69. エピソード・オブ・エイド2
そんな幸せな日々がずっと続いてほしい、続くのだと、当時のエイドは思っていた。
しかし、その願いは叶うことはなく、唐突に過ぎ去っていった。
ある日の夜、エイド達は食卓を囲んでいた。
「そうそう、この間、ナナリアさんが温泉に行ってる時に、あの変態おじさんが覗いてたそうよ。ホント、この村のじじい共は汚らわしくてうんざりよ」
不機嫌そうに愚痴をこぼすメアリー。その話を聞いたエイドは、口に食べ物を運ぶ手を一瞬止めて、再び口に運んだ。
口の中のものを飲み込むとエイドに言う。
「エイドはそんなろくでもない人になっちゃダメよ?どこかの男みたいに」
メアリーはハイレシスの顔を目を細めながら言う。ハイレシスは鼻で笑いながら「悪かったな」と一言言った。
「大丈夫。俺はあんなじじいにはならないから」
そういうと、エイドはご飯を食べ終え両手を合わせる。
「食器洗ってくるから、先にお風呂入っちゃいなさい」
メアリーは食器を持って台所へと向かった。エイドは言われた通り、風呂場に向かおうとしたその時だった。
「で?ナナリアさんの裸はどうだった?」
「そりゃあもう、見事な曲線美…………って、なんで知ってんだよ親父!!」
エイドはまるで心を見透かされたかのように問いかけるハイレシスに驚く。
「メアリーさんがじいさんの話した時動揺してただろ?俺の息子だから、女に興味を持つとは思っていたが、覗きはいかんぞ?やるならバレないようにやれ」
真剣な表情でいうハイレシスを見て、エイドは思った。そこは注意するところだ、我がハイレシスよ。
「興味があったのはライトの方だ。俺はじいさんとライトの手伝いをさせられただけ」
そう、ことの真相は覗きをしようとしていたじいさんを止めようとしたライトニングだったが、当時好意を寄せていた女性が入ってる。見たければ手を貸せとじいさんに言われたのだ。
そこに、通りかかったエイドが周りを見張れと指示を受けたのだ。まあ、その時に誘惑に負け、少しだけ覗いてしまったのだが。
しかし、姿に気づかれそうになった三人。慌てて逃げようとした時に、じいさんが腰を痛めてしまった。
エイドトライとはなんとか担いで逃げようとするが、子供二人には少し重かった。すると、
「ワシに構うな!先にいけ!なに、こんなの慣れっこじゃ」
「「じ、じいさん……」」
2人は、共に作戦を決行した仲間との別れに涙を流しながら、その場を後にした。
これがことの真相だ。
しかし、バレないようにしていたが、まさかあんな少しの動作でバレてしまうとは思ってもいなかった。
ハイレシスは、苦し紛れの言い訳をするエイドを見て笑う。
「まあ、そういう事にしといてやるよ」
「メアリーさんには言うなよ!」
「分かってるよ。これは一つ貸しだからな?」
「…………わかったよ」
何かを企むような嫌な笑みを浮かべるハイレシスに、エイドは不機嫌そう答えた。
その時、扉をノックする音が聞こえた。
「はいはーい」
返信をして、扉に向かうハイレシス。扉を開けると、そこには村長が曇らせた表情でたっていた。
村長とハイレシスは何かを話していたが、小さくて聞こえなかった。
そして、ハイレシスの表情もどんどん曇っていった。すると、話を終えたのか、ハイレシスは村長からの手紙を受け取った。
その手紙を読んだハイレシスの顔が一気に青ざめた。
ハイレシスは慌てた様子で壁にかけてあった装備を身につける。ハイレシスは冒険者だった。恐らく、その仲間に何かあったのだろうと、エイドは思っていた。
ハイレシスはエイドに一言だけ告げた。
「ちょっくらいってくる。メアリーさんを頼んだぞ」
そう言って、家を飛び出そうとしたハイレシスの後ろ姿は、何故か遠に、手の届かない所へ行ってしまう気がした。同時に、日常が崩れ落ちるような、重要な何かがなくなってしまうような、そんな感じがした。
それを恐れたエイドは咄嗟にハイレシスの腕を掴んだ。
「親父、帰って来るよな?」
ハイレシスは笑いながら答えた。
「ああ!俺を誰だと思ってる!お前の親父だぞ?必ず帰るさ」
