色芽 梛
「最近、不審者の目撃情報が多いから、みんな気をつけて帰るように」
先生の一言を皮切りに、椅子を引くガラガラという音が一斉に鳴り始める。
ある女子生徒は、いつも固まっている仲良しグループのところに足を運び、賑やかな話声とともに教室を出ていった。
ある男子生徒は、既に自分一人の世界に入っているのか、イヤホンをつけ、黙々と帰りの支度を始めている。
他にも、一人でそそくさと帰る者、何人かで集まって部室へ向かおうとするサッカー部、教室の隅に固まって何やら談笑している男子グループなどなど、今日も今日とて、教室内は三者三様な、いつもの光景が展開されている。
「梛、帰ろうぜ」
「ああ」
帰りの支度を進めていたところ、いつも通り神谷に声をかけられた。
必要なものをカバンに入れ、席を立つ。昇降口で上履きから外履きに履き替えた後、持って帰る必要のない教科書類などをロッカーにしまう。
「にしても、もう10月か~はええな~」
「お前、今年も一年中半袖で過ごすつもりなの?」
「まぁ、それが俺のアイデンティティだしな~」
「そう思ってんのお前だけだよ」
最寄り駅まで徒歩でおおよそ5分、既に葉の大多数が枯れ落ちてしまった並木道を、何の生産性もない会話をしながら歩く。
神谷は、高校で一番付き合いのある友人だ。去年同じクラスで、出席番号も近かったことから何かと絡む機会が多く、2年生も後半に入った今でも友人としての関係は続いている。
「じゃあまた明日」
「おう」
挨拶をかわし、それぞれ別のホームに降りる。
やがてやってきた赤色の電車に乗り込み、長い座席の一番端に腰を下ろす。
斜め前のガラス越しに反対のホームを見れば、こちらに向かって手を振っている神谷の姿があった。俺はそれに対して、右の手をひらひらと振り返す。ほどなくして発射メロディーが鳴り、ゆっくりと電車が動き出した。
ズボンの右ポケットからスマートフォンを取り出し、白い鳥のアイコンが特徴的なSNSアプリをタップして開く。画面を上下にスクロールして、特にこれといった学びもないタイムラインを、ただぼーーっと見つめる。
「……」
充電が残り5パーセントを切ったのを確認して、スマートフォンの電源を落とす。
窓越しに見える景色に目を移す。もう何百回と見たそれに、特段特別な感情を抱くわけもなく、ただただ見つめているだけだ。
「……はぁ」
ため息ととともに目を伏せる。
……退屈だ。
幾度となく繰り返されるこの日々に、そういった感情を抱くのはこれで何度目だろうか。
変わらぬ日々、何も起きない平穏な日々。世界中にいるであろう苦しんでいる人々に対して、俺はこうやって平凡な日々を送っている。素晴らしいことだ、なんて恵まれているんだ。
そんなことは分かっている。あたたかい家に帰れば家族がいて、外に出れば友人がいて、毎日三食きちんとおいしいものを食べて、時間ができたら遊びに行って……。ものすごい幸せなことだと、そんなことは分かりきっている。
それでも、どうしても何かが満たされないのだ。
「……」
だからといって、自分で何かやろうと思えるほどの行動力もなく、他者から与えられる、何か突発的なものを求めているだけの現状に、
「…………ふぅ」
どこか諦めじみたため息を吐くことしかできない。
俺は、そんな自分のことが、嫌いだ。
『まもなく~、終点、逗子・葉山駅、逗子・葉山駅……』
すこしけだるげそうに聞こえる車掌のアナウンスが電車内に響き渡る。
上体を起こし、膝の上に抱えるようにして持っていたリュックサックを背中に回す。
一度強い衝撃が訪れ、電車の扉が開く。降りると同時に、肌寒い空気が首元を襲う。
……早く帰ろう。
改札を出て、帰路に着く。風が強くなってきており、度々「ひゅおおぉぉぉ」という、いかにもらしい効果音が耳に入ってくる。
ただでさえ賑わっていない駅前の通りを曲がれば、右側に川が流れる、静かな通りに出た。左手にはスイミングスクールや交番などもあり、人が多くてもおかしくはないのだが、何かイベントが催されているとき以外で、この通りが活気づいているところを俺は見たことがない。
それにしても、今日は全く人がいない。小さなせせらぎと、風と、俺の足だけが音を奏でている。
――タンタン、タンタン
――タンタン、タンたタン
――タたンたタン、んタンタン
「……?」
何だ? 辺りを見回す。自分の足音に重なって、違う足音が聞こえたような気がした。
……気のせいか。
――タンタン、タンたタんン
――タンタたんン、タンタン
やっぱり気のせいじゃない。俺の動きに合わせて、足を動かしている。それに、何というか、足音が軽い。ひたひたと、小さめの足で歩いているような音だった気がする。
しかし、いくら辺りを見回しても、それらしき姿はどこにも見当たらない。
後方を重点的に探していたそのとき、
――タン、タン、タン、タン
前方から、小さな足音が聞こえてきた。
急いで振り向いて、音の方向を確認する。
「……あ」
普通に、お年寄りが歩いてきているだけだった。
何の変哲もない、おばあさんだ。
「……」
そのおばあさんが歩いているのをちょっとの間見つめ、考えても仕方がないと思い、俺は再び歩き始めた。
そこから家に帰るまでの間、不思議な足音は一切鳴らなかった。
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