シェルニーの宝石達
ある雷雨の日のことだった。
夜半、ざわつく屋敷の空気に自然と目が覚めた。
暗闇の中手探りで魔力を放ったヴェローナは、ベッドの上に横たわったまま人が来るのを待つ。何故屋敷内が慌ただしいのか、そのうち報告をしに誰かが来るだろう。
飛ばした魔力により灯った火が、ジリジリと蝋を溶かしていく。寝起きの頭に残る鈍痛をそのままに、ただ踊る影を見つめていた。
ややあって、3度のノックがいつもより早いリズムで叩かれる。
「失礼いたします、ヴェローナ様。アンナでございます」
「起きています」
カチャリとドアを開けて滑り込んできたのは、専属侍女のアンナだった。見知った顔にどこか安堵し、しかし表情を引き締めるように意識して体を起こす。
「旦那様に何かありましたか。急な来客ですね」
「あの……、……」
「? どうかしたの?」
起こした体の隙間にクッションを差し入れながら、アンナが言葉を濁す。困ったような視線は宙を泳いだ。
「……その、ヴェローナ様の姉君、オリヴィア様が……見つかりました」
「っ! お姉様が!?」
「はい。……客間に、お通ししております」
慌ててベッドから飛び出たヴェローナは、アンナの止める声も聞かずにドアへと急ぐ。すぐに追いついた彼女に上着をかけられ、開けられたドアを抜けると客間へ急いだ。
ヴェローナの姉・オリヴィアは、3年前の夏、王城のパーティーから行方不明となった。使われた魔法の残滓もなく、拐かされた際の目撃者もなく、文字通り忽然と“姿を消した”のだ。
父は国中を血眼になって探し、母は日々涙に明け暮れ、ヴェローナの結婚も昨夏まで延びた。
姉に恨みは少しもないが、嫁いでからもずっと心配している。その日々が終わりに近付いたという希望と少しの高揚を胸に、ヴェローナは客間の扉から室内へ足を踏み入れた。
「お姉様っ!! お姉さ、ま……?」
はしたないと思いながらも弾む声に、応えはない。
目の前の状況に、ヴェローナはその両目を見開いた。
稲光。次いで走る轟音に、全身を貫かれたように体が氷る。
へらへらと無邪気に笑う姉は、ソファーにだらしなく寄りかかっている。その胎は、臨月の己と同じくらい大きく膨れていた。
オリヴィア・シェルニーと、ヴェローナ・シェルニー。
社交界に咲く2輪の花は、かつてシェルニー家の宝石と呼ばれていた。
濃い金髪と淡い金髪で髪の色こそ違うが、2人の瞳はチョコレートオパールのように不思議な輝きを持っている。シェルニー家の血筋に出る色とのことで、至宝だと大層に喜ばれた。
だから。
赤子を産み落とし、そのまま狂い逝った姉の子を、初めて抱いたヴェローナは……遺児の瞳を見て、深い絶望に突き落とされた。
その色はシェルニーの宝石色ではなく、濃い藍色と散る銀。アイオライトの中に瞬く星々は、我が国の尊き一族の色を示していた。
どうして。
理由を問いたい姉は、既にこの世にはいない。
すやすやと眠る小さな命は、己の母も、己の運命も、何一つ知らない。
いっそのこと、生まれたときに母と一緒に逝ったとして、秘密裏に殺してしまった方が良いのではないか……暗い思いだけが浮かんでは消える。
ぼたぼたと落ちる涙は、止める術を知らない。自然と溢れたそれが、一粒赤子の頬に落ちた。
「っへ、あぁーッ!」
静かに寝ていたはずの赤子が、大きな声をあげる。衝立の向こうに控えていたアンナが、そろりと側に寄った。
「ヴェローナ様……お体にも障ります。乳母を連れて参りましたので、お預けください」
「ええ、そうね。……でも、ちょっと待って……」
アンナに渡った赤子の、泣き声が響いている。その小さな顔の上半分を隠すように、ヴェローナは右手をかざした。
「ヴェローナ様……」
「大丈夫……隠す、だけです。この子が、少しでも平和に生きていけるように……」
「認識阻害の聖魔法でしょうか」
「ええ」
そっと魔力を込めた手が、一瞬だけふわりと光る。
「強い魔法ではないから、定期的にかけ続けなくてはならないでしょうけれど」
それでも、この子が生きていく茨の道よりは、はるかに些細なこと。
「この子は……この子達は、わたくしの子。名前を二つ、考えなければなりませんね」
「……ヴェローナ様……」
ベッドの側にあった、手編みの籠を覗き込む。
そこには、今朝生まれたばかりのヴェローナの娘がすやすやと眠っていた。そっと抱き上げ、アンナの腕に眠る子と二人、視界におさめる。
「アンナ……わたくしと、約束してくれますか? わたくし達が、この秘密を、地獄まで持っていくことを」
「……はい、ヴェローナ様」
「ありがとう。わたくしの子達に、妖精王の加護があらんことを……」
せめて今日という日は、赤子達の幸せな始まりの日でありますようにと、ヴェローナは祈った。