何故だろう。そんなハイレシスの目はどこか寂しそうで、悲しそうだった。エイドは今まで見たことの無いハイレシスのそんな姿を見て、胸が苦しくなった。
すると、騒ぎに気づいたメアリーが駆けつけた。
装備を身に着けたハイレシスを見て、察したのか悲しそうな顔をしてハイレシスに言った。
「言っちゃうのね」
「ああ。エイドを頼む」
エイドは、ハイレシスの手がすり抜けていくのをただ見ていた。
この感覚は、二度と忘れることは無かった。今でも、ふとした時に蘇る。あの時、ハイレシスを止めておけばよかったと、後悔するこになる。
ハイレシスは必ず帰ると言った。その言葉を信じ、帰りを待った。
そして、一週間後、ハイレシスは帰ってきた。
見るも無惨な姿となって――
その日の早朝、エイドとメアリーは扉を慌ただしく叩く音で目を覚ました。
ただならぬ様子に、何かあったのかと、村人の案内で騒ぎの中心へと向かうメアリー。その後を必死に追いかけるエイド。
胸騒ぎがやまない。突き刺さるような痛みが、心臓が張り裂けそうな、嫌な感覚に吐き気さえ覚える。
そして、何かを囲うように村人たちが集まっているのが見えた。
瞬間、周りの音が消えた。
嫌な予感を通り越し、周囲から色が、音がなくなってしまったような喪失感がエイドを襲う。
エイドは強引に人混みをかき分け、中心へと向かって行く。
店長がエイドに気づき、慌てて止めに入る。
「見るな、エイド!!」
しかし、既に遅かった。
エイドは、飛び込んできた光景に言葉を失った
身体中に切り傷を作り、片目は潰れている。腕や足は捻れたのか、あらぬ方向へと曲り、腹の傷から内蔵が見える。
それはもう、人だったものだった。
それが誰なのかというのは見た瞬間にわかった。
唯一無二の髪色。自分と同じ、真っ黒な髪色。
ハイレシスだ。
その姿を見たエイドはその場に崩れ落ちる。
その後ろから、村人たちに止められながらも、強引に進むメアリーがやってくる。
「ダメですメアリーさん!」
「ハイレシスなんでしょ!?なら、妻の私には彼の最後を見る権利があります!!」
メアリーはそう言って、人混みをかき分け、ハイレシスの姿を目にした。
あまりのショックに、メアリーは音もない涙を流し、そのまま気を失ってしまった。
すると、ハイレシスの遺体を運んできた、帽子を深く被った冒険者と思わしき人が、エイドに言った。
「君が息子だね?この冒険者、どうやら仲間の冒険者に裏切られたそうだ」
そう言って、手紙のようなものを渡した。
エイドはその手紙を受け取ると、目を通した。
そこには、恐怖からか、血の混じった字でこう書かれていた。
「俺は裏切られた。ここで死ぬのか?息子にも、最愛の妻にも別れも告げられず。もし、この手紙を拾った人がいたなら、スタルト村の家族にこれを届けてくれ。俺はお前達を愛している。そして、すまなかった。俺が冒険者になったばかりに、こんなことになってしまって――」
そこで文字は途切れていた。
ハイレシスの遺体を届けた冒険者は、頭を下げその場を去ってしまった。
その後のことはあまり覚えていなかった。
どうやって父が埋葬されたのか。村の人達がなんと声をかけてくれたのか。
母がどんな顔をしていたのかも、全てが曖昧になっていた。
ただ、一つだけ、はっきりしていたものがある。
父を裏切り、こんな目に遭わせた冒険者、あいつらだけは絶対に許さなという、憎しみだけが、心の中に渦巻いていた。
その日から、エイドは冒険者を嫌い、恨むようになった。
同時に、メアリーはハイレシスをなくしたショックから体を壊してしまい、流行病にかかってしまった。
病状は酷くなるいっぽうだった。
そして、一年たった頃、メアリーの病態が急に悪化した。
医者によると、恐らくもう長くは無いとの事だった。
エイドは一分でも一秒でも長く居たいと、メアリーのそばに付き添っていた。
「恨んじゃダメよ。あの人だって、そうなる覚悟は出来ていたはずだから。だから、あなたの心が恨みで黒くなってしまう必要は無い。あなたは、誰にでも優しくて、何にも屈しない、強い心を持ってる。どんな逆境も乗り越えられる。絶対に負けちゃダメだよ。どんなに辛いことがあっても……。
