54. 敵
フラムとグリズリーの決着がつく少し前、エアリアと御琴の戦いは激しさを増いていた。
しかし、それは互いが互角にぶつかり合っているからではない。エアリアの攻撃の一撃一撃が周囲を巻き込み、破壊しているからだ。
エアリアの一振りを避ける御琴の額には、冷や汗が流れている。
腕には鋼鉄以上の硬度を誇るガントレットを付けているが、今にも崩れ落ちてしまいそうなほど傷だらけになっている。
「こんなの聞いてへんぞ!腕で防いだら、次こそ切り落とされてまう!」
怒りと焦りから、不満をこぼす御琴。髪も服もみだれ、美しさの欠片もなくなった御琴は、逃げることに精一杯だった。
体術に自信があった御琴だったが、その自信は戦いと共に、いとも簡単にへし折られていた。
それでも、エアリアの速度を利用したカウンターを狙うため、一旦距離を取る。
狙い通り、一直線に距離を詰めてくるエアリア。
「この速さなら、よけられへんやろ!!」
ガントレットに魔力を込め、自信満々の顔でエアリアの顔面に拳を突き出す。
しかし、エアリアは寸前で体を地面と平行に回転しながら身を翻す。回転の勢いを利用して、ガントレットを切り裂くと、勢いのまま御琴の胸目掛けて剣を切り上げる。
胸からは、剣の軌道を追うように、鮮血が宙に舞う。
御琴が何をされたか理解したのは、斬られた後だった。
「めちゃくちゃやんけ……」
ボソッと呟いた後、そのまま力なくうつ伏せに倒れこむ。
エアリアは切っ先についた血を振り払うと、吐き捨てるように言った。
「傷は深くないから死にはしないよ」
エアリアが言うように、鮮血が噴き出したが、料理中にうっかり包丁で指をかすった程度の傷でしかない。
これは、ミネットから教えてもらった、殺し屋の技術である。
剣を振るう力を絶妙にコントロールして、切っ先で血液をからめとり、一気に降りぬくという《偽血》という技である。
エアリアは剣を鞘にしまうと、振り返らず、エイドの元へ向かう。
倒れる御琴は、悔しさのあまり歯を食いしばり、拳を握りしめていた。
こんな平和ボケした女に負けるはずがない。負けるはずがなかった。自分の体術で右に出るやつはいないと思っていたから。
それなのに、結果はこのありさまだった。
「こんなところで……終わるわけにはいかないんや……ようやく、願いが叶うんや……邪魔させてたまるか……!」
胸元から、赤黒く輝く、まるい魔法水晶のようなものを取り出すと、躊躇なく飲み込んだ。
直後、御琴の体が一瞬波打つように跳ね上がった。
同時に、今まで感じたことのない、恐怖、憎悪、妬み、恨み、あらゆる負の感情をそのまま体現したような魔力がエアリアに襲いかかる。
咄嗟に振り返り、距離をとると、目の間の御琴がゆっくりと起き上がる。しかし、さっきまでの姿とは大きく異なり、髪の毛が乱れ、獣が威嚇するように地面に這っている。
爪は鋭く尖っていき、腰のあたりから尻尾が九本も生えてくる。
熱を帯びた息を吐きながら、御琴は眼光が鋭くなった目でエアリアを睨みつける。
「あの人には感謝せなあかんな」
引き裂けそうなほど口を歪め、笑みを浮かべる御事に対し、エアリアは冷静に相手を見据える。
「魔獣の力を手にした今の私に、敵うやつなんか誰もおらへん!」
地面を砕きながら、目にも留まらぬ速さで跳躍し、エアリアに突っ込んでいく。
エアリアは正面から攻撃を受けるが、あまりの力の強さに全く止まる気がしない。
後ろに押されながら、力では負けてしまうと気が付いたエアリアは咄嗟に力を横に流して、攻撃の軌道をそらす。
後ろにそれた御琴を追撃するため、すぐさま後ろを向き、剣を構える。しかし、御琴も尻尾を器用に使い、すぐさまエアリアに向かって突撃していた。
驚きながらも、エアリアは顔に迫る鋭い爪を弾く。御琴も止まることなく、右、左と次々に鋭い爪で引っ掻き、突き刺そうとする。
エアリアは、一秒の間に数十と繰り出される攻撃を、瞬きすることなく綺麗にさばきながら、すきを伺っている。
