26. 全てを飲み込む悪魔
《フィオーレ》を手に入れたエアリアは軽い足取りで街の中を歩いていた。その後ろに、荷車を引っ張るエイドとフラム、そして、荷車に乗るヒスイとヒバナがいた。
鍛冶屋を後にしたみんなは、度に必要なものを仕入れるために街を歩いていた。
あちこちから木を打つ音や、金属を打つ音、男たちの掛け声が響き渡っている。あれだけのことがあったというのに、街の人はこの状況すらも、どこか楽しんでいる様子だった。
普段、あまり関わることのない、防具を買う客の冒険者とそれを売る鍛冶氏のドワーフが、一緒になってものを直したり、作っている。きっと、お互いに普段できないことをできることが楽しいのだろう。
エアリアはその様子を見て、自然と笑みがこぼれていた。
「いいな~なんか、いいな~」
「お前、さっきからそれしか言ってないじゃん」
「いや~だってさ、こういうのいいじゃん?」
「わかるけど、もっと色々あるだろ」
「いいもの見ると、語彙力は下がるもんでしょ?」
「いや、訳わかんねえよ。なんだそれ」
謎理論を言い出すエアリアに、エイドは理解ができなかったが、強引に理解したということにした。
ほのぼのとした雰囲気を堪能しているエアリアとともに、エイド達が歩いている。そして、店が多く集まる、街の中央の方までやってきた。
すると、フラムはなにかに気が付き、俯いていた。その様子に気がついたエイドが周りを見渡すと、フラムが俯いている理由がわかった。
街の人達の視線が、一気にこちらへ集まっていたのだ。
エイドはフラムの過去のことを思い出し、やってしまったと、少し反省した。
「悪い、気が利かなくて。大丈夫か?」
「ああ。気にすんな」
いくらトラウマを克服したとはいえ、幼い頃から何年もの間、冷たい視線をあびせられたのだ。気にしないようにしても、体が本能的に覚えてしまっているのだ。
ここで逃げてしまっては、今までと同じだ。立ち向かわなければ、何も変わらないと、フラムは呼吸を整え、心を落ち着かせる。
手にじんわりと汗がにじむのを感じる。と、その時、こちらを見ている母親のもとにいた男の子が、一人走ってきた。
フラムの前に止まると、男の子はじっとフラムの顔を見つめる。反応に困っていると、男の子はフラムに指をさし、母親の方を見ていう。
「やっぱり、この人だよ!僕を助けてくれたの!」
フラムはどこかで助けたかと思い出そうとするが、あの混乱の中、がむしゃらに剣を振りながら走っていた。誰を助けたかも、いつ助けたかも覚えていない。
すると、男の子に続き、母親が前に出てくる。
「あ、あなたが、この子を?」
フラムは視線を外しながら、そっけない態度で答える。
「わかんねえ。覚えてない」
すると、男の子は首を横に振る。
「お兄ちゃんだよ!だって、この街の赤い髪のお兄ちゃんって、お兄ちゃんしか知らないもん!すっごい、かっこよかったんだよ!一発で魔獣倒しちゃうんだ!」
男の子は腕を大きく振って、その時のフラムを再現してみせる。それを見た母親は、目から涙が零れ落ちそうなほど、うるうるとしていた。と、その時だった。
「うちの子を、助けていただき、ありがとうございます……」
母親は、勢いよく腰を折り、深々と頭を下げた。
今までにない光景に、フラムは動揺している。なんて声をかければいい。散々、罵られ、蔑まれ、拒絶されてきた相手に、礼を言われている。
今更機嫌取りでもするつもりなのか?なんか裏でもあるのか?
フラムが戸惑っていると、周りにいた人たちが次々に集まってくる。
「ちょっと、これどういうこと!?」
話がつかめないエアリアは、軽くパニックになっていた。
街の人達が、フラムの前にぞろぞろとならぶ。そして、一斉に頭を下げた。
「この街を守ってくれてありがとう」
「息子を救ってくれてありがとう」
「あなたに命を救われました。本当にありがとうございます」
四方から飛んでくる感謝の声に、フラムの脳内はもうぐしゃぐしゃになっていた。あれだけ、俺らに散々言ってきた人たちが、なぜ頭を下げている。これで許されるとでも思っているのか?俺らの生きて生きた十年は、こんなことで許されていいのか?
