4.見捨てられた者
ジュラは外部で働くようになってからも、リモと一緒に専用の水槽の中で「人間風のむつみ合い」の演技を勉強した。
監督役のカルマは、水から上がってタオル地のガウンを着た二人に細かく演技指導をする。
「視線を伏せ気味にして、時々目を合わせる。唇には鱗が発生しないから、胸や首筋にキスをしても良い。どの動作も、ゆっくりと慎重に」と。
何故、スローモーに動作する必要があるのかと言うと、鱗が引っかかるのを防止する他、「『金魚』同士のむつみ合いが観たい」と所望するお偉いさん達は、3時間に渡るパーティーの間、ずっと「雰囲気たっぷりに動作する『金魚』」を眺めたいからだそうだ。
ジュラは、言葉のそのままに受け取ったのだが、リモはカルマを見て「毛虫を見るような表情」を浮かべ、重いため息をついた。
演技の練習の後、ジュラはシャワー室で体を洗ってから部屋着に着替えた。雄個体用のシャワー室が無いので、シャワー室の一番隅にジュラ専用のコーナーが作られている。
成熟をしない三倍体であるが故に、リモ達も胸が出っ張ってたりしないし、人間の様に腕や脚に毛が生えたりはしない。人間に擬態する上で、髪の毛だけは「発生」させられるが、不要な部分まで擬態したりはしないのだ。
水槽の中で、裸身のリモを見ても、ジュラは特別自分の体と別の形をしているとは思わない。
キーパーとしての仕事をしているリモの体は鍛えられていて、細身なのに触れるとしっかりとした筋肉がある。
それを思い出して、ジュラは自分の腕に触れてみた。筋肉と言うものがありそうな気はするが、浮力の無い状態になってから数ヶ月の体は、まだ骨ばっている。
ジュラは、自分が一部の姉達から「敵を見るような目」で見られていることをに気づいていた。
カルマにその理由を聞くと、「彼女達は外の世界で、人間の雄個体から、散々嫌な目に遭ってるからじゃないかな」と言っていた。
ジュラがキーパーの仕事をしている間も、あまり時間をかけていると、確かに人間達は「変な事」をしてくる。口に口を押し付けられたときもあった。リモとの演技の勉強の中で、「人間はこう言う風にむつみ合うのだ」と言う知識を得ていたので、ジュラは人間と言うものは「金魚」に対しても同じ方法で交配しようとしてくるのかと思っていた。
恐らく姉達は、あの、口に口を押し付けたりしてくるような人間の行動を、気味が悪いと思っているんだろう。そして、「人間の雌個体」の姿をしている姉達は、ほとんどの場合、「人間の雄個体」からそう言う気味の悪いめに遭っている。だから、人間の雄個体に擬態するジュラを嫌っているんだろう、と。
ジュラの知能は未だ「ファミリー」にも届かない指数だが、彼は情報を冷静に観察すると言う視点を持っていた。
リモは、しばらく長期間の潜入の仕事を任されなくなった。そろそろ、「お偉いさん達のパーティー」の日が近づいているらしい。
ストリート達に混じって、街の中であぶれている弱個体を選別し、暗がりに引き寄せて始末する。ノルマは、最低1日5人だ。
親に見捨てられた子供や、子供に見捨てられた老人、若年層でも健康を害している者、総じて「弱っている」者を選別する。
その「弱っている者」の中には、「狂っている者」も存在した。その種の個体は、暗がりに連れて行っても静かには成らず、突発的に奇声を上げたりする。
そう言った理由から、「狂っている者」は、必然的に闘魚達による削除の対象外になった。「狂っている者達」は、専門の施設に収容され、其処で密かに始末されている。
何人殺しても、新しい赤ん坊は次々に生まれる。堕胎が法的に禁止された世界では、赤子が体の外に出てから、呼吸をふさいで殺す方法をとる母親やその親族も現れた。
アレルギーがあると判断された赤子に意図的にアレルゲンを摂取させ、ショック死させる方法を取ったり、単純にミルクも水も与えず餓死させる者達も居る。
ある程度育った子供でも、親権を持つ者が「邪魔になる」と判断すると、左手首に赤い樹脂製の腕輪を付けられ、その昔に存在した「犬や猫」を捨てるように、町から離れた場所に捨てられる。
その捨てられた個体を見つけ出して始末するのも、闘魚達の仕事だった。
自分を捨てて行った親を走って追おうとする子供を引き留め、泣いている彼等を「悲鳴を上げない方法」で殺傷する。
山や森の中には仮の孤児収容施設があり、其処に捨て子を集めて、何人か集まったところで毒殺するのだ。
致死量を与えても毒の利かなかった子供は、弱個体指定を解除され、人間としての権利を得るための学習と、闘魚を育成する施設での仕事を任される。
この時も、捨てられた子供達は知能の差によって区分された。最下層では「『金魚』が人間を殺傷するための試験体」として扱われ、最上層では「赤色闘魚計画」の仕事の一端を担った。
カルマは育成房の中でも存在する「弱個体」を選別し、強個体にそれを始末させる手続きをしていた。
彼も、かつて親権を持つ者から捨てられ、毒の洗礼を与えられ、其処から生き残った人物だ。
ひっかくようなペンさばきで、病にかかり始めている個体の識別記号を記しているうちに、びくっと手が跳ねて、ペンを取り落とした。
毒の洗礼を生き残った体は、生命力こそ強くあれど、末端の神経に障害を残した。少しのショックで、神経が過敏に反応し、よっぽど気を付けていないと今の様に反射的な発作を起こす。
カルマはペンを拾い上げ、右手の様子を観た。紙の縁で、薄く表皮が切れている。このショックで神経が刺激されたらしい。
「厄介なもんだね」と独り言ち、カルマは自分の仕事を進めた。