31. 死神を追え
エイドの元を立ち去った死神は、硬貨が入った袋を手に持っていた。
「ちょろすぎ~♪」
お面越しでもわかるほど、ご機嫌な口調で呟く死神。
今日は美味しものでも食べようかと、軽やかな足取りで裏路地を歩いていたその時だった。
「見つけたぞ~!!死神~!!」
自分の背中を押すような怒鳴り声が聞こえてきた。
死神は大きく肩を震わせ振り返る。そこにはさっき袋を盗んだ男が、目を釣りあげた物凄い形相でこちらを指さしている。
「やっば……!何で分かったの?」
死神はなぜ自分の居場所が分かったのか疑問に思ったが、ここはひとまず逃げることにした。地面を蹴って高く飛ぶと、軽々と自分の身長を優に超える家の上に登ってしまった。
「逃がさねえぞ!」
エイドも地面を蹴って高く飛ぶと、屋根に掴み腕の力で屋根に上る。その後ろを、状況が飲み込めないエアリアが追う。
「ちょっとどういう事?あれが噂の死神?」
「ああ、その通りだ!あいつに金をとられたんだよ!」
話しているうちにも、軽々と次の建物から建物へと飛んでいく死神との距離は離れていく。
エイドは走りながら、周囲を見渡すとエアリアに言った。
「エアリアはこのままあいつを追え!飛んだり跳ねたりすんの得意だろ?」
「うん!わかった!」
そう言うと、エアリアは今よりも少し加速して死神を追う。そして、エイドはエアリアと別れて下の道に降りる。
死神が逃げる方に向かって走るエイドはいつの間にか大通りに出ていた。死神は人混みを利用して、振り切る先戦だったのだろう。
しかし、エイドは一瞬で人の隙間を見つけ出し、縫うようにして死神を追う。すると、目の前に買い物をしているフラムの姿が見えた。
フラムはエイドの姿に気が付くと、声を掛けようとする。
「エイドも来てたの――」
「お前も来い!」
エイドは話を聞こうともせず、フラムの服の襟を掴むと引きずるように走る。
状況がつかめないフラムは何が起きているのか聞こうと思ったが、首が閉まり声が出ない。このままでは死んでしまうと、思ったフラムはエイドの腕を強引に振り払い、地面を転がった。
「ごっほ、ごほ!何のつもりだ……!」
「緊急事態だ!死神が俺の金を盗んだから取り返すの手伝え!」
キョトンとしたフラムの顔が、死神という単語を聞いた瞬間、口の端がわずかに上がった。
「死神……面白そうじゃねえか」
エイドはフラムに指示を出すと、フラムから何かを受け取り、二人は別れて死神を追った。
その頃、エアリアは粘り強く死神の後を追っていた。死神も、ここまでしつこく後を付けられるのは初めてだったのか、多少の焦りを感じていた。
「ちっ!しつこいな」
死神は前を向いたまま、ポケットにしまっていた魔法水晶を取り出す。それを、後ろに向かって捨てるように転がした。
それに気が付いたエアリアの第六感が、何かを感じとった。
――刹那、キィーン!という、金属同士を勢いよくぶつけ合ったような甲高い音と共に、周囲数メートルにわたって眩い光が放たれる。
その光を背に、死神は勝利の余韻に浸っていた。
「これで流石に追ってこないでしょ」
呟いた直後だった。光の中から、目の見えないはずのエアリアが飛び出してきたのだ。その姿に、流石の死神も動揺する。
「まじかよ!?」
気を取られ、着地に失敗しそうになるが、何とか手をついて体勢を立て直す。
何が起こっているのか、首だけで後ろを見ると、エアリアは左目を瞑っていた。
そこで理解した。あの直後、目の前の女は咄嗟に左目を瞑っていたのだ。両目を瞑ってしまっては、死神を見失い、次の足場を見落とす可能性がある。そこでとった苦肉の策がこれだった。
そして、光が放たれるギリギリまで、開いた右目で死神の位置、足場の位置を確認したのだ。
あの一瞬でここまで考え、更に賭けの要素が大きいそれを確実に成功させたエアリアに、死神は手を出す相手を間違えたと後悔していた。
ここで金を置いていけば追ってくることもなくなるだろう。しかし、それはプライドが許さなかった。
(なんとしてもこいつを振り切ってやる!)
