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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

森の魔女ピアニカ

作者: 雄野ひよこ

 森には魔女が住む。そう古くから言い伝えられている。

 木々が入り組んで生えているエーデルガルドの森にも確かに魔女が住んでいた。名をピアニカという。ここに二百年は住んでいる。家は二百年前からそのままだが魔法で新築同然に保たれていた。


(ひま)だねぇ……」


 家の中で茶をすすりながら、(つや)やかな黒髪をして青いドレスを着た絶世の美女ピアニカは呟いた。不老不死、永遠の美、求めるものを手に入れた後じっくりと他の魔法も研究したが、二百年も経てばあらかた究めきってしまい、暇を持て余しているのである。

 この森の奥地は変化に乏しい。勿論(もちろん)一年を通しての自然の営みはあるが、二百年を生きるピアニカにとっては些細(ささい)なことでしかない。


「何か面白いことが起きないかねぇ」


 ピアニカが期待するようなことは何も起こらず今日も一日が過ぎていくと思われたその時。


「ん? 結界に人が入り込んだ」


 魔女は家にいながら外に人の気配があるのを感じ取る。即座に席を立ち、窓から外の様子を(うかが)う。すると一人の娘が家に近づいているのが見えた。


「こんなところに家が……伝説の魔女は本当にいたんだ!」


 魔法で聴力を強化してピアニカは外で娘が口にした言葉を聞いた。娘はどうやらピアニカを探しにここまでやってきたらしい。

 ピアニカは窓から来訪者を凝視した。亜麻色の髪をした十八歳前後の、少女から女へと成り変わる頃合いの娘で質素な身なりから平民であることがわかる。娘は始めは驚き家を見上げ、だんだん笑みを浮かべて戸に近づいてくる。

 扉の前に立って娘はノックしてから大声で言った。


「すみませーん、魔女様いますかー」


 呼ばれてピアニカは扉の方へ移動するが、物音立てず返事もしない。すると娘はじれて勝手に扉を開けて入ろうとするが開かない。


「あれ、なんで開かないの? 錠前なんてついてないのに」

「用件を聞こうか」


 扉越しにピアニカは言った。すると娘は目を輝かせた。


「魔女様ですね! 私サロメといいます。私魔女様にお願いがあって来たんです。私に恋が実る魔法を授けてください!」

「恋が実る魔法ねぇ。ちなみにどんな男に恋しているんだい?」

「この国の王子様です。とっても素敵なんですよ」

「お前さんがか?」

「はい」


 そんなことを夢見る年頃の乙女(おとめ)だと納得するピアニカ。だが同時にくだらないとも思った。なので適当にあしらおうとする。


「帰った帰った。恋が実る魔法なんてない。それに身分違いだ、諦めろ」

「諦められません! 絶対に私は王子様と結ばれたいんです。そのためなら何でもします」


 サロメは食い下がる。そして熱に浮かれたようにまくし立てる。


「ああ王子様と熱い抱擁(ほうよう)を交わし、甘いキスをして、一晩中愛し合いたい……」

「肉欲に(おぼ)れたけだものめ」

「何か言いましたか?」

「いや……お前さんの熱意はわかったよ」

「ホントですかー?」

「こういうのはどうだ……私が魔法を教えてやるから宮廷魔導師になって王子に近づくというのは」


 ピアニカは気が変わった。こんな暇(つぶ)しにもってこいの逸材、見逃す手はないと考えた。


「魔女様が私に……魔法を教えてくれるのですか?」


 サロメは目を丸くしている。魔女からそんな提案をされるなんて思ってもみないことだった。


「そうだ、この私が教えるなんて滅多なことじゃないから、光栄に思うことだね。で、どうだい。弟子になるかい?」

「なります!」


 即答だった。するとピアニカの意思で開かずの扉が開き、黒髪の魔女が亜麻色の髪の乙女の前に姿を現した。


「私はピアニカ。これからは師匠と呼びな」

「はい、お師匠様!」


 こうして森の魔女ピアニカは弟子を取り、サロメの魔法修行の日々が始まった。




「今日は虫をお菓子に変える魔法を教える。いいかい、一度しかやらないからよく見てな」


 家の中で飛んでいるハエめがけてピアニカは魔法をかける。


「さあさ変わりなさい、甘い甘いお菓子へと」


 ピアニカが呪文を唱え終えると、ハエはパッと光ってすぐ、綺麗な球状の飴玉へと変化した。それが魔女の(てのひら)の上にストンと落ちると、そのまま手で口に放り込まれる。


