児たちの騒がしい声もラグ姐の怒鳴り声も聞こえてこず、違和感を覚えならがも俺は身体を起こす。するとー
「私じゃなくて残念?」
さも、当然の様に椅子に腰かけ、ウサギを撫でながらこちらを見つめるマリィもいた。
「流石に俺も慣れたし驚かないよ……いつもだから」
その言葉にマリィは横に首を振る
「いつもとは違う。今日のは”理由”がある って言ってもポルカを見ればわかる筈 その子、悪意にとても敏感。だから逃げてきたの貴方の部屋に」
「……”悪意”?」
「まだ”害”とまでは言えない。でも……それに近い。直感だけど、放ってはおけなかったポルカとモチャ=ダンシュペン=グリコポン伯爵が」
「……あのさ……急に真面目な話にボケぶッ込まないでくれる? 混乱するからさ 誰なのよ モチャ=ダンシュペン=グリコポン伯爵って」
「別にボケてない あなたの創ったウサギの名前 昨日の朝くじ引きで決めたの 私の一人勝ち」
「ちがう~モチャなの~~」
俺が寝てる隙に壊滅的な名前に決まってしまったのか。けど、ポルカはモチャって呼んでるし、何よりモチャモチャしてるしな 俺もモチャって呼ぶ事にしよう。
「はぁ……まぁモチャは置いといて。 それで、1階にいるんだな。そいつが」
マリィは無言で頷き、俺はベットから降りようとする。
「わかった。見てくるよ ここじゃ年長だし」
「せーちろーいっちゃやーなの こあいひといるからぁ……」
人懐っこく、姿の変わった俺でさえ変わらず接してくれたポルカが引き留めようとシャツを引っ張り愚図りだす。その様子にやはり只事じゃないのだと認識し、気を引き締めなおした。
「マリィ……頼んだよ」
「任せて」
マリィはその一言で直ぐに幼女から少女へと姿が変わり、俺からポルカを抱き上げた。
俺は一通り身支度を済ませ昨日作成した鉄の剣を腰に差し部屋を出る。