死神が本気を出し、次の家に飛び移ろうとした、その時だった。
後ろの気を取られていた死神の目の前に、小さな魔法水晶が突如として現れた。
目だけを下に向けると、そこにはさっきエアリアと別れたエイドの姿があった。エイドはまるで分っていたぞと、言いたげに笑っていた。
死神がエイドに気が付いた瞬間、目の前の魔法水晶が爆ぜる。
さっきの閃光を放つものとは違い、圧縮された空気が放たれる衝撃波と体の芯まで震わすほどの爆発音が鳴り響く。
死神は衝撃波に飛ばされ、屋根を一回はねた後、地面に落とされる。受け身を取り、すぐさま体勢を立て直し、後ろに逃げようとした。しかし――
「本当に居やがった」
驚いた様子のフラムが死神の背後に回っていたのだ。
死神は現状を把握して結論に至る。
(完全に動きを読まれていた!?)
いいカモだと思っていた男に、ここまで追いつめられるとは思ってもいなかった死神は、逃げるための策を考る。
上にはさっき追ってきた女がいる。それに、ここは左右には壁がある一本道。唯一の逃げ道も塞がれた。
「さあ、詰みだぜ。取った金を返しな!」
エイドは右手を前に差し出した。刹那――
死神が目の前から姿を消した――
いや、正確には、エイドの目の前にまで迫っていたのだ。
死神はエイドの顎目掛けて掌打を繰り出す。その動きは、洗礼され、この一撃で確実に意識を奪う、そんな一撃だった。
しかし、目で追い切れていなかったとはいえ、エイドは体が自然と反応し、死神の腕を掴んで攻撃を止めていた。
確実に決まったと思っていた死神は、一瞬動揺して動きが止まった。
エイドは死神を睨みつけながら、笑って言う。
「第六感なめんなよ!」
掴んだ腕を、そのまま強引に引っ張ろうと、腕を掴む力が強くなる。そこで、エイドが自分を投げ飛ばそうとしていることに気が付いた死神は、腕を素早く旋回させながら、エイドの手首を返し、強引に振り払う。
透かさず、エイドのみぞおちを狙って拳を繰り出す。しかし、エイドは右手受け流すように弾き落とす。
エイドも負けじと、相手の顔面に拳を突き出す。死神はわかっていたかのようにそれをかわす。
次々と繰り広げられる攻防に、エイドは笑っていた。
そこに気が付いたフラムは呆れた様に呟く。
「あの野郎、楽しんでやがるな」
死神はこのままじゃ埒が明かないと、少し本気を出す。
さっき目の前から死神が消えたように、一瞬動きが見えなくなる。気が付いて時には、蹴りがエイドの顔面のすぐ前に迫っていた。
しかし、エイドは避ける動作は見せず、むしろ、足に向かって頭突きを繰り出した。足が伸びきる前に蹴りを止められ、更には後ろに向かって力強く押された死神はバランスを崩す。
(なんて反応速度なの!?これはまずい……!)