「なんか、地味な魔法ですね」


 サロメは率直な感想を述べる。


「これが簡単なようで結構難しい。なにしろ物質を全く別のものに変化させるのだからな」


 飴玉を口に含みながらピアニカが言った。


「そこの壁に蜘蛛(くも)がいるだろう。やってみな」

「はい! さあさ変わりなさい、甘い甘いお菓子へと」


 壁を()う蜘蛛に向かってサロメは見様見真似で呪文を唱える。すると蜘蛛は(いびつ)な形の飴玉へと変わった。


「あれ、お師匠様みたいに綺麗な飴玉にならない?」

「今一歩足りないようだねぇ」

「私コツを掴めるまで虫を探してきます!」


 サロメはそう言って家を飛び出していった。

 小一時間して、サロメは帰ってきた。握り拳を作って。座ってお茶を飲んでいたピアニカの前へ行くと、得意げに手を開いてみせた。そこには綺麗な球状の飴玉が乗っていた。


「お師匠様、できました!」

「見事」


 ピアニカは飴玉を手で摘まんでヒョイと口に入れた。それを見てサロメは満足する。

 サロメには魔法の才能があった。複雑な魔法体系を理解し、初級の魔法ならすぐに使いこなした。魔法の腕はメキメキと上達し、短期間で中級はおろか上級魔法にも手が届くようになった。




 ある日いつものように森で魔法修行中のこと、ふとサロメがピアニカに質問を投げかけた。


「そういえばどうしてお師匠様は魔法を始めたのですか?」


 いつかは()かれることだとピアニカは思っていた。相手がある程度魔法の腕が熟練したサロメだったので、包み隠さず話すことにした。


「私は生まれつき醜かった。顔のせいで辛い目にも遭った。だから類稀(たぐいまれ)美貌(びぼう)(うらや)ましかった。欲しかった。魔法で手に入れてやろうと思った。それからは必死に勉強したさ……色々失敗もしたねぇ」

「お師匠様が失敗? とても信じられないです」

「最初は誰だってそんなもんさ」


 ピアニカは遠い目をする。二百年以上前の過去の記憶を回想して。


「でも十代の終わりには望む美貌が手に入った。するとたちまち国中の男達を(とりこ)にし、王の寵姫(ちょうき)となって富と権力まで手に入った。でも私は先のことを考えると怖くなっちまったのさ。一度手に入れた美を歳を取って失うのが。だから不老不死の研究を始めた。当時の私は二十代の内に不老不死になる方法を見つけないとと焦っていた。だから不老不死を授ける悪魔なんてのに飛びついてしまったのさ」

「不老不死を授ける悪魔? そんなのいるんですか?」

「ああ。だが莫大な対価を要求する。しかし私は悪魔と契約し、国一つ生贄(いけにえ)に捧げた」


 ピアニカは険しい顔つきになる。


「勿論後悔したさ……若さゆえの過ちだった。罪の意識に(さいな)まれた。でも過ぎたことは仕方ない、逆立ちしてもどうにもならないからねぇ。ただ過去は過去として背負っていかなければならないんだよ」


 それがピアニカが二百年の間に出した結論だった。サロメはふむふむと頷いていたが、やがて言った。


「だからお師匠様は俗世を離れ森に(ひそ)み住んでいるのですね」

「この子は痛いところを突くねぇ」


 実際ピアニカは自分を社会と関わりを持つには危険な魔女だと認識して人目を避けているし、森で一人暮らすのは自分への罰という意味合いもあった。サロメの指摘は鋭かった。


「どうなんですかお師匠様」

「はいはい、昔話はしまいだよ。口を動かすのは呪文を唱える時だけにしな」

「はーい」


 これ以上サロメにとやかく言われたくなくて、ピアニカは話を切り上げる。二人は魔法修行に戻り、時間が過ぎていった。




 またある日森の泉で沐浴(もくよく)中のこと、ピアニカがサロメに尋ねた。


「全く王子のどこがそんなに良いんだい?」

「そうですね……カッコいいところとか、それと勇敢そうなところとか、優しそうなところとか……」

「そうとはなんだいそうとは。本当は意気地なしの鬼畜かもしれないじゃないか」

「王子様に限ってそんなことはありません! お師匠様の意地悪!」


 サロメは怒ってピアニカの顔に水をかける。弟子の無礼な振る舞いに対し師匠もムキになる。


「さあさ波打ちなさい、水よ津波となれ」


 泉の水が集められて高波となりサロメを襲う。仕返しにしては度が過ぎている。


「ぷは、お師匠様は恋をしたことがないからわからないんです!」


 水面から顔を出してサロメが言った。溺れかけてなお口が減らない。ピアニカは言葉を返す。


「私だって好きだった男くらいいたさ」


 (いにしえ)の記憶が呼び覚まされる。ピアニカはこう続けた。


「でも結ばれなかった。恋なんてそういうものさ」


 ピアニカが好きだった人は他の女と結婚して家庭を持ち、一家諸共(もろとも)ピアニカが不老不死になるための犠牲となった。一度は恋した相手の人生を奪った、だからどこまでも苦い思い出だった。


