適合者(重量100kgの乗り物が時速約300kmの速さで壁に衝突したときに発生する衝撃、とほぼ同じ力でぶん殴りました)
「夢じゃない……」
「はい、現実です」
左の頰をさする。じんじんとした鈍い痛みは、今も継続して感じている。
それだけじゃない。肌に触れた手、風の暖かさ、地面の土、そのどれもが完璧なる実体として、俺の身体にこれが現実であることを突きつけている。
「いや……」
だが、俺はまだこれが夢である可能性を捨てきれていない。
それもそのはずで、もしも目の前の光景が、俺が吹っ飛ばされた衝撃の末にできたものだとしたら、頰の痛みだけでは到底済まないはずなのだ。
ほぼ確実に、体はぐちゃぐちゃの粉々に、ただの肉片と化してしまうだろう。
「じゃあなんで生きてんだ、俺」
「それは、あなたがこの世界の適合者だからです」
独り言のような疑問に、アリムは適合者という、聞き慣れない単語で回答した。
「適合者?」
「説明しましょう。ナギさん、元いた世界、元いた地球で、顔がいい人、頭がいい人、運動ができる人などなど、生まれつき恵まれた条件を授けられた人ってたくさんいましたよね?」
そう言われ、有名人であったり、友人であったり、確かに何人かの顔が浮かんだ。
「彼らは例外なく、あの世界の【適合者】です。生まれた世界が正しかった人達です」
適合者。生まれた世界が正しかった人達……?
「どういうことだ……?」
「考えてみてください。あの地球において、彼らはたしかにその能力をいかんなく発揮していますが……もし、イケメンとブサイクの感性が全くの逆だったら? いくら学力、頭脳があっても使う場面が全くなかったら? 肉体の差異が認められず、全員が同じ体格に調整されるとしたら? そんな世界があったとしたら、彼らはそこでは全く輝けないでしょう?」
……生まれつき持っていた能力が、環境によって評価が変わってくるという意味だろうか。
「それは……例えば、とてつもない絵の才能を持っているのに、それを許さない家庭に生まれたとかそんな話か?」
「んーー、まぁそんな感じです。それの世界バージョンとでも思ってください」
理解はできた……と思う。つまり、生まれ持った能力がたまたま地球という世界の常識において評価されただけ、ということなのだろう。
俺は一度立ち、尻の砂を払ってから、再度、近くの草原に腰を下ろした。
アリムも、俺と向かい合うようにして腰を下ろした。
「ちょっと質問いいか?」
「なんですか?」
「成功、不成功って全部その適合によって決められるのか?」
「いいえ、あくまでもスタートにとんでもないアドバンテージがついているだけで、実際努力次第ではそこそこの場所までは行けますよ。でも、そこそこより上はいけません。それぞれの分野で先端を走るなら、努力だけでは絶対に無理です」
「そうなのか……」
有名人を何人か思い浮かべる。あの人も、あの人も、もしもアリムの話が本当だとしたら、全員が【適合者】というくくりに当てはめられるのだろうか。それはなんだか……。
「全部……運ってことか?」
「それはちょっと違いますね。あくまでアドバンテージがあるだけで、それを活かすも殺すも本人次第です。結局は、彼らにも努力は必要ですからね」
なんだか、努力が意味のないようなものに聞こえて悲しかったが、それを聞いて少し安心した。もしも能力で全てが決まってしまうんだったら、頑張っている人があまりにも報われない。
一旦整理がつき、俺は気になっていた質問をアリムにぶつける。
「それで、俺も【適合者】なんだっけか?」
「はい、この世界の、ですけどね」
つまり、俺もこの世界においては何かしら特大なアドバンテージを持っていることになる。考えられるのは、やはり先ほどの一連の流れだろうか。明らかに死ぬであろう惨劇を、俺は頰の痛み一つで耐えた。
「アドバンテージは、体の頑丈さとかか?」
「いえ、違います。あなた自身は、元いた世界となんら変わってません」
「じゃあ違うか……」
俺はがっしりという言葉とは無縁な体つきをしている。下手したら高校生男子の平均的な体格よりも、幾分か細いかもしれない。お世辞にも、力が強いとも言えない。
生まれつきの能力がそのまま反映されているなら、違うのだろう。
では何だろうか……。
「自分で気づくのは無理だと思いますよ?」
思案していると、ズバッとそう言われた。
「元の世界とこちらの世界とでは理が違います。元の世界の基準で自分の能力を探していては、見つけることはできないと思います」
「なるほどな」
では、全く違うルールがこの世界には存在しているのだろう。
それを考慮して、俺は一つ、魔法が存在するのではないかという考えに思い至った。
カラスによく似た鳥類、走るチューリップなどなど、フィクションでしか見ないような要素があるこの世界では、魔法も存在するのではないだろうか。アニメやゲームを嗜んでいる者の身としては、当然の候補でもある。
「魔法だったりするか……?」
「おお! 正解です!」
本当に魔法だった……。
「すごいですね! 流石アニメオタク!」
「え?」
煽りか?