攻撃の構えをするエイドに、死神は驚き顔をしかめていた。
エイドはそのまま死神の胸目掛けて掌打を繰り出す。
死神は攻撃を受け流されたことで、バランスを崩していて、エイドの攻撃を防ぐ術がない。攻撃食らってしまうと思った死神は、身を固め、歯を食いしばる。
そして、エイドの掌が死神の胸に触れた瞬間――
ぷにん
やわらかい感触がエイドの手に伝わってきた。
「「…………………………………………え?」」
お互いの思考が停止し、数秒間固まっている。
エイドは寸止めのつもりで攻撃したが、勢い余って胸に当たってしまった。しかし、想像していたごつごつとした男の胸ではなく、アクアップなど比ににならない、心地良く柔らかい胸だった。
「まさか、おん――」
エイドが言いかけた刹那、さっきまでの急所を狙った攻撃とは全く異なる、ただ力任せのビンタがエイドの頬に直撃した。
「ぶえっほッ!!?」
変な声を上げながら四回転半しながら吹き飛んだエイドは、そのまま倒れて気を失った。その隙に、死神は目にもとまらぬ速さで、音も無く逃げ出してしまった。
すると、建物の隙間から本を両手に抱えたヒスイが現れた。
「一体何事?光ったり爆発音がしたけど……ってこれはどういうこと?」
倒れるエイドと、それを担いでいるフラムとエアリアを見て、全く状況を理解できないヒスイは、無表情になっていた。
「後で説明してやんよ。とりあえず宿に戻るぞ」
フラムは肩にエイドを担ぎながら、宿に向かって歩き出した。
その頃、死神は街の外れの少し高い建物で休憩していた。
死神は座ったまま、ゆっくりとお面を外すと、顔は真っ赤になっていた。
「なんなのよあいつ!いきなり胸触ってくるとか、最低だろ!」
お面を足元に叩きつけながら、大きな声を出す死神。落ち着くために、深呼吸をして、さっきの戦いを思いだす。
「それにしても、私の本気についてこられるなんて、あいつ一体何者?」
死神はエイドの正体を考えながらも、終わったことだと気持ちを切り替える。そして、盗んだ袋を取り出すと、掌に中身を出す。
すると、死神は掌の硬貨をこれでもかと握りしめ、足元に叩きつける。
「あいつ、ぜってえ許さねえ!!」
死神の声が天高く上っていき、国中にふりまかれた。
硬貨だと思っていたそれは、フラムが魔導車の整備で余らせた小さな鉄板を集めたもので、一枚一枚に『fool』と書かれていた。
エイドと死神が追いかけっこをしているうちに、日は暮れ始めていた。
城の中から、街に影を落とす様子を大きな窓から眺めている姿があった。
片手にワイングラスを持ち、中のワインをゆらゆらと水面を揺らしては香りを楽しんでいるその人は、小太りで口の周りに長いひげを生やしている。そう、彼こそが、この国の国王の補佐、フェイク大臣である。
フェイク大臣が窓の外を眺めていると、足音を一切立てずに背後に立つ人物が現れる。片目には一本の傷跡があり、全身を黒を基調とした衣装で包んでいる。腰にはいくつかの短剣が括り付けられている。
髪の毛は真っ黒に染めているようだが、所々に白い毛が混じっている。
そして、何より目がいくのは首元に刻まれた、道化師のタトゥーだ。
気が付いたフェイク大臣は、振り向かずに言う。
「私のひと時を邪魔するとは、一体何用じゃ?」
「申し訳ございません。少し面倒なことになりまして」
後ろにいる男は、不敵な笑みを浮かべながら、大臣に言う。
「実は、厄介な奴らがこの国に入ったみたいで――」
男は懐から取り出した紙を宙に放り投げると、目で追うことができない程の速度で手を振った。
空を切る音が聞こえた瞬間、ストンッ!と大臣のすぐ横の壁に、逆さになった紙と共にナイフが突き刺さっていた。
それは、エイド達が《ロドゴスト》を救った時の新聞だった。
「こいつらは?」
「ほら、フェイク大臣もよく話していたじゃないですか?」
男の言葉に、大臣は驚いていた。
「まさか、勇者の子孫というのはこのなかにいるのか!?」
「ええ。恐らく、勇者の容姿と似ているこの女がそうでしょう」
大臣は自分の顎を何度も整えながら何かを考えているようだった。
すると、男はチーズがとろけて広がるように不気味な笑みを浮かべる。
「いかがいたしましょう?と言っても、我々にできることは限られますが」
その言葉の意味を理解した大臣は、鼻で笑った。
「仕事熱心なことだな。良いことだ」
大臣はワインを一口飲み干して告げた。
「奴らを始末して、ここに死体を持ってこい」
「Yes,my lord」
男は音もなく消え去った部屋に残った大臣は、一人肩を震わせて笑っていた。
「とうとう来たのだ……私の時代が……!」
城中に響き渡るほどの大きな笑い声で、ワインを放り投げる。
血が飛び散ったかのように、壁に赤い液体が滴ったている。まるで、エイド達の未来を現しているかのように――




