にくみあい
「これで通算、二十九回目の敗北か」
海パンに浮き輪姿の肉山アグリは、プールサイドで溜め息を吐いた。
この肉々村では、男女とも十五歳から、『肉見合い』に参加して、将来の伴侶を決めるのが習わしだった。良く肥えた素晴らしい肉体を持つ者が価値があるとされる中、いくら食べても太らないアグリは、彼女いない歴十七年、つまり、生まれてこの方、女子と付き合った事が無い。
今日も、村主催の『肉見合い』に臨んだが、案の定、スリムな体が災いして、先方に断られてしまった。
「アグリ君、もっと太らにゃあ」
七福神の布袋様のように恰幅の良い村長が、裸の背中を、グローブの様にふっくらとした手で、バシンと叩いた。
「あーそれと、その浮き輪は、次回から止めた方が良いのではないかね?」
布袋村長は、アグリが両手で支え、バレリーナのチュチュのようになっている浮き輪を、首に埋没している二重顎でしゃくった。
「いえ、これが無いと……」
死んでしまうと、呟く。
「わし等には、そんなもの必要ないがね」
そりゃそうだろう。自前の肉浮き輪があるのだからと、アグリは心の中で毒づいた。
体脂肪率五パーセントのアグリは、水に浮かずに沈んでしまう。幼い頃、川に落ち、死に掛けて以来、浮き輪が手放せないのだ。
毎月一回開催される、村主催の『肉見合い』は、村営体育館の屋内プールで行われる。
お互いの肉付きを確認しなければならないので、男子は紺の海パン、女子はスクール水着という、装飾の無い、指定の服装で臨むのが決まりだ。
見合いは、勿論、強制ではないので、彼女や彼氏が不要と考える者は、参加しなくても良いのだが、アグリは、彼女が欲しい。普通の若者のように、青春を謳歌したい。ウフウフ、キャッキャッしたいのだ。
そして、いつも『グリとグラ』と、並び称される幼馴染みの肉崎カグラとの縁を断ち切りたいと思っている。
肉崎カグラは、アグリの隣家に住む同い年の娘で、ガリガリで、貧乳で、そばかすだらけで、ガチャ眼鏡を掛けた、嫌味な女だと、アグリは認識している。
プールサイドを、ざっと見回したが、居並ぶスク水女子の中に、カグラの姿は無かった。
(当然だな)
身の程を知っている分、アイツの方が、俺より人間として上なのかもしれないと、一瞬思った自分を、全力で否定する。
「そんな訳あるかーっ!」
思わず叫んで、参加者の視線を集め、
「よしよし、アグリ君、気持ちは分かるが……見合いの邪魔は、しないように。もう、家に帰って良いですよ? というか、次回に備えて、食っちゃ寝に励むように」
村長の憐みを買った。
浮き輪を片手に、アグリが重い足取りで、家路を辿っていると、図書館にでも行くのか、前方からカグラが来るのが目に入った。
咄嗟に、道を変えるか、姿を隠すかと考えたが、生憎、見通しの良い一本道で、脇に逸れる道も身を隠す場所も無かった。
(何も、俺が、こそこそする必要ねぇし)
思い直して、歩を進める。
カグラは、カスタードクリーム色の長い髪をお下げにして、文庫本を読みながら歩いている。肉々村は、ド田舎で、車など滅多に通らないので、二宮金次郎スタイルで歩いても、概ね危険ではない。
カグラは、読んでいる本から、色白の顔を上げると、目の前に迫ったアグリを、まじまじと見詰めて、立ち止った。
「また、『肉見合い』? どうせ、また失敗なんでしょ。もう、三十回は越えた? 無駄、無駄、無駄、無駄ぁ」
抑揚の無い声で言うと、細い中指で、ガチャ眼鏡をクイッっと上げる。
「お前に言われたかぁない。参加する事に意義があるのだ。それに、まだ二十九回だっ」
「三十も、二十九も、大して変わらないじゃん。この貧弱ボディが」
「貧弱ボディじゃない、細マッチョなだけだっ」
「細マッチョですって? 骨は筋肉じゃないですぅ。この骸骨男!」
「なんだと、貧乳!」
二人は、会う度に、いがみ合い、聞くに堪えないような言葉を投げ付け合う。
そう、あの時以来。
――二人が、まだ五歳だった、風の強い日の事。
有名な童話になぞらえて『グリとグラ』と呼ばれるほど、アグリとカグラは、仲良しで、いつも一緒だった。その日、二人は、タンポポや菫の花咲く川岸を歩いていた。
「ほら、みて。つくしが、でている」
カグラが、しゃがみ掛けた時、悪戯な春風が、短いスカートを背中まで捲り上げた。
「きゃっ」
「あ、オケラ!」
それは、オケラの大きなアップリケが、お尻に付いた毛糸のパンツだった。カグラのお気に入りのパンツだ。
「オケラのパンツ、はいてやんの」
手でスカートの裾を引っ張りながら立ち上がり、
「み、みたわね?」
カグラは、恥ずかしいのと悔しいので、真っ赤になった。
「おまえが、『みて』って、いったんだろ?」
「わたしが、『みて』って、いったのは、つくしのこと。えっちー! アグリのえっちー!」
恥ずかしさのあまり、声の限りに叫ぶ。
「なにいってんだよ。おまえが、みせたんだろう。このオケラパンツ!」
エッチと言われて、アグリもカッとなった。
「オーケラパンツ、オケラパンツー!」
はやし立てるアグリの声に、
「う、うわーん! もう、およめにいけないぃ。アグリの、ばかあぁ」
カグラは、大泣きしながら、アグリに突進し、その弾みで川に落ちたアグリは、溺れかけて、通り掛かった人に助けられた。
こうして、二人の仲は決裂したが、そろって痩せていたので目立ち、その後も『グリとグラ』と、並び称されている。
「まぁ、お前が『肉見合い』に参加しても、相手なんか決まりっこないがなっ」
憎たらしげに言い捨て去っていくアグリの背中に、思いっきり「イーッ」をするカグラは、今読んだ本の主人公の台詞を、それっぽく口にした。
「やってやろうじゃないの。私を本気にさせた事を、後悔するがいいわっ」
その日から、カグラは、豊かに肥える為に、毎食ご飯三杯や、油っぽく高カロリーのおかず、ケーキバイキングや、寝しなのラーメンを食し、学校の体育は仮病を使って休むなど、なるべく運動しないように、食っちゃ寝を三週間、実践した。が、体重計の針は一ミリも動かなかった。
「有り得なーい。どんだけ基礎代謝が高いのぉおお」
こうなったら、あの手しかあるまい。
「ハラミ、ヌートリアを貸して」
「えっ? デカい鼠?」
「鼠? あ、いや。ほら、胸に貼り付ける奴。ヌー……?」
「ヌーブラか!」
幼稚園以来の親友のハラミは、驚いた。これまで、胸を豊かに見せる事に、カグラが関心を示したことなど無かったからだ。
ハラミは、勿論、美しく肥えていて、二回目の『肉見合い』で決まった彼氏(許婚)も、ちゃんといる。
「あんた、大丈夫? 痩せ過ぎて、どうかしちゃったの?」
スク水の下に、ハラミのヌーブラコレクションを、胸といわず、腹といわず、お尻にも着けたら、少しは肥える事が出来ると、ほくそ笑むカグラのおでこに手を当てる。
「熱は無いわね。カグラ、不正行為は発覚した時が怖ろしいの、知っているよね?」
「要は、ばれなきゃ良いのよ」
ハラミは、心配だった。『肉見合い』で不正行為をした者の末路は、村に代々語り継がれている。
「真夜中に、鉢巻きに二本の懐中電灯を差した村長が……ぎゃああああ」
「ハラミ。普通、自分で言って、ビビらないよ?」
「だって怖いんだもん。小さい時に、うちの婆ちゃんが、話してくれた時の顔を思い出すと」
「って、それは村長が怖いんじゃなくて、婆ちゃんの顔が怖いんでしょうが」
「……そうとも言う」
とにかく、ヌーブラを、ありったけ貸してくれと言って、カグラは、肌色のプルンプルンを、紙袋一杯詰め込んで帰って行った。
一方、カグラが、次回の『肉見合い』に、初参加するのを聞いたアグリは、鼻で笑った。
「フン。『肉見合い』まで、後一週間だぜ? どれだけ太れると思ってんだ、あのガリガリオケラ女」
「なぁ、そのオケラって何だよ? 俺、ずっと気になってんだが」
ハラミの許婚であり、アグリの親友でもあるミノは訊ねた。
「そいつは、ちょっと言えねぇな。とにかく、アイツのお陰で、俺は、浮き輪無しでは生きられねぇ体になっちまったんだ。おまけに、見合い失敗を笑い物にされて、憎たらしいことこの上ないっ。アイツが、吠え面掻くのが楽しみだぜ」
そして、村主催の『肉見合い』の当日。
アグリは、並み居る女子の中から、カスタードクリーム色の髪のカグラを即座に見付け、そのスク水姿に、口をあんぐりと開けた。
「な、何だ? あれはっ」
カグラの体は、有り得ない所が、出っ張ったり引っ込んだりしていた。胸のふくらみは四つ有り、背中が二こぶラクダならぬ、四つこぶになっており、腹は三段腹ならぬ、横二段腹になっていた。
「なぁ、どんな食い方をしたら、あんなおかしな風に肉が付くんだ?」
「まるで金平糖みたいだな」
アグリの付添人のミノは浮き輪を膨らませながら、カグラの横で落ち着き無く、目を泳がせている許婚のハラミに視線を移す。
ミノの視線を感じたハラミは、アイコンタクトをとって来た。
「何か、ヤバい匂いがするぜ」
膨らみ上がった浮き輪を、アグリに手渡し、ミノは、眉を曇らせた。
さすが、許婚同士、意思の疎通はバッチリだった。
「ヤバいって、まさか、不せ……むぐむぐ」
アグリの口は、ミノの手で塞がれた。
「シーッ。そんなこと発覚したら、カグラさん、ただじゃ済まない」
「あンの馬鹿……」
アグリは、反対側のプールサイドに立ち、こちらを睨んでいるカグラを心配そうに見詰めた。
カグラは、アグリの心中など知る由もなく、ひたすら敵愾心を燃え上がらせているようだ。
その時、布袋村長が宣言した。
「では、本年度、第五回目の『肉見合い』を開会します!」
続いて、開催委員会の役員が、
「では、お見合いを希望される方は、プール内に入って下さい。初めての方の為に、ご説明致しますが、まず、気に入った人を『捕まえて御覧なさい!』と挑発し、言われた人が、言った人を追い掛け、捕まえる事が出来たら、カップル成立です。当然、『捕まえて御覧なさい!』と言っても、相手が自分を、追い掛けてくれない、或いは、相手が自分を、捕まえられない場合、お見合いは失敗という事になります。また、『捕まえて御覧なさい!』と言っていない相手を捕まえてしまった場合も同様です。
では、制限時間をフルに使って、頑張って下さい」
「用意っ」
ピーッ! とホイッスルが鳴った。
そこかしこで、若い男女の『捕まえて御覧なさい!』の声が上がり、肉付きの良い体が水しぶきを上げながら、プール内を移動し始めた。歓声や笑い声が屋内プールを満たし、村営体育館は一気に華やいだ雰囲気になった。
そんな中、浮き輪を装着したアグリは、馬鹿な事を止めさせようと、溢れ返るお肉の隙間を縫うように、一目散にカグラを目指した。
カグラは、その奇妙な肉付きの所為で、一番人気になっており、『捕まえて御覧なさい!』を叫ぶ男が殺到していた。
男達は、一声叫ぶと、もっちりとした背中を見せつけて、カグラを誘うように微笑んだ。
が、カグラは、まだ誰も追い掛けてはいない。
アグリは、男達を掻き分けて近付いた。
「おい、カグラ!」
「来たな、骸骨浮き輪男! 私の美しい肉体に魅せられた?」
「はぁ? 何言ってんの、お前」
成り金ならぬ、成りモテで、カグラは、すっかり有頂天になっていた。無理もない。生まれてこの方、細い体の所為で、モテた事が無かったからだ。
「さぁ、『捕まえて御覧なさい!』と言ってみて?」
「言わねぇよ。ってか、馬鹿な事止めて、こっちに来い」
アグリは、カグラの手を掴もうと、更に近付いた。
その時、「抜け駆けすんじゃねぇよぉ」の声が、一斉に上がり、アグリは、瞬く間に太っちょ軍団に取り囲まれ、もみくちゃにされた。
「やめ、やめろっ! そんなにしたら、浮き輪が……!」
ボスン!
鈍い破裂音がして、アグリの命綱である浮き輪が破裂した。
「うわぁああああっ!」
パニックになったアグリは、もがきながら肉の谷間に沈んでいく。
「ぐわっ、……ぐほっ、……ブクブクブク」
「アグリ!」
カグラは、大きく息を吸い込むと、その場で水に潜った。プールの底すれすれに潜水しながら、アグリが居た方向に近付く。
幸い、カグラを取り巻いていた豊かな肉体の男達は、柚子湯の柚子のように、水面近くに浮かんでいるので、その足元には空間が出来ていた。
『浮力は、その物体が押しのける流体の体積に比例する』
アルキメデスの原理が、カグラの脳裏を掠める。
案の定、アグリは、水の底に沈んでいた。
カグラは近付くと、アグリの顎をしっかりと持ち、逆の手を脇に入れ、肘まで通して、肩を抱え込む。背後から支えながら、柚子の隙間を縫って、水面に浮上し、緊急事態に気付いた主催者が集まるプールサイドに引き揚げた。
呼び掛けたが、アグリの反応は無い。
救急車を要請したカグラは、気道を確保し、心肺蘇生術を施し始める。
五歳のあの日、アグリを誤って川に落とし、溺れ掛けさせた事を、カグラは、ずっと負い目に感じて来た。水泳を習い、水上救助員の講習を受け、救助法を学んだのは、あの時、自ら救助できなかったことを、情けなく思ったからだ。
柔らかく湿った物が唇に触れ、温かな息が吹き込まれる。
胸に伝わる規則正しい圧力に、アグリは激しく咳込んで目を開けた。
(カグ……ラ……?)
バチーンッ! バチーンッ!
いきなり、カグラの往復ビンタが、アグリの頬に炸裂した。
「いでぇーっ!」
急速に意識が、クリアになる。
「もう、大丈夫です」
アグリの脇に正座しているカグラは、澄まして言った。
「何すんだよ、このオケラ女!」
頬を押さえて飛び起き、食って掛かるアグリに、ミノが囁く。
「カグラさんが、お前を助けてくれたんだ」
「えっ?」
アグリは、驚いた。
日頃、あんなに憎まれ口を利いて、反目し合っているカグラが、命の恩人だと?
「なぁに? オケラって」
ハラミは、許婚のミノに訊ねる。
「いや、俺も知らない。アグリは、いくら訊いても、教えてくれないんだ」
「えっ?」
それを聞いて、今度はカグラが驚いた顔をし、アグリを、じっと見詰めた。
それから、何か言いたげに口を動かしたが、結局、何も言わずに、立ち上がると、人込みを掻き分けて、スタスタと更衣室の方に歩き始めた。
「肉崎カグラさん!」
見合い開催委員会の役員が、その後ろ姿を呼び止める。
「貴女、水着の下に何を隠しているのですか?」
ミノとハラミの顔から、血の気が引いた。
ヌーブラは全て下方に溜まって、洋梨の様にカグラのスク水を膨らませていた。アグリを救助する為に激しく動いた所為で、所定の位置からずれてしまったのだ。
ギギギと音がしそうに、ぎこちなくカグラは振り向き「別に」と一言言うと、脱兎の如く走り出した。
開催委員会の役員が追い掛けようと、美しいお肉を揺らして走り始める足を、アグリが掴んで追い縋る。
「ま、待って下さい!」
足を掴まれて、役員は前のめりに倒れた。
ボヨンとお腹のお肉が、衝撃を和らげる。
「き、君! 何するんですか!」
目を剥く役員にアグリは言った。
「あれは、浮き輪です。外付けではなく、スク水に内蔵されているのです。あの浮き輪のお陰で、僕は助かった……」
苦しい、苦し過ぎる言い訳だと、自分で思った。だが、
「なるほど」
役員が、すんなり納得したので、アグリ達はズッコケてしまった。
「確かに、君のように浮き輪を外付けにするのは、ヒジョーッにカッコ悪いですからね」
ヒジョーッにという所に、いやに力を込めて、役員が言ったので、アグリは、ムッとしたが、ミノとハラミは、ホッと胸を撫で下ろした。
カグラだけは、そんな経緯があった事を知らずに、サッサと着替えて証拠の隠滅を図り、逃走したのだった。
その時、救急車が到着し、念の為という事で、アグリは病院に運ばれて行った。
数日後、下校途中に、アグリは、またしても、読書に没頭しながら歩いているカグラに遭遇した。後頭部の真ん中で長い髪を左右に二つに分け、緩く編んだお下げが、歩を進める度に揺れている。
アグリは、ちょっと躊躇ったが、早足でその背中に追い付いた。
「おいっ、カグラ!」
カグラは、本から顔を上げて振り向いた。
「あ? 溺れ骸骨じゃないか」
「溺れ骸骨たぁ、何だよ」
「浮き輪持っているのに、溺れるなんて、信じられなーい」
「くそぅ、ムカつく女だぜ」
「じゃあ、声掛けなきゃ良いでしょう? 声掛けたの、そっちじゃん」
「うっ。まぁそうだが、お前に言わなきゃならない事あるからなっ」
「言う事?」
「ああ、助けてくれて、ありがとう」
アグリは、憎まれ口を叩きそうな自分を抑えて、真顔で言った。
「何、マジになっちゃって……。いや、こちらこそ……」
カグラは、口の中でモゴモゴと何かを言った。
「は? ハッキリ言わねぇと、分かんねぇよ」
アグリの言葉に、いつもの様に、喧嘩腰で答えると思った。が、
「こちらこそ、ありがとうって言ったの。オケラ……パンツの事、誰にも言わないでいてくれたでしょ? 私、てっきり、アグリが言い触らして、皆知っているのだと、ずっと思っていた」
カグラは、見たこと無い程、しおらしい。
その様子に、アグリは、ドギマギとしてしまった。
「あ、当ったり前だろ! 好きな子の秘密、誰にも教えてやるもんかっ」
「えっ?」
アグリは、「しまった」というように、片手で口を押さえる。
「過去の話だ。過去の」
カグラは、ニヤリと笑った。
「あの後、お見合い開催委員会の役員に言い訳してくれたって、ハラミが言っていた。そーんなに、私の事好きなんだ?」
「んな、訳あるかよ! 自惚れるのもいい加減にしろよっ」
「じゃあ、見合いの時、何で私に近付いて来たの? 『捕まえて御覧なさい!』を言う為でしょ?」
「ちげーよ。お前が馬鹿な事しているらしいってミノが言うから、止めさせようと」
「放って置けば良いじゃない。そうすれは、アンタの大っ嫌いな女は、不正行為で捕まるんだから」
「だよな」
そういうところが、俺は馬鹿なんだよ。アグリは溜め息を吐いた。
「……でも、そういうところが、私は好きだよ」
「えっ? 今、何て言った?」
「何でもなーいっ!」
「何だよ? 言えよ、ガチャ眼鏡!」
「ガチャ眼鏡とは何よ! この浮き袋破裂男がぁ」
そんなんじゃ、いつまで経っても彼女出来ないよねと続ける。
「うるせぇよ、洋梨スク水女! お前こそ、ちゃんと、自前の肉付けてから、参加しろよ」
「ううん。私このままで良い。それに、もう、お見合いに参加する気ないの」
「はっはーん、そりゃそうだよな。あんな不格好な洋梨姿、見せちまったんだからな。俺は、さっさと相手見付けて、お前との『グリとグラ』を解消したいぜ」
アグリが言った途端、空気が凪いだ。
「……とに、そう思う?」
「あ?」
「本当に、そう思うのかって訊いてんのよ」
カグラは、目に涙を一杯溜め、溢れた涙は眼鏡の下から頬を伝った。
「カグラ……」
「この、ぼけナス! おたんこナス! どてカボチャ!」
「何で、最後だけカボチャなんだよ?」
「馬鹿! アグリの、馬鹿ぁ! 私のファーストキッスだったのにいぃ」
カグラは、幼い頃の様にアグリに突進せず、逆方向に身を翻して走り去った。
アグリは、遠ざかるカグラの背中に、呟いた。
「……実は、俺も、初めてだったんだ……」
――あの日、病院から戻ると、ミノが、アグリが意識の無い時の様子を話してくれた。
「カグラさん、躊躇わずにマウス・トゥ・マウスで人工呼吸したんだぜ」
マウス・トゥ・マウスを強調する。
「ものすごく、手際が良かったし、一生懸命だった。もしかしたら、カグラさん、お前の事……」
「んなこと、ぜってーない!」
全力で否定したアグリだったが。
(本当にそうなのか?)
カグラの気持ちも自分の気持ちも分からず、アグリは頭を抱えて道にうずくまった。
その様子を、ラブラブカップルのミノとハラミが、少し離れた背後から見詰めていた。
「なぁ、アイツ等、どうして、ああなるんだ?」
「これは、もしかして新しい愛の形かも」
「は?」
「にくみあい」
「憎み合っているのは、知っているし、『肉見合い』は、今後も難しいよな?」
「ううん、そうじゃなくて『憎み愛』。憎み合うって事は、それだけ相手に執着しているって事でしょ。つまり、そういうこと」
「なるほど。さすが、マイ・スィート・ハニー!」
ミノとハラミは、真夏の炎天下で暑苦しくハグし合った。
「これは、ツンデレならぬ、両方ともツンツンの場合に、発生する愛だね」
「僕達は、デレデレ同士だから、『愛し愛』になるね。略して、『アイアイ』?」
「何か、南の島のお猿さんっぽいけど……」
素敵! と、ハラミは、胸の前で手を合わせ満足そうに微笑む。
「もう、あの二人、仲良しの『グリとグラ』で良いじゃない? お見合いしなくても、出来上がっているよね」
「だよな。二人共痩せているから『ガリとガラ』でも良いが」
「もぉ、ダーリンったらぁ」
「おいっ!」
イチャ付く二人が気付くと、不機嫌そうなアグリが側に立っていた。
「全部聞こえてんだが……。このバカップルがぁ」
「馬鹿は、お前だ。さっさと、カグラさんを追い掛けろ!」
いつにない強い口調で、ミノは言った。
「そうだ、そうだ。行っけーっ!」
ハラミまでが、煽り立てる。
何なんだよ、コイツ等と、思ったが、
「わ、分かったよ。行けば良いんだろう、行けば」
カグラを泣かした罪悪感もあって、アグリは、そそくさと、カグラの後を追った。
「上手く行くと良いな」
「そうだね」
ミノとハラミは、全力で走って行くアグリの後ろ姿を見送った。
「君達は、この村始まって以来、初めての『肉見合い』に依らないカップルです。イレギュラー中のイレギュラーですが、ここに、カップルである事を、正式に認めます!」
布袋村長の声が、村営体育館に厳かに響き渡る。
「えっ、マジ?」
「おめでとう、アグリ」
「良かったね、カグラ」
「……別に」
ミノやハラミ、村中の祝福を受け、晴れて二人は、許婚になった。
「生まれる子供の事を考えると、ガリガリ同士の組み合わせは、どうかと思ったが、何といってもハートが大切だからな。わしは、この村の制度を改正しようと思う。一つの物差しで測るのには無理がある。多様性を尊重する時代じゃよ」
村長は、高らかに宣言した。
「今後、村の婚姻は、『肉見合い』を経ず、自由恋愛とする!」
しかし、許婚になったとはいえ、『グリとグラ』は相変わらずだった。
「早くしてよね、骨骨星人! 学校に送れちゃうじゃない」
「うっせぇな、つるぺた星人!」
その時、悪戯な秋風が、カグラの制服のスカートを捲り上げた。
「あ!」
アグリは両手で目を覆った。
「と、見せかけてー、スパッツはいてるんだな、これが」
カグラがドヤ顔で笑った。