眠くなってきちゃった……それじゃあ、先に父さんのところに行くね?すぐに来たら、説教だから………」
「ああ、分かってるよ。母さん。俺の事は心配いらないよ……だから、早く親父の所に行ってあげて……きっと、寂しすぎて泣いてると思うから」
「そうするわ……エイド…………愛して……る……よ……この世の………誰より……も………愛して………」
握っていたメアリーの手から力が抜けていった。
メアリーのことを見てくれていた医者が、エイドの方を見て首を横に振った。
エイドの目からは自然と涙がこぼれおちていた。
しかし、冷静に立ち上がると、医者に言う。
「後のことはお願いします」
そういうと、部屋を後にした。
部屋の外には、心配そうな顔でライトニングが待っていた。
ライトニングはエイドの顔を見て理解した。しかし、なんと声をかければよいかわからなかった。
エイドはライトニングにすら気づいていなかったのか、家の外に出た。向かったのは、遠くから村を見渡せる、草原にポツンと佇む岩だった。
エイドは嫌なことがあったりすると、よくそこに訪れていた。
止まらぬ涙を流しながら、岩のそばで仰向けになり、星の煌めく夜空を見ていた。
そこへ、ライトニングが訪れる。
「やっぱりここにいたか」
ライトニングはそういうと、エイドの隣で仰向けになる。
しばらくの沈黙の後に、エイドが口を開いた。
「一人ってのはこんなにも、辛くて、寂しくて、苦しいんだな」
「そりゃそうだ。人は脆い。心も体も。人は、孤独になんて耐えられないようになってるんだ」
「母さんが言ったんだ。俺は強いって。どんな逆境も乗り越えられるって……でも、無理だよ……俺はそんなに強くなかったみたいだ……今にも張り裂けそうで、くしゃくしゃになりそうだ……」
震える声で話すエイドは起き上がると、膝を抱え小さく丸くなる。
ライトニングも起き上がると、エイドに寄り添い、頭に手を乗せる。
「一人で乗り越えられないのなら、二人で乗り超えていけばいい。俺がお前の支えになる。お前の力になる。
俺さ、お前のこと弟のように思ってたんだ。家族同然に思ってた」
ライトニングは優しく語りかけるように続けた。
「お前は一人なんかじゃない。俺が居る。村のみんなも居る。今は挫けたっていい。転んだっていい。くしゃくしゃになったっていい。また立ち上がって、乗り越えればいい。その時は、俺が力になる。村のみんなだって力になってくれる。だから、今は泣いたっていいんだ」
エイド大きな声で溢れ出す涙を流す。
今までの幸せな思い出が蘇る度、胸が苦しくなる。
しかし、不思議と寂しくはなかった。それはきっと、隣にライトニングが寄り添ってくれたからだ。
優しく身を寄せるライトニングに体を預け、思い切り泣いた。眼球の水分が全て無くなるんじゃないかと思うくらい泣いた。
この気持ちも、辛さも、胸の痛さも、決して忘れてはいけないとものだと、心に誓いながら――
それから、三年の月日が流れた。
ライトニングのメアリーの体調が良くなったということもあり、ライトニングがこの村を出るとの事だった。
見送りに来ていたエイドはライトニング言う。
「色々ありがとうな。それと、たまには顔出せよ?」
「ああ。わかってる。楽しかったよ」
意外とあっさりした別れの挨拶に、隣にいたライトニングのメアリーは、大丈夫なのかと少し心配していた。
そして、村の外へと歩き出したその時、ライトニングが振り向いてエイドに言った。
「俺は先に行く。いつか追いつきにこい。俺はいつでも待ってるぞ」
「言ったろ?俺は冒険者になる気は無い」
「いや、お前はなるさ。ならなくても、お前はこの村を出る」
自信満々に言うライトニングに、エイドは呆れて言う。
「占い師でもねえお前にわかんのかよ」
「ああ。分かるさ」
「…………そうかよ」
根拠の無い自信を振りかざして言うライトニングに、エイドは呆れたように返事をする。
それだけ伝えると、ライトニングは村を後にした――