そして、今まで弾いていた攻撃を、急に横にいなした瞬間、わずかに御琴の体制が崩れ、攻撃が遅れる。刹那、強引に身を前に出し、懐に潜り込みながら、剣を振り抜く。
しかし、御琴は咄嗟に顔を突き出し、剣を噛んで止める。動きが止まったエアリアに、鋭くまとまった尻尾が横から襲う。
エアリアは剣を軸に、腕力だけで宙に舞い尻尾を交わす。更に、剣を咥えている御琴のこめかみに向かって、膝蹴りをする。
痛みのあまり、口を開いたすきに、剣を引き抜いたエアリアは地面に着地すると同時に、攻撃してきた尻尾を三本切り落とす。
「がああああ!?」
宙に舞う自分の尻尾を見ながら、痛みで声が漏れた御琴は、すぐさま距離を取る。
獣のように姿勢を低くし、エアリアを睨みつけていると、尻尾の断面が中で何かが蠢くようにもこもこと動き始める。
すると、勢いよく尻尾が再生する。
「まるで魔獣だね」
エアリアはボソッと呟くと、肌にピリつく違和感を感じ取る。
御琴はエアリアを睨みつけながら、何か喋っている。
「私は負けられないんや……あいつらがどれだけこの日を望んできたか……お前にはわからんやろな……平和ボケしまくったお前らには……」
刹那、エアリアの脳内に感情の波が押し寄せる。
「何だ……!?」
目がくらむほどの怒りが、脳内に広がっていく。
「これは、彼女の……?」
エアリアの脳内に流れてきた感情は、御琴のものだった。
研ぎ澄まされたエアリアの《第六感》は、御琴の魔力を過剰に感じ取っていた。
魔法は人の心を写す鏡。結果、御琴の感情が乗った魔力がエアリアは感じ取っていた。
「お前らなんかに、これ以上、私の物は奪わせはせん……」
御琴は九本の尻尾を体の前に集め、先をエアリアに向ける。
すると、尻尾の先に魔力が集まっていく。風を切る音を上げながら、集まった魔力は、赤黒い球体になっていく。
魔力の球体の周囲にバチバチと電流が走るほど、密度が上がっていく。
「お前らは、邪魔なんや!私の前から消えろ!!」
高濃度の魔力は、波動となり、エアリアに向けて放たれた。
周囲の空気ごと、全てを飲み込み、蒸発させながら、真っ直ぐに向かっていく。
最中、エアリアはうつむいて、震えていた。
感情に任せて放たれた膨大な魔力。この魔力を介して、エアリアには彼女の記憶が流れ込んでいた。
日本だと思われる島国から、なんの証拠もなく、忌み子だと恐れられ、樽で流された記憶。
薄暗い樽のなかで、何度も味わった死の恐怖。
知らぬ集団に拾われ、人外の扱いを受けた記憶。
この大陸にやってきたときに、クラウンに拾われた記憶。
仲間たちにチヤホヤされ、楽しかった記憶。
目の前で、衛兵に仲間を奪われる記憶。
仲間の復讐を果たしても、何も報われなかった記憶。
断片的ではあるが、彼女の過去を知ったエアリアは、怒りに震えていた。
この世界の不条理に。そして、こんなにも幸せを知っていてなお、こんな事件を起こしてしまった彼女に対して。
「どうして……どうして優しさを知っているのに、この国の人達にその優しさを向けられなかったんだ……!」
静かに怒りを吐き捨てながら、剣を固く握りしめる。
エアリアの瞳には、薄っすらと涙が浮かんでいた。そのせいか、瞳孔は薄っすらと紅みがかっている。
渾身の力で一振りする。
エアリアの魔力をのせた斬撃は、目の前に迫る波動を一刀両断する。
迫る斬撃に、御琴は咄嗟に全ての尻尾を前に集中させ、身を防ぐ。しかし、尻尾はいとも簡単に全て切断されてしまう。
体に当たることはなかったが、その威力は、恐怖で体を動かせなくするには十分すぎた。
動かなくなった御琴の目の前には、いつの間にか距離を詰めたエアリアがいた。
薄っすらと紅く輝く目を見開き、剣をやりを突き刺すように引いて構える。
エアリアの目には、御琴の腹の中にぼんやりと黒い何かが見えてる。黒い影は、まるで植物の根っこのように全身の隅々にまで伸びている。
集中すると、その黒い影の中に小さな石のようなものが見えた。
(これが彼女をおかしくした正体か!)
