第九話 悪魔は野良と行く
ーーアングラント下層街 『獣の巣』居間にてーー
「……こりゃ悪夢か?」
ラグ姐が真剣な顔で見下ろしている。その視線の先にいたのは──
ポルカの幼児用の椅子にちょこんと座り、口をあけて待っている幼女化したマリィだった。
「誠一郎……手が止まってる。あーん」
「はいはい……」
悪夢だと思うのも無理はない 朝一番に顔見知りが“赤ちゃんプレイもどき”を繰り広げられてれば誰だって動揺する。どうしてこんな事になっちゃったんだ………
昨日出会った謎の少女、マリィ。今朝起きたらなぜかこんな姿で俺のベッドに潜り込んでいた。その後、当然のように「お世話が必要」とか言い出して、今こうして世話係をさせられてるってわけだ。
炊事場では朝食を準備するハル兄貴が、ラグ姐に気づいて声をかける。
「ラグ姐、いつ拾ってきたのさ? 言ってくれりゃ、色々用意したのに〜」
一方でスミア姐さん、マルコさん、ポルカ姐ちゃんは、昨日『獣の巣』に加わったアンゴラうさぎに朝から夢中。
「ふわっふわ〜!」「次ワタシに抱っこさせて!」「ぼ、僕もっ!」
あまりの盛り上がりに苦笑しつつ、俺はあえてラグ姐の方に向き直り、芝居がかった口調で言ってみた。
「はっはっは! 朝からにぎやかでいいな! 子供ってのはいいね、ラグ姐! 可愛いし、純粋だしな!」
だが、ラグ姐の表情はまるで時限爆弾。目の奥がマジだ。
「……珍しく早起きだと思ったら、なんだコイツは あの“マリィ”とかいう魔族と……お前の隠し子か?」
「んなわけあるか!! 俺、バージンだぞ!?」
「誰もそんなこと聞いてねえよ!! 連れ込んだのかって話だ!」
「ちっがうってば! 勝手に布団に入ってたんだよ! 最初ポルカかと思って──そしたらマリィで、俺も頭が追いつかなくて……」
「バブー」
マリィの無垢な一言に、俺の背筋を冷や汗がつたう、ラグ姐のこめかみに、ブチッと音がしそうなほど太い血管が浮かんだ。 ラグ姐は無言でマリィの首根っこをつかむと、そのまま玄関へ向かっていく。
「私を捨てるの? 子供を捨てるなんて、とんだド畜生ね、あなた」
「捨てるも何も拾ってねぇ!! お前、昨日“いずれまた会えるわ”とか言って消えたろ!? なに朝の団欒に加わってんだよ! しかもガキ姿で! 恥って概念どこいった!!」
「バブ?」
──その一言を最後に、マリィは玄関の外へ豪快に放り投げられた。
バンッ、と勢いよく扉が閉まる。
……が、
「バブー(ニコッ)」
──既に幼児椅子に再出現し、何事もなかったように鎮座していた。
その様子を見たラグ姐は額を押さえ、呻くように言う。
「……マジで頭いてぇ……」
それを見上げたマリィが、首をかしげてぽつり。
「……おかしい……あなた、子供が好きなんでしょう?」
「……は?」
「だってこの拠点、子供がたくさんいるじゃない。あなた、みんな養ってる。それってつまり、“そういう趣味”があるってことでしょ? いわゆる性癖?」
「どういう思考回路オォッ!!?」
ラグ姐が叫ぶより先に、俺がツッコんでいた。
「マリィ、ラグ姐は確かに子供好きだけど、“嗜好”で面倒見てるわけじゃないからね!?」
「……そうなの?」
「そうだよ!! 性癖の延長で皆の世話してないって!! そう……だよね……ラグ姐?」
「……不安になって聞くなよ 頼むから自信持ってくれそこだけは」
「ふうん……なるほど。では、誤解だったのね」
マリィは素直に頷く。なぜか、少しだけ残念そうな顔で。
「私はてっきり……あなたが“子供というフォーマット”に強く保護欲を抱くから、それに合わせれば受け入れてもらえると思った……」
……なるほど。つまり、彼女なりに関係を築こうとした結果、こうなったわけか。
ちょっとズレてはいるけど、悪気があったわけじゃないんだな。
「……うん、わかるよ。君なりに、仲良くなろうとしたんだよね。今回は少しズレちゃったね……角度が」
「少しどころじゃねぇけどな」
それだけ言うと、ラグ姐は壁にもたれて目を閉じ、何かを考えているようで、沈黙の時間が落ちる。
