異常人生
「この世界で……生きていくしかない」
言葉にすれば、不思議とその道しか残されていないということに納得してしまった。
俺は、徐々に、徐々に、自分の精神がこの世界に馴染んでいく感覚を覚えた。
俺という人間が、この世界に居心地の良さを感じ始めているのだ。それが、アリムの言っていた【適合者】と関係があるのかは分からないが、元いた世界で常に感じていた、なんとなくの疎外感、心の奥底がふわふわとしている不安感が、今は微塵も感じられない。
だからこそ、思わずにはいられない。
「そうか……ここが、俺の新しい世界なんだな」
「やっと分かってくれましたか」
若干の疲れを見せたようなトーンで、アリムが言う。
「でも……」
知らない世界に連れてこられて、知り合いは誰一人として存在せず、家族と友人からも、突如として切り離されてしまい、俺は不安を感じずにはいられなかった。
もしや、もしかしたら、俺はもう二度と彼らに会えないのではないか。
「会えませんよ?」
さも当然かのように、アリムは答える。
「……やっぱりもう二度と会えないのか?」
「はい。無理です」
両親、楓、神谷や夜野といった顔を、次々に思い浮かべる。
もう、二度と会えないと言われてしまえば、さすがにショックだ。彼らは、俺の大切な人だったから。だから、
「そうか……質問がある」
「何ですか?」
「あいつらは俺のことを覚えてるのか?」
これだけは確認しなければならない。
もしもあちらの世界で、俺が急に消えたとなれば、彼らは悲しむのだろう。悲しんでくれるのだろう。もしかしたら、もういない俺のことを探し続けてくれるのかもしれない。
だが、それだけはダメだ。彼らのことが好きだからこそ、彼らには悲しんでほしくはない。だから、この質問は俺にとってとても大事なのだ。返答次第では、俺がこの先、生きていくうえで、大きな心残りになってしまう。
かくして答えは、
「覚えてません」
俺にとってありがたいものだった。
「完全に忘れるのか」
「そもそも、あなたという存在が初めから無かったことにされます」
「存在自体が、か?」
「そうです。あなたの妹はたった先ほど妹じゃなくなりました」
存在自体が無かったことになる……それは、生まれたときからのことを言うのだろうか、それとも、今までの状況は何も変わらず、ただ単に俺が消えた世界がこれから展開されていくということなのだろうか。
「後者です。過去は変わりません」
だとすると、そこら辺の辻褄合わせはどうなるのだろうか。
「例えばなんだが、オリンピックの金メダリストをこっちの世界に連れてきたら、過去ってどうなるんだ?」
「その場合、そもそも金メダリストを連れてくることができません」
「どうしてだ?」
「歴史に大きく干渉しているからです。そういう人物は、世界との繋がりが非常に強く、むりやり別の世界に転移させるようなことはできません」
空く穴が大きすぎると、無理なのか。
その点でいえば、俺は大丈夫だろう。何も残していない。
「ていうか、そう簡単に人って転移できるもんなのか?」
「普通は無理です」
なら、どうして俺はできたのか。
「それは、ナギさんがイレギュラーだったからです」
「俺がイレギュラー?」
――すぅぅ
アリムは、一度深く息を吸った。
「色芽梛。身長173cm、体重56kg、運動能力、学力ともに平凡。家族構成は、両親に妹が一人の4人家族。趣味はアニメ、ゲーム、サッカーなど。好物はうどんで、嫌いな食べ物はたまねぎ。1歳の頃に、両親の引っ越しに合わせて神奈川県に移住。4歳で地元の二国幼稚園に入園。その後、逗子市立逗子小学校で6年を過ごし、逗子市立逗子中学校に入学。部活には入らず、小学校から続けていたサッカースクールを継続。高校は横浜市立金沢高等学校に入学。ここでもどの部活にも入部せず、図書委員会に所属。このとき、サッカースクールも退会。友達も多い方ではなく、基本的には一人。また、それを苦だとは思っていない。
そして、いつからか日常に退屈を、世界からの疎外感を感じるようになる」
……あまりの衝撃に、声を発することができない。
今言った内容は、何一つ間違っちゃいない、ちょくちょく「それ今言う必要ある?」みたいな項目もあったが、俺という人間の個人情報それそのものだった。
「……どうして知ってる?」
「そりゃあ、神様ですから」
……いや、もうこの際それはどうでもいい。それよりも、
「今のどこにイレギュラーな要素があったんだ?」
改めて聞いても、つくづく平凡な人生を歩んでいるように感じる。いてもいなくてもいい、そんな人間。
「人生自体は普通も普通です。普通すぎるぐらいです」
分かってはいても、人に言われると少しカチンとくるものがあるな。