「私はお師匠様とは違います。絶対に王子様と結ばれるんです!」


 サロメは強い決意を口にする。それを若さゆえに危ういところがあるとピアニカは思うが、これ以上何を言っても無駄だと悟っていたので何も言わなかった。




 修業を始めてから半年が経ち、一人前の魔法使いになったサロメにピアニカは王宮へ向かう許しを与えた。早速宮廷魔導師となって意中の王子に近づくべく森を出ようとする弟子を森の魔女は家の前で見送る。


「いいかい、お前には魔法の才能があるが、自分のことをちょっと魔法が使えるだけのただの人間だと思いなさい。けっして(おご)るな。力の使い方を誤ればたちまち人を破滅へと追いやる、正しく使うことだね」

「それはお師匠様にできなかったことを私にやれということですね」


 ピアニカはうーんと(うな)る。一本取られたといったところか。


「お前は聡明(そうめい)すぎて怖い。少しくらい馬鹿になりな」

「わかりました」


 サロメは屈託なく返事する。それで背を向け森を出て行こうとしたのでピアニカは呼び止める。


「待て、その格好で王宮へ行く気かい?」


 ピアニカはサロメのみすぼらしい身なりを指摘した。

 サロメはピアニカの方に向き直って、


「そうですね、ではお師匠様みたいに魔女っぽく……さあさ変わりなさい、赤い赤いドレスへと」


 呪文を唱えるとサロメの服はピアニカが着ているのと似たデザインの真紅のドレスへと早変わりした。


「様になってるじゃないか」

「ありがとうございます。それでは行ってまいります。王子様との結婚式にはお師匠様も呼んで差し上げますね」

「呼ばんでいい。私は森から出る気はないよ」

「まぁそう(おっしゃ)らずに。それではお元気で」


 今度こそサロメは(きびす)を返し師の元から離れる。そして呪文を唱えた。


「さあさお出でなさい、空駆ける天馬の戦車よ」


 すると何もなかったところに突然翼の生えた馬が車を引く戦車が出現した。それにサロメは乗り込む。すれば馬が翼をはためかせ、空へと舞い上がった。

 遠くなって見えなくなるまでピアニカはサロメの戦車を見つめていた。


「これで暇になったねぇ」


 ピアニカは呟いてから家の中に戻った。

 一人になった家の中はいつもより静かだった。ピアニカは椅子に座ると机の上に置いてあるカップを手に取って、魔法でお茶を注ぎ飲む。自分一人の日常への慣れを早く取り戻そうとするかのように。

 限りある命を持つサロメをここに永遠に押し留めておくことはできないことくらい、ピアニカにもわかっていた。別れは必然、いくら情が移ろうとも。

 サロメとの別れは惜しい、でも寂しいとは思わないピアニカだった。


「感傷に(ひた)るには歳を取りすぎたようだねぇ……」


 悠久の時を生きる魔女にとってこの半年は一瞬の出来事。これから一人きりで退屈な時間がゆっくりと流れていく。




 サロメが森を出てから三年ほど経った。今日もピアニカは暇を持て余しながら家の中で茶を飲んでいると、人の気配を察知した。


「おやおや結界に人が入り込んだようだねぇ」


 サロメが自分のことを王宮で話していれば訪ねてくる人間も現れるだろうという可能性はピアニカも考えていた。席を立って窓辺に移動し、外の様子を見る。

 やがて一人の兵士が木の棒を杖代わりにしてゆっくりと魔女の家の前に歩いてきた。甲冑(かっちゅう)の隙間から血をだくだくと流している。息も絶え絶えだった。


「穏やかじゃないねぇ」


 ピアニカは家を出た。探していた森の魔女を見つけた兵士は木の棒を落として膝をつき、声を振り絞って叫んだ。


「大魔女ピアニカ様とお見受けする、どうか私達をお助けください!」

「いかにも私がピアニカだが、どうしたんだい?」

「国が悪い魔女サロメに乗っ取られ、王は殺され王子は囚われの身、毎日贅沢(ぜいたく)三昧(ざんまい)でその費用をあてがうために重税を敷いて民を苦しめ、さらに周辺諸国に戦争を仕掛け、兵は疲弊しています」

