6.現象「理解」
エカの行動から、推測されたことがある。闘魚達は、同種族で交配をするとき、雌個体が雄個体を攻撃するのではないかと。
体も丈夫で、強い能力のある雌個体の攻撃を耐えた雄個体だけが、雌個体の排出した卵に遺伝子を吹きかけ、子孫を残せる。
そう考えると、自然界で生物が「より生命力の強い遺伝子を残そう」とする行動と合致する。
つまり、エカは三倍体の身でありながら、ジュラに対して「恋心」を抱いたのだ。シアは、それが「理解」と言う現象として起こったのだと職員達に述べた。
闘魚達は一定の知識を得て、擬態して人間社会に紛れ込んでいる間に、様々な事を学習する。その学習により、言葉として知っていた知識と、内なる感情が結び付くと、頭にショックを起こす「理解」と言う現象が起きる。
普通に起こる「理解」は、強烈な感情を伴ったり、あらゆる事象が頭の中を渦巻く。そのショックで悲鳴を上げそうになったり、闘魚としては突飛な行動に出てしまったりする。
シアがかつて「理解」を起こした時は、リュマと言う姉の幽霊と怨憎言うものを、頭の中に感じ取った。
そして、その「頭の中のリュマ」が満足する行動をとると、シアの知能は後退し、「ファミリー」のレベルまで下がった。
その知能の後退は、シアにとっては安息をもたらした。闘魚達は、「理解」が一定のレベルを超えるようになると、擬態しているはずの人間と自分達を同一視するようになるのだ。
それによって、人間を「人間風の恋の相手」と見なす事もある。
そう言った事態に比べれば、同種族を選んだエカの行動は、闘魚としてはまともな方なのだ。人間の知識と慣習を学んで、人間を交配の相手と見なすようになるよりは。
闘魚としてはまともと言われても、エカの「闘魚としての衝動」を止める手立ては発見されてない。ジュラに全く接近せずに施設内で通常の行動をとると言うのは不可能に近い。
そこで、エカは山の中に捨てられる子供達を集めてる、とある「孤児院」に配属され、其処の専属闘魚になった。
「理解」を起こすまでに発達した知能を持って、今まで通りの仕事ができるかどうかは、エカの精神力にかかっている。
細かいケアが必要だと言う事で、ミズリと言う名の人間の職員が、一ヶ月に一回、エカの配属された孤児院を訪問する事になった。
エカの事件があっても、リモとジュラの「水中ショー」は、中断されることは無かった。
リモは数年前に「理解」と言う現象を体験しており、そのショックからはずっと前に立ち直っていたので、「急激な衝動を起こしたりはしない」と判断されたのだ。
ジュラの肩についた歯形は、水生体になって皮膚が鱗に覆われると、見えないくらい薄くなった。
カルマは演技に支障はないと判断して、目隠しの水草を大量に用意した水槽をパーティー会場に備え、裸身のジュラとリモを押し込んだ。
パーティーは、予定より一時間ほど長く開催された。その後で人間達は二次会場と言う場所に場を移し、衛生的にも礼儀的にも整え直した場所で酒を飲み続ける。
4時間に及ぶ長い「むつみ合い」から解放され、カーテンの後ろに隠された水槽の中からリモとジュラは水の外に出た。
体を拭き、表皮が水を感知しなくなると、体は完全な陸生体―擬態形状―に変わる。
鱗とヒレと鰓が皮膚の中に埋没し、ざらざらしているが、まっとうな人間の肌のように見えるようになる。
擬態促進剤が利いている時間ぎりぎりまで「二次会場への移動」がなされなかったので、もう少しで完全に「闘魚」の姿に戻ってしまう所だった。
水中で息をするため、鰓は発生したが、その奇妙さがかえってウケて、酔っ払った人間達はリモとジュラの居る水槽の周りに集まって、「金魚も、こんな風にむつみ合うんだね」などと言っていた。
本当に、世の中と言うのは下らない作りをしている。と思いながら、リモはタオル生地のガウンを着たままシャワー室に移動して、皮膚に残った水草の悪臭を洗い流す。
遅れてシャワー室に入って来たジュラも、ジュラ用だと指定されている一番端のコーナーで、ガウンを脱ぎ、熱すぎない湯を浴びる。
「リモさん」と、ジュラが呼び掛けてきた。
「何?」と、短く聞き返すと、ジュラは「結局、この仕事って何の意味があったんですか?」と聞いてくる。
リモはどう答ようか迷ったが、「集中的に人間の表情表現を学ぶ機会には成ったでしょ」と答えた。「深い意味なんてない。私達は施設から依頼された仕事をこなすだけよ」
「はい…」と、納得していない風にジュラは返事をする。
「育成房」から出て三ヶ月ほどで、これだけ言葉の抑揚を使えるようになったのだから、ジュラの擬態技術は確かに急成長している。
最初に受けた「雰囲気のある仕草や表情」の指導が、今後、ジュラが仕事をするときにどんな影響を及ぼすかは、今の所推し量りがたいが。
男娼のふりをしてターゲットに近づくと言う方法を取るのであれば、「うっとりしているように見える表情」や、「それとない色気を発する視線」等は使いようがあるかも知れない。
だが、先日のエカの件のように、同種族の雌個体に…しかも、生殖機能の働かない「XXX」染色体保有者に「理解」を越させるほどの脳内の衝撃を与えてしまう事になるのであれば、ジュラにも「オンオフ」の切り替え方は教えなければならない。
シャワーを止めて、水草のにおいがするガウンを放置し、タオルで体を拭く。
「ジュラ」と、リモは声をかけた。
「はい」と、シャワーの音の中から、生真面目そうな声が返ってくる。
リモは言う。「貴方、もう一つの顔を作りなさい」と。