「問題は、最後の部分です。いつからか日常に退屈を、世界からの疎外感を感じるようになる」
「そんぐらい、多くの人が感じてるんじゃないか?」
適合者がいれば、不適合者もいるのだろう、そして後者の人々は、みなどこかしら俺のような感覚を持っているのではないだろうか。
「たくさんいるでしょうね」
アリムもそこは肯定する。
「でも」
と彼女は続ける。
「生活している間、ずぅぅぅぅっとそんなことを思ってる人はいません。人間だれしも、楽しいことがあれば、幸せなことがあれば、その世界に『居場所』を感じるんです。でも、あなたは違った。いついかなるときでも、常に『疎外感』を感じていた。『居場所』を認識できなかった」
彼女は真顔で話続ける。
「はっきり言って、異常です。普通じゃない」
「そうか? 自分で命を投げ捨てる奴もいるんだぞ、俺だけがそうってわけでもないだろ」
「そうじゃないんです。幸せなときも、楽しいときも、心からそう思ってるからおかしいんです」
言われてもいまいちピンとこない。
「うーーん」
「あのですね、そもそも普通の人は、私みたいな小さい子どもの姿をした人に『違う世界に連れて行ってください』なんてお願いはしないんですよ」
「……あぁ」
あぁ、何も言い返せない。
だが、彼女の瞳に覗かれたあのとき、何故だか不思議とその願いが口に出たのだ。
「とにかく」
仕切り直しだと言わんばかりに、アリムが声を張る。
「そういったいろんな要素が嚙み合って、こうしてナギさんは新しい世界にこれたわけです」
俺は、自分自身に問いかける。
俺は、元の世界が嫌いだったのか?
答えは、NOだ。幸せだった。楽しかった。だが、今こうして新しい世界で感じる居心地の良さを知ってしまえば、こう思わざるを得ない。
俺は、この世界に生まれるべきだったのだと。
「やっぱり、異常ですよ」
彼女が俺の顔を見つめる。
「それが、全てを失って、みんなに忘れられて、これから知らない世界で一人で生きていく人がする顔ですか」
自分の顔を、触る。
その指が口元に触れる。
俺はそのとき、初めて自分の口角が上がっていることに気がついた。
「……そろそろ時間みたいです」
アリムが立ち上がり、俺もそれに続く。
「ここから北に向かってしばらく歩けば、町に着きます」
彼女が草原の一方向を指さした。
「ちなみに太陽の周期は地球と同じです。方角もそれで判断できると思います」
続いて、彼女はその指を俺の方に向けた。
指の先が、青色に光る。
それに呼応するかのように、制服が白色の光に包まれたかと思うと、次の瞬間には、俺は青と茶色を基調とした動きやすい服装、冒険者風とでもいえばいいのだろうか、を身に纏っていた。
「これ、いいな」
「私のお手製です。ナギさんに似合いそうなものにしました。あとは、これですね」
そう言って、彼女はどこから取り出したのか、文庫本程度の大きさの本を俺に渡した。
「その本には、この世界の常識や歴史など、いろいろなことが書いてあります。マニュアルみたいなものです。読んでおくといいですよ」
「これも自作か?」
「いえ、普通に売られてるものです。学校とかでも読まれるみたいですよ」
「なるほど、ありがとう。使わせてもらうよ」
「では、私は忙しいのでこれで。良い人生を」
……消えた。
瞬きをしたその一瞬で、彼女の姿は俺の前から消えた。
「……そういえば、あの足音とか視線って誰のだったんだろ」
「それは私のですね」
「うわぁ!?」
びっくりした!? アホみたいな声がでちゃったじゃねぇか。
消えたと思ったアリムが、真後ろに立っていた。
「お前だったのか」
「私でしたね。ああでも勘違いしないでください。話題になってた不審者はまた別ですよ」
「別なのか」
「別です。ちなみにもう捕まったみたいですよ」
捕まったんだ……。
「それで……お前は何で俺のことつけてたんだ」
「うーん、まぁ、見極めるため? ですかね?」
「……どういうことだ?」
「そのままの意味ですよ。では、本当に時間がないので。シュウさん、またいつか会いましょうね!」
……また瞬きの一瞬で消えた。
そのままの意味とはどういう意味だろうか。
俺のことを調べてたのは間違いないとして……俺がこの世界に見合った人間かどうかを見極めてたってことなのだろうか。
「……考えても仕方ないか」
真意がどうであれ、今やるべきことは他にある。
広大な緑に一人取り残され、実感する。
俺の第2の人生が、たった今、始まったのだ。
「まずは、町だな」
俺は北に向かって一歩、足を踏み出した。
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開始。
最後まで読んでくれた人には感謝しかありません。これからも見守っていただけると、ものすごく嬉しいです。