5 契約の解除
少年――ライトを見た瞬間、私の胸は急に苦しくなった。
なぜ、ここに?
疑問に脳内が埋め尽くされ、結婚式の誓いの言葉などどうでも良くなる。
私は彼に抱きしめられたまま動けない。まるで時が止まったかのように感じられた。
「探したんだぞ。心配かけて」
「……ごめん、なさい」
どうして謝ったのかはわからない。
あなたが私を縛ったのだから逃げて当然、とむしろ一喝してやれば良かったのに。もしかするとこれは私がまだ契約で縛られているから……?
そんなことを考えていた私は、だがすぐに現実へと引き戻される。
突然現れた不審者に驚いたディープが声を上げたのだ。「だ、誰だ君は」
「あ? ああ、小人じゃん。お前が今までアンジュを守ってきてくれたのか?」
「そうだけど。だから誰だって聞いてるんだよ」
「俺はライト。こいつの家族だ」
家族と堂々と名乗られて私は困惑する。
だって私は彼のことを家族とは未だに思っていない。私を傷つけずに可愛がってくれたいい飼い主だったとは思うけれど。
それでも私はライトの奴隷だった。ずっとずっと長い間。
そう言葉にしたいのにうまくできない。ライトに包まれているとなんだか心からの安堵を得てしまうからだ。
大きな体、頼り甲斐のある腕の感触。その全てが懐かしく心地よい。
「アンジュの家族? 家族じゃないでしょ、ただの飼い主のくせに」
ディープはライトをキッと睨んだ。
いつもは穏やかな彼がこんな表情をするところを、私は初めて見た気がした。
「飼い主? 何のことだよ」
「自覚がないのかい。アンジュから話は聞いているよ。アンジュを何年も何年も契約で縛り、苦しめてきた男なんだってね」
結婚式の雰囲気はぶち壊しだ。
私を抱くライトに対し、今にも噛みつきそうな勢いのディープ。
予想外の事態に私の全身はすくんだ。どうしたらいい。どうしたらこの状況をなんとかできるだろうか。
その間にも二人の間の火花は激しさを増していった。
「飼い主ってアンジュが言ったのか?」
「そうだよ。アンジュはずっと君のペットだったんだ。ここから連れ去られて、精霊だからっておもちゃみたいにされて……。彼女がどんなに辛かったか君は考えたことがあるの?」
「アンジュがそんなこと言ったのか? アンジュを騙して外へ連れていったのはお前じゃないのか!?」
私はライトの胸から抜け出すと、二人の間に割って入る。
今ここで彼らを対立させてはいけない、私は本能的にそう思った。
だから、
「……話を聞かせて」
△▼△▼△
ライトは私が失踪してからというもの、三年もの間探し回ったらしい。
光に包まれて消え失せるところは目撃していたらしいがそれ以外の情報は何もない。そんな中でしかし彼は諦めなかった。
ボロボロになっても世界を駆け巡り、そしてやっとのことで手がかりを掴んだのだという。行き着いた先がこの森だった。
「どうしてライトはそこまで……」
私にはわけがわからない。
私が希少な人型精霊だから? だから私をそこまで欲するのだろうか。
代替品なんていくらでもいたはずなのに。
「どうして私を追って来たの。私のことなんてもう忘れてほしかった……のに」
「俺はな、お前じゃなきゃ嫌だったんだよ。お前は俺の妹分だったし、それに――」
しかしライトが言い終わらないうちに、激昂したディープが、人間の少年の鼻先に仁王立ちした。
やはりディープは小さい。小さすぎる。ライトがその気になればきっと彼は一瞬で潰されてしまうだろうに。
「僕のアンジュをたぶらかさないでくれないかな。見たらわかると思うけど、今は式の最中なんだ」
「何の?」
「僕とアンジュの、結婚式だよ」
そう。私は今から、ディープのお嫁さんになる。
だからもうライトとは生きていけない。生きていけない、のに……。
どうして私の胸はこんなに疼くのだろう。
「二人きりにさせてほしい」ライトは言った。「彼女の本音が聞きたい」
けれども、首を縦に振らないディープ。うっかり私が連れ去られるのではないかとそう思ったからに違いない。
私は悩んだ後、やがて。
「ここでいいわ。ライト、何でも話して」
「いいのか?」
「いいわ」
もうこの際だ、決着をつけてしまおう。
私はライトと訣別する。これからは私は私としての人生を――。
「……好きだ」
直後の甘い口づけに私の覚悟は全て吹っ飛んだ。
△▼△▼△
何もかもがどうでも良くなるようなとろける感触の中、私は目を瞠る。
すぐそこにはライトの大きな顔。そしてその鼻先に立つディープ。
私はすぐに理解した。唇の感触のその意味を。
「ライ、ト……?」
「好きだ好きだ大好きだ! まったくもう! どれだけ心配させるんだよ! 勝手に逃げたりするな。周りのこと、少しは考えたらどうなんだ! お前がいなくなったって知った時はこの世の終わりかと思ったよ! それくらいお前のことを好いてるんだよ、わかれ!」
……唖然となるしかない。
私は今、何を言われているの?
「わかってたさ。俺がお前のことを縛ってるんだって。……でもお前は俺には眩しすぎて手放せなかっただけなんだ。その赤い髪も緑の瞳も全部が可愛すぎて。元々は妹代わりのつもりだったけど、だんだんそんな風には思えなくなった。
たまらなく好きで好きで仕方なくなって、でも失うのが怖かったさ。飼い主って呼ばれても仕方ないよな……。だってお前は精霊で俺は人間だもんな。森に帰してやることが一番だったろう。でも俺はそれができなくて、せっかく森まで戻って来られたお前を連れ戻そうとしてる」
「そんな……」
「今までのことが謝り切れないくらい重い罪なんだってことはわかってる。でも……これからはペットじゃなく、俺の伴侶になってほしいんだ」
伴侶……?
たくさんのことがありすぎて私には理解し切れなかった。
結婚式の参列者たちから怒声が上がり、帰れ帰れとの声が響いている。でも私はそんな声は耳に入らず、彼のことしか見ていなかった。
「どういう、ことですか」
「契約を解除する。そして俺と結婚してくれ」
その瞬間、私の奥底に打ち込まれていた楔が弾ける音が聞こえた。
私を縛り続けてきた『契約』、それが切れたのだと私は直感した。