「なんだって?」

「お願いです! ピアニカ様はあのサロメの師と聞きます。サロメを倒せるのは貴方しかい……」


 話の途中で兵士は倒れた。ピアニカは駆け寄って治癒(ちゆ)魔法をかけようとするが、相手はすでにこと切れていた。


「さあさ眠りなさい、土の中で永遠に」


 ピアニカが呪文を唱えると兵士の死体はその場から消え、家の庭に埋葬された。その後大魔女と呼ばれたその人は深い溜息をついた。


「どうしたものかねぇ……」


 ピアニカは俗世に関わらないという主義と弟子の不始末は師匠の責任だという思いの間で揺れていた。一旦家の中に戻る。

 だがすぐに結論を出して家の外に出た。(ほうき)を持って。ピアニカを箒を地面に平行にして(またが)った。


「さあさ飛びなさい」


 箒ごとピアニカの体が浮き上がる。緑の木々を飛び越えて森の魔女はついに森を出た。




 王宮、謁見(えっけん)の間。豪華絢爛(ごうかけんらん)なその場所に向かってつかつかと歩く青いドレスの魔女がいた。謁見の間に入ると懐かしい顔が出迎えた。


「これはこれはお師匠様、お久しぶりです」


 サロメは玉座に座っていて、傍に上半身裸の男を付き従えていた。その赤いドレスは宝石で装飾され、森を出た時よりも派手なものになっていた。


「ほら王子様、ピアニカ様ですよ。私に魔法を教えてくれた魔女様です。挨拶(あいさつ)してください」

「う、あ……サロメ好き、サロメ好き」

「もう王子様ったら」


 王子と呼ばれた半裸の男はサロメにすり寄る。だがその目からは意思を感じられない。


「お前、魅了の魔法を使ったな。いつの間にそんな外法を覚えた」

「恋が実る魔法、ですよ。お師匠様はないと仰っていたけどあったじゃあないですか。あれからも色々勉強したんですよ、私」


 ピアニカの指摘をサロメは訂正する。


「随分好き勝手やっているようだねぇ」

「私は王子様と毎日楽しく暮らせればそれでいいんです。王子様はいずれ世界を手にするお方。私はその手伝いがしたいんです」

「そのためには他の人間がどうなろうと構わないと?」


 問いかけにサロメは答えなかった。ピアニカは溜息をつく。わずかな沈黙の後、師匠は弟子に言い渡した。


「道を誤ったお前を始末しに来た。言い残すことはあるか」


 ピアニカは殺気を表に出す。サロメは立ち上がる。


「死にたくないので全力で抵抗させてもらいます。けど王子様を巻き込むのは良くない、場所を変えましょう。さあさ移りなさい」


 サロメの体がつま先から頭のてっぺんまで順に消えていった。ピアニカは手にした箒に跨って飛び、追跡を開始する。

 王宮の廊下をひとっ飛びし、ピアニカは庭園に出た。広大な庭園は森とは違う整備された美しさを誇っていた。色とりどりの薔薇(ばら)が咲いている辺りの中央にサロメは待ち構えていた。