はしゃぐ孤児たちの声だけが、空気の隙間を埋めていた。
しばらくして、ラグ姐がバッと目を開く。
「要は、行くとこねぇんだなお前」
幼女マリィは、ためらいもなく頷く。それを見たラグ姐は、再び目を閉じ、低く唸るように言った。
「……ここに、条件付きで置いてやる」
「えぇッ!! いいの!?」
俺の口から思わず声が漏れる。
「条件付きだって言ったろ。三つある」
ラグ姐は指を一本立てる。
「一つ目は――冒険者稼業を手伝うこと。働かねぇ奴に食わせる飯はねぇ」
二本目の指。
「二つ目――ポルカ、スミア、ハル、マルコ……それと誠一郎。
こいつらを、“死ぬ気で”守れ。背中任せるってのは、命預けるってことだ」
そして、三本目の指を立てて、言葉に力を込めて言う
「三つ目――二つ目の条件を破ったら……おとなしく、アタシに殺されろ」
空気が一瞬、止まった。
「ガキに手を出したなら、その命はお前に持たせちゃおけねぇ。それが嫌なら、最初から門はくぐるな」
沈黙の中、マリィは一言だけ、ぽつりと。
「………了解。受け入れるわ」
その声音には、ふざけも、幼児語もなにも無かった。
ーーアングラント中層街 冒険者ギルド・ギルド長執務室ーー
バァンッ!!
ラグ姐が勢いよく扉を蹴破るように開けたその瞬間、室内に重低音が鳴り響いた。
そして彼女は堂々と宣言する。
「ってことで、アタシらパーティー組むことにしたから!!」
仁王立ちのラグ姐。その隣、俺の後ろからひょこっと顔を出すマリィ。そして、成り行きで巻き込まれてる俺。
そんな俺たちを見たギルド長――ヴァイスは、書類に目を通していた手を止めたまま、険しい顔でフリーズしていた。が、次第に顔が歪んでいき、絞り出すように声が漏れた。
「頼むから……これ以上厄介事持ち込まないでくれよぉぉぉ……教団に喧嘩売るわ……勝手にSランク昇格するわ……俺、昨日から寝てないんだぞぉぉ……」
以前見たあの貫禄や迫力はどこへやら、そこにいたのは完全に情けないオッサンだった。思わず目が点になる。
「お、狸オヤジ。昨日とはえらい違いだな? 仮面もすっかり剥がれてんじゃん」
「誰のせいだと思ってんだ!! アンナにも説教くらうし、こっちはもうボロボロなんだよ……それより! まこ……じゃなかった誠一郎はどこだ!? まさか教団に“浄化”されたとか……」
「ここに連れてきてんだろ」
「はぁっ!? そいつが誠一郎!? でも昨日の今日で……そんな姿に……呪いでも受けたのか……」
失礼な……と思ったが――
ヴァイスが俺をマジマジと見つめるその目が、あまりにも真剣で心配そうで、反論する気も失せてしまい、俺は苦笑しながら言う。
「色々あって……まぁ、どっちかっていうと、こっちが“本来の姿”ってやつでして」
そう言いかけたところで、ヴァイスが突然歩み寄り、俺をぐいっと抱きしめた。
「生きてたかッ……! 教団の報告書、どこ探しても名前がなかった……だから消されたかと思って……心配したんだぞ、お前ぇ……!」
涙まで浮かべながら言われて、俺は思わず胸が熱くなる。……正直、ちょっとウルっときた。
だが、次の瞬間。
ヴァイスの顔がスッと切り替わり、以前のとんでもない威圧感を宿した表情に戻っていた。そして何事もなかったかのように自分の席へと戻っていく。変わり身早すぎてほんと怖い。マジで二重人格か。
椅子に腰掛けながら、彼はラグ姐を見つめて言った。
「ラグド。ランク昇格の手続きはもう終わってる。教団向けの報告とも整合はとった。ただ……分かってると思うが、Sランク冒険者ってのは、“国境越えて自由に動ける”代わりに、“国そのものと喧嘩できる覚悟”を問われる立場だ。目立つ。巻き込まれる。敵も勝手に増える。上は“使える道具が増えた”って笑ってるし、下は下で“英雄だ”って持ち上げてくる……お前みたいに孤児の面倒見て現場に根差してる奴が、一番縛られることになるぞ」
だがラグ姐は真剣な彼のまなざしを、まるで軽く受け流すように言い放つ。
「あぁ、わかってる。ついでにパーティーも組む。隊長はもちろんアタシ。メンバーはこいつら。名前も決めてある!」
