教会の剣
はっ―――!?」
膨らみ過ぎた風船が破裂したように、唐突に意識が浮上する。
「はぁはぁはぁ」
何十キロもランニングをした後の様な疲労感が息の乱れを誘発する。
身体を起こし、周囲に視線をやると、見慣れない部屋のベッドにいる事が分かった。
「どこだ、ここ?」
部屋は広く、壁に沿うように豪華な家具が置かれていた。テレビはあり得ないほど大きかった。このベッドも、天蓋付きであり、壁一面がガラス窓だ。
見ただけで分かるが、どこかのホテルビルの一等室のようだ。
「すげぇな」
一人で勝手に感嘆していると、声がかかる。
「あっ、起きた?」
視線を声がした方向に向けると、先ほど助けた天使がバサリと翼を広げながら、立っていた。
「自己紹介がまだだったね。私の名前はセラフ。ただの天使だよ」
分かったのは名前だけで、あまり自己紹介の意味をなしていなかった気がするが、とりあえずは良い。別に、この天使と仲良く付き合っていくつもりはないのだから。
「俺の名前は菊間旬だ。それで、ここはどこだ?」
「ここは、私が住んでいるタワーマンションの最上階だよ。
名前は確か、『アマノレジデンス五浄』とか言ってたかな」
アマノレジデンス……知っている。
日本で1,2を争う最高級ホテルグループが手掛ける住宅ブランドだ。そして、このアマノレジデンス五浄は、この五浄市で、1番高額な物件だ。駅のすぐ近くに建つ円柱形が特徴的だった。
視界の端で、「どう?すごい?すごい?」と胸を張るセラフに率直な疑問をぶつける。
「お前、お金あるのか?」
見るからに、定職についておらず、お金を持ってなさそうな彼女が、こんな高級物件に住んでいることが疑問だった。
「もちろん、ない!だから、ちょっと魔術でズルした」
果たして、セラフは馬鹿正直に答えた。
「魔術…………」
俺はセラフが違法で、この高級住宅に住んでいることを気にも留めず、一つの単語に引っかかっていた。
魔術。
それは俺にとって、近くて遠い存在。
俺が持つ精霊心臓は、魔術と同じ神秘というカテゴリーに属しているが、同一ではない。いうなれば、ゴリラと人間が同じ霊長類で、ヒト科に属しているが、その実異なる生き物であるのと同じだろう。
「ま、私がやったのは、魔術とは違うものなんだけどね」
「魔術と違うもの?」
「そう!実は、私は人間になんでも強制命令する力があるの。詳しく話すとーー気になる?ねぇ、気になる?
セラフは、ベッドに手を置いて顔を寄せる。話したくて仕方がないといった様子ながらも、もったいぶりながら、詰め寄る。
「いや、気にならない。話さなくていいから」
しかし、俺はセラフの思惑には乗らない。乗ってやらない。
この世には知らない方がいいことは多くある。知らないことで、状況が好転する事もだ。
ここで、縁を切る相手であれば猶更だろう。
俺はこの泣いて「生きたい」「死にたくない」と叫ぶ少女を助けたくはあっても、その後の面倒を見るつもりは毛頭はない。身勝手な最低野郎なのだ。
「むぅ~~~~~」
セラフは俺が思い通りの反応をしないことに、不満気であった。
子供のように、頬を膨らませ、むくれるセラフに、不覚にもドキりとしながらも、ベッドから起き上がる。
そこで、初めてセラフを直視した。
一切のムラのないホワイトブロンドを三つ編みにし、腰の長さまで垂らす。身長は俺よりも低く、165cmほどであった。
顔立ちは若干幼く、大きな目や丸っこい鼻が可愛らしかった。
それに対して、体つきは非常に女性的で、男としての情欲を誘うほど魅力的だった。
「どこも、ケガはないか?」
「―――?ないよ?」
「痛いところは?まだ、治りきっていないところも」
「それもない。どうしたの突然?」
「よし」
去るにしても、せめてケガや痛みだけは治してから、行きたいと思い尋ねたが、どうやら全快しているらしい。
「それじゃあ、俺はいくよ」
「え~~~~~!?」
その整った顔を驚きに変えて叫ぶ。
うるさっ。
「そんな驚く事かよ」
「驚くよ!何、私の手助けをしてくれるんじゃないの?」
「アホか。俺はここまでだ。どんな事情があるのか、知らないが、あとは自分で頑張ってくれ」