 ピアニカは少し距離を置いて着地する。魔女同士の壮絶な戦いが今始まる。


「さあさお出でなさい、巨大なる地獄の門兵達よ」


 サロメを囲うように身長十メートルはある地獄の巨人兵士が八体出現した。右手に剣を掲げ、(たけ)る姿は闘志十分。前方の二体がまずピアニカに襲い掛かる。


「高位の召喚魔法……だが私には通用しないよ。さあさ鳴りなさい、魔神の(いかずち)よ」


 対するピアニカが呪文を唱えると空は黒い雲で覆われ雷が走った。それは次々と地獄の門兵達に落ちてその巨体を打ち砕いた。さらに雷はサロメをも狙う。


「さあさ守りなさい、堕天使の鏡の盾よ」


 サロメは装備した魔法の盾で雷撃を跳ね返した。雷はピアニカに向かって走る。


「さあさ穿(うが)ちなさい、神殺しの槍よ」


 ピアニカは汗一つかかず呪文を唱える。すると手には魔法の槍が握られ、それが雷を裂いた。


「ずるいです、それ」

「まだまだこんなもんじゃないよ、しっかり受け止めな」


 そのままピアニカは神殺しの槍を投げつける。高速で飛び込んでくる槍をサロメは堕天使の鏡の盾でガードするが、盾を突き破って体に突き刺さる。


「ごはっ」


 サロメは口から血を吐き、膝をつく。勝負あったかのように見えた。しかし致命傷をわずかに外していた。


「さあさ(いや)しなさい」


 サロメは治癒魔法を使った。すると槍が体から抜け、刺し傷がみるみる塞がっていく。元気になって立ち上がり、宣言する。


「さあ仕切り直しといきましょう。第二幕の始まりです」


 黒い雲が去り、晴れた空は赤く燃えていた。サロメは呪文を唱える。


「さあさお出でなさい、空駆ける天馬の戦車よ」


 森を出る時にも使った、翼の生えた馬が車を引く戦車を召喚するサロメ。戦車に乗り込み茜色(あかねいろ)の空へと舞い上がる。ピアニカも箒に跨って飛び、これを追う。


「さあさお出でなさい、ペガサスナイトの軍勢よ」


 さらにサロメは翼の生えた馬に乗って飛ぶ騎士を多数出現させる。騎士達は一斉に弓を構え、矢の雨を降らせる。

 しかしピアニカはジグザグに飛び回って無数の矢を回避した。


「お前達、お師匠様を追い詰めて追い詰めて追い詰めるんですよ」


 指揮官が号を発するとペガサスナイト達は二射目を発射する。ピアニカは矢を避けながらサロメが戦いを楽しんでいるのではなかろうかと思ったが、今は考えるのをやめて戦いに集中することにした。


「こんなのいくらでも避けられるがしゃらくさいねぇ、さあさお出でなさい、灼熱(しゃくねつ)の炎の精イフリートよ」


 ピアニカは炎に包まれた獣人の姿をした精霊を呼び出す。イフリートは口から猛火を吐く。天馬の翼は焼け落ち、騎士達は火達磨になって転落する。庭園にたちまち火が燃え広がり、王宮は炎上した。

 戦車も炎に包まれる。だがサロメは難なく脱出した。大きなシャボン玉に包まれて空中を漂う。イフリートはシャボン玉に向かって火を噴きつけるが、魔法の水の膜が炎を寄せ付けない。


「残念、平気です」


 サロメは涼しげな顔をして優雅に空を舞っている。ピアニカは次の手を打つ。


「さあさ貫きなさい、大さそりの毒針よ」


 ピアニカは針を撃った。それはシャボン玉を割りサロメに刺さった。


「さあさやわらげなさい」


 落下するサロメは衝撃を魔法でやわらげて着地する。だがふらついた。毒が回ってきたのだ。


「毒なんて治癒魔法で……さあさ癒しなさい……!?」


 サロメは目と鼻の先にピアニカの顔があって驚く。落下してる間に距離を詰めていたのであった。師は弟子に向かって最後の魔法を唱える。


「さあさ登りなさい、天国への階段を」


 ピアニカは白い息を吹きかける。もろに食らったサロメであったが怪我(けが)一つしていなかった。だから余裕の表情になる。


「どうしたんですかお師匠様。不発ですか?」

「自分の体をよぉく見てな」


 サロメ本人からは気付きにくかったが、ピアニカから見れば一目瞭然(いちもくりょうぜん)で猛烈なスピードで年老いていた。それは不老不死となった後でも使えば老いるのかと気になって習得したものの、今まで試す勇気を持てないでいた老化の魔法だった。


「なんか肌がしわくちゃに……腰が曲がって……立っていられない……」


 ようやくサロメが自分の体の変化に気付いた時には体力の限界が来ていた。その場に倒れ込み、大の字になってピアニカを見上げる。


「お師匠様は……本当に恐ろしい魔女だったんですね……」

「当たり前だ馬鹿弟子が」


 ピアニカは険しい顔で白髪となったサロメを見下ろしていた。


「どこまでやればお師匠様が怒って森を出るか……つい……遊んでみたくなりまして……」

「お前……この大馬鹿野郎! 本当に、なんて子だい」


 別れの際に少しは馬鹿になれと言ったが全く加減というものを知らないとピアニカは困惑する。しかし当のサロメはどこ吹く風だった。


「でも悔いはないです……お師匠様はやっぱりすごい……私の……尊敬する……大魔女……で……」


 最後まで言い切ることなくサロメは息を引き取った。

 辺りは一面火の海だった。サロメの体も炎に巻かれる。ピアニカは火を避けながら歩いた。しばらくしてから立ち止まり、呪文を唱えた。


「さあさ降りなさい、恵みの雨よ」


 空が雲に覆われ、激しい雨が降り出した。辺りの火はやがて消え失せる。だが雨は降り続いた。その間ピアニカは雨に打たれていた。

 ようやく雨が止むと雲の隙間から月が出た。夜空をピアニカは箒に跨って飛び、森へ帰る。

 それ以来ピアニカが弟子を取ることはなかった。

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