しかし、怒りの感情の傍らに、どこか嬉しいという感情が紛れている。自分たちを見ていなかった人たちが、ようやく見てくれたことに対する感情。
二つの感情が入り混じるフラムは、一度冷静にならなければと、瞳を閉じ、呼吸を整える。
すると、群れの中の先頭にいる人が、大きな声を出す。
「俺たちは取り返しのつかないことをした。一つの誤った情報を鵜呑みにして、君たちを加害者へと仕立て上げてしまった。この国を救ったのが君たちだと聞いて驚いた。同時に、自分がやってきたことを大いに恥じた。君たちは心優しい人だというのに」
その言葉を聞いたフラムは思わず目をあけてしまう。
「あの日の出来事を聞いたよ。あのとき、君を犯人を言った彼女は、自分の娘と息子を失った腹いせに、君を犯人仕立て上げてしまったと。だからといって、私達が君たちを悪魔の子だと罵倒していいい理由にはならない。それに今まで気が付かなかったのは、私達の責任だ」
フラムは拳を握りしめる。
「今更どの口が言ってんだ!俺らがどれだけ苦しんだかわかるか!?人に合うたびに、罵声をあびせられ、顔を殴られ、腹を蹴られた!そんな生活を八年も続けていた!八年もだ!飯もろくに食わせてもらえないときだったあった!残飯を漁って、毎日を生きるので必死だった!そんな八年間を、頭下げただけで許せっていうのかよ!」
声を荒げて叫んだフラムは、肩で息をしている。自分でも驚く程に、口から自分の今まで思っていたことがあふれだ。
後ろの台車に乗るヒバナは、過去のことを思い出し、感情がこみ上げて涙が流れ落ちている。
「今、俺の妹が泣いているの理由がわかるか!お前らのせいだ!こいつが何をしたってんだ……!目の前で母親を失い、辛かったこいつに……お前らが何をしたかわかってんのか……俺らが…………お前らに…………一体、何したってんだよ…………」
拳を握りしめ、歯を食いしばるフラムの目には、薄っすらと涙が浮かんでいる。それを落ちないようにと、必死に堪えている。
街の人達は地面に膝をつき、頭を擦り付ける。
「許してくれなんて都合のいいことは言えない!だが、せめて、償わせてほしい!どんな罰も受けよう!君たちが望むのなら、命を落としたって文句は言えない。私達はそれだけのことをしてきたのだから」
目の前から、必死に謝罪の声が飛びかっている。耳が良いフラムにとって、それが本心であるのは容易に分かった。だからこそ、戸惑っていたのだ。
フラムは、俯いたまま考える。
俺らは目の前で母親を失った、この事件の被害者だ。だが、隣に住んでいた女性も、愛する娘と息子を失った被害者なのだ。
気が動転して他人を貶めることで、気を紛らわせていたのかもしれない。あの人だって、この事件の被害者なのだから。
だからといって、この理不尽な出来事を許すわけではない。
ここで目の前の人達を一人ずつ殴っていったとして、俺の心は満たされるのか?それは、目の前の人達にとって、自分への怒りを煽ってしまうだけなのではないか?なら、俺がするべきことはなにか。答えは自然と導き出された。
フラムは深呼吸をして、重い口を開く。
「俺はあんたらを許すことはない。でも、この怒りをあんたらにぶつけたところで、なんの解決にもならない。だから、この怒りは俺が飲み込んでやる。お前もだ、ヒスイ。お前の怒りも、悔しさも、何もかも俺が全部飲み込んでやる」
「でも、それじゃあお兄ちゃんは――」
ヒスイの言葉を遮るように、フラムは頭を撫でる。
「俺は、悪魔の子だからな。悪魔ってのは、人の苦しみとかが大好物って決まってんだよ」
皮肉交じりに言うフラムは、一息すって続けた。
「もし、あんたらが心の底から償いたいと思うなら、俺の願いを聞いてくれ」
街の人達は涙を流しながら何度も返事をする。
「もちろんだ!どんなことだって言ってくれ!」
フラムはその返事に安心して、願いを伝えた――
その頃、ヴェルフは自分の店の修繕に勤しんでいた。
近くにあった廃材を運んだり、鉄を溶かして新たな部品を作る作業と、一人でやるにはかなりの労力だった。
更に、今日は天気がよく、日差しが肌に突き刺さるように暑かった。
額に浮かぶ汗を何度も拭うが、少し動くと湧き出るように溢れ出す。
「ふぅ、俺も歳をとったもんだ」
腰をとんとんと叩きながら、一息つく。
実は、ヴェルフの建物を直す手伝いをすると、エイド達は言っていたのだが、
『お前らの手を借りるまでもねえ。俺ひとりで十分だ』
と見栄を張ってしまったことがことの発端だった。
こんなことになるなら、素直に手伝ってもらえばよかったと、少し反省していた。
「人でが足んねえな。これじゃ、日が暮れちまうぜ」
愚痴をこぼしながら、木材を加工していくヴェルフ。その時だった。
街の方から、地面を伝って小さな揺れがこちらに近づいてくる。
ヴェルフは作業を止め、街の方を見ると、遠くの方で砂埃が立っているのが見える。目を細めてみるが、何が砂埃を上げているのかはわかない。
「なんじゃありゃ?祭りでもしてんのか?」
のんきなことを言いながら、ポケットに入っている小型の望遠鏡を取り出して覗いた。すると、顎が外れそうな程大きな口を開けている。
無理もない。何故なら、ヒバナを先頭にして、百人を超えるだろう人の群れが、物凄い勢いでこちらに向かって来る。
「どうなってる!?いったい何の騒ぎだ!?」
ヴェルフは建物に残っていた盾を慌てて持ってくると、もう片方に金槌を持って身構える。
次第に近づいてくる人の群れ。すでに肉眼で確認できる距離に近づいた時、先頭にいたヒバナが手を振っているのが見えた。
「ヴェルじい~!」
ヒバナはヴェルフの元にたどり着くと、街の人達はヴェルフをあっという間に囲んでしまった。
「あんたがヴェルフさんか!」
「人手が足りなんだろ!何か手伝わせてくれ!」
「足りないものがあるなら、何でも言ってくれ!資材ならたんまりあるからよ!」
「お腹すいてないかい?ご飯作ろうか?」
いきなりきたとおもったら、仕事をくれと迫る人たちに、ヴェルフはパニックになっていた。そして、ヒバナがいたことを思い出し、名前を呼ぶ。
「ヒバナ!これはどういうことだ!?」
「色々あって、お兄ちゃんが――」
人にもみくちゃにされながらも、ヴェルフに説明をすると、話を聞いたヴェルフは目を丸くした。
すると、力ずくで人を跳ね除ける。
「仕事が欲しいならくれてやるからちょっと待ってろ!!」
ヴェルフは血相を変えて、街の方へと走っていってしまった。
それを見たヒバナは笑っていた。
「ほんと、素直じゃないよね~」