左手で狙いを定めると同時に、体がぶれないように、一瞬だけ動きをピタリと止めた。
次の瞬間、目にも留まらぬ速さで御琴の腹を貫いた。
エアリアの手には、肉を裂く不快な感触のあと、石が砕けるような感触が伝わってくる。
それを確認したエアリアは剣から手を離してすぐさま距離を取る。
「がああ、ァああぁあああああああ!?」
腹に突き刺さった剣を引き抜き、遠くへ投げると、頭を抱えてその場にうずくまる御琴。
体からは黒い灰のようなものが、抜け出していく。
同時に、体に生えていた獣の毛や爪、尻尾や耳が灰と共に消えていく。
全てが消えてなくなったころ、御琴の体は別人になったかのように痩せ細り、先程までの若々しさもなくなっていた。
エアリアはゆっくりと近づくと、自分のドレスを破って傷口にあて、更にその上からドレスの切れ端を撒いていく。
御琴は振り払おうとするが、全く体が動かない。
「何してんや……私は敵やぞ……今さっきまで、お前を殺そうとしとったんやぞ……」
「いいから、喋らないで。傷口が開いちゃう」
エアリアは子供を叱るような口調でいうと、御琴は一瞬黙ってしまう。
そんな御琴にエアリアは申し訳無さそうにいう。
「ごめんね。こうでもしてとめないと、あなたが壊れちゃうと思ったから」
手当をしているエアリアに、御琴は思わず笑ってしまう。
「あんた、えらい優しいな……」
エアリアは手当を終えると、黙ったままゆっくりと立ち上がる。
「私はもう行くね。倒れたふりしてれば誰もあなたをどうこうしないと思うから、そのままでいたほうがいい」
背中を向けたエアリアに御琴は思わず言葉を漏らす。
「もし、あんたと出会っとたら、私も優しくなれたんかな……」
そのまま気を失ってしまった御琴にエアリアは振り向かずに答える。
「あなたはもう十分に優しいよ。少なくとも、あなたの仲間はそう思ってる」
エアリアは歩きながらに思う。
もし、立場が違ったら、自分も彼女のようになってしまっていたのかもしれない。
もし、彼女と最初に出会っていたら、彼女を救えたかもしれない。
結局は、自分たちにとって、敵だった彼女だが、彼女からしたら、大事なものを脅かす敵は自分たちだったということだ。
「こういう戦いは嫌だな…………」
エアリアはぽつりとつぶやきながら歩いている、急に視界がぐるりと回った。
平衡感覚を失ったエアリアは、その場に倒れ込む。
体を起こそうと腕に力を込めるが、全く力が入らない。というより、全身の血管を電流が走るような激痛で体が動かせないのだ。
「う、動けない……」
顔をしかめるエアリア。そこへ、風を切って走ってくる人影が見えた。
「うそ!?あの御琴を倒したの!?」
驚いた声を聞いて、エアリアは近くに来たのがミネットだと言うことに気がついた。
「あれ?ミケット?体は大丈夫なの?」
「まあね。それより、大丈夫……じゃないよね?今手当するから」
「待って」
手当を始めようとするミネットをエアリアは止める。
「私は大丈夫だから、そこに倒れている彼女をお願い……ひどい怪我させちゃったから」
それを聞いたミネットは呆れたように笑った。
「ヒスイちゃんといい、あんたといい、あんたらはお人好しがすぎるね」
「ヒスイちゃんは!?大丈夫だった!?」
今にも体が飛び起きそうなほど驚いているエアリアだったが、声だけで全く動いていない。
「かなり重症なのに、先に相手のことを直してほしいってさ。大丈夫、命に別状はないよ」
「そっか~……」
エアリアはホッとしたあまり、アイスが溶けたように表情がゆるくなる。
そして、急にスイッチが切り替わったように、真剣な顔になる。
「そうだ!急いでエイドのところに向かって!なんか嫌な感じがするんだ!」
「言われなくてもわかってるよ。そのためにここに来たんだから」
ミネットは気を失っている御琴のもとにより、傷口を覆っている布の上からポーションをかける。そして、痛みを和らげる植物で作った薬を強引に飲ませた。
「それじゃ、行ってくるよ」
「うん、気をつけてね」
エアリアは見えないミネットに言葉だけを送る。
ヒュン!と風を切る音が聞こえ、行ったのだとわかった瞬間、エアリアは急激な眠気に襲われて、そのまま眠ってしまった。