っていうか、何で俺がアニオタなの知ってるんだ。
「その通りです。魔力です。ナギさんは、生まれ持った魔力量が桁外れに多いんです」
俺の魔力量が多い……?
「そんな気は全くしないが」
「そりゃあそうでしょう。ナギさんは現在、魔力の"り"の字も知らないんですから」
「"ま"じゃないんだ」
「ええ、実際に本能で使えてるみたいですし、"ま"ぐらいはあるんじゃないですかね」
ちょっと待て、つまり、俺はもうすでに一回魔法を使っているのか?
そんな感覚は全くしなかったが。
いや……あのときか。
「もしかして、殴られたときか?」
「その通りです」
大正解、と付け加えてアリムは満面の笑みで説明を始める。
「あのとき私は、重量100kgの乗り物が時速約300kmの速さで壁に衝突したときに発生する衝撃、とほぼ同じ力でナギさんのことをぶん殴りました」
「何してくれてんだ」
よく分からないが、最悪な威力であることは容易に想像できる。まともにくらったら、死は絶対として、どれくらい体のパーツが残るのだろうか。
「衝撃の直前、ナギさんの肉体が本能的に身構えたその瞬間、あなたは全身に魔力防御を施しました」
強度を上げたとか、そんな感じだろうか。
「魔法を使ったのか?」
「魔法ではないですね。魔法はきちんとした術式が組まれてるんですけど、ナギさんがやったことはただ魔力を纏ったにすぎません」
「何が違うんだ?」
「魔力が体の一部だとしたら、魔法は道具です。つまり、人体に初めから備わっている機能が魔力、外部から取り寄せて使用する行為が魔法、ということです」
そういうことか。
今の話にあてはめると、呼吸や筋肉などが「魔力」、剣や銃などが「魔法」に区分されるのだろう。
「つまり、人間の皮膚や筋肉が反射で反応を起こすように、俺の魔力も衝撃に反応して防御形態をとったってことか」
「そういうことです。ちゃんと体の一部だと認識して、うまく扱えるようになれば、常に魔力で体の強度を上げることだって可能です」
人間が呼吸の仕方を覚えたように、俺も魔力の使用方法を知る必要があるみたいだ。
おそらく、魔力の存在をしっかりとを認識すれば、深呼吸で心と体を落ち着かせることができるように、魔力をもって体に何かしらの影響を与えることができる……ということなのだろう。
「気になるんだが……魔力量はそのまま強度に関係するのか?」
「強度、威力は基本的に魔力量に大きく依存します。ただ、力をどう使うかといった工夫は、魔力量に関係なく、使い手の技量に依存します」
「さっき俺が耐えられたのは魔力量のおかげなのか」
「そうです。あんな雑な魔力防御だったのに頰の痛みだけで済んだのは、ナギさんの魔力量がバカみたいに多いからです。普通の人なら余裕で死んでます」
「万が一俺の防御反応がでなかったらどうするつもりだったんだ」
「さあ?」
さあ? じゃないが。首傾げんな。
「とにかく、あなたはこの世界の【適合者】なんです」
「……ああ」
俺には生まれつきとてつもない魔力量があって、それは元の世界では何の役にも立たないものだったが、この世界ではそれが大きなアドバンテージとなる。人間としてのスペックの部分になる。
それは分かった。
だが、それでも、まだ腑に落ちないことが多すぎる。
何よりも、俺はまだこれが完全な現実であるとは思えないのだ。
「……これって本当に夢じゃないんだよな?」
「いいかげんうざったいですね……」
はぁ……。と、アリムは深いため息を吐いた。
「ナギさん、あなたの言う現実って何ですか?」
「そりゃあ……いつも通り、朝起きて、学校に行って、勉強して……」
「それが現実だって保証はどこにありますか?」
「それは……」
言い返そうとして、言葉に詰まった。
証明できない。今までずっと生きてきたから、それが当たり前だから、としか答えることができない。
「分かりましたか? 証明できないんです。あなたは今までの17年間、夢を見続けていたと言われても、反論できないんです」
返答できない……が、ここで俺は自分がまだ学校の制服を着ていることに気づいた。リュックサックは見当たらない。
ズボンのポケットに手を入れる。
「あった……」
小さな財布を取り出す。
先ほどの衝撃で外に飛び出さなかったのがラッキーと言わざるを得ない。
中には学生証、定期券、保険証などが入っており、そのどれもが確かな実物であった。
急な現実感が、俺を襲う。
「ナギさん」
動揺する俺に、アリムが語り掛ける。
「現実だとか夢だとか、ナギさんがそうだと思えばそうでいいと思います。でも、たった一つ、絶対に変わらないことがあります」
アリムと目が合う。
「あなたの世界はここなんです」
「あなたはこの世界で生きていくんです」
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長くなっちゃいました。
世界に踏み入っていきます。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。これからも見守っていただけると、嬉しいです。