朝、母、妹
けたたましく鳴る目覚ましを止め、朝を迎える。
「……さっむ」
体が動かねぇ。今日の朝は、また一段と寒い。こんなことなら服を着こんでおくんだった。
結局、10分たっても俺はまだ布団から出られずにいた。
――コンコンコン
「お兄ちゃん、ご飯できてるよ」
面倒くさそうなノック音と、心底たるいといった感じのトーンで、妹の楓が俺のことを呼ぶ。
「ママ―、これでいい?」
自分の役目は果たしたと言わんばかりに、扉の向こうの声は母親に確認を取り、さっさと階段を下りて行った。
「……起きるか」
右手で毛布を払いのけ、ゆっくりと上体を起こす。重力が狂ったんかって思うくらに重い体を引きずって、扉に近付く。大きなあくびとともに体を伸ばせば、その重さも若干楽になった。
「おはよう」
「おはよう、ご飯できてるわよ」
「うい」
焼き魚と、味噌の匂いに導かれるようにして、俺は食卓についた。
「顔ぐらい洗ったら?」
既に制服姿の楓にそう言われ、それもそうだと、俺は洗面所に向かった。
冷水をおもいっきし顔に浴びせると、その驚異的な冷たさに、俺の意識はたちまち覚醒した。
タオルで顔を拭き、再度食卓につく。
「「「いただきます」」」
楓が入っている吹奏楽部の朝練が無い日は、こうして三人で朝食を食べることが我が家のルールだ。二人が並んで座り、妹と向かい合うようにして俺が座る。左隣は父の席だが、父は休日の夜しか家にいないので、基本的に空席となっている。
「そういえば、今朝学校から連絡があったんだけど、最近ここらで不審者が出るらしいじゃない」
黙々と魚を口に運んでいると、母親がそう切り出した。
「らしいね」
「珍しいわよねぇ、柊も楓も、気を付けてね」
「「うん」」
とだけ答え、再び魚に手を伸ばそうとして……やめた。
「不審者ってどんな感じの見た目?」
いつもならここで会話を止めるのだが、今日は少し事情が違っていた。昨日の足音のこともあって、俺はちょっとだけ不審者の情報について関心を持っていたのだ。
「そうねぇ……、確か40~50代の男の人って言ってたわ」
「うそ、私の学校だと20~30代の女性って言ってた」
「全然絞れてねえじゃねえか」
何も見えてこなかった。
まぁ、不審者が一人だとは限らないので、それぞれ別の人なのかもしれないが。
それでも、昨日の足音に近いのは後者だろうか。音だけでは判断材料として不確定すぎるし、何よりそんなに音で聞き分けれるほど俺は人間の足音に詳しくないというのが、正直なところではあるが。
「ごちそうさまー」
一足先に食べ終わった楓が、台所に食器を運んでいく。そして、そのまま手提げカバンと楽器ケースを手に取り、玄関へと続く扉へ向かっていった。
「あ、そうだ」
楓は立ち止まると、何かを思い出したかのような顔で振り向いた。
「ママ、今度の演奏会見に来れる? 27日のやつ」
「ええ、見に行くつもりよ」
「やった! 絶対見に来てね!」
「俺は?」
「お兄ちゃんは来ないで」
「来なくてもいい」じゃなくて、「来ないで」なの、どんだけ嫌なんだ。純粋な拒否じゃないか。
「じゃあいってきまーす!」
「はい、いってらっしゃい」
足の小指の爪程度の、若干の棘を俺の心に残してから、楓は元気よく学校へと向かっていった。
「昔は可愛かったのにな」
「恥ずかしがってるだけよ」
「そういうもんかね」
反抗期だろうか。14歳なら、ちょうどその時期に当たるのだろう。
俺は全くもってそういうのがなかったので、当事者の気持ちはよく分からないが。
残っていた魚を白米と一緒に口に入れ、ぬるくなったみそ汁とともに胃の中に流し込む。
「ごちそうさまでした」
食器を片付け、自室へと戻る。課題のために持ち帰っていた教科書類をリュックサックに詰め込み、ハンガーに掛けていた制服を手に取り着替える。枕元に置いているデジタル時計は朝の7時50分を指している。HRには十分に間に合うだろう。
「はい、お弁当」
階段を下り、母親から弁当を受け取る。半開きのリュックサックに丁寧に入れ、ジッパーを固く締めた。
「じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい」
ドアノブを開け、家を出る。
海に近いこともあってか、肌寒い風が一斉に押し寄せる。
「さっむ……」
マフラーを取りに帰るか逡巡するも、結局面倒くささが勝って、俺はそのまま学校へ向かうことにした。向かおうとした。
……?
なんだこの感覚は?
いつもと変わらない道、いつもと変わらない風景、いつもと変わらない時間
そのはずなのに、俺はどことない居心地の悪さを感じている。
……見られている?
ただ、なんとなくそう感じた。理屈では言い表せないが、感覚的に、何故かそう感じた。辺りを見回しても、特に異変はない。
不思議に思いながらも、この場で深く考えてもしょうがないと、俺は足を進めた。
学校に着いたら、神谷にでも相談してみよう。
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