胸を張って掲げたその名は――
「その名も、《超絶★底辺爆誕団》! どうだ、イケてんだろ!?」
「いや、それはちょっと嫌かも……」
俺が困惑している横で、マリィは目をキラキラさせてこう言った。
「すごくカッコいいわ!!」
……ほんとにこの子は。
そんなマリィを見て、ラグ姐はふっと笑い、冗談だったとばかりに肩をすくめる。
「ウソだよ。《ノラ》でいく。んで、ヴァイス閣下、承認してくれんのか?」
「……何を考えてんだお前は……手続きはしてやるがな……」
そう呟きながら、ヴァイスは机の引き出しから数枚の書類を取り出し、ラグ姐に渡す。ラグ姐は即座にサインし、俺とマリィにも促してくる。俺たちも流れでサインし、彼は書類を受け取って頷いた。
その直後だった。
「いてっ」
ラグ姐が突然、俺の頭をペチンと叩く。わざとらしいくらい大げさに。
「あ~~~! 酔った勢いで、意味もなくメンバーに暴力振るっちまった~~~! こりゃあ隊長失格だな~~! アタシ、責任取って隊長辞任するわ~~!」
とんでもない茶番だった。が、その瞬間。
ヴァイスの表情がビクリと強張った。目に浮かぶのは――明確な「気づき」。
「……ッ、灰色特約か!!」
ラグ姐はニヤリと笑い、ボロボロになった分厚いギルド教本を俺に放ってよこす。
「ギルド特例規定・第七条。混成隊指揮権譲渡条項。読んでみな、隊長」
俺は教本を開き、ちょうど折り目のついていたページを読み上げた。
「『戦力格差が甚大な混成隊編成において、上位ランク者が隊長職を辞退し、下位ランク者が指揮権を保持する場合、当該パーティに対するギルドの正式命令及び、国家からの要請は、指揮者のランクに準じた扱いとする。なお、緊急任務や災害派遣には例外規定があるものとする』……って、マジかよ」
俺が読み上げた途端、室内に妙な沈黙が流れた。
ヴァイスの表情が、一瞬で凍りつく。目を見開き、口を半開きのまま、まるで思考が一時停止したかのようだった。
「……馬鹿な……これ……まだ生きてたのか、こんな抜け道……!!」
教本をひったくるように奪い取り、自分でもその条文を確認した彼は、しばし沈黙したのち、机に肘をついて深々と顔を伏せた。
「……これ、今時覚えてる奴いないだろ……しかもわざと暴力行為まで演出しやがって……なんつー筋書きだよ、ラグド……お前どんだけ……コレ読み返したんだ」
その声には、怒りも呆れも通り越して、ただただ「やられた」という脱力感だけが滲んでいた。
ラグ姐は勝ち誇ったように口角を上げて笑いながら、俺の肩をぽんと叩く。
「ってわけで、晴れて指揮官様誕生っと。おめっとさん、隊長」
「いや、ちょっと待って? 俺、今知ったばっかなんだけど? 何も聞いてな――」
「知らねーよ、隊長の判断は絶対だ。ま、アタシの方が強いけどな!」
「それ言ったら元も子もないでしょうよ……!」
ヴァイスはというと、頭を抱えたまま、もはや敗北を認めるしかないといった風に肩を落としていた。
「ほんっと頼むから……騒ぎ起こすなよ……これ以上教団刺激するなよ……いやもうしてるんだけど……はぁ……もういい……俺の寿命が持たねぇぞ……」
彼は諦観の眼差しで俺たちを見たあと、ひとつため息をつき、静かに告げた。
「《ノラ》……承認する。手続きはこっちでやる。ただし、やるからには覚悟決めとけ。お前らの一挙一動が、ギルドの看板を背負うことになる。国も、教団も、民衆も……そして、敵もな」
それでもラグ姐は涼しい顔で、「ああ、望むところだ」と短く応じ、マリィはその隣で「指揮官の命令には従うわ」と、ひそやかに微笑んでいた。
……え、マジで俺が隊長? 本当に??
思わず天井を仰いだ俺の心の中には、うっすらとした絶望と、不思議な高揚感が混ざり合っていた――。
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次回更新は6月19日以降を予定しております。
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