「酷い。自分の仕事はやり遂げて、あとは託す職人みたいな感じ出して」
「実際、そうだ。俺は俺の役目を終えた」
わざと、セラフの言葉に乗っかり、格好つけたセリフを口にする。
すると、セラフは頬に手をやって――
「お願い、私の為に力を貸して」
目元を潤ませ、下から見上げ、媚びるように「お願い」する。
いけ好かない。狙ったぶりっ子の様な仕草と声色に、分かっていても、可愛いと感じてしまう。
「………馬鹿が」
一瞬、本気でなびきかけたが、そんな一時の感情で命を棒に振るうなんて馬鹿らしいと思い直す。
天真爛漫少女のくせして、一丁前に誘惑してきたセラフにチョップをお見舞いする。
「いてっ」
「じゃあな」
くるりと回転して、セラフの部屋を後にした。
######
セラフは、旬の背中を見送る。
セラフは茫然としていた。
この800年、出会わなかった特別な存在に出会ってしまった。
それは、精霊心臓の事ではない。勿論、精霊心臓も十分に特別であったが、セラフにとって、精霊は既知であり、価値を感じていなかった。
それよりも、「お願い」が効かなかったことだ。
数時間前の瀕死にまで至る攻撃によって、効力が弱まっているとはいえ、それでも、意思を込めて革新的に権能を使用した。それであれば、必ず成功するはずだった。
だというのに、旬には通用しなかった。
セラフは茫然としていた。
次いで、喜びが込み上げてくる。背中の翼が、呼応するようにバサバサとはためく。
「やっと、見つけた。逃がさない」
そう呟き、背中を追った。
#####
部屋を出て、タワーマンションを後にして、今度こそ帰路に就く。
駅の人通りは、そこそこいたが、住宅街の方向に歩みを進める中で、少しずつ人は減っていき、さらに、道も狭くなっていく。
「それにしても、何だったんだろうなぁ?」
先ほどの光景を思い返して呟く。
天使の容姿をした美しい女性が四肢を欠損させ、死にかけていた。
まず、間違いなく、不穏な出来事だろう。
「大丈夫かな?」
好き勝手に切り捨てておいて、今更心配するなというところだが、気になるものは仕方がない。俺だって、力があれば助けてやりたい。しかし、そんな勇気も力も俺にはないのだ。
「いや、もう、だめだ。心配するのは、やめよう」
「そうだ。忘れちまえ、あんな女なんてよ」
後悔をサッパリ切り捨てるように、独りごちた言葉に、返って来るものがあった。
前方の交差点の向かいに立つ人物から発せられていた。
「よう、こんばんは」
相手は修道女であった。
190cmは届くのではないかと思われるほどの背の高い女性。
女性はオーセンティックな修道服を身に着けていたが、所々普通とは異なる箇所があった。
まず、肩から胸、背中にかけて掛けられているスカプラリオに大きな紋章が刻まれていた。次に、頭からかぶるベールは夜闇に溶けるように漆黒であった。
最後に、腰に下げられたロザリオが赤、青、緑、黄、紫に光っていた。
ベールから覗く顔立ちは滅茶苦茶整っていた。
肌は白く、大きな吊り目と八重歯、そして金髪の長いくせ毛と相まって、まるで狼の様な獣の印象を受ける。また、修道服から分かる豊満な体つきが特徴的だった。胸や臀部などのお静的な部分だけでなく、脚部や腕部などにも筋肉が備わっていた。思わず圧倒的な強者のオーラを放ちながらも見惚れてしまう。
「私に見惚れちまうのは分かるが、あんまりジロジロ見るんじゃねぇよ」
確かに、ジロジロ見てはいたが、それは修道女が放つ圧倒的なオーラを警戒しての観察だ……のはずだ。
「お前は誰だ?」
「私か?私の名前はセイラン。一応、その前に長ったらしい肩書があるが、お前には名乗る必要はなさそうだ」
いま、不穏な単語が飛び出した。
「敵?生憎と、俺はお前の敵になる様な事はしていない」
「いいや、敵だ。私の獲物を横から搔っ攫い、逃がした敵だ」
その言葉で、天使を助けた事なのだと確信した。
だが、修道女の素性は依然として分からなかった。
「どうやら、思い当たる節があるようだな」
「思い当たる節はある」
「ふゅ~~~、潔いじゃねぇか。そういう男は好きだぜ」
セイランはニカリと笑う。
「ありがとう」
こんな凶悪そうな女に好かれても全然嬉しくないけどな。
「だけど、それだけだ。
確かに、命を助けた。でも、それだけなんだ。別にそのまま、天使に協力しようとは思っていない。だから、俺はお前の敵じゃない」
セイランと戦わないように、全力で言葉を重ねる。
それはこの女が、途轍もなく、ヤバいと本能が告げているからだ。
「やめよう!俺は戦いたくない。血は見たくない」
「ふん、おせぇ。それに、私は戦いたい。血しぶきが上がるのは大好きだ!」
しかし、どれだけ非戦を唱えても意味がない。
セイランは戦闘狂修道女だった。
「それに潔悪い男は嫌いだ」
その言葉で、戦いは避けられないと知る。
セイランは、短距離走選手のクラウチングスタートのように、低い戦闘態勢に入る。
しなやか且つ強力な筋肉が修道服からでも窺える。ホワイトタイガーのような野生の美しさがあった。
「シュ―――」
俺は急いで、精霊心臓を起動させるが、間に合わず、もろに右フックを食らう。
セイランは数十メートルはある交差点の距離を一足飛びで詰め、攻撃せしめた。あの脚部の筋肉を見せられた後では、なんの驚きもなかった。
「ぐがぁ!?」
そこから、タコ殴りが始まる。
右、左、左、右、右、上、下、下、上、上、上、左、右。
四方八方から飛んでくる拳に殴られながらも、精霊心臓のおかげでダメージの蓄積には至らない。
しかし、痛い!ダメージはなくとも死ぬほど痛い!!
「おいおい、魔術師、こんなものかよ!もっと本気を出せよ!」
凶暴な笑みを浮かべて、好き勝手言ってくれる。
何故か、俺を魔術師と勘違いしていることは気になるが、一度の疑問は捨て置き、殴られるだけの状況を打開するために、拳からエーテルの波動を放つ。
「フッ―――」
しかし、まるで予見していたかのように、回避すると、そのまま大きく振りかぶり殴る。
「うぐっつ……………いって」
殴られた勢いで、吹き飛ばされ、ガードレールに後頭部を強打する。
いってーーな。
「はっはーー!
何だ、今の!?初めてだ。魔弾とは違い、レーザーにして出す奴がいるとはな。どんだけ魔力を持っていんだよ。しかも、これ魔力じゃないな………まさか、エーテルか?
面白い、すげぇな!」
たった、一発、軽く精霊の力を使っただけで、ここまで興奮する。改めて、精霊心臓の価値を実感しながら、立ち上がる。
「いくら何でも殴りすぎだろ」
悪態をつきながら考える。勝利条件を考える。
まず、セイランには絶対に勝てない。セイランと俺では力量に天と地の差がある。
ゆえに逃げるべきだ。
しかし、逃げるのだって簡単ではない。至難の業だ。
次に、どうやって逃げるか?
普通に考えて、隙をついて逃亡するしかない。ただ、ここでも力量差が問題になる。セイランは中々、隙を見せるような甘い敵でもなければ、作れるような敵でもないだろう。初見の攻撃ですら見切ったのだ。
ならば、意識外の方法であれば、逃げられるのではないだろうか。
「ふん、色々と頭を働かせているようだが、ムリだ。
私からは逃げられない。諦めろ」
「それはやってみなくちゃ分からない」
お互い不敵な笑みを浮かべて、戦闘態勢に移行する。
セイランは獣が狩りをする時のように低く構える。
俺は心臓に手を添える。
「―――」
「―――」
無言の時が流れる。数秒、数十秒、数分と思える時間が流れ、遠くでクラクションの音がした。それを合図に、セイランが動き出す。
最初と同じく、恐ろしいほどの速度で近づいてくる。
しかし、それでも殴り飛ばされたお陰で最初よりも距離を取ることができ、猶予が生まれている。
俺はその瞬間に、心臓を動かす。
「精霊心臓、起動〈スタート・マイ・エンジン〉」
唱えた瞬間、心臓が金色に発光し、菊間旬の松果体に霊体の根を張り、内部の魂に干渉する。人を人たらしめる情報を精霊心臓の情報で書き換える事で、肉体を精霊体へと変える不可能を起こす。
「なっ!?」
あまりの特異性に、セイランの表情が驚愕へと変わる。
素直に気持ちよかったが、噛み締めている暇はない。突進してくるセイランに、わざとぶつかるように、前へ走る。圧迫感を覚えながら恐怖心をねじ伏せて走る。
賭けだ!でも、この賭けには絶対に勝てる!
「よしっ!」
そのまま、セイランと衝突するかと思いきや、セイランを精霊体となった俺の身体は透過する。
「なにっ?」
二度目のセイランの驚愕。今度は俺にも笑みがこぼれる。
恐らくだが、セイランは超物理特化タイプだ。
普通の魔術師に比べて、圧倒的に魔術武装が少ないことから、そう推測した。であれば、霊体対策はしていても、エーテル精霊体への対策は不十分であろうと考えての事だった。
そして、その賭けに、俺は見事勝利した!
「…………」
驚きにより、生まれた一瞬の隙をつき、俺はそのままエーテル体で羽を作る。
セラフの翼を真似たものだが、そこそこ上手く作ることができ、飛翔した。
「よっしゃ!天才、俺。最高過ぎる」
フラフラと街の上を飛ぶ。
いくら足が速く、喧嘩が強かろうが、人間である以上、空の上までは来られない。そう言った常識から来る、安心を持ちながら、地にいるセイランを見る。
「………?」
しかし、セイランの表情は、決して、安心を補強するものではなかった。悔しい顔でも落胆でもなく、勝利を諦めていない顔をしていた。
「なんだ?」
訝し気に思っていると、セイランは唐突に屈み、思い切りジャンプした。
エンジンよりも太い大腿筋から放たれる跳躍力は凄まじく、一息で俺がいる高さまで届く。
「つ・か・ま・え・た」
鬼の笑みをしながら、制服を掴み、地面に叩きつけられる。
「クソっ、サイヤ人かよ」
俺を中心に、砂埃が舞う。
高度からの自由落下により、死んでもおかしくない。
「ゲホッ、ガホッ」
少しずつ、砂埃が晴れる。
すると、現状が見えてくる。
どうやら、俺はセイランに馬乗りされているらしい。ベールの中から、荒野の逞しく美しい獣の様な顔を見上げる。
「おはよう」
穏やかな声で呼びかけられる。
「殺すのか?」
「ああ、殺す。心配するな、痛くはしない」
そうか、と他人事のように返す。
俺はセイランの背中にいる満月を見る。
あの事件の夜も、こんな満月をしていた。
ただ、もっと死ぬのが怖かったはずだが、今はそんなことはなかった。
死が迫っているのに、落ち着いていられる。
「さようなら」
そう言って、首にかけられた手に力が入ろうとした所で、セイランは上空を見上げる。
そこには、俺の羽なんかとは違う正真正銘本物の翼を持つ天使がいた。
セラフは3つの矢を顕現させ、セイランに向かって放つ。
セイランは馬乗り状態から飛んで、回避する。
セラフはそのまま、俺を守るようにセイランの前に降り立つ。
「ちっ、完全に回復してるじゃねぇか。
やめだ。一度撤退して、仕切り直すか」
形勢不利と判断して、セイランは去っていった。
後に残ったのは、俺とセラフのみ。
セラフはくるりと回転し、俺を見下ろす。
「大丈夫?」
「ああ、助かった。ありがとう」
とりあえず、上半身だけでも起こして、感謝を述べる。
「もとはと言えば、私を助けたばかりに狙われちゃったわけだから、気にしないで」
「だとしてもだよ。命を助けてもらったんだ。ありがとうを受け取っておいてくれ」
「うん!どういたしまして」
そう言って、セラフは笑う。
それを見届け、俺は立ち上がる。
「ねぇ――」
「うん?」
「私と恋人になってよ」
そして、突然、告白された。
「うん」
咄嗟の事で、反射的にうなずいてしまった。
この日、俺は天使を助けて、天使が彼女になった。




