あとがき
「人は何故間違いを犯すのか」と考えたとき、私は密かに思いました。
それって、前提が曖昧じゃない?
そもそも、愚問じゃない? と。
これはあくまでもしもの話ですが。「人を殺したけど結果として人を救った」とか、一見あり得ないようなことも、もしかすると起きていないわけではないでしょう。
間違いだと思っていた行動が後々正解になったり、正しいと思っていた発言が仇になったりするのも、この世界ではざらだと私は思います。
例えばさっきの殺人についても、「被害者が連続殺人事件の犯人だった」のであれば、ある意味正解になりますね。
しかし、そんなことをした人間がどうなるか。
そうです、逮捕されます。間違った選択だから。
けれども、そういった間違いは全て、社会的規範に基づいた上での間違いなのです。警察とかいますのでね。
ですが、世界から見ればどうでしょう。それはあまりにも、ちっぽけな間違いです。間違いですらないです。そのくらい全然影響はありませんし、なんなら人間、生まれたこと自体間違いかもしれません。言ってしまえば、別に間違ってはないんですよ。
そのため大抵の人間は、どこかで自分の間違いを正当化しようとします。「あいつに両親を殺された、だから復讐してやった」のなら道徳的な視点、「殺されそうだったから仕方なく」なら因果応報的な視点、いろんな視点をいろんな人が持っています。
この世にある全ては必ず、「どこかから見ると間違い」で、「どこかから見ると正しい」んです。この世界においては、社会規範的視点があまりにもでかすぎますが。
そのことを踏まえた上で、古谷欠という人間を見てみると、「こいつ、頭おかしいんだなあ」としか思えません。
彼は異常なほど視野が狭いのだと、私自身も驚かされました。
まあ、結局私が言いたいのは、人生やることなすこと全部間違いなので、好きに生きてもいいですよってこと。
うまく考えがまとまりませんでした。
草々不一。
さて、そんな間違いをテーマにした本作ですが、まだまだ作家としての器量が足りていないのだなと痛感させられる作品でした。稚拙な妄想を一つの作品にまで仕立て上げることができたのは、他でもない《読者》である皆さんの存在が大きいです。本当にありがとうございました。
評価や感想等頂ければ、モチベーションが上昇します。
つまり、自己顕示欲が満たされるということです。
こちらもあくまで趣味ですから、次回も是非暇潰し程度の気持ちで読んでみては如何でしょう。
次回更新は三月を予定していますが、もしかするとモチベーション次第では多少前後するかもしれません。
まだまだ無名の作家ですが、今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
つたない語りもここまでに、三月透でした。