60 救助
部屋の中がシンとした冷たさが支配する一月なかば、文庫本を読んでいた霞の異端に着信が入った、画面には「冲田」とある。
「はい、柊です」
「冲田だ、単刀直入に伝える遭難者を救出してくれ」
「どういうことですか、僕にはそんな技術はありません、それとどんな遭難なのですか」
霞は面食らっている。
「すまない、整理しよう、現在、静岡県にある黒法師岳で身動きが取れなくなった遭難者が二名いる、現地は吹雪でヘリは入れない、救助隊も二重遭難になる恐れがあり動かせない、通報から五時間が経過しておりこれ以上時間が経過すると命が危うい、そこで上の方から異能者なら何とかできないのかと連絡があった」
「待ってください、異能者は救助隊ではありませんよ」霞が声を張り上げる。
「報告にあった君のスキル水板スノーボードのように利用でき垂直上昇もできるらしいじゃないか、それで要救助者の元にいけるのではないかね」
(できるかもしれない、でもできるのか、断ればおそらく二名の死者が出る、できないとは言えない案件、ずるいぞ冲田さん)霞は思考した。
「霞君、どうかね、やってくれるかね」冲田も焦っているらしい。
「雪山装備と要救助者対応の湯の入った大型の保温ボトル、靴の代わりに履き替えるダウンブーツ、オーバーサイズのダウンジャケット」霞は必要な物を確認していく。
「すでに用意している、山岳救助隊の装備をそのまま君に渡す、やってくれるかね」冲田はあらかじめ予想していたかのような言葉を返して来た。
「やるしかないでしょう、ですができるかどうかもわかりませんよ」霞は早口で答える。
「それでいい、もうすでに君の部屋の前に東京公衆衛生局のバンが到着している、すぐにそれに乗ってくれたまえ、そこから川崎消防局航空隊に移動してヘリに乗り換える、あとは麓のヘリポートまで運んでくれる手はずだ」
「待ってください、装備以外にありったけの食料を用意させてください、あのスキルは腹が減るので」
「君なら出来ると期待している、ではよろしく頼む」そこで冲田との会話は途切れた。
霞は部屋着のままで部屋を出て階段を降り、停めてあったバンに乗車した。
バンは湾岸沿いを進み、倉庫群を走ると、ひときわ開けた場所に出て、金網を抜けてその中に入った。
ヘリはすでにローターを回し、その真っ赤なボディを鎮座させていた。
バンから降りてその中に駆け込むとすぐにドアが閉められ、ヘリは上昇していった。
「川崎消防局航空隊の長瀬です、状況の説明をさせていただきます」長瀬は声を張って言った。
「すいません、食べながら出良いですかと霞はエネルギーバーのパッケージを剥きながら言った。
「かまいません、まず黒法師岳は二千六十八メートルの山岳です、尾根は強い風にあおられることもある知名度は低いですが侮れない山岳です」
長瀬はその後救助器具や霞の装備について説明しだした、要救助者はスマホのアプリでかなり正確にわかること、まずは身体を温めることなど覚えることは少なくない。
(山と岩を読んでいて正解だった、本に出ていたことと基本的には大きく違わない)
一通りの説明が終わると二人とも無言だったが、長瀬が口を開いた。
「私はあなたがどういう人間なのか知らされていません、今でも本当に大丈夫なのか不安があります、ですが無理はしないでいただきたい、あなたも危険な目にあうのは絶対にいけません、危険を感じたら勇気ある撤退をお願いします」
「わかりました」霞はそう答えることしかできなかった。
ヘリは寸又峡ヘリポートに降り立った。
二台の救急車がすでに待機しており、雪が舞っている。
霞はダウンジャケットとパンツ厚手のバラクラバにゴーグルと、ニット帽に百リットルのバックパックと言う姿でヘリから降り立つ。
「ではお願いします」と長瀬が頭を下げると、霞は足元に水板を展開し斜面を滑りあがっていく。
長瀬はただぽかんと見つめていた。
(スピードを出すとやはり寒い、体感マイナス二十度くらいか)霞は想像以上の状況に眉をひそめる。
異端の表示が千メートルを超えると吹雪になってきた。
(あと半分、往復約二キロ、二人で八キロ)
やがてアプリの赤点が近くになってきたが吹雪で見通しが効かない、赤点の真上に来てオレンジ色の何かが見えたのでそこに降下する。
オレンジ色の布はツェルトだった。
「おい、救助だ入るぞ」そう叫んでツェルトの中に
入ると小刻みに震える男性二人組が座っている。
「救助、助かるんですか」
「わからない」
霞はバックパックを開けオーバーサイズのダウンジャケットを二人に着せた。
ボトルから白湯を取り出し二人に飲ませる。
「ゆっくりだ、あせるな」
そうしている間に二人のブーツを脱がせて、もう一本のボトルの湯を大き目のコッヘルに満たし、二人の足を浸してもみほぐし凍傷予防の措置をとる。
合間合間に食料を取っていた霞は二人の容体が良さそうなので声をかける。
「降るぞ、だが二人いっぺんには無理だ、どちらの方が容態が悪い」
霞にそう問いかけられると二人は顔を見合わせている。
「コイツの方が、震えがひどかったし」と指さす。
「じゃああんたが先だ、大丈夫だ、必ず戻ってくる」
そう言いながら膝をついた霞は「俺におぶされ、いいか、絶対に目を開けるな、死ぬ気でしがみつけ」
霞はそう言うと水板を展開し、木々の間を抜けて滑走し始める。
(降りはずいぶん楽だな、重力と慣性が効いてる)
吹雪のエリアを抜けるとやがてヘリポートが見えてきた。
「もうすぐだ、踏ん張れ」と霞が叫ぶと救助者はぎゅっと抱きついてきた。
ヘリポートに霞が降り経つと救急隊が駆け寄ってきて担架に救助者を乗せる。
「ありがとうございますありがとうございます」そう言いながら彼は運ばれて行った。
それを見届けると霞はヘリの脇に固めておいた、エネルギーバーを急いで租借しだす。
(かなりエネルギーを食っちまった、補給しないと)
と食べていると、吐き気が沸き起こりそのまま吐しゃしてしまった。
(まずい、身体がもう食料をうけつけねぇ、だけど食べないとだめだ」
霞はエネルギーゼリーを飲み込み何とか吐き気を押さえ込む。
「もう一人行きます」そう言って霞は水板を展開して斜面を滑って上がる。
(もう一人は身体が大分回復しているはずだ、前回よりゆっくり上ればいい)
さっきよりも吹雪が濃くなっていたようだった。
やがてスマホの示す位置に戻ってく来ると、要救助者に話しかけるが、元気そうだった。
さっきの要領で身体にしがみつかせると「さぁここともおさらばだ、残念だが装備は残地していく」そういいながら樹木の間を抜けて降っていく。
(まずいな、エネルギーが少ない、たどり着いてくれよ)そう思いながら、霞は斜面を降っていく。
しばらくしてヘリポートが見え、無事に救助者を救急隊員に引き渡す。
途端に霞はしゃがみ込んでしまった。
(ギリギリだったな、だけど水板の限界が分かったのは良かった)そう思考していると長瀬がやってきて「だいじょうぶですか、すぐ帰られますか」と尋ねてきたので、すぐ帰る旨を伝えて一緒にヘリに乗った。
ぐったりとしている霞に長瀬が問いかける「私、今日のことは誰にも一切死ぬまで喋るなと言われております」とだけ言って窓の外を見た。
霞は睡魔に襲われそのまま寝入